9. ★ 場にそぐわない者達・上 (令和十年八月十三日・日曜)
――――。
ドアに、貼り紙がしてある。『本日より八月十六日までお盆休みを頂きます』と。
「・・・・・・あぁ、そうだよねぇ。お盆だもんね」
優璃は、店の前で苦笑いして項垂れた。
喫茶民宿ことには、箏音が乗るピンク色の軽自動車とヨネの乗る白い軽トラがいつも停まっている。だが今日は、どちらの車も無い。店も宿も休みのためか、誰もいないようだ。
「――――・・・・・・やっほぉ! ゆーりちゃんっ!」
「うわぁ! び、びっくりしたぁ! なんだー、穂花かぁ!」
項垂れていた優璃の後ろから、穂花が元気よく飛びついてきた。
「・・・・・・あれ? どしたの?」
「今日からお盆で、お休みなんだってさー」
「え! あ、そっかーっ! あちゃー、わたしも迂闊だったー。ことねちゃんのお茶飲みに来たのに、お休みかー」
「どうしようかな。穂花、別ないいところ、どっか知ってるー?」
「えぇー? うーん・・・・・・普通にファミレスくらいしかー・・・・・・」
「ファミレスかぁ。どうしようかなぁー・・・・・・」
「ゆりちゃんの部屋に行くってのは?」
「えー? 今からまた、白川まで帰るのぉ? ・・・・・・まぁ、それも仕方ないかぁ」
優璃と穂花は、くるりと店に背を向けて駅の方へ向かって歩み始めた。その時、二人は店の方へ向かってゆく妙な男性三人組とすれ違った。
「・・・・・・ん?」
「どうしたの、ゆりちゃん?」
「いや・・・・・・。今の人達、店の方へ行くけど・・・・・・。何か、普通の客じゃ無い気がして」
優璃は怪訝そうに、その男たちの後ろ姿をじっと見ている。
「えー? べつに、何ともないでしょ? あの人たちもきっと、貼り紙を見て、帰ると思うよ?」
「そうだと・・・・・・いいんだけど・・・・・・」
じっと様子を見つめる優璃の視線に気付いたのか、男の一人が二人の方へ向かってきた。どぎつい朱色のTシャツと真っ青な半ズボンに黄色いサンダル履きで、緑のバンダナを頭に巻いた眼鏡の男。その服装センスは、あまりにもその場から、浮いていた。
「うっぷぷぷーっ! うぷぷ! ねぇねぇねーぇ? かわいい君たちぃ、さっき、あの店に来てたよねーぇ? ねぇねぇ? ぼくちんに、あの店のこと、教えてちょんまげ! さぁさぁさぁ!」
腰をクネクネさせ、異様なアクセントで話す謎の男。股間と顔を交互に優璃たちへ近づけ、茶化したように迫ってくる。
「(うひーっ! な、なななな、なにーっ? こ、この人、変!)」
「(穂花。私の後ろに隠れて。ここは、私が何とかする!)」
きりっとした目つきに変えた優璃。異様な動きの男に対して、肩幅に足をざっと開き、静かに息を吸って警戒態勢を取る。
「教えるって、何を?」
「うぷぷーっ! だ、か、らぁー・・・・・・あの店に、ババアと女がいるだろーぉ? どこにいったか、この、半グレ団『イージー』副総帥の陣田原充人へ、教えてちょんまげってぇーの!」
陣田原という男が口にしたイージーというワードに、優璃がぴくりと反応した。
「(イージー・・・・・・って! 箏音があの時言ってたやつらのことだ!)」
穂花は優璃の後ろで「キモいーっ」と震えている。
「箏音たちがどこに行ったかなんて、私が知るわけないわ。それに、知ってるにせよ、あなたに私が教える義理は微塵も無いよ!」
毅然とした態度で、優璃は陣田原を気迫で押し返した。
「う、うぷぷぅ! な、なぁんだこのメスガキはぁ! イージーの陣田原をなめんなよ!」
その場で幼児のようにじたばた暴れる陣田原。
その向こうでは、ロングヘアでキツネ目をした別な男が、店のドアを執拗に蹴り始めた。その横では、グレーのスーツを着た若い男が「窓割って火でも放ちますか」と言って笑っている。
ドアを蹴る音が、次第に大きくなる。キツネ目の男は「早く土地ごと売れ」と大声で怒鳴る。
グレースーツの男は品の無い笑い声を上げ、その様子をスマートフォンで撮影している。
一方の男の怒声と一方の男の笑い声、そしてドアを蹴る重く低い打撃音。
優璃は目の前の陣田原よりも、その奥から目と耳に飛び込んできたそれに対し、足の先から頭の先まで一気に電気が走る感覚に包まれた。そして次の瞬間、優璃は、叫んでいた。
「やめろーっ! いい加減にしろ! このぉーっ!」
陣田原を左腕でぐいと押し飛ばし、優璃は一直線に走った。男二人は向かってくる優璃に気付いた。穂花は「ゆりちゃぁん!」と叫び、転がった陣田原は「いてぇなー」と頭をさすっている。
「おぉおお? なんだぁ、あの女はぁ? おいてめぇ、この大石星人サマと、やる気かぁ?」
キツネ目の男はドアを蹴るのを止め、優璃の方へ身体を向けた。
「・・・・・・ん! ・・・・・・あ、あの女、は! 間違いねぇや。あいつ、常盤優璃だ!」
グレースーツの男は、大石というキツネ目の男に、そう言った。
「おぉいい、海原ぁ? なんだ、てめぇ? あの女、てめぇの知り合いなのかよぉ?」
「大石さん、あいつは俺とタメで、中学時代の元カノっす。カラダはAV女優並みですが、ワガママで暴力的でどーしようもねぇ女っす! よし、いい機会だ! 思い知らせてやりましょう!」
「おおぉぉ? なんだぁ、そりゃあ? てめぇの元カノぉ? よぉし、なら、犯っちまうかぁ!」
大石と海原は、優璃に対して殴りかかる気満々の表情を見せている。
優璃は二人の男に向かって猛突進。その瞳の中心は、燃え上がるような紅色に染まっている。
* * * * *
「止まれよ、常盤ぁ! そこで止まりやがれ!」
向かってくる優璃に対し、海原が叫んだ。
その声を聞いて、ぴたりと足を止めた優璃は、海原の顔をまじまじと見つめた。
「・・・・・・え? ・・・・・・あなたは、中学で同級だった、海原・・・・・・っ!」
「そんなに睨むな。・・・・・・この店の土地がさ、いい感じの広さでよ? 陣田原さんや大石さんらがそういう土地を探してるっていうから、教えてやったんだ。高く売れるいい場所なんだよ、ここ」
海原は優璃を見下すような笑みを浮かべ、笑っている。
「売れる・・・・・・って、信じらんない! あのさ、ここはまだ営業してるお店だし、隣で民宿だってやってるんだよ! 普通に、所有している人がいるのに、勝手なこと言わないでよ!」
「うるせえ。お前に関係ないだろうが! イージーの皆さんが、ここを買い上げたら高く売って、そのお金を俺が世に流す。これのどこが悪いんだ? 金は天下の回りモンだぜ? なぁ、常盤?」
「おおぉぉい、てめぇ? 海原の元カノなんだろぉ? これも何かの縁ってやつだぜぇ! 黙ってこの大石星人サマに犯されな! いい映像にして、その売れた金の一割はくれてやっから!」
大石はキツネ目をさらに細くし、甲高い声で笑っている。
後ろからは、頭をさすりながら陣田原が優璃のもとへ近寄ってきた。その後方では、穂花がアジサイの植え込みに隠れて様子を窺っている。
「うぷぷーっ! 聞いたぞ聞いたぞ! 海原の元カノなんだな、メスガキ! 生意気なやつめー」
「陣田原副総帥! こぉの女は、イージーの邪魔をするようですぜぇ? おいおいおぉぉい!」
「陣田原さん、大石さん! とにかく、常盤は裏表も激しくネチネチした最低女っすよ! 昔、俺が心から優しくしてやったのに、恩を仇で返すという最低な行為をした女なんすよ!」
「うっぷっぷぅ! そーりゃ最低だ」
「おおぉい。あり得ねぇなぁー。そいつぁ、ひでぇなぁ」
「でしょう? こいつは暴力的だからこそ、こうやって、わざわざ首突っ込んできて俺たちの邪魔をしようとしてる。ああ最低だ!」
「大石! 海原! このメスガキは最低女だ! イージー副総帥の命令だよぉん! やっておしまいなさい!」
陣田原は腰をクネクネさせながら、妙なポーズで二人に指示を出した。優璃は呆れた様子で「バカじゃないの」と呟いて目を細めている。
「おぉい、女ぁ! このイージー地上げ部隊長、大石星人サマが直々に相手してやんぜぇ! てめぇから首突っ込んできたんだ。自業自得ってことで、観念しろや!」
「常盤! お前もバカだなぁ。映画やドラマの見過ぎか? それとも、ワケわかんねぇアニメの見過ぎか? 俺はもうお前になぁんの想いも無ぇ。ぶっとばして、犯してやるからお楽しみにな!」
大石と海原は腕捲りをすると、ズボンのポケットから大きめのバタフライナイフやサバイバルナイフを出した。その切っ先を優璃に向け、二人は「恐ぇだろ」と下品に笑っている。
優璃は、全く動じた様子を見せない。
「はぁー・・・・・・。最低だの、暴力的だの、裏表が激しいだの、それさぁ・・・・・・自分へ向けてのブーメランだよね、海原?」
溜め息をついて、優璃は海原へ蔑むような視線を浴びせた。それと同時に、二人は「てめぇ!」と叫んで優璃に向かって飛びかかってきた。陣田原は「女一人でなぁにが出来る」と笑っている。
「・・・・・・自業自得は、そっちだぁっ!」
優璃はまた一瞬で瞳に気を入れ直し、短くふうっと息を吐いた。その瞬間、宙に二本の白刃が舞う。そしてそれが地面に落ちると同時に、二人がうずくまってその場に崩れ落ちていた。
大石と海原は、声にならない声を上げ、胃液を吐いて呻いている。
「(うげぅ・・・・・・。ごふ・・・・・・。な・・・・・・なにを、したんだ? ・・・・・・と、常盤・・・・・・)」
「(げぇぇ・・・・・・。こ・・・・・・の女・・・・・・。なにしや・・・・・・がった!)」
その一瞬の出来事に、見ていた陣田原は、状況を理解できていない。鳩が豆鉄砲を食らったような目で、何度も瞬きをして優璃の背中を見ている。
優璃は、足下で呻く二人を、仏像のような半眼で黙って見下ろしている。その数秒後、二人の後頭部へ強烈な手刀打ちを振り下ろした。その衝撃に、大石と海原は泡を吹いて昏倒。
隠れて見ていた穂花には、優璃の動きが全て見えていたようだ。
「(ゆ、ゆりちゃん・・・・・・すごい! わ、わたしからは・・・・・・全部、見えた!)」
後ろで狼狽えている陣田原へ、優璃は振り向いて突き刺すような視線を浴びせている。
「(あのロン毛の男と海原の手首を、手の甲を使って一瞬で撥ね揚げた! それと同時に、股間とみぞおちへ、短く鋭い前蹴りを入れた! ひえぇ! ゆりちゃん、スーパーヒロインだぁ!)」
アジサイの植え込みは、細かく揺れ動き続けている。
「うぷぷぷぅ! こっ、こーぉなったらぁ! この陣田原充人のぉ、必殺スーパーウルトラハリケーンミラクルゴールデンキックを・・・・・・」
冷や汗と脂汗をだらだら垂らし、やぶれかぶれのようなメチャクチャポーズで優璃を威嚇する陣田原。しかし、その威嚇技を繰り出す前に、優璃に一瞬で懐に潜り込まれてみぞおちと喉に強烈重厚な肘当てを叩き込まれた。
「ぐぶぶぅ・・・・・・。うげぇ・・・・・・」
呻いて前のめりに倒れる陣田原へ、優璃は両腕をぐるりと回して巴の字を描き、強力なダブル掌底突きを叩き込んだ。激しい打撃を受けた陣田原は、他の二人同様に泡を吐いて昏倒。
「・・・・・・ふう。・・・・・・ろくでなし! もう二度とここには来ないで!」
倒れた三人を怒りの表情で見下ろす優璃。もう安全だと思った穂花は、アジサイの植え込みから飛び出てきて、優璃に抱きついた。
「ゆっ、ゆりちゃぁん! ひえええぇ! ヤバかった! ヤバかったねぇーっ!」
優璃は「とりあえず大丈夫かな」と表情を緩めた。だが、その後ろから、もう一つ誰かの足音がこつりこつりと、迫ってきていた。