第二話 色仕掛け
何度も死のうと考えた。
あの日、焼け落ちていく家をただ見つめていただけのレイは同じく外出していた使用人、オーズに連れられて、王都の端まで逃げ延びた。アイの父親は能力者の中の裏切者として、殺されたのだ。そして、その使用人までも皆殺し。けれども、逃げたレイとオーズの元まで追手が来ることはついぞなかった。
たまにはオーズの下に帰ったほうが良いのかな。レイはそんなことを考えた。ここまで自分が生きているのは自分を守って育ててくれたオーズのおかげだ。それなのに、レイは彼に何も出来ていない。けれど、そんなこと気にするだけ無駄か、そういう風にもレイは思った。どうせ、最後は時を戻すのだ。ここで、何をしようと変わらない。
それよりも、次の標的だ。
現在、位置が分かっているのは五人の能力者。しかし、それら全員がビッグネームだ。
まず、北都を統べる氷を操る能力者、フリームスルス。
南都を統べる炎を操る能力者スルト。
西都を統べる電気を操る能力者トール。
東都を統べる風を操る能力者アウストリ。
そして、この国を統べる王、管理者。その能力は全ての能力の支配。レイの最終目標である。
全員が全員、非常に強力な能力を操るため、真正面から戦って勝つのは不可能だ。しかし、それでいてはいつまで経っても、強力な能力者を殺すことはできない。おそらく、王都には王を守護するために、東西南北の都を統べる能力者よりも強い能力者がいる。それらに勝たなければ、王を殺してその能力を手に入れることはできない。
だから、この辺りで、名の割れている誰かを殺す必要がある。
そこで、レイは南都を統べる能力者スルトに目を付けた。彼はかなりの女好きで、いつも新しいメイドを募集しているという。正面から戦って勝てないのであれば、不意をつくほかない。
メイドとしてスルトの家に侵入し、殺す。レイは詳細な計画を立て始めた。
非常に広い王国であるため、王都から南都へと移動するにもかなりの時間がかかる。『転移』を使う方法も考えたが、王都でのメイド募集に従って、向かったほうが自然な流れだ。面接などというものもなく、レイはあっさりと南都行きの馬車に乗り込むことができた。
馬車に揺られること二週間。度重なる侵略戦争の果てに王国は広大な領土を獲得していた。けれども、その発展具合には大きな差がある。
ここ南都は、王国の中では寂れている方だった。支配者のやる気がないとこうなる。広い国土を中央だけが支配して、しかも繁栄させるなど、どだい無理な話なのだ。南都中心部はまだましなほうで、ギラギラしているが、そのすぐそばはスラム街になっており、その差によってさらに悲惨さが際立っている。
天気はどんよりとした曇り。馬車から降りれば凝り固まった全身が痛む。馬車に同乗していたのは四人。彼女らも同じくメイド志望の人間だ。使えそうだと思ったので、レイは既に彼女らに能力を使用していた。
『操作』
肉体的に支配下に置いた人間を操ることができる能力である。簡単に言えば、ボコった相手を操れる。この能力を全員に施しているので、彼女らを使って情報収集ができる。
馬を引いていた執事のような格好をした男が、家の中から件の男──スルトを連れてきた。
スルトはやせ細った男だった。年のころは三十から四十の間といったところ。ひげの剃り残しが少し目立っている。炎の能力者らしく髪は赤いが、その髪も少し薄いし、何より元気がなさそうな顔をしていた。そのせいか、腰に差された剣が不格好にみえる。
レイとしては話から小太りな男を想像していたので、少し拍子抜けだ。
「君たちか……」
スルトは五人のメイド志望の顔をじっくり眺め、そして、剣を抜いた。
「お前はいらない」
右端に立っていた女を、スルトはあまりにも簡単に切り捨てた。
血しぶきが舞い、女たちの顔が真っ青に染まっていく。
「きゃっ──」
「叫ぶな」
衝撃の光景に怯えた女たちにスルトは冷たく言い放つ。
レイも叫ぶまでとはいかずとも、呆気に取られていた。もし自分が彼のお眼鏡に適わなかったとしたらと思うと、身の毛もよだつ。
「火炎」
そうスルトが言葉を発すると、斬られた女の体が燃え始めた。その炎の温度を肌で感じながら、レイは石畳で焦げている部分がいくつかあるのに気が付いた。おそらく、このようなことが何度が繰り返されているのだろう。
はっきり言って、こんなことを平然とやってのける神経が理解できない。
けれど、逆に言えば、こういうわかりやすい悪人は殺しても心が痛まない。そう、レイは少し安心していた。
「あとは任せたぞ」
スルトは後ろから出てきたメイドの格好をした人にそれだけ言い残して、家の中へと入っていった。そう言われた女は私たちに対して笑顔を向けて、
「では、中にお入りください。これからのことについて説明しますね」
そう言われて、残された四人はぞろぞろと部屋に入っていった。その足がすすんだものじゃないのは言わなくてもいいだろう。
当初の予定通り、メイド長の女にも同様に『操作」の能力を施した。どうやら、スルトの夜伽の相手は周期的に決まっているわけではなく、彼の気分で決まっているようだった。大体、そんなとこだろうとは端から踏んでいたものだから、別に驚くようなことではないのだが、それはそうとして、スルトが死んだ場合、疑われるのは当然最近入ってきたばかりのメイドだ。そのため、レイは先んじて、先ほどの馬車を引いていた人物にも能力を施し、最初からメイドは四人しかいなかったというように証言させるよう仕組んだ。
これで、用意は済んだ。
そして、決行当日。
レイはいかにもな際どいランジェリーに身を包み、スルトの寝室に向かった。
作戦はハヤトの時と同じだ。至近距離まで迫って、『召喚』の能力を用いて異空間に仕舞い込んでいる剣を取りだし、そのままその剣で突き刺す。その能力を用いるため、何か凶器を体のどこかに忍び込ませておく必要がないので、非常に便利だ。
部屋の扉を二回ノックすると、中から低い声で「入れ」と声がしたので、特に警戒心も抱かず、普通に部屋の中に入った。
「失礼します」
スルトは帯剣していた。そして、鋭い目をレイに向けた。
「君、名をなんと言ったか?」
「レイと申します」
異様な空気にレイは若干の恐怖を覚えながらも、逆に、これはその雰囲気を表に出したほうが良いと思い、声を震わせながら答えた。
「私はこれまで、幾度となく死線を潜り抜けてきた。ずっと戦争をしていたからな。なあ。だから、わかるんだよ」
彼はため息をつきベッドから立ち上がる。相も変わらず細長い体だが異様な雰囲気がある。
「殺意というやつがな」
スルトは剣を抜いた。
「なあ、レイ。私は戦争でしか生きられない。こんな見た目だ。女は寄り付かないし、力がなければ、皆、私を蔑む。そう、そうだ。そこのスラム街の奴らを見て、いつも思うんだ。私に能力があって良かったと、生きる場所があってよかったと。安心できるんだ。ほら、見てみろ。そこの窓から見えるんだよ。なあ。レイ。お前は、私を殺したいのか?」
その表情は少しも揺らがない。ただただ淡々と述べる。
「い、いえ。そんな滅相もございません」
「そうだよなあ。まあいい。レイ、そこに立ったまま、今から私が話すことを聞け」
案外、寒いうえ、恥ずかしい格好なので、さっさと終わらせたいのだが、迂闊な行動をとれば、即殺される可能性もある。
「最近、話題になっている『救世主』と呼ばれている殺人鬼がいるな。あいつに殺された能力者の能力は以降、発現していない。これがどういうことかわかるか? レイ」
「…………」
黙りこくるほかない。何か言葉を発すること自体憚られてしまうような、そんな恐怖があった。
「おそらく、殺人鬼は能力者だ。それも、殺した人間の能力を奪えるものだと見た。その能力がまだこの世に存在するから殺された能力者の能力は発現しないのだ」
背筋がぞくっとした。寒いから、じゃないのだろう。
こいつは全てに気が付いている。それは、それこそ戦争で得た経験からくる直感なのだろう。もはや、レイにとっての懸案事項はいつ攻撃するか。どこに、目の前の敵の隙ができるか。それだけだ。
「『操作』の能力知っているだろう?」
スルトがそう告げた次の瞬間、レイは動き始めていた。
「強化、未来視、召喚」
三つの能力の同時使用。『強化』は自らの身体能力の強化、『未来視』は三秒先までの未来をみることができる能力。『召喚』は上に述べた通りで、レイは剣を取りだした。
三秒先の未来では上から斬りかかったレイの攻撃にスルトは追いついていなかった。それだけ確認し、視界を安定させるため、能力を即時解除する。
次の瞬間には、斬りかかる目の前。レイの振った剣はスルトの手の剣を吹き飛ばしていた。
「──ッ! やはりか」
スルトはしかし、少しも動ずることなく、レイをまっすぐ見据え、先ほどまで剣を掴んでいた右手を突き出した。
レイにもその行動は完全に理解できる。炎を発する能力を用いようとしているのだ。しかし、もう止まれない。このまま、とどめを刺す。
レイは剣を横に振った。確かな手ごたえ。だが、
「火炎!」
レイの視界が真っ赤に染まった。
どれくらい気絶していただろうか。全身が痛い。おそらく、もろに炎を浴びて、体中が火傷しているのだ。受けたダメージを治癒する能力、『回復』を使いとりあえず死を免れる。呼吸をすれば、肺もまた焼けているという事実に直面する。『回復』の能力を使っているとき、その使用部位に対する意識を強めておかなければならないためにそれ以外の能力を使用することができない。だから、今は、こうして体を動かさずに治癒を待つほか──。
「なめやがって」
壁にもたれて座り込んでいたレイの目の前にスルトがそのわき腹を抑えながら、立ちはだかっていた。レイの手ごたえ通り、剣はスルトの脇腹を半分ほど切り裂いていたようだった。それでいてなお立ち上がり続けるのはひとえにスルトの胆力ゆえか。
「お前、あれだな。名前聞いたことあると思えば、あの屋敷にいた女か。もうあれから十二年だもんなあ」
スルトはふらつきながらも笑って言う。
「やっぱり、呪いだ。呪い。なあ、くそだ、くそだ。許せねえよ。俺は管理者の言うこたあ聞いてるだけなんだけどなあ」
スルトは剣を再び手に持っていた。そして、その切っ先をレイに向ける。
「死ね」
ああ。レイは思う。
こいつが、あの日、アイの家を焼いた張本人。
許せない。絶対に、許さない。
動かない体、レイはそれを受け入れ、そして、諦めた。敵の命を奪う。それが、レイが今やるべきことなのだと、それを為すべきために、苦しみを無視して、レイは、
「転移、召喚」
彼女の体をそのまま、スルトの上部に持っていった。そして、その手に握られるのは小さなナイフ。レイはその足や顔や、内臓の回復よりも先に手の回復を優先した。すべては目の前の敵を殺すため。己の苦しみよりも敵の死の方がはるかに重要なのだ。
「貴様──ッ!」
スルトが振り返るが、間に合わない。ナイフはスルトの首筋に突き刺さり、そのままレイの体重でスルトの体が倒された。さらに、レイはナイフを深々と突き刺す。
「────!」
壊れた喉は、言葉を発さない。けれども、レイはそのナイフに強い憎しみを込めていた。その力が、迫力が、ある種の大きな声となって、スルトに襲い掛かる。
何度も、何度も、何度も。
その手が血に染まろうとも、屋敷が燃え盛ろうとも、レイは一切の手加減をせずにスルトの首をこじ開けた。やがて、それは、物言わぬ死体となり、一人残った生者は気づけば部屋からいなくなっていた。
体が重い。もはやどちらが上下ともわからぬほど平衡感覚も失っている。肺と足だけは戻ってきたので、なんとか外にでることはできたものの、まさに満身創痍、生きているのも不思議なくらいだった。
レイは消えてしまいそうな意識の中で燃えていく屋敷を見ていた。おそらく、回復能力をもたないメイドのほとんどは焼死。運が良くても、数人しか生き残っていないだろう。そこに罪悪感を覚えながらも、レイは少しだけ安堵していた。
意識をぎりぎりのところで保ちながら、また立ち上がり、動き出した時、レイは屋敷の中から出てくる人影を見た。関係のないことだ。そう思って、レイはそこから離れようとしたとき、その姿に衝撃を覚えた。
「アイ」
レイは呟いていた。
その手に小さな風車を持って、出てきたその姿はまさにレイが欲していたその姿そのものだった。
あの日のまま、十二歳の時のアイの姿。
その少女は、レイの方を見ると、走り出した。
レイはその少女から目が離せない。それと同時に現実を受け止められない。何が起こっているのかわからない。
レイは気づけば、庭に倒れていた。炎がすぐそこまで迫るその場所で、少女はレイに微笑んだ。
「お姉さん、こんにちは」
ブロンズの髪に、消えてなくなりそうなくらい白い肌。その特徴的な深い青の目がレイを射抜いている。
「きれいな目」
少女が持つ小さなおもちゃの風車が静かに回っていた。