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第十話 あの時のこと

 その冬は平年よりもずっと厳しかった。 

 舞う雪から身を隠すように今にも崩れ落ちそうなぼろぼろの屋根の下で身を隠して、死体から剥ぎ取った複数枚の衣服に身を包んで寒さをしのいでいた。

 例年ならそれで十分だというのに、身体から力が抜けていくのを感じていた。ああ、死ぬんだなとまだ十歳になりたてだった少女は心の中でそう思っていた。

 目の前を裕福な家庭の馬車が通り過ぎていく。

 彼らとはいったい、何が違うのだろうか。

 両親は蒸発した。今、どこで何をしているか、どころか生きているかどうかさえ知らない。言葉を話すよりも先に、盗みを覚えた。文字を書くよりも先に人を殺すことを覚えた。

 力が必要だった。逆に力があれば、死ぬことはない。そう考えていたが、自然には勝てない。火を奪うにも周りに火を持つ人間はいなかった。盗みの仲間ももう生きていない。ここらのスラム街ではもう死体よりも生きている人間の方が少ない。

 目の前の馬車の中はランプで照らされていて、暖かそうな場所だった。

 あそこに行けたらいいのに。

 そう思って、切れ切れの意識で伸ばした手が掴まれた。

「ちょっと止めて!」

 中から若い女の声がした。たぶん、同い年くらいの。そう思いながら、少女は意識を手放した。


「あ、目、覚ました。おはよう」

 女の子が顔を覗き込んできていた。ブロンズの髪に消え入りそうな白い肌。そして、深い青色の目。

「ほら、早く、ご飯食べて。はい、あーん」

 言われるがまま、口を開けるとスプーン──当時の彼女はそれを「スプーン」と言うことは知らなかったのだが──を入れられた。そして、熱い液体を流し込まれる。

「あっ」

「あっ、ごめん、熱かったよね。ええっと、ふー、ふー」

 そうやって女の子は少女の口に息を吹きかけた。なんだかその様子が馬鹿らしく思えてレイは少し笑った。

「あっ、笑った。かわいい」

 女の子が言う。それに少し照れて、少女は頬を赤く染めた。

「自己紹介が遅れたね。私、アイ。あなたは?」

「…………レイ」

 誰かが、彼女のことをそう呼んだ。何もないという意味だった。

「じゃあ、これからは私が、レイのこと守ってあげるから」

「……でも、私は」

「いいんだよ。そんなこと言わなくて。今から、レイは生まれ変わるの。昔のことは忘れてさ、幸せになろう」

「……うん」

 レイは俯いたまま、答えた。アイの顔を見ていると、胸が苦しかったから。


 アイの父親は能力者であったために彼女の家はこの国、ディアリーでもトップクラスに裕福な家庭だった。そこで、レイは養子としてではなく、アイの家に仕える使用人の立場になった。曰く、アイがそれを望んだらしい。

 レイは能力者たちの存在はもちろん知っていたし、彼らがほとんどこの国の富を独占していると言えるほど裕福だというのは知っていたが、別に憎んでいたわけではなかった。レイはどちらかと言えば、平等だとか差別だとかそう言うのにはあまり興味がなくて、それになれる人がいるならば自分がなればいいと思うようなタイプだったのだ。それが、レイが力を望んでいたことの由来でもある。

 当然、この時のレイは能力が『管理者(メタトロン)』という十九人の能力者たちのさらに上位存在にあたる能力者により管理されており、決してランダムには与えられていないというのは知らない。

 そういうわけで、レイは彼女の家での暮らしに対して忌避感を覚えるようなことはなかったが、実際のところ、アイの父親はどこかまともな感性を捨て去っている他の能力者たちとは違って、人格者であった。彼は自分たちのように必要以上に裕福な暮らしをできる人がいる一方で、貧困にあえぐ人間たちがいること。これ以上の領土などどこにも必要がないのに、次々と他国へと侵略戦争を仕掛け、他国の兵士を殺戮してまわる国の方針。そして、一般市民には伏せられている『管理者(メタトロン)』の存在に嫌気がさしていた。

 それに、彼の持っていた能力『回帰(クロノス)』は時間を巻き戻せるというものであったが、その能力の使用は管理者(メタトロン)によりなぜか感知されてしまう。それによって私的な使用が認められておらず、もしそれが発覚した場合、能力の没収とまで脅されていた。

 すると、彼にはもはや大きな範囲でこの国の歪みを消すことなどできなくて、ごく小さい範囲、例えば、貧民街に食料などの生活必需品を配るだとか、身寄りのない子供を召使として引き取るだとか、そういうことをして問題を解決していこうと図っていた。

 それの一環で、彼の一人娘であるアイが召使たちを引き連れて外に遊びに出た帰りにどこで見つけたかもわからない死にかけの少女を連れてきても特になんとも言わず、引き取ったのである。

 それからの日々はレイにとって、まさに夢のような日々だった。

「ねえ、レイ。ここを掃除して頂戴」

「かしこまりました」

 レイはまず、アイから丁寧な言葉遣いとその他、十分な読み書きや多々の知識を教えられた。その後は、ほとんどアイの専属召使のような扱いを受けていた。

 アイの指示していた場所などほとんど汚れていなかった。少しのアイの髪が落ちているくらい。それを丁寧に拾い上げて、袋の中に入れていく。たった、それだけの作業で

「ありがとう。あとで、ご褒美をあげるね」

 とひどく、アイから喜ばれた。

 決して悪い気がしていたわけではないが、はっきり言って、レイからするとこんなにもアイが自分を気にかけてくれているのが不思議でたまらなかった。

 アイは、その見た目が圧倒的に美しいというところだけではなく、文武両道の天才だった。齢十にして、その戦闘能力は鍛えていない大人の男程度ならば引けを取らず、そして、知能面でもたまに戦場に向かうアイの父親に戦法を助言するほどだった。完全に、年不相応の天才で、もし彼女に何か能力があったら管理者(メタトロン)の次に来るほどの実力者だった。そうでなくても、国の中枢のかなり高い位にはつける。

 そんな将来を期待されている存在だからこそ、レイは不思議だったのである。なぜ、これほどの人が、と。

 その理由はすぐに明かされることになる。


 その日はアイの父親は戦場に向かっており、家には少しの召使くらいしか残っていなかった。

 レイはいつも通り、アイの身辺の世話をしていたのだが、それは世話と言うよりは共同作業で、まるで、仲のいい友達がするようなものだった。一緒にご飯を作って、一緒に食べて、一緒にお風呂に入った。

 そして、夜。召使と、彼女らが同衾するのは許されていないのだが、レイはアイの寝室に呼ばれた。それが悪いことだとはわかっていたけれども、アイはなんとかすると言って、言うことを聞かない。嫌な気は全くしていなかったので、レイは仕方なく、アイの一人の少女が眠るには大きすぎるベッドに入った。

「眠れる?」

 窓からは月明かりが差し込んでいて、それが嫌に眩しく、すぐには眠りつけそうではなかった。

 だから、アイの問いかけにレイは、短くいいえ、とだけ答えた。

「そう。嫌なら別に眠らなくていいわ。明日も、そんな忙しいことはないのだから」

 それもそうだろう。明日もアイの父親はいない。特にすることもないのだし。

「ねえ、レイ。少し話を聞いてくれる?」

「喜んで」

 アイの息遣いがすぐそこに聞こえる。

「なんで、私が、あなたを養子じゃなくて召使にするように言ったかわかる?」

「……この家がそういう方針だからじゃないんですか」

「それだったら、そんなこと言う必要ないじゃないの」

 そう言って、アイはくすくすと笑う。

「まあ、姉妹ってのもありだけど、私はそんなんじゃ満足できない。ねえ、レイ」

 アイがこちらを向いているのだとわかった。だから、礼儀としてこちらもアイの方を向かねばならないのだと理解した。

 珍しく頬を真っ赤に染めた、アイが目の前にいた。

「私と、将来でいいの。一つになってくれない?」

 鼓動の音が随分と鮮明に聞こえた。なぜだか、目の前の少女の顔がいつもよりも眩しく映っていた。甘い香りが鼻腔を刺激する。

「きゅ、急よね。わかるわ。でも、レイ。真剣に考えてほしい」

 言葉を失ったレイにアイは矢継ぎ早に告げる。

「本当は、私は今すぐここであなたを抱きたいくらい好きなの。愛している。初めて、あなたを見たとき、私は電撃が走ったみたいな思いをしたの。あなたほど美しい瞳を私は今まで一度も見たことがない。私にはわかるわ。その赤い瞳は、この世界の全てを解決してしまえる。そう思えてしまうほど美しいの。私はね、あなたのことが本当に愛おしくてたまらない。あなたがいない未来なんて考えられないし、いつもいつも、あなたが急に消えてしまうんじゃないかって怖いの。ねえ、お願い。レイ、約束して。私とずっと一緒にいて」

 と、そこまで一気に喋ってから、

「いや、その、ごめんなさい。こんないきなり言われたら困っちゃうわよね。ほんと、ごめ──」

「いいですよ」

 レイは謝るアイが見ていられなくて、彼女の発言の途中だったにも関わらず、そう言葉を差し込んだ。

「全然、嫌じゃありません。むしろ嬉しいです。アイ様がそんなにも深く私のことを思ってくださっていたなんて。信じられません。約束します。将来で、なんて言いません。私と一緒になってください」

 レイはアイの顔を見つめながら言った。そして、そこまで言い切って、やっぱり照れ臭くなって目を離した。

「ほ、本当に」

「もちろんですよ。二度も言わせないでください。でも、私たち、その」

「いいのよ。法なんて変える。私たちが結婚して幸せになれるようにね。そんな難しい話じゃないわ。安心して」

「……ありがとうございます」

 少しの沈黙が流れる。ベッドの毛布が少し動いた。アイが手を、レイに近づけている。

「口づけを、してもいいかしら」

「別に、そんなの聞かなくてもいいですよ。アイ様が好きな時にしてください」

「……ありがとう。それと、一つ、いいかしら。私と二人きりの時にはアイ様じゃなくて、アイと呼んで頂戴」

「えっ、あ、はい。わかりました。アイ様」

「今」

「あっ、わかりました。アイ」

「ありがとう」

 初めてのキスは乾いていた。


 アイの説得に彼女の父親は最初こそ動揺していたが、愛娘の頼みともありすぐに了承してくれた。これで、二人は晴れて、堂々とした恋人関係になったのである。

 レイはやっぱり動揺していたけれども、そんなのすぐに気にもならなくなるくらい、アイはレイにたくさんの愛情を注いだ。アイに溺れるのはひどく気持ちが良くて、レイはこんな日々がいつまでも続けばいいとそう思っていた。

 そして、あの日が来た。

 レイは他の召使と共に買い出しに行っていた。その日、アイは熱を出していて、そのための薬をもらいに行っていたのである。一人では危険だということで、アイの家に長く住んでいる召使であるオーズも同行することになった。その二人で、かなり遠くの街まで買い出しに行って、帰ってきたのは夕方だった。

 そこで、レイとオーズは焼け落ちていく主の家を見た。周りは多数の軍勢に包囲され、近づけない。軍勢は生存者がいないか見張っているようだった。

 最初、二人は状況が把握しきれなかったが、オーズは前に、アイの父親から自分が近いうちに殺されるかもしれないという話を受けていたのを思い出していた。その理由はわからない。彼は、その性格から他の能力者から疎まれていた存在ではあったし、危険な能力でもあった。もしかすると、もっと別の理由があったのかもしれない。

 兎にも角にも、殺された。この事実だけは間違いなかった。

 おそらく、アイも生きてはいない。

 オーズはそのすべてをレイよりも早く悟り、レイの手を掴み、走り始めた。

「やめて、離して!」

 叫ぶレイを力で押さえつけ、オーズはひたすらに走った。

 今のこの状況では生存者を探すよりも、レイを活かす方がいいと判断したのである。レイはまだ若い。そんな少女の未来をここで閉ざしてしまうわけにはいかない。

 オーズは走った。

 どこか遠くに来た時、オーズの腕の中で、レイは虚ろな目をしていた。


 それから、廃人のようになったレイは立ち直るのに長い時間を有した。その間、オーズは甲斐甲斐しく彼女を世話していた。そうして、六年が経ち、十八になった日、レイは夢を見た。

 それは、レイが能力者狩りとして『回帰(クロノス)』を殺し、時を巻き戻し、アイの死という未来を回避して、幸せになる世界。

 目覚めたとき、レイは正夢なんだと思った。

 もはや、レイは神にでもなんでも縋りたい気分だった。狂っているとでも表現したほうが良いほどに。

 完全に壊れてしまっていた。

 アイが与えてくれた幸せにまた浸るために──溺れるために。

 すぐに、レイは人を殺すための力を、八年使っていなかった技術を思いだすための特訓を始めた。それと同時に、最初の標的を決めていた。

 それは、彼女が自分自身に能力を宿ったのだと確認するためだとかそんな話じゃない。最初に殺すには、『回復(ヒール)』がいい。その力があれば、ある程度はどんな相手でも、勝算ができる。そう思っただけだった。

 彼女の虚ろな目はギラギラとした目に変わっていた。オーズはその様子を見て、嫌な予感がしていた。けれども、ずっと腐ったように生きていたレイが元気にしているのを見て、そしてなにより、もはや誰でも手にかけてしまいそうな雰囲気を宿しているレイに意見するのはできなかった。それが、決して彼女の幸せではないのではないかと考えながらも、彼女自身の幸せを推し量ることなど傲慢な行いだと考えた。そういう言い訳をして。

 ブレーキを失ったレイの暴走は留まるところを知らなかった。

 力を身に着けたレイは狡猾な、卑怯な作戦を幾度となく使用し、能力者たちを殺した。国が混乱に陥り、破滅へと向かっているのにすら少しの興味も示さずひたすら、執拗に。

 そんな彼女でも、アイとそっくりな少女ノゾミと出会って、急に自省的になった。人間的価値観を取り戻しながらも、心の奥底のどこかで完全に離れてしまったピースは終ぞはまることはなかった。

 彼女の心は、いつか来る未来に縛り付けられていた。

 そして、ノゾミの告白は、ただそれだけでは当然違うのだが、どことなく、レイの未来の終わりを予感させていた。

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