第十二話 惜別
レイによる王都への宣戦布告から一週間が経過していた。防衛線を決め込んだ王都の動きがレイの方へ上がってくることもなくなっていた。おそらく、殺されたのだろう。最後の報告はレイ側に着こうとした人間への虐殺が行われているというものだった。
だが、悪いニュースばかりではない。トールが支配する西都を除く北都、南都、東都の三都は完全にレイの支配下に置かれ、三方向から王都を攻める計画が着々と進んでいた。あとはいつ攻め入るかを決めるだけだが、まだ三都の混乱は残っているし、正式な兵団の用意も済んでいない。早くてもあと一か月。場合によれば二か月以上かかることも覚悟せねばならない。それはおそらく王都側とてわかっていることであろう。
その最中、レイはオーズのところに訪れていた。
「ただいま」
レイがオーズの家で一日療養していた時からまだあまり時間は経っていない。けれども、レイからすればなんだか懐かしいような心地がしていた。
「おかえり」
オーズはというと、レイと目を合わせようとしない。いくら防衛ラインよりも外側にいるからと言って、王都でのあれこれを知らないわけではない。世間を騒がせていた能力者殺し──その名前がレイと一緒なだけで、何も関係がない。そう思いたかったが、しかし、つい先日帰ってきたときのレイの痛々しい傷と、正体の知れぬアイとそっくりな女。それらがレイこそが王国中を騒がせている人間その本人であるというのを指し示していた。
そして、その本人がこの渦中にてわざわざ出向いてきた。
「オーズさん、娘さんですか?」
客の一人である男が声をかけてきた。そして、レイと目が合う。
「あっ──」
男は身震いした。それは、目の前にいる女が能力者殺しだというのがわかったからではない。
化け物。
人間の形をとっているのが不思議だと感じるほどであった。これがまともな人間であるはずがなかった。美しい女ではある。けれども、その目はあまりに冷酷であった。日の下を大手を振って歩けない職をしている男とて、これほどの人間を見たことがなかった。どれほどの修羅場を潜り抜ければこれほどの目になるだろうか。その目に射抜かれると、生きている心地がしなかった。次の瞬間にはこの女に殺されるのではないかという恐怖すら覚えた。
「そう。私のお父さんだよ」
そうレイは言った。そして、次の瞬間、男は、自分の感じた恐怖が偽物ではないのを知った。
酒場にどよめきが走った。そもそも、レイが酒場に入ってきたとき、彼女の目は伏せられていてから、その纏う雰囲気に気づくものは少なかったのけれど、彼女の放つ異様な強者としてのオーラは能力者の放つそれであり、それが分かってなお近づいた男は自らの格を周りの人間に知らしめたことになったのだが、それでも、彼女の持つオーラに気が付いたものでさえ、彼女がいきなりこれほどまでの凶行に走るとは思わなかった。
床に頭を砕かれた死体が横たわり、噴き出した血は近くにあったテーブルを濡らした。そこに座っていた男は驚きのあまり、椅子から転げ落ちる。
「叫ぶな」
レイは言う。
「私は静かにお父さんと話したいんだ。黙っていれば、傷つけはしない」
緊張感が酒場に走る。その次の瞬間、一人の男が、出口の方へ駆け出した。
「氷の弾丸」
その男の頭が砕かれた。また、一つ頭のない死体が増えた。
「ああ、じゃあしょうがないな」
レイは呟く。室内にはレイとオーズを除いてあと十二人いた。
「レイ、やめろ」
オーズは言う。
「やめろっていうなら、止めてみれば?」
そのレイの言葉に室内の人間は全てを察した。直後、半分は扉の方へ半分は敵──レイの方へと攻撃を始めた。
逃げ始めた人間が最後を迎えるのは速かった。既に空中に展開されていた鋭い氷塊に貫かれ、絶命した。レイに向かってきた人間のうち二人は同じ末路を迎え、残りの四人は既に見ていた攻撃方法であるゆえにそれを避け、一人は抜いた剣でレイに斬りかかり、即座に首を刎ねられた。
残る三人。一人はボウガンを構えていた。それはまっすぐレイの真後ろから放たれ、簡単に叩き落された。残る二人も短剣をレイに投げ、それに対応している間に一人は巨大な斧を一人は大剣を手に取り、レイに斬りかかった。が、即座に低い姿勢をとったレイに簡単に蹴飛ばされ、床に叩きつけられる。
「強いね。いいよ」
レイは倒れた二人のうち一人の胸を踏み抜き、絶命させながら、残りの二人に拍手を送った。
「でも、私には勝てない。それはわかるでしょ」
残った二人──若い男女だ。そもそも三人は一つのパーティだったようで、それにより即座に連携行動をとれたのだろう。しかし、一人は今、心臓を潰され、ボウガンを放った女は恐怖に震え、蹴り飛ばされた方の男は身体が痺れて思うように動けないようだった。
「そこで、二人にチャンスをあげます。どちらかは生き残らせてあげましょう。どっちが生き残るかは二人で決めてください」
「レイ」
「オーズは黙ってて」
言葉を挟んだオーズをレイは睨みつける。
「俺を殺せ」
男の方が言った。
「……いや!」
女の方が叫ぶ。
「わかった」
レイは言う。そして、
「氷の弾丸」
放たれた氷はまっすぐに女の方へ向かった。すんでのところで避けた女は驚きの表情を浮かべる。
「生き残ると思ったんだ。かわいそうにね。氷膜」
空中に無数の鋭く小さな氷の塊が出現した。それら全ての矛先は女の方へ向いている。
男の叫びは猛スピードで放たれた氷塊の音にかき消された。
残るは全身に穴が開いた女の死体。男は自分の体に鞭打ち、叫びながらレイに斬りかかる。
「無駄だって」
剣は砕かれた。それでも、男は己の身体を使い、攻撃を行う。その拳をレイは掴んで、男に言う。
「あのさあ、俺を殺せって、私は二人で決めてって言ったんだよ。それなのにそんな命令口調でさ、通じると思ったの? 最後に格好つけようって魂胆?」
レイは笑う。
「バカじゃないの」
男の体にレイは膝蹴りを叩き込む。男は腹を抱えてその場に倒れこむ。
「私には勝てないよ。勘違いするな。私が悪いんじゃない。弱いお前が悪いんだ」
レイは膝を抱えてその場に座り、倒れる男に語り掛けた。
「なめるな!」
隠し持っていた短剣。相手に追い詰められた際に一矢報いるための最後の手段。目と鼻の先にいる相手が反応しきったとしても傷は免れないはず──。
「やってやったぞ……!」
果たして男の短剣はレイの太ももに突き刺さった。
「……痛いんだけど」
レイは言う。そして、次の瞬間、その短剣で男の顔は真っ二つに割れた。
「ああ、『操作』しようと思ったのに」
そうレイは呟くと、立ち上がった。太ももにできた傷はみるみるうちに塞がっていく。
「さて、静かになったね。じゃあ、話そうか。オーズ」
レイは笑った。その頬には男の返り血がかかっていた。
「レイ。お前は本当にレイなのか」
「そうだよ。大丈夫、聞かなくてもいいよ。能力者を殺して回っているのも、王都に宣戦布告を下のも私で間違いない」
オーズは改めて無惨な状態になった店を見渡す。こんな惨劇を一瞬で引き起こしたレイの能力──純粋な戦闘能力だけじゃない。明らかに異能を使っていた。今更、疑う理由もなかった。
「なぜだ」
「アイがいたころに戻りたいの」
「…………」
「私の力は殺した相手の異能を奪う能力。これで、『回帰』──時を巻き戻す異能を持つ人を殺せば、私はあの頃に戻れる」
恍惚の表情でそう語るレイをオーズはとてもまともな状態だとは思えなかった。そして、同時に自分を責めた。あのショッキングな出来事からレイの精神状態を元に戻せなかった自分自身を。自分なりにレイに向き合っていたと思っていたのに、それは十分じゃなかった。
「レイ。お前に話すべきか迷っていた。お前を傷つけることになるんじゃないかと思っていた。けれど、レイ、聞いてくれ」
突然そう語りだしたオーズにレイは少し驚きながらも先を促した。
「アイはお前が思っているほどの人間じゃない。全て仕組まれていたんだ。お前があの日、死にそうなほど凍えていたのもその前にアイが現れたのも偶然じゃない。全て、アイの指示だった。あの家は当主の父親を含めてすべてアイの支配下だったんだ」
オーズはレイの瞳を見つめながら言う。
「あの女は自分以外の人間をすべて下に見ていた。お前さえも支配下において楽しんでいたんだ。レイ。アイに囚われるのはやめろ。自由になれ。彼女はお前と対等になるつもりなんて──」
「だから?」
レイは言う。その表情は崩れない。
「それだけ私のことを愛してくれていたんでしょ。私の全てを支配したいくらい。そんなに嬉しいことって、ないよ」
オーズは絶句した。それから、悟った。自分とレイは完全に価値観が違うのだと。『自分の幸せは私が決める』。そのレイの言葉の意味がようやく理解できた。
「そうか」
オーズは言う。
そして、レイはため息をついた。
「それなら、私の目的もダメみたいだね」
レイは言う。
「私はね。オーズにも手ごまになってもらおうと思ってたんだ」
レイがここに来た目的はオーズに『操作』をかけて、ここから防衛ライン外の王都のレイ側の味方となる勢力を作ることだった。それに、レイの情報を知っている人間を生かすわけにはいかなかった。この世にレイの情報を知っている部外者はオーズのみ。だから、彼を殺せば、レイの身の上は誰にもわからなくなる。
「でも、オーズは人に支配されるのが嫌みたいだし。それにオーズには恩があるから」
「……レイ」
レイは自分の頬についていた血を手で拭った。
「ずっと言おうと思っていたんだ。オーズ。今まで私のことを守ってくれてありがとう」
おかげで私は目的を達成できそうだ──それは言わないことにした。それ以上言うと、オーズが自分と言う人殺しを生んでしまったことに後悔してしまうかもしれないと思ったからだ。
今だけはこの言葉を受け取って、嬉しそうにしているオーズの幸せは多分、今、この瞬間だから。
「楽になってね」
レイはオーズの首を刎ねた。
二週間後。王都、防衛ライン内。北側の見張りをする塔の中で男が衛兵と会話をしていた。
「動きがないな」
「……そうですね」
男の名はヨルガン。目の下にはクマがあり、どうやら随分と長いこと眠れていないらしい。『毒』の能力を保持する彼がここに出張ってきているのは一昨日の報告のためだ。既にレイの支配下に落ちている北都で軍が結成され進軍を始めたというもの。軍を一網打尽にできる能力を持つため、ここに現れたというわけだ。
その軍はまだ到着しない。そもそも北都から出発すれば一か月以上はかかる。それなのにヨルガンが現れたのは防壁の外側に数人の人間が現れては消えているということからだ。どうやら、こちらの様子を探っているようだ。このことから、一昨日の報告よりもずっと前に既に北都から軍が動き始めた可能性があるため、警戒の必要があると言われた。
「大体、ツクヨミのあれがあるんだから、大丈夫だろ」
ヨルガンは言う。防壁を覆うように現れている青い光。これが、ツクヨミの異能により張られた『防護』である。絶対不可侵の領域であり、これがある以上、王都側は絶対的に安全だというわけだ。もちろん、レイ側の能力を考えれば破られる可能性があるものの、それが起きれば、即座にわかる。
「帰りてえー」
ヨルガンは背伸びした。そもそも彼が寝不足なのはその任務のためではなく、毒物の開発が終盤に差し掛かっているからだ。研究者気質の彼からするとそれは一番大事なことであり、正直なところ、管理者の命令よりも優先したい。
ヨルガンはため息をついた。
その次の瞬間だった。
目の前の青い光が消滅した。
「なっ……、おい! 今すぐ中央に報告を──」
突然の事態にヨルガンは即座に衛兵に命令を出そうとし、驚愕した。
「はじめまして」
次の瞬間、ヨルガンの視界はひっくり返った。自分の首が刎ねられたという事実に気が付いた時には既に詰んでいる。
周りの衛兵は既に絶命しており、レイはほっと一息ついた。
同刻。王都東部にて。
「はい。これで私の仕事はおしまいです」
ノゾミの異能──『回帰』は触れた対象の時間を巻き戻すことができる。それにより、ツクヨミの能力は『発動する前に』巻き戻された。それを確認した瞬間、レイは『転移』を使い、ヨルガンの下へ向かった。
「じゃあ、あとはよろしく」
そう言って、ノゾミはアウストリの肩を叩く。完全に人間以下の道具の扱いを受けているアウストリはその異能で次々と衛兵たちを空中に巻き上げ、地面にたたきつけていった。
二人はその後ろにいる大量の東都からの兵と共に悠々と防衛ライン内へと入っていく。門を壊し、中の街が見えた。既に異常を察して逃げていく市民たち。だが、その中で一人の男が堂々と立っていた。
「惨めだなあ」
その男が声を発す。
「げっ」
ノゾミが嫌そうな顔をして、アウストリの後ろに隠れた。
「表情一つ変えねえでよ、もうちょっと歓迎してくれ──歓迎するのはこっちの方か」
そう言って、トールはニヤリと笑った。