26. ★ 常盤優璃と蛇腹権座衛門の「手」・下 (令和十年八月二十七日・日曜)
――――。
「どぉした、オラァ! チャンバラごっこは、もう終わりかぁ! ハハハ! どうしたぁ!」
「なめるなよ、悪党! 真剣を持ってるからって、いい気になれるのも今のうちだけだっ!」
「粋がるのは簡単だ! 生意気なこと言うんだったら、この俺の剣に勝ってからにしろや!」
優璃が蛇腹の前で構えている頃、別な場所では月花が団と剣を交えていた。
「オラァッ! オラオラァ! ・・・・・・どうしたァ!」
団は兇刃を振り、月花へ容赦ない攻撃を仕掛ける。
「(なんだ、このヤクザ男! こいつは、剣に関して素人じゃないな!)」
「どぉぉしたァ! オラアァ!」
団は、斬れ味鋭いその兇刃を、月花の足へ振り下ろした。
「なにっ! あ、足斬りだって! ・・・・・・くっ!」
間一髪で、月花は攻撃を躱した。そのまま食らえば、左脛から下は切断されていたことだろう。
「ハハハァ! 防ぐだけで精一杯かぁ? 大したことねぇなぁ! 俺の陶元一刀流三段の腕前は、実戦でますます磨きがかかったってことだぁな!」
「陶元一刀流の使い手っ? ・・・・・・薩摩眼示流剣術の剣士として、負けるわけにいかないのだ!」
「ハハハハァ! 薩摩の眼示流だぁ? おもしれぇ! 突っ込むしか能のねぇ、一発屋かよ!」
月花は木刀を高く構え、呼吸を整える。団は兇刃を顎の高さに真っ直ぐ突き出して構え、月花から刃が見えないようにした。陶元一刀流の「霞の構え」である。
まるで碧い月光が射し入るがごとく、月花の瞳に青い光がきらりと輝いた。
「悪党め! 受けてみよ! 薩摩眼示流剣術、一之型っ! 野太刀蜻蛉斬り!」
気合いと共に、月花は団に向かって大きく踏む込む。そこへ、団は待ってましたとばかりに霞の構えから月花の心臓めがけて突き技を繰り出した。
「バカなチャンバラ女め! そんなに死にてぇか! 陶元一刀流・・・・・・突刃!」
木刀を縦一直線に振り下ろす月花。しかし、突き刺しにきた団の兇刃は胸の前へ迫っていた。
無理矢理に月花は「くッ!」と表情を歪め、技の途中で腰を捻り切ってその刃を避けた。そのまま団の突きは月花の左肩口をざくりと裂いて抜けてゆく。団は「なんだとォ!」と青ざめた。
「ちぃいっ・・・・・・ええええいすとぉーぁっ!」
赤い飛沫で左頬を染めて、月花は裂帛の気合いでそのまま団へ木刀を振り下ろした。雷のようなその重い一撃を食らった団は、泡を吹き激しく痙攣してその場に沈黙した。
「はぁ、はぁ、はぁ。・・・・・・痛ッ!」
団を倒した月花は、斬られた左肩口をすぐにハンカチできつく縛り止血。大きく息を吐いてその場にしゃがみ込んで前を見た。その目線の先では、優璃と蛇腹が火花を散らし合っていた。
* * * * *
残っていた柳公園内の雑兵は、月花、小笹、穂花たちに全て倒されていた。優璃の前にいた雑兵たちは、蛇腹の近くでそのまま正座し、恐怖に震えて固まっている。
「んー? すごいものですな。わが赤鉄連合の若頭である団を、一撃で沈めましたぞ! いやはや、大したもんだ! いや、まったく!」
蛇腹は、団が月花に倒された瞬間を、横目で見ていたようだ。
「もう、赤鉄連合は今日で終わりだね!」
「ひょほほほふ! あまり面白くない冗談ですなぁ?」
「冗談? 私、冗談でこんなことは言わないから。罪もない人へひどいことをして、身勝手極まりないじゃないの! この、ろくでなしども!」
優璃は、襟足の髪をぶわりと逆立てた。
「これは、これは・・・・・・。ろくでなしとな? アウトローに生きる者に、聖者もろくでなしもありませんぞ? ひょほほほ。ま、れっきとした暴力団であるこのボク様率いる赤鉄連合相手に、ここまでやったこと、誉めてあげましょうぞ!」
余裕綽々の蛇腹。二メートル近いその身長から、優璃を見下ろして嗤っている。
優璃はその顔を見て、「絶対に許すもんか!」と叫び、地面を蹴った。激しい土埃が篝火に照らされ、大きく舞い上がった。
「とああああぁっ! とああああああああぁ!」
丸く大きく膨らんだ蛇腹に、怒った優璃の技が次々と叩き込まれてゆく。
正拳、縦拳、裏拳に手刀。拳槌打ちに背刀打ち。肘当てに掌底突きに平手打ち。
前蹴りに横蹴り。回し蹴りに足刀蹴りに後ろ回し蹴り。さらには跳び蹴り、膝蹴り、二段蹴り。
雑兵程度の男なら、一撃でダウンするほどの優璃の技。しかし、蛇腹は指でポリポリと頬を掻いてニコニコと笑っている。効果はまるで無いようだ。
「うそ! そんな! 突きも蹴りも打ちも、効かない! 太りすぎているんだ!」
「ひょほほほ! ま、こんなもんですかな?」
「そんなわけないでしょ! ま、まだまだだよ!」
優璃は再び、蛇腹へ怒濤の攻めを見せる。しかし蛇腹は、その場から動くこともなく、優璃の強烈な攻撃を浴び続けたまま笑っている。腹も頬も顎肉も、あちこち、ぷるぷると揺れている。
「(効かない! なんで! 太りすぎているってだけで、こんなに効かないのっ?)」
冷や汗を顎の先から一滴垂らした優璃。
「ひょほほ! ボク様はね、昔いた組織を抜けて赤鉄連合を興す前にね、沖縄の暴力団に与していたことがあるのですよ。・・・・・・喧嘩は素手喧嘩が一番ですが、沖縄では素手喧嘩のためのテクニックの他、凶器の扱い方も身に付けて磨いたのです。・・・・・・素晴らしいですぞ、沖縄空手は!」
口を「へ」の字に閉じた優璃は、背中がぞわりと寒くなった。
目の前で、蛇腹は阿修羅のような表情に変わっており、まるでヤカンのように「はぁ!」と短くく息を吐き、みるみるうちに強大な殺気を放ち始めた。
直感的に危険を察知した優璃は、数歩、後ろへ飛び退いて間合いを切る。
「(な、何なの! 今、沖縄空手って、言ったよね・・・・・・。蛇腹権座衛門の、この呼吸・・・・・・)」
警戒して構える優璃の前で、蛇腹は独特な呼吸をし始めた。
「すおおおおおおぉ・・・・・・こおおぉはあああぁあ・・・・・・ッ!」
「な、何でよ! この呼吸・・・・・・。空手の息吹! 空手は・・・・・・喧嘩の道具なんかじゃないでしょう! 身を守るもの! 人を守るもの! みんなを守るためのものなのに!」
そこへ、月花と小笹が合流。遅れて、涙目になった穂花が合流。
「小笹先生! こんなバカなことってありますか! 私、大切な人や居場所を守るために、護身のために空手を学んで磨きました! でもこの蛇腹権座衛門は、人を痛めつける暴力のためにっ!」
「落ち着きなさい、常盤さん! あなたは間違ってないよ! 教えたでしょ。力なき正義は無力、正義なき力は暴力。空手は暴力に対し正義の護身術なの!」
「常盤氏! 赤鉄連合は紛う事なき暴力団だ! 全力でこの悪党の親玉を、遠慮なく打ち倒そう!」
「ゆ、ゆりちゃぁん! なんでもいいから、もう、帰ろうよぉ! ヤバすぎだって、これーっ!」
「蛇腹権座衛門・・・・・・っ! あんたの空手は、ただの暴力に成り下がったものだよ! 私は、正統な『手』を使って、あんたの暴力を正義でねじ伏せてみせる!」
優璃は、蛇腹に向かって大声で啖呵を切った。小笹はその横で身構える。月花は穂花を宥めながら、二人からは少し離れて斜め後ろへ下がった。
「ひゅうほほほぉ! ・・・・・・やってみましょうぞ? こちらもね、おかげさまで身体の準備が・・・・・・しっかりと・・・・・・整いましたからなぁッ!」
蛇腹は細く鋭い目を黒光りさせ、腹をぶるるんと揺らしながら月花と穂花へ向かって突進。その巨体からは想像も付かぬスピードで踏み込んでいった。
「ひゅうーほほほほほぉッ!」
まるで、巨大な豚かゾウアザラシが目の前に迫る感じに、穂花は顔から一気に血の気が引き、固まってしまった。月花は慌てて木刀を向けようとしたが、片手にうまく力が入らない。
優璃が向きを変えて踏み出そうとした瞬間、蛇腹の突きで穂花は真横に三十メートルほど吹っ飛ばされていた。「うぎょー」という、穂花の悲鳴がドップラー効果で優璃の耳へ響く。
月花はその場から十メートル以上、蛇腹の短く鋭い蹴りで吹っ飛ばされて土まみれになって転がった。
「渡良瀬さんッ! 大木さんッ! ・・・・・・な、なんてスピードなのッ!」
「ほ、穂花ぁっ! 月花ぁっ! 二人とも、だ、大丈夫ぅーっ!」
「ひっ、ひいーん! 痛いー。すごく痛いよーぉ! もうわたし、死んでるかもしんないーっ」
「いっ、痛ッ・・・・・・。さっき斬られた傷が、また開いてしまったが・・・・・・・大丈夫!」
「ひゅほほぉ! 手加減してあげましたぞ? ボク様が本気でやれば、確実に死にますからな!」
優璃は、同じ空手の技を暴力として使う蛇腹に、さらなる怒りを燃え上がらせていた。