8 悪役補正と主人公補正
どうしようもないのなら、いっそ全部ぶちまけてしまおう。
「突然すみません。私は城下にて酒場を営む者です。ただ、この女をつい飛び出してしまいました」
いくら聡明なソルテ殿下といえども言葉が出ないらしい。ぱくぱくと動く口は何の音も出さない。
もしかしたら、彼は気付いてしまったのかもしれない。元公爵令嬢が誰だったのかを。思わず苦笑する。
そんな茫然としている彼、彼女らを置いて私はメアリスへと向き直る。
「あんなに余裕をかましていたのにいいざまですね、常連さん」
実は、メアリスの能力には大きな穴がある。世界さえも騙す完全催眠、とはいえ無敵ではないのだ。さもなければ主人公たちにだって対処のしようがないし。
ゲームにおいて弱点のひとつもなくてはクソボス待ったなしだ。
彼女の能力をおさらいしよう。
“理想の物語”は設定を変える制約だ。
自身と世界に対して好き勝手に設定を付与し、全てがメアリスの描く理想の設定となる。
だから能力の穴とはリリサの言おうとしていた内容にある。
それは設定を変える能力である以上、世界観に矛盾がないことだ。
今回は悪役令嬢という役をメアリスは被っていた。しかしその悪役令嬢が怪物だと知れた時点で能力が破綻するのだ。悪役令嬢の物語に怪物など登場しないのだから。
数人に指摘されるぐらいなら勘違いですむ。けれども大人数に知れ渡ってしまったら。その矛盾点を誰もが知る事になってしまったら。
矛盾だらけの設定など、何の意味もない。
なぜならば正しい設定とは、一番最初に描かれたものへ準拠するものだから。
前世でも新しい公式設定が出る度に消えていった夢小説作品を思い出す。夢小説、二次創作はあくまでも偽物でしかない。
本物の設定には敵わないのだ。
「今日はどうしても言いたい事があって来ました」
私たちの周りに居るのはかつての同級生。突然やってきた私に向けられる視線なんて、なんだコイツ、といったもの。完全にアウェーだ。
それがなんだ。私は冷や汗を垂らすメアリスと話をしに来ただけ、関係ない。
私を見てメアリスは落ち着いたのだろう「聞いてあげようじゃないの」と不敵に笑った。周りが呆けているからかえって正気に戻るのが早かったのかもしれない。
やっぱり余裕綽々で嗤っている顔が似合う。
「私は一人が嫌いでした。自分は主人公なのだと信じ込んで、何かと理由をつけて一人にならないようにあの手この手で人を引き留めていました」
ああ、昔話をするにしても恥ずかしい。黒歴史を一番知られたくないメアリスの前で曝け出すのだ。
「誰でもないたった一人も、より多くの全ても欲しかった。けれどもそれは、誰から見ても重いものでしか無かった」
どうせ彼女は全て見通しているのだろうけど。それでも機会が無ければ自分の奥底に封印して出さなかったのに。
「それに気付いたのはあなたと出会ってからです」
どうせメアリスは全て見通しているのだろうけど。それに機会が無ければ自分の奥底に封印して出さなかったのに。
でも、言うしかなかった。
「何をベラベラと!」
まだまだ本題に入っていないというのに衛士がわらわらとやってくる。
あちらから見ればどうあがいても不審者、仕方がないか。
「黙りなさい。――やっと自己分析が出来るようになったのね。それで? まさかこれで終わりなんて面白くないじゃないの」
メアリスの一声で周りのお貴族様、そして衛士達が膝を付く。主人公たちだって。
重苦しい威圧感、動物が本能として恐れる圧を隠そうともしない彼女に手を出し倦ねいているのだ。
直感であれなんであれそれは正しい。怪物の存在がそもそも規格外なのだ。
ただの人間に怪物の相手など出来る訳がない。それこそ何度膝を付いても立ち上がる英雄や勇者のような主人公でなければ。
「今でもあなたのこと、想像しても理解できません。だから解釈とも言えないものですけど」
「解釈……?」
「あなたが恐れたのは誰からも求められないことです。中途半端なまま、誰からも忘れられることを恐れた」
未完の物語は忘れられていくもの。終わりのない怪物の人生なんて完結しない物語そのものだ。
「あなたは言いました。『ハッピーエンドが思い描けない』のだと。なぜならばあなたは恐れられるべき怪物なのだから。ハッピーエンドに辿り着けない可哀想な魔女」
彼女は否定しない。強気な態度は変わらずともその表情は苦味をたたえている。
人々の恐れる怪物という存在を彼女は理解していたのだ。
「そう……今までよくも人生を奪ってくれたと恨み言を言いに来たのだと思ったのだけれど」
まだだ。まだ本題ではない。
彼女の言う通りに今回の一番言いたい言葉はこれではない。あくまでもこれまでの言葉は、いつも優位を気取った彼女に対する小さな意趣返しに他ならない。
スゥ、と息を吸い込む。
「そうやって強気なんだかネガティブなんだか良く分からないのやめて下さい! そんなだから他人にあなたの人生を完結させられそうになるんですよ!」
感情のままの大声に喉が痛い。ハァハァと息が荒くなる。酸素が足りない。
「第一もっと視野を広くしたらどうですか。怪物だろーが魔女だろーがハッピーエンドはあります! あー本当に焦れったい! 」
最後の仕上げと先ほどよりもゆっくりと大きく息を吸い込む。
「あなたが信じられないなら、私があなたのハッピーエンドを信じますから!」
言い切った。
ああ、すっきりした。こんなに爽やかなのはいつ以来だろう。三日ぐらい前の雲一つない朝日以来? 案外久しぶりでもなかったな。
もっと言いたい事はあった。でも、これ以上はどうでもよくなった。
国王騎士貴族商人そしてメアリスまでもぽかんとしている。ソルテ殿下に至ってはまさに目を丸くするという間抜け面。王太子の威厳ゼロである。
それならそれでちょうどいい。未だに呆けているメアリスに歩み寄り、手首を掴んだ。
「そういう訳で、帰りますよ」
「え? は?」
何が起こったかよくわかっていないメアリスを引っ張って会場の出口へと一目散に走り出す。ついでに光魔法で目くらまし。
メアリスまでも目くらましの巻き添えを食らってしまったけど皆様方が我に返るまでが勝負なのだ。
後ろの方からは「追えー!」と怒声が聞こえる。さすがに直属部隊ともなれば立ち直りが早い。
「まさか人生初の逃避行がいい歳の若作り女となんて思ってませんでした」
「君こそさっきの言葉、いい年こいて青すぎると思うのだけれど」
何年振りかの全力ダッシュをしながら軽口を叩きあう。全力ダッシュなんて公爵令嬢だった頃もしたことがなかったかもしれない。
はしたなく、バタバタと二人で逃げる。
「夢ぐらいはいつでも見てたいんですよ。あなたこそ、瞬間移動みたいな魔法ないんですか」
「一応あるけれど、私はともかく君は五体満足で居られるかわからないわ。転移魔法をするぐらいなら、奴らを殲滅した方が確実で安全なんじゃないの」
売り言葉に買い言葉。それでも私達は笑いながら走っていた。物騒な作戦を吐くメアリスには「絶対にやめて下さいね」と釘を刺しておく。
私達は悪役であって主人公達とは相性が悪いのだ。主人公補正ともいえよう概念が働きかねないのでまともにはやりあわない方がいい。
「訳が分らないわ。君には何の害も無いのだから私なんてあのまま放置しとけばよかったじゃないの」
「これでも感謝してるんですよ? だからこそあなたの自分勝手で身を滅ぼすところ、焦れったくてイライラしたんです」
「馬鹿じゃないの」
「もう後の祭りですよ。それに私、リリサは昔のような感情ではないとしても何となく気に入りませんし」
一応人外の枠組みであるメアリスは許せた。
それなのに正真正銘ただの人間のリリサがあのすべすべ肌とはどういう事か。自社製の化粧水を使っているのならあれ程いい広告塔もいないだろう。
可愛らしいヒロインへの嫉妬だ。
「あの、気のせいかもしれないんですけど追いかけてくる足音がだんだんおおきくなってません?」
「振り返って確認して観たらいいんじゃないの」
「見たくないのでやめときます」
私はもう三十路前。全力疾走が辛いお年頃。
運動が特別得意でない私はもちろんメアリスもゲームならば魔法使いタイプというやつで走るのは遅い。一方追っ手は普段から訓練を詰んだ屈強なる騎士様。分が悪いにも程がある。
後先考えなさすぎたと今更ながら後悔する。
土下座したらなんとかならないかなぁ。
現実逃避をしているとメアリスが大げさにため息をついた。
「しっかり捕まってなさい」
ぐいっとメアリスが私の襟首を掴む。身体がぴったりとひっつくほどに引き寄せられた。
メアリスの無駄にある胸へ顔面が押し付けられて苦しい。
「きゃっ、何するんですか!」
「転移魔法に決まってるじゃないの!」
なっ、五体満足で移動できるかわからないんじゃ……!
ひきつった私の悲鳴も虚しくメアリスは廊下の窓を魔法によって生み出した光弾でぶち破る。そのまま私達は二人してそこから飛び降りた。