第十五話 大切な人
「能力の制限……。管理者の仕業か」
ノゾミは呟く。先ほどまでは能力を使用できたことを鑑みれば、おそらく能力は防壁内でのみ制限されている。ここはまだ入ってすぐのところだから、一旦はアウストリを連れて外に出たほうが賢明だと判断したノゾミはアウストリを担いだ。
「おっも……」
アウストリが元気ならこの時点で怒られそうだけれど、実際、まだ十二歳のノゾミは大の大人を担いで動けるほど力がなかった。
「こっち来て」
後ろで待機している兵士を呼びつけて、運ぶ。
「これから、どうしましょうか」
兵士がそう尋ねてくる。
一応、東部から侵入する部隊のリーダーはアウストリになっていたが、実際は傀儡なこともあり、ほとんどの命令をノゾミが下していた。
「アウストリを連れて一旦、防壁外に出るから、その間は待機。終わり次第、王宮へ進軍する」
ノゾミはそう言い、兵士にアウストリを任せ、外に出た。
「回帰」
傷が癒えていく。正直なところ、アウストリがトールを倒したのは大金星ではあるなと、ノゾミは思う。かなり有利な条件に持ち込んではいるものの、ノゾミは残る敵能力者のうち、時間を止める能力『停止』を持つアトスの次くらいにはトールを危険視していた。純粋に戦闘能力が高いというのもあるし、彼は移動が速い。それゆえに、各場所での事態を伝える能力に長けている。こちらがわざわざ別に動いているのは敵戦力を分散させるためでもあるのだ。敵戦力が分散すれば、それだけ向こうは対応が追い付かないし、いくら今は最強と言ってもいいほどの力を持つレイとて複数の能力者を同時に相手にするのは厳しいだろう。できるだけ別々に戦わせる必要がある。
アウストリが目を覚ました。
「じゃあ、起きて。先行くよ」
アウストリに声をかけると、彼女は虚ろな目のまま立ち上がる。そして、ノゾミに続いて歩き始めた。
「とにかく、ここから部隊を動かしながら王宮まで一時間以上はかかる……。お姉さんは大丈夫かな」
ぶつぶつ呟きながらノゾミは防壁内に入り、そして、後ろから肩を掴まれた。
「──は?」
「大きな声を出すな」
アウストリが後ろから言う。
「みなさん! このまま進軍しましょう。我々の手で能力者支配のこの国を終わらすのです」
軍が歓声を上げる。そして、進軍を開始した。
「アウストリ、お前──!」
ノゾミが言う。おかしい。『回帰』で、彼女を戦闘前まで戻したはずだ。こんなことが起こるはずは。
「なーに。気にしなくてもいいんです。私は少なくとも、今は敵対するつもりはありませんから」
「……何?」
「私が誰か倒したんですか?」
「……トールを」
「あら、それはそれは」
アウストリが微笑む。
彼女の状態は間違いなく回帰している。だが、『操作』の能力の支配下にあるかどうかというだけの違いだ。
おそらく、トールの電撃を直接頭に受けたとき、レイとアウストリの間にあった能力のパスが消滅、または弱体化したのだろう。実際、こちらに来る前にそのパスを少し弱めていたし、それの影響も鑑みれば、仮説は正しい。
確かに、特定の対象をまき戻す際、その周りの状態、例えば空気の状態だとかを同時に巻き戻せるわけではない。もちろん、それも指定すれば巻き戻すことは可能ではあるけれども、能力による支配というのがその個人自体ではなく、外部からのものだというのにノゾミは考えがいっていなかった。
こうなってしまうと、一旦時をまき戻しても、アウストリが再度能力にかかることはない。ともすれば、もう一度レイにより能力をかけてもらうかどうか……。
「だから、気にしなくてもいいんですよ。私はあなたたちの味方なんです」
アウストリは言う。
「どういう風の吹き回し?」
「わざわざ負けている方に味方しませんよ」
「そう」
確かに彼女の性格ならそうするか、とノゾミは納得する。兎にも角にも、彼女と敵対して今のノゾミには得がないし、能力を封じられている今、むしろそれは自分の死にも直結する可能性がある。
「わかった」
ノゾミは言う。
アウストリはそれを見て、ニヤリと笑った。
全部終わった後、レイを殺せば、自分がこの国の唯一王になれる。それまでは味方してやろう。
そう考えるアウストリを見て、ノゾミは少しばかり嫌な予感がするものの、どうしようもない今、考えないことにした。
十四年前。
「あなたがサトルね!」
ピンクの長い髪をツインテールにまとめた十四歳の少女メイカが初めて、サトルに出会った。
王国の生きる悪魔、そう呼ばれていた当時のメイカはよく言えば純真無垢、悪く言えば善悪の判断がつかない化け物だった。能力『吸収』の解釈を無限に広げていったメイカは既にこの時、歴代最強の『吸収』使いと言われいていたのだが、それだけに己の能力の限界を感じていた。それで己の欠点を補うことができる相棒を探していたところ、『狂乱』のサトルに出会ったのだ。
一面の花畑。その中央で、サトルは無言で花を摘んでいた。まるで、幾度となく戦闘経験を積んでいるとは思えないほどの細身で、社交性もなさそうだった。彼の能力のこともあって周りの大人は彼には触れようとしないし、当時十三歳のサトルにとってそれは居心地が良かった。
「さあ、私と一緒に来なさい!」
そんな事情知ったことかと、メイカはずけずけとサトルの方に進んで、そう言った。
「…………」
サトルがメイカの方を向く。びっくりするくらい黒い目だった。あまりにも強いその目力にメイカは圧倒された。そうして、サトルが口を開く。
「花、踏んでる」
メイカの足元、赤いカーネーションが潰されていた。
「あ、ごめんなさ──」
咄嗟に謝ろうとしたメイカの言葉も聞かず、サトルは言葉を続ける。
「赤いカーネーションの花言葉は愛情。メイカさん、ですね。踏み潰すのも納得だ」
「ど、どういう意味よ!」
あまりの罵倒にメイカは声を荒げる。
「そのままですよ。解説しないとわからないんですか」
もうメイカの頭には謝ろうだなんて感情が消え失せていた。
「あんたね!」
そもそも、メイカの方が年上だ。年上への敬う心すらない人間にどうして謝らなければならないのか。
この馬鹿野郎をわからせなければならない。
そう考えたメイカは言う。
「吸収」
最も基本的な能力の行使。サトルに触れた彼女は彼の持つ生命エネルギーを吸収しようとした。
が、
「は──!」
メイカは咄嗟に手を引っ込める。とてつもないエネルギーの奔流を感じたのだ。メイカの体じゃ受け止められないほどの生命エネルギーがサトルの体の中に眠っていた。常人の何百倍もあるのだろう。彼の能力『狂乱』、話しには聞いたことがある。
彼は戦場で一切止まることなく、敵を殺しつくすと。
「そういう……」
メイカは納得する。そして、なおのこと惹かれた。何がなんでもこの男を私の相棒にしたい。そう考えたメイカはこの日から毎日彼の下へ通った。
最初は花の扱いもわからず、すぐにサトルに怒られていた。それがやがては優しく扱う術を身に着けていき、徐々に彼女は周りから随分とお淑やかになったものだと褒められた。幼少のころから戦場に出向く能力者たちはまともに育つことが少ない。その多くは人の感情がわからない破壊者になるし、それがこの国での能力者たちの支配が国民から反発を買っている理由にもなっているのだが、メイカはそうではなかった。サトルと過ごす日々によってやがて人間性を獲得していった──取り戻していった。
そして、同時に気づいたのだ。戦場で「狂った」ように暴れるサトルが一番、人間性を持っていたことを。人であるがゆえに、戦場では人であることを捨て去るしかない。それゆえに彼に『狂乱』が与えられたのだと。
「随分と優しくなったね」
「まあね」
メイカは言う。出会いから八年が経っていた。
二十を超えて二人は同棲していた。
「もっと筋肉つけない? 私、そっちの方が好き」
「いや、僕は良いと思うけど……。まあ努力するよ」
王都外れにある田舎にある一軒家。二人は外の景色を眺めていた。絶えず戦いに呼び出され、精神をすり減らす中でも、二人はその景色が変わらぬことを望んでいた。
今、その花畑は燃え尽きた。
「ねえ、レイ。あなたは何がしたいの」
メイカは尋ねる。
「それをお前らに言う必要があるか?」
レイは質問で返した。彼らの能力はわかっている。不意打ちは──あまり自信がない。おそらく、こちらが姿を消した瞬間に向こうは対応してくるだろう。
「もちろん、私たちもわかってはいるよ。私たち能力者はいずれ駆逐されなくちゃならないほどの罪を犯し続けている。私たちはね、たとえ、それが正しくないのかもしれないと考えても、管理者様の考えに間違いはないんだと思い続けなくちゃならない。それが、罪を逃れる理由にはならないのもわかっている。だけどね」
メイカはレイの目をまっすぐ見つめた。
「力は平和だよ。私たちがこの世界全てを統べて平和になるの。一度歩き出したなら、私たちは止まるわけにはいかない」
「そう」
レイは言う。
「私も止まるわけにはいかない。あなたたちが管理者に敵わないのは知っている。だからさ、私が代わりに終わらせてやるよ。というわけで、死んでくれない?」
レイは剣を二人に向け、笑う。
「嘘ね」
メイカは言う。
「あなたにそんな高尚な理由はないわ。だって、する必要がないもの。あなたにそれは耐えられない」
「なんで、そう思った?」
「さあ、知らない」
メイカはしゃがんだ。そして、地面に手を触れた。
「始めましょうか。私たちがあなたを殺す。そして、私たちの力が平和をもたらすのだと証明する。吸収&放出」
次の瞬間、地面の砂粒が、ぐちゃぐちゃになった家の破片が、一気にレイの方へと飛び始めた。
「転移」
だが、次の瞬間には既にレイは対応を始めている。レイは二人の背後、十メートルのところへ移動した。
サトルと目が合う。やはり、『転移』で直接後ろに移動するのは警戒されている。
「火炎」
レイの手から大量の炎が出現した。その炎は渦巻きながら一直線に二人のところへ向かう。
「同じこと……!」
レイは知っていた。が、実際、目前にすると驚く。
先程のメイカの初手の攻撃。それは地面に散らばっているものを一旦吸収することにより、速度ベクトルを自分に向けさせたものをマイナスに吸収することにより反転させ、レイの方へ向かわせた。
これが、稀代の天才。マイナス方向への能力の行使はおそらく、史上初だろう。
「吸収&放出」
炎は反対方向のベクトルを与えられ、レイの方へ向かう。しかも、それはレイが放った初速よりも一段速い。
だが、
「消えた……!」
レイが姿を消す。メイカは即座に察する。
「炎の攻撃はブラフ、そして、次の攻撃が本命!」
「当たり」
レイは再度、元居たところへ戻ってきた。そして、駆ける。
「既に見えている」
レイは呟いた。知っている。メイカは能力を二段階に分けて使用する。つまり、他の能力者に比べて能力の発動が遅い。だから、予め考えていた動きにしか対応できない。そのためのサトル。近接戦闘能力の高い彼なら簡単に対処できるだろう。
だが、今の事態で、サトルは能力を一部しか使用していない。彼の地力と少しのバフで対処しようとしている。おそらく、メイカから制限がかけられているのだろう。
「弱いな」
レイは言う。たとえ、メイカがこちらの攻撃をどれだけ予測していようと、その思考が『筒抜け』である以上、決してレイには届かない。戦闘がハイスピードになればなるほど対処できない。
剣を振るった。
その剣はレイの眼前で粉々に打ち砕かれた。
それはサトルを狙った一撃だった。彼を潰せば、メイカの勝ち筋が消えるからだ。だが、その剣はサトルの手により砕かれた。
「素手で、かよ」
レイは一旦後ろに引く。
サトルの手に血がにじむ。
彼の戦闘能力がどれほどか、レイは知らない。実際、並の兵士じゃ相手にならない以上、それを指し示す指標がないのだ。特に、彼のような能力であればあるほど。
血が消えて行く。
サトルの能力『狂乱』、精神の錯乱の代償に手に入れるその効果は己への強力なバフと常時回復である。
無。
レイが既に手にしていた異能『読心』が写すサトルの精神は虚無そのものだった。