27. ★ 「剛」よく「柔」を制す (令和十年八月二十七日・日曜)
――――。
「こんのぉっ! とあああああぁーっ!」
「ひゅうぅほっほほほふ! 効きませんなぁ! 効きませんぞぉ、常盤優璃!」
優璃の怒りの拳が、蛇腹の腹部、脇腹、首元へ次々と叩き込まれる。
しかし、分厚い脂肪とその下に層となっている筋肉によって、優璃の攻撃は蛇腹に効果がない。
穂花と月花の二人を庇っている小笹は「なんて恐ろしい男なの!」と、冷や汗を垂らしている。
「ひゅうほほほふ! さぁて、では、ボク様もいきますぞッ!」
蛇腹は独特な笑い声を響かせて、揺れる頬肉をぷるぷる震わせ、キャノン砲のような丸い正拳の連打を優璃に放ってゆく。
「(は、速すぎっ! こんなに太ってるのに! なんでこんな速いのっ!)」
優璃は蛇腹の猛撃を高速の足捌きと体捌き、そして空手の受け技を駆使して何とか防いでいる。
「ひゅうほほふ! 屍になってしまえぇーっ!」
「うそ! またスピードが上がった!」
相手の力をうまく流すように防いでいた優璃だったが、さらに速度を上げた蛇腹の正拳を肩口にもらってしまった。大きな土埃とともに、優璃は吹っ飛び転がってゆく。
「い、いたた・・・・・・。か、辛うじて受け流しを使ってたからよかったけど・・・・・・。直撃されたらひとたまりもなかった!」
「ひゅうぅほっほほほふ! なかなかですなぁ、常盤優璃! 動きを見れば、かなり空手をやりこんでいることはボク様、わかりますぞ。実に無駄のない、柔らかな動きです! ひゅほほ!」
余裕の笑みを見せる蛇腹はそう言うと、近くに正座していた雑兵二人の首を左右の手でがしりと掴んだ。
「(な、何を!)」
先の読めない行動を見せる蛇腹に、優璃は顔に土埃をつけたまま、さっと身構え直す。
雑兵二人はぐいと持ち上げられ、「も、元締?」と震え上がっている。
「ひゅうほほほ! おぬしたちはボク様の命令で動く構成員にも関わらず、全然役に立たなかったのだ。ならば最期くらい、赤鉄連合の役に立ってみたいとは思わんかね? ひゅほふふ!」
恐怖に怯えた雑兵が何か言おうとした瞬間、蛇腹は一瞬だけ鬼の表情を見せ、優璃に向かって雑兵の一人を思いっきり投げつけた。まるでボールでも投げるかのように。
「うそっ! ひ、人をそのまま投げ・・・・・・」
あまりのことに驚いて優璃は反応が遅れた。剛速球のように飛んできた男は、既に空圧で首が折れて意識を無くしていた。
回避が間に合わなかった優璃は咄嗟に腕を十字に組んで腰を落とすが、人間一人が高速で飛んできた衝撃は凄まじく、さらに後ろへ吹っ飛ばされてしまった。
「(げ、げほっ・・・・・・。かはっ! ・・・・・・し、信じられない攻撃だ。どうなってるのよ!)」
よろよろと力なく起き上がった優璃の横には、既にあの世へ旅立った雑兵が転がっている。
すると目の前の土埃が渦を巻いてぶわりと四方へ散り、「ひゅほほ!」と妖しく嗤う蛇腹が優璃の前へ踏み込んできていた。
その手には、まるで水揚げ後のタコのようにぐったりしたもう一人の雑兵が掴まれている。
「常盤さん! 危ないッ! すぐに飛び退いてッ!」
「ひゅうぅっほっほほほふッ!」
小笹が叫ぶのと同時に、蛇腹の声が公園全体に響き渡った。
篝火は朱色の火の粉をぶわりと風で噴き上げ、それは柳の葉の間を抜けて散ってゆく。
「(ひ、人を・・・・・・掴んで? 人を・・・・・・片手で持ち上げて・・・・・・? な、何が何だか・・・・・・)」
優璃の前に、黒く丸い大きな影が覆い被さるように広がる。
次の瞬間、蛇腹は掴んでいた雑兵をまるでヌンチャクのように振り回し、そのまま優璃を殴りつけた。頭の上で腕を交差してその攻撃を防いだ優璃だが、衝撃はそのまま脳天から足下まで一気に突き抜け、目の前に大量の火花と星を散らせた。
優璃の目が、揺れて泳ぐ。優璃の足が、大きく揺らぐ。
「(うああ・・・・・・っ! あ、ありえないよこんなの! ひ、人を振り回して殴る・・・・・・なんて!)」
「ひゅっほほふ! ふほほほほぉ! ひゅうほほほほほ!」
笑いながら、蛇腹はそのまま優璃を前蹴りで吹っ飛ばした。
牛串の屋台にどがしゃと突っ込んだ優璃は、その崩れた屋台の中からなかなか立ち上がれない。
そこへ、蛇腹は掴んでいた雑兵を思いきり投げつけた。そしてまた、別な雑兵を掴んできては投げつけ、掴んできては投げつけを繰り返した。正座して固まっていた雑兵は、もういない。
「ひゅほほほ! ラグビーをやっていた頃の遠投力が、活きていますぞ! 物事、無駄なことなど何もありゃせんのです。・・・・・・どうしました? ボク様は、赤鉄連合に楯突く者は認めません。それがましてや同じ空手使いともなれば、ね! ひゅほほほ!」
「(い、痛・・・・・・っ! ・・・・・・なんて男よ! 空手に加えて、めちゃくちゃな戦い方が厄介だ! なんとか打開策を見出さなきゃ・・・・・・。ふぅ・・・・・・はああぁ・・・・・・・っ。ふううぅ・・・・・・)」
屋台はまるで大型ダンプが突っ込んだかのように、めしゃめしゃだ。優璃はその瓦礫の中で、呼吸を整えながら蛇腹の攻略法を考えている。
* * * * *
「ゆりちゃん! ゆりちゃぁん! 助けたいけど、どうすればいいのぉ! どうしようーっ!」
「渡良瀬氏。あの男の強さは尋常ではない! 加勢するにも無策ではだめだ。どうすれば・・・・・・」
猛攻を受ける優璃を月花と穂花は何とか助けたい様子だが、策が思い浮かばない。
その時小笹は、穂花と月花に「あなたたちはここにいて」と笑顔を見せ、近くにあった一本の長い棒を手に取り、蛇腹の方へ一気に駆けていった。
「「 こざさせんせーっ! / む、麦倉殿ぉっ! 」」
穂花と月花が同時に叫ぶ。小笹は棒をクルクルと回しながら、蛇腹へ一直線に突っ込む。
「やめなさい、このぉーッ! ワタシの教え子に、それ以上暴力は許さないからッ!」
蛇腹は、突っ込んでくる小笹の方へ、ぷよんとした頬肉を弛ませて、視線を向けた。
「ツアアアアァーイッ!」
低い姿勢で踏み込み、小笹は斜め下から蛇腹の顎へ棒の上げ打ちを放った。だが、その感触はまるで低反発クッションを叩いたかのよう。
「ひゅほほほ! 何ですかな、それは?」
「う、嘘! おかしいでしょぉっ! ・・・・・・ツアアアーイ!」
腰を逆回転させ、小笹は棒の逆端で蛇腹の足を打ち、さらに回転させて脇腹を打ち、最後に思い切り渾身の振り打ちを蛇腹の後頭部に叩き込んだ。
しかし、小笹の手に伝わってきたのは高級羽毛布団のような柔らかい感触だけ。
「(信じられないッ! ワタシの家にある枕や布団よりも、柔らかくて良い感触! これじゃ、常盤さんがあれだけ打ち込んでも効かなかったわけだわ・・・・・・ッ)」
「せ、せんせぇーっ!」
「渡良瀬氏! 麦倉殿にはここにいろと言われたが、一人だけではあの蛇腹権座衛門という男は倒せない! うちらも加勢して全員で叩かなければ!」
「で、でも、つきかちゃん! その腕じゃぁ・・・・・・」
「こんなの、ガマの油でも塗っておけば何てことはない! しかし、それはないから・・・・・・」
月花は、穂花の足下に生えている大量のチドメグサを「これだ」と言って摘み、それを手で揉み潰して傷口へ塗った。
「そ、そんな草で、傷の血、何とかなるの?」
「だからきっとチドメグサと言うんだろう? とにかく、このままでは一人相手に全員やられてしまう。攻めながらこっちのペースに巻き込んでいくしかない!」
そう言って月花は「麦倉殿!」と叫んで木刀を持って小笹のもとへ走る。穂花は「わたしにできることは何?」と、オロオロしながら周囲を見回している。
「麦倉殿ぉ! うちも加勢いたします!」
「大木さんッ! でもあなた、その傷じゃ!」
「気合いで何とでもなります、この程度! うちが相手の頭部集中で加撃しますから、麦倉殿はその棒術で足を集中的に狙って下さい! 分散攻撃です!」
「・・・・・・くすっ! なるほどねッ! なかなかセンスいいのね、大木さんッ! 了解!」
月花は木刀を掲げ、蛇腹の真っ正面から立ち向かう。それに一瞬だけ気を取られた蛇腹。その隙に、小笹は高速で後ろに回り込み、蛇腹の足を狙う準備をして棒を構える。
「悪党の親玉めっ、覚悟しろ! 薩摩眼示流剣術、二之型っ! 横薙一文字斬りっ!」
蛇腹の前で大きく踏み込み、木刀をその側頭部へ向かって迷いなく振る。
すると、蛇腹は「ひょほふ!」と小さく笑い、手袋についている金属棒を使って、月花の打突を寸前で受け止めた。堅い木と金属がぶつかり、きいんと高い音が並のように響く。
「な、何だと! うちの一撃が!」
「ひょほほふ! 惜しかったですな! ・・・・・・ひょほほほぉッ!」
にやりと嗤った蛇腹は、受けた腕をそのまま月花の方へぎゅるりと突き出した。すると手袋の金属棒はくるりと回転して伸び、月花の腰元を強く打ち付けた。
横薙の技を出した月花だったが、そのまま蛇腹の一撃で自分が横薙に打たれて吹っ飛ばされてしまった。
「ひょほほふ! この特注の仕込み革手袋は、なかなかのシロモノですぞ! いいモノでしょう?」
それを後ろから見ていた小笹は「まるでトンファーだ」と呟いた。
「ひゅっほほ。ご名答ですな。いかにも、これは沖縄のトンファーを模して作らせたモノなのですぞ! 使い方も、攻撃と防御が一体。なかなかに、こういう場で使い易くていいですなぁ」
「常盤さんも言ってたけど、沖縄空手の技を暴力に使うなんて、ワタシも許せないんだからッ!」
小笹は蛇腹の膝裏を叩き払うように、棒での横打ちを繰り出した。しかし蛇腹は、足を上げてその棒を躱し、斜め上から踏みつけて叩き折ってしまった。
「あッ! こ、こんな堅い棒なのにっ! ・・・・・・た、体重にモノ言わせて折ったのねッ!」
折れた棒に気を取られた小笹。そこへ、高速の鎖がまるで蛇のように絡みついた。蛇腹は、腰に巻いていた銅製の鎖を解いて振り回し、それを放って小笹へ巻き付けたのだ。
「うわッ! こ、この鎖術の動きはッ・・・・・・」
「ひゅほほほ! あなたは沖縄の武術に詳しそうですなぁ。いかにも、これは沖縄空手の『スルジン術』の応用ですな。ボク様のファッションの一部ですが、いい武器にもなるのですぞよ!」
蛇腹はそのまま片手で鎖を弾き、小笹を地面へと引きずり倒した。腕ごと胴体を鎖に絡め取られた小笹は、身動きがとれない。
「ひゅほほほ! どぉですかな? 実に楽しいイベントでありますなぁ! ボク様は実に楽しくて仕方がない・・・・・・。Ti piace questo evento ? Mochten sie mehr spab haben ??」
「(けほッ・・・・・・。イ、イタリア語と、ドイツ語・・・・・・ッ? い、いったいこの男・・・・・・)」
「痛っ・・・・・・。くっ! おのれーっ! 麦倉殿、いま助けます! ちいいぇえすとぉっ!」
吹っ飛ばされていた月花は、何とか立ち上がって木刀を構え、裂帛の気合いで蛇腹に向かって斬りかかる。しかし蛇腹は、月花の打突を受け払うと同時に、体当たりで遠くまで吹っ飛ばした。
「うっ、うわああああ!」
月花は焼き鳥の屋台を突き抜け、木製のフェンスにまで吹っ飛ばされた。その周囲に植えられた柳の葉は、月花が飛んできた風圧でぶわりと大きく揺れ動いた。
蛇腹は小笹を上から見下ろして、まるで蛇のように舌なめずりをして、口を開く。
「ひょほほふ! 多言語を使うボク様へ、不思議そうな目で見てますなぁ? ボク様はイタリアやドイツのアウトロー組織とも親交がありますからなぁ。六カ国語を使えるのです。ひゅほほほ!」
「(こ、これは、ワタシたちとんでもない男を相手に・・・・・・してるかもしれないッ)」
縛られた小笹は、蛇腹を見上げたまま、汗を顎先へたらたらと垂らしている。
「『柔よく剛を制す』は大間違い。ボク様にとっては『剛よく柔を制す』に尽きます。ひゅほほ!」
蛇腹はぐいと小笹を引き上げると、一気に鎖を引っ張ってコマ回しのように解いた。それと同時に嗤って小笹を蹴り飛ばし、月花とは逆方向のフェンスまで吹っ飛ばしてしまった。