第十一話 破滅への道
「今から、三十秒後、トールが襲撃してきます。そこで証拠を見せましょう」
未だ動揺の収まらないレイにノゾミは言い切る。
「いや、でも、その、トールが襲撃してくるって」
「来た直後に時間を巻き戻したので、確実です。その反応も私は既に見ています」
「…………」
もはや、トールが来るかどうかなど関係なかった。そのノゾミの言葉には不思議な説得力があったし、実際、彼女が『回帰』の能力者だとすれば、今まで不思議に思っていたことも全て説明がつく。けれども、レイにとってはやはり、それは信じたくないことだった。
そして、ノゾミの宣言通り、
「さてさて、救世主なんぞと呼ばれている奴のお顔は──」
城に大穴が開いていた。そして、その端に一人の男が立っている。金髪の男で、背丈は大きくない。おそらく、実際の年は見た目よりも高いのだろうが、少年に見える。
そして、その男はノゾミを見て、絶句していた。
「なぜ、お前がここにいる」
「それ、聞くんですか? 嫌な事実ですよ」
ノゾミはやはり、全てを知っているかのように話す。
「スルトが死んだ、と聞いた時点でおかしいと思ったんだ。お前がこちら側の味方であるなら、あいつが死ぬわけない。あいつが死んだってことは、お前が裏切ったってことだ」
「で、どうするんですか。私と戦いますか」
「その隣の二人殺したら、時を巻き戻すんだよな」
「もちろん。なんなら、あなたには今、ここで死んでほしいんですけど」
「それは管理者の意思か?」
「さあ」
「違うようだな。ノゾミ、貴様、思い上がるなよ」
「思いあがってなんかないですよ。文句があるなら、管理者に言ってください」
「ああ、そうさせてもらうよ。くそが」
男は吐き捨てた。そうして、身体が光り輝き始めた。と思うと、次の瞬間にはとてつもない、空気を引き裂くような音と共にその場から消えていた。
「はい。これが証拠です」
「全部、知ってたんだね」
レイは、なんとか言葉を絞り出す。気持ちの整理はつかない。
「知ってましたよ。この未来に来るまで私が何回繰り返したと思っているんですか。大体、読心のふりをするだけで、めちゃくちゃ繰り返させられるんですから」
「……全部、知ってて。あんなこと」
「だって、お姉さん。絆さないと激昂してここの告白ですぐ私を殺しちゃうんですもの」
「…………」
レイを、ここでその行動に至らせないためだけに、ノゾミは、レイを抱いた。
「私の納得いくように説明なさい」
「簡単な話ですよ。いっぱい嘘つきましたけど。これだけは本当なんです。私、お姉さんには本当に幸せになってほしいんですよ」
「…………」
そうは見えないけど、と言おうとして、レイはやめた。売り言葉に買い言葉だし、そもそも、そのノゾミの言葉に嘘が見えなかった。
「お姉さんの能力、奪取には明確な弱点があります。それは、能力の発動時に能力自体がもたらす影響をお姉さん自身が受けてしまうことです。自分でもわかってますよね。炎を出そうとすれば、身体が焼けるし、未来を見続けていれば脳が混乱する。強化をあまり使いたがらないのも、そのフィードバックは普通に体に受けてしまうからですよね」
言うとおりだ。実際、強化を施した後の体で本気で走り回れば、足が崩れてしまう。
「例を挙げればきりがありませんが、まあ別にいいでしょう。とりあえず、その弱点についてはわかってくださったでしょう」
黙って、レイは頷く。
「そしたら、当然、私の回帰の影響も受けてしまいますよね。つまり、お姉さんが私を殺して、その能力を使ったところで、お姉さんは今の記憶を引き継げない。お姉さんは、アイさんの運命を回避することができないんです」
「じゃ、じゃあ!」
「待ってください」
声をあげた、レイにノゾミは冷静に告げる。
「八回です。今、私は八回能力を使いました。そして、今から私が殺されるという事態を回避するためにはこの事実を告げるほうが良いという結論に落ち着きました」
「誰に、殺されるの」
「お姉さんに決まっているでしょ。気が狂ったお姉さんが私を殺すんです。それでは何も生まれませんよ」
あまりにも冷静な発言にレイはかなりイラついていたが、かと言って、それを行動には示さなかった。それはノゾミの発言にあまりにも説得力があった上に、自分は先ほどのテンションのまま行動していれば、確かにノゾミを殺害していたと納得してしまったからだった。
「どうすればいいの。何か、方法はあるんでしょ」
もはやノゾミに頼らざるを得ない状況で、レイには敵味方の判別がついていなかった。もはや、全てが敵に見えたし、同時に、全てに頼りたかった。
「これからは推測の話になります。私は未だ、この先の世界を経験していないので。おそらく、管理者なら、なんとかすることができます。ああ、言わなくてもいいですよ。理由ですよね。管理者は能力を与える存在です。それは、能力を与えられる前の存在は今のレイさんと一緒で自身の能力に対する耐性がないはずなんですよ。つまり、管理者はお姉さんに回帰の耐性を与えることができるはずです。方針は変わりませんよ。王都に攻め込む。ただ、結末が違うだけです。今までは管理者の殺害、今からは、管理者の確保です。その後なら、すぐにでも私の命は差し出しましょう」
「わかった」
レイは即座に答えた。レイはやはり、正常な判断を下せるような状況ではない。もはや、ノゾミの言葉を妄信するしかなかった。
ただ、一つ、彼女にとって幸運なのは、決してノゾミが嘘をついていたり、レイを出し抜こうとしたりしているわけではないということだ。ノゾミのこれは完全に本心であった。心の底から、レイが幸せになるには、どうすればいいのかを考えているのである。それで、レイは一応はまともな判断を下せていることにはなる。
「とりあえず、今は一人にさせてくれないかな」
レイは小さな声で言った。
蝋燭が灯っている。完全に外界から閉ざされた小さな部屋だ。部屋の中にはその蝋燭以外何もない。おそらく、アウストリが精神統一の際に用いていた部屋なのだろう。レイはその部屋でゆらゆらと揺れる火をじっと見つめていた。
現実を受け止めるのはレイにとってあまりに酷な話であった。今まで犯してきていた全ての罪は自分がいずれ時を巻き戻すであろうという確信によって無視できるものだと信じてきていたのに、今目の前にその『回帰』の能力者がいるのに殺せないという現実、そしてその能力者──ノゾミの話を信じなけばならないという事実、もう引き返せない。
それにこれから戦わなければならない七人の能力者たち。その全員がアウストリを超える実力を持っている可能性もある。負けられないというプレッシャーがレイに重くのしかかる。
とはいっても、もちろんレイに作戦がないわけではない。
既にレイはトールが支配する西都を覗く二都に王都への宣戦布告とこちらの味方につくよう要請を出している。向こうは支配者が倒れて間もないためにまだ混乱状態にあるだろうが、王都への不満がある人間は多いと聞く。だから、彼らにとっての懸案事項は果たして本当に王都との戦争に勝てるのかという事実だけだ。
そのためにレイが王都に送った知らせは王都内の住人にこちら側につけという知らせだった。それを既に『操作』の能力をかけて支配下に置いている人間を中心に扇動させ王都の能力者を孤立させようという狙いがあるのだが、果たしてそれがうまくいっているのか知らせは来ていない。
昨日の戦闘の余韻がまだレイの体には残っている。それとずっと頭がくらくらするような感覚。
もちろん、今すぐ『転移』を使用し、王都に様子を見に行けばいいだけの話なのだが、それをやるだけの力がまだ残っていないし、一朝一夕でなんとかなるようなものでもない。
やはりしばらくは西都を除く三都の状態と王都内部の状態の変化を待つほかないという現状自体がレイの不安感を増大させる要因になっていた。
炎がゆらめく。
覚悟。
『レイは生まれ変わるの』
生まれ変わった今の姿がこれか。レイはため息をつく。優しさを知ってしまったから、ずっと胸が締め付けられる。自分のためになりふり構わず生きていたあの頃の自分をごみを見るような目で振り返っていたあの頃を、忘れたがっていたあの頃の自分自身がレイの心の中に未だ深い根を下ろしている。
炎はゆらめいてなどいない。けれど、レイの目にはそれが揺れてうつる。
ああ、いいか。
レイは心の中で呟く。
自分の心の中に深く根を下ろしている自分自身の暴力性──自己中心的なそれをレイは肯定した。
「どうせ、またアイに忘れさせてもらうから」
自分自身が初めて好きになれたあの日の暖かさをまた。
息を吐いた。炎が揺らめいて、消えた。
時間は既に夜の七時を回っていた。戻ってきたレイにノゾミは何も言わない。アウストリが口を開く。
「先ほど、北都、南都から連絡が来ました。まだ正式合意には至っていませんが、おおよそ我々につく方向性に固まっているそうです」
「わかった」
とりあえずは一安心とレイは胸をなでおろす。だが、
「しかし、王都からこのように連絡が──」
王都中央。東西南北に大きな門を構え、その間四十五度のところに細長い塔がそびえたつ。その中心、『管理者』の住まう王宮に七人の能力者が集まっていた。時刻は午後三時。緊急招集だった。
まだ二十歳になったばかりの男、『水流』の能力を持つデルタはその集まった面々の姿を見て、驚愕する。『劇薬』のヨルガン、『防護』のツクヨミ、『狂乱』のサトル、『吸収』のメイカ、四人の王都を守る傑物たちはわかる。なぜ、西都の主であるトールがいるのか。それだけならまだいい。初めて見る男、『停止』のアトス。彼の姿を見るのは初めてだ。かなりの自由人かつ、最強。王都が保有する奥の手で彼が来ているというのはやはりよほど重大な用事なのだろう。デルタは深呼吸し、メタトロンの登場に備える。
「ようこそ、お集まりいただきありがとうございます」
ベールの向こうから声が聞こえた。姿は見えないが、声色からして老齢の女だ。デルタからすると、彼女に会うのは十年ぶりだ。
即座に全員がその場に跪き、彼女の言葉に身を傾ける。
「この度、皆さまに来ていただいたのはほかでもありません。世間を騒がせている殺人鬼の件についてです。名をレイといい、殺した相手の能力を奪う能力を有しているその女は既に、フリームスルス、スルトを殺害し、アウストリを手中に収めたようです」
デルタの鼓動が速くなる。もちろん、その世間では救世主などと呼ばれもてはやされている殺人鬼の存在は知っている。だが、そこまでの実力者だったは思いも寄らなかった。フリームスルスとスルトと言えば、自分よりもずっと強い、この国の伝説的な将軍だ。
だが、この情報を伝えられてなお、デルタ以外の誰もが焦りを見せない。これが、自分との違いかと思いながら、次の言葉を待つ。
「さらに『回帰』のノゾミまでも向こうについているようです。そのレイが、今回我々王都に宣戦布告を出しました」
やはり、場は静寂のまま。
「もちろん、まだ直接来たわけではありませんが、おそらく北都、東都、南都の三都が王都と対立することになるでしょう。さらには、王都内の国民を扇動してこちら側に敵対させるよう活動しているという話もあります。そこで、今回、私から直々に皆様方に令を下そうと思います」
デルタの顎から汗が一滴、落ちる。
「これより、我々に敵対する意思を見せた全ての国民を処刑いたします。それと共に最低防衛ラインをこの王宮を中心とした半径五キロメートル以内に限定いたします」
半径十キロメートル──つまり、巨大な防壁が囲う王都の最も栄えている場所。
「既に、ツクヨミに防壁を張っていただいております。では、以上です」
やがて、メタトロンがその場から立ち去った音が聞こえ、どっと緊張の糸が解れる。
おそらく、帝国が現代の地位を獲得して以来、最大の亡国の危機。その最中にいて、デルタは胃が痛むのを感じた。