15. ★ 守るための、手なんだから!・下 (令和十年八月二十三日・水曜)
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「おぅゴラぁ! オバサン! おめぇも何のつもりだ!」
「火の用心、ってか? ふざけんのも大概にしろや、中年ババァ!」
矢牧原はボクシングの構えを取り、神田は腰元から大きな飛び出し型ジャックナイフを出した。
「・・・・・・くすっ! あははっ! ・・・・・・ワタシ、まだ三十五歳で若いんだけどなぁッ! 中年ババァだのオバサンだなんて、すっごく失礼だねッ!」
「るせぇッ! 関係ねぇくせに首突っ込んできやがって! これで死んでも文句ねぇよな中年ババァ! 死んでもいいから、絡んできたんだよなァ!」
「・・・・・・くすっ!」
「おぅゴラァ! 何笑ってんだぁ、オバサンよぉ! 状況わかってんのか! 痛い目見んぞ!」
「くすっ・・・・・・。確かに。・・・・・・痛い目は見るねッ・・・・・・あなたたちが!」
笑みを見せてそう言った小笹は、矢牧原と神田が一呼吸する間に、持っていた拍子木を前後左右へ高速で振り回した。そして、逆L字型にそれを持って、身体を斜にして構え直した。
小笹が拍子木を使って一瞬のうちに見せた技は、沖縄空手のヌンチャク術だ。
「いっ、痛ぇ! ・・・・・・なっ! お、おれの、手首が・・・・・・ッ!」
「ぬ、ぬおぉ! な・・・・・・何しやがったんだ、このオバサン・・・・・・っ!」
ジャックナイフは店の外へ弾き飛ばされ、それを持っていた神田の手首はぽきりと折れていた。
矢牧原は顎先を一瞬で打ち抜かれ、その場でぐらりとたたらを踏んでよろけている。
「・・・・・・常盤さん! これは、大切な人と場所を守るための正当な護身よッ! 遠慮することないから、身を守りながら相手をしっかり制圧しようッ!」
「わかりました、小笹先生! 私は始めから・・・・・・そのつもりです!」
優璃へ言葉を飛ばした小笹の左右から、怒りで目を吊り上げた矢牧原と神田が襲いかかった。
全身に気を一瞬で巡らせた小笹は、拍子木の片方で神田のパンチを受け流すと、目にも止まらぬ速さで喉と眉間へヌンチャク術の接近打撃を打ち込んだ。神田はその打撃で意識を失って昏倒。
矢牧原が「ゴラぁ!」と速い左ジャブを打つが、小笹は難なく体捌きで回避。拍子木の紅白紐を使ってジャブの左手首を巻き取った瞬間、至近距離からの掌底アッパーと右脇腹への膝蹴りを矢牧原に叩き込んだ。矢牧原は脳を揺らされ、肝臓から体内へ強い衝撃を受け、意識を失った。
床にごろりと侠客二人が転がる。小笹は近くにあった電気コードとガムテープを使って二人をぐるぐる巻きにし、逃げられないように固定した。
「常盤さん! こっちは確保したよッ! 日本刀相手は危険だよ! ワタシも加勢する!」
「小笹先生・・・・・・。大丈夫です! 見守って下さい! この男は、私が打ち倒します!」
優璃は大ヘラを構え、闘気をさらに高めた。
団は「調子に乗るなよ」と言い、兇刃をべろりと舌で舐め、切っ先を優璃に向けて構えた。
* * * * *
じりじりと、兇刃を持った団は優璃に近づく。ただ、目の前の優璃だけでなく、後ろにいる小笹にも気を配っている。
「(この若頭っていう男・・・・・・小笹先生の方にも意識を絶やしてない。思ったよりスキが無いな)」
大ヘラの平たい方を団へ向け、優璃は手の内をぐっと締めて腰を落とす。
「(私は剣術はよくわからない。でも、刃の構え方や雰囲気から、ただの素人剣法ではないことだけは、わかる!)」
優璃のこめかみから頬を伝って、一滴の汗が顎先からぽたりと床板へ落ちた。
それと同時に、団は横薙ぎに刃を振り、優璃の右胴部分へ攻撃。
大ヘラをくるりと半回転させ、柄の中央で優璃は団の刃を防御。かきりという音と共に、細かな木屑が宙に舞う。
立て続けに、団は優璃の左首元めがけて斜め上から刃を振り下ろす。
優璃はまた、腕をぐるんと素速く回し、大ヘラの平たい部分で刃を横へ弾いて流す。きぃんという金属音が鳴り響く。
弾き流された勢いを利用して、団は優璃の膝裏を靴で思い切り踏みつけた。
「(ふ、踏みつけ蹴りっ? ・・・・・・しまった! 剣術に気を取られすぎた!)」
がくりと片膝を床に着いた優璃。小笹が「常盤さん!」と叫ぶのに合わせるように、団は刃を斜め下から優璃の顎下へ振り上げた。
優璃は姿勢を崩しながらも、顔を横に動かして紙一重で刃を躱す。白銀の刃は優璃の側頭部の髪数本を斬り飛ばし、空を切る。
「生意気なガキ女が! ヤクザを舐めた、自分の甘さを恨め! てめぇこそ、身を以て知れ!」
団は刃を高々と刃を掲げ、にやりと笑う。
「この俺はな、そこらのチンピラ共のようにはいかねぇ・・・・・・。かつては赤鉄連合の敵対勢力の事務所に刀一本で乗り込み、十五人を斬り伏せてぶっ潰したこともある。・・・・・・終わりだ!」
窓から射し入る光が、刃に当たる。ぎらりとその刃は光を反射させ、それは小笹の目に。眩しさで小笹が片目を閉じた瞬間、団は「消えな!」と叫んで刃を振り下ろした。
それと同時に、優璃は手の内に力を込め、大ヘラで床板に落ちていたグラニュー糖をぶわりと掬い上げた。それは刃を振り下ろす団の顔や目にかかった。手元が狂い、刃は優璃の横をすり抜けて床板へざくりと刺さる。
「ぐっ! な、何しやがった!」
「あんたこそ・・・・・・だいぶその目が『甘く』なったことでしょうね!」
「く、くそがぁ! し、しみる! お、俺の目が・・・・・・」
グラニュー糖の粒が大量に目に入った団は、何度も両手で目を擦る。しかし、擦るほどにその痛みは増し、団の目は開けられなくなってゆく。
「とああぁぁぁあーっ!」
優璃は大ヘラの柄先で団のみぞおちを思いっきり突き、それによって身体がくの字に曲がったところを、平たい部分を使って斬り付けるようにして叩いた。そしてまた大ヘラをくるりと回転させて、柄で団の顎を思い切り振り抜いた。
「ぐっ、ぐおあぁ・・・・・・っ!」
柄突き、振り下ろし、上げ打ちの高速三連打を叩き込まれた団は、ドアの外まで吹っ飛ばされた。
「(常盤さんが見せた動き・・・・・・。かつてワタシが教えた『津堅砂掛けの櫂』の形だッ・・・・・・)」
小笹は、大ヘラを肩に担いで息を整えている優璃を、じっと見つめている。
「はぁ、はぁ・・・・・・。ど、どうだ! 参ったかぁ!」
庭まで吹っ飛んだ団へ向かって、優璃は叫んだ。
「く、くそぉ・・・・・・っ!」
よろよろと身体を震わせながら、団は起き上がった。スーツのホコリやゴミを払い、拳を握ってまた店の中へゆっくりと向かってくる。
「あ、赤鉄連合が・・・・・・ガキ女や中年女にやられるなんざ・・・・・・あっちゃならねぇ! 何かの間違いだ! ・・・・・・おい、ガキ女! てめぇ、ただの女じゃねぇな! 何かやってやがるな!」
団は優璃と小笹を睨みながら、歩み寄ってくる。ドアの敷居を跨ぐと、小笹はさっと間合いを取って優璃の前まで下がって、団との距離を空けた。
「こ、答えやがれ! てめぇは・・・・・・素人じゃねぇな! 何の使い手だ、コラァ!」
「ふぅ・・・・・・。・・・・・・手だよ! 私は、護身のために手を使っただけだよ!」
「てぃー、だと? ・・・・・・ふざけやがって! なんだ、そりゃ!」
「悪者のあんたに、私がそこまで教える義理は無いよ」
「ぐ・・・・・・。く・・・・・・くそったれめ! ・・・・・・おい、てめえら! いつまで転がって寝てやがる! 起きねぇか、ああっ! 起きろってんだ、コラァ!」
団は、転がっている矢牧原と神田をぐいっと引き起こし、二人を何発も殴る。
「・・・・・・。・・・・・・が、がはっ! ・・・・・・はっ! わ、若頭!」
「ごは! ・・・・・・わっ、若頭! オ、オレは・・・・・・。す、すんません!」
遠くから、パトカーのサイレンが店に向かって響いてきた。避難したヨネと草治郎が、警察へ通報をしたようだ。
「バカどもが! 気絶させられやがって、だらしねぇ! ・・・・・・今日のところは、これぐれぇにしてやんぜ・・・・・・。だが覚えとけ! 赤鉄連合へ喧嘩売ったからにゃ、元締も黙っちゃいねぇぜ!」
団は矢牧原と神田を引き連れ、車に乗り込んで逃げるように去っていった。
優璃は緊張を解いて大きく息を吐くと、担いでいた大ヘラをカウンターへ起き、小笹と共に転がったイスやテーブルを置き直した。
「常盤さん。・・・・・・悪者を何とか追い払えて、とりあえずよかったね! ケガは、ない?」
「大丈夫です小笹先生。私、昔習った技を駆使して、赤鉄連合を退けることが出来ました!」
西日に照らされた優璃と小笹の笑顔は、薄黄金色へと染まっていった。