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アフタヌーン ティー  作者: 糸東 甚九郎 (しとう じんくろう)
3/30

3. ★ 常盤優璃と、空手の師 (令和八年八月二十二日・日曜)

 ――――。


「とぁあああああああぁーっ!」


 年季が入った栃木(とちぎ)県立(けんりつ)(かし)(ぬま)高等学校(こうとうがっこう)の武道場。その板の間で、裂帛の気合いと激しく床を踏む音が四方に響き渡る。

 武道場内には、白き道着に黒い帯を結んだ人物が二人。

 午後の陽射しが窓から差し込んでくるが、高速で動く二人は、その光が動くよりも早く、四方八方に動き回っている。


「くすっ。・・・・・・なかなかいいよぉッ! 気持ちが技にしっかりと乗ってるね! うん!」

「まだまだぁ! とぉあああああああーっ!」


 片方の人物は、瞳の虹彩をきゅうっと鋭く絞り、気迫に満ちた表情。それは優璃だった。

 中学時代までは空手のカの字も身に付けていなかった優璃だが、二年前、高校一年の春にこの空手道部最後の部員として穂花と共に入部し、三十六期生としてずっと二人きりで厳しい稽古を毎日積んでいた。

 穂花は並の高校生よりやや高い程度のレベルだが、優璃は稽古量に比例してメキメキと頭角を現し、過日開催された近畿インターハイでは空手歴三年目にして、3位入賞という大きな結果を残した。

 平成元年創部の柏沼高校空手道部は、少子化の影響もあり部活動数削減の情勢に飲まれ、優璃と穂花が卒業したら廃部が決定している。

 最後の主将が、常盤優璃なのである。


「はぁ、はぁ、はぁ。・・・・・・ま、まぁだまだぁーっ!」


 優璃は強く床を蹴り、滑るようにして高速移動。そして、気合いと共に相手をしている女性の顎をめがけて強力な掌底突きを繰り出した。相手はそれを紙一重で見切り、ばしっと弾き返す。


「おっとぉ、危ない! ・・・・・・じゃあ、ワタシもそろそろ、反撃に転じるよぉッ?」

「はぁ、はぁ。・・・・・・お願いしまぁす、小笹(こざさ)先生っ!」

「あははっ。いい目だね! 常盤さんは、ただの『選手』ではなく『拳士』の顔つきだねっ」

「・・・・・・私は、大会で金メダルが欲しいんじゃなく、とにかく、強くなりたいので!」

「・・・・・・そっか。うん。わかった! じゃあワタシは、常盤さんを空手競技の選手ではなく、ひとりの武道家としての人物に育てるつもりで、これまで以上にもっとビシバシいくよおっ?」

「はい! お願いしまぁす!」


 優璃に稽古をつけているのは、柏沼高校でスクールカウンセラーとして勤める麦倉(むぎくら)小笹(こざさ)

 彼女は沖縄空手の大家を先祖に持ち、祖母も空手の重鎮たる師範であるという。学生時代には、日本国内はおろか、アジア圏内でもトップランクの選手であったのと同時に、伝統武道としての沖縄空手の技術を正統に継承している数少ない人物として、その世界で広く名が通っていたらしい。


「常盤さん。空手には・・・・・・こぉんな技もあるから、よーく身に付けておくといいよ!」


 小笹は目にも止まらぬ速さで優璃の懐に飛び込み、至近距離から鉄のような拳で優璃の脇腹を突いた。手加減しているがその威力たるや凄まじく、たまらず優璃は後ろへ数歩、飛び退いた。


「(けほっ。なっ、なにこれ! 小笹先生、私にくっついていただけかと思ったら・・・・・・)」


 目を丸くして驚く優璃。突きの衝撃で、呼吸が荒くなっている。

 小笹は「あははっ」と笑いながら、解説を始める。


「今のはね、首里手(しゅりて)系の空手のほとんどに伝わる『ナイファンチ』の形にある、(かぎ)突きだよっ」

「しゅりて?」

「あははっ。空手は大昔、空手っていう呼び名じゃなかったんだってさ」

「それって、どういう・・・・・・。首里手っていうのが、空手の先祖的な何か、ってことですか?」

「んー。これはあくまで諸説有りのうちの一つだけど、沖縄には伝統的な武術の『(てぃー)』というものがあってね。その手は大きく分けて、首里(しゅり)那覇(なは)(とまり)などの地方でアレンジされて伝わってたんだって。首里手、那覇手(なはて)泊手(とまりて)のようにねッ。首里手は、数ある手のうちのひとつ、かなー」

「てぃー、ですか。・・・・・・空手の先祖・・・・・・」

「先祖かどうかはわかんないけど、沖縄独自の『護身の手段』って意味合いなのかなぁ。手段の手のことを指すんじゃないかって、ワタシは思ってるんだけどね。これが王族の住む王宮武術であれば、御殿手(うどぅんでぃ)として独自に進化して伝えられてたりもするの」

「・・・・・・。・・・・・・奥が深いですね。私、こういう話、すごく興味あります!」

「あははっ。そぉ! だったら常盤さんには、なおさら空手競技じゃなく伝統的な武道としての空手をワタシは教える! 部活自体の引退は今月末だけだろうけど、卒業まで毎日でも、あなたがここに来ればみっちりと教えてあげるからね」

「ありがとうございます! 私、もっともっと、空手について深く学んでみたいです!」


 優璃は瞳を水晶のように輝かせ、小笹の手を握って頭を下げた。


「いいね、常盤さんのその真っ直ぐさ! でもね? これだけは覚えておいてね?」

「何ですか?」

「常盤さんは、とにかく強くなりたいって言った。あなたの(かた)組手(くみて)は、空手歴とは釣り合わないくらいワタシでも驚くスピードで上達してる。・・・・・・でも、今この時が、一度自分を見つめ直すときだよ? 強さに目が眩むと、その強さが自分を危うくするの。強さに縛られ過ぎはダメだよ?」

「はい・・・・・・? ん? はい・・・・・・(でいいのかな?)」

「昔から、『(てぃー)をする者は、人に打たれず人打たず。事なきを基とする也』と言ってね・・・・・・」

「・・・・・・要は、どれだけ強くても、自分を律して良き人格者であるが一番、ってことですか?」

「そういうことッ。常盤さんは聡明だね。空手に先手無し。空手は護身のための武術なんだ」


 小笹は武道場の壁際にあるイスに腰掛けた。優璃はタオルで汗を拭い、道着の上をばっと脱いで上半身は白いTシャツになり、小笹の前に座ってペットボトルの紅茶を飲んでいる。


「でも、小笹先生? 仮にいくら私が無益な争いを避けても、向こうから来ることもあるじゃないですか? 何て言うか、ろくでなしが喧嘩売ってくるとか、変なのに絡まれるとかー・・・・・・」

「・・・・・・そうだねー」

「そういう相手って、絶対に精神論とかの説明では、退いてくれない気がします。中学生のとき、実際に、私と穂花はとんでもなく悪い人や恐い人に、遭ってる経験もあるので・・・・・・」


 小笹は優璃にそう言われると、少し間を置いて、こう答えた。


「常盤さん。(てぃー)を祖とした空手はね、『護る』ための技術なの。守衛守護が大原則でね・・・・・・」

「それはわかりますけどー・・・・・・」

「まずは、危険だなーとか、まずいなぁと思ったら、逃げること。それが一番だからね」

「それもわかりますけどー・・・・・・。じゃあ・・・・・・」

「じゃあ逃げられなかったら・・・・・・どうするか、って聞いてみたいワケね?」


 小笹はくすっと笑って、床に座っている優璃の顔を見つめた。


「空手はかつて、大きな戦があった際にはいつも『ミを護る術』『シマを衛る術』として、その力を発揮してきたの。力なき正義は無力、正義なき力は暴力。空手は暴力に対し正義の護身術として、沖縄の先人たちはその技を持て余すこと無く使い、戦ったんだ。切なく哀しい歴史なんだけどさ」


 白金のように光る陽の光。

 窓から射し入るそれを小笹は見つめながら、しみじみと優璃へ話を続けた。


「(力なき正義は・・・・・・無力。・・・・・・正義なき力は・・・・・・暴力・・・・・・か)」


 優璃は右拳をぎゅっと握り、黙って小笹の話を聞きながら、自分の拳頭を見つめている。


「小笹先生? ・・・・・・どうしようもない暴力が刃を向けてきたら、もう、そういうときはどうしようもない危機状態ってことで、護身術として使っても良いんですか?」

「うーん。まぁ、そーだねっ・・・・・・。危機的状況に陥らないのが一番の護身だけど、危険要因が向こうから近づいてきて避けられない場合は・・・・・・命を守る術として、空手を使うしかないね」

「・・・・・・わかりました! やっぱり、私、もっともっと強くなりたい! どんなことがあっても動じないくらいに、強い空手を身に付けて、小笹先生のように心身ともに素晴らしくなりたい!」


 優璃は立ち上がり、両拳を胸の前で合わせて、瞳をきらりと輝かせた。

 小笹は、笑っている。「じゃ、また稽古始めるよ」と言って、優璃を武道場の真ん中へ立たせた。


「じゃあ常盤さん。ワタシが直々に、沖縄空手の持つ実戦技を教えるからね。ついてこられる?」

「もちろんです! やります、私! ・・・・・・せっかくだから穂花も来れば良かったのになぁ」

「日曜だし、それは仕方ないよ。渡良瀬さんも予定があるんだろうからさっ」

「ま、いいや。そうですね! ・・・・・・で? どんな技を教えてくれるんですか、小笹先生?」

「形を活かした応用技が主だねッ。あとは、多人数想定の場や、対武器の捕り技かなー」

「お願いしまぁす! 私、試合も好きですけど、形の応用はもっと好きなんです! 楽しみ!」


 小笹は、目を輝かせて構える優璃を見て、くすっと笑った。


「じゃあー、まずは、このワタシの突きや蹴りを棒や刃物だと思って、やってみよう!」


 その日の午後、武道場から聞こえる二人の稽古音は、夕暮れ先まで止まることはなかった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 新作だ!小笹だぁぁぁあ!!!!!
[良い点] まさかまさかの、小笹登場!!!! しかも、優璃の師匠! 小紅の血を引き、小笹の空手を身につけるなんて、優璃はある意味最強の主人公、かも!!(*^^*) そりゃ強くなりますよね! [一言]…
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