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トキノオリ  作者: 紫藤朋己
9章 原罪と贖罪と
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92. 原罪と











 ◇



 俺がレドに告げたのは、たった一言だった。


「次の日の朝にでもスカビオサとマーガレットがやってくるから、おまえもその場にいてくれ」


 夜中、レドは一人、大穴が空いたままの部屋で俺を待っていた。俺の返答を聞くと、頬をぴくぴくと震わせた。


「おまえ……。一晩待たせてそれだけかよ」

「勘違いするなよ。おまえを信頼していないわけじゃないぜ。むしろ逆で、おまえを信頼しているからこそ、おまえには何も知らないでいてほしいんだ」


 スカビオサとマーガレット。あの二人は魔物を殺しきるのに絶対に必要な戦力だ。だから、倒れてもらっても、暴走されても困る。うまく誘導していかないといけない。


 そのためになら、あらゆることを選択肢に入れる。

 俺は打算的だからな。

 テーブルの上に乗せられるものは全てを乗せる。


 今回、レドは何が起きるかを知らない方がいい。今からやろうとしていることを知れば事前に苦言を呈すだろうし、俺が期待している反応をしてくれないだろう。

 最悪の結末さえ起こらなければ、後はどうとでもしてみせる。


「レド、一つだけ聞かせてくれ。おまえとあの二人は、俺とアイビーの話をどこまで聞いていた?」

「会話なんか、何も聞いちゃいねえよ。扉を開けたらまさにおまえがアイビーを床に叩きつけてたんだ」


 見られたのはそこからか。

 というか俺はアイビーを取り落としただけで、叩きつけてなんていないぞ。いや、そう見えたなら、それも好都合か。


「了解。会話を聞かれていないのなら、何とかなるな」

「何とかって、どうするつもりだよ」

「どうとでも」


 俺はレドを安心させるために笑って見せた。

 しかしレドは頬を引くつかせて身を引いた。


「そういう時のおまえは怖いんだよ」

「こんな善良な人間を捕まえて怖いとは」

「どの口が言うんだ」

「俺が唯一誇れる、この口だよ」


 口はいい。

 言葉はすべてを創り出す。過程なんかないのに、結果だけを創造する。

 感情を揺さぶり、行動を制限して、他者を食い殺す。


「レド。おまえはただ、一緒にいてくれればいい。そして、感情のままに行動してくれていい。それが正解だ」

「これからのこと、言うつもりはないんだな」

「ああ。絶対に言わない」

「わかった。心の準備だけはしておく」


 不承不承ながらの頷き。


 それでいい。レドが普通であればあるほど、俺の異常が際立っていく。

 二人がアイビーの生存に理解を示しつつ、魔物へのヘイトを失わない。針の穴を通すような条件の中で。


 今回の場合は、それが唯一の正解だ。



 ◆



 スカビオサ・エクスカリバーは自分の感情を推し量れなかった。

 正確に言えば、推し量る余裕がないと言った方が正しいだろうか。


 昨日から、ひどく気分が悪い。生まれてからこの方気分が良い日なんかついぞなかったが、殊更に頭痛がした。吐き気もあるし、寒気もあるし、視界も狭い。自分という輪郭がぶれている気がする。

 風邪だろうか、逸り病だろうか。いや、おそらくこれは心因的な問題だ。


 どうしようか。

 どうするべきだろうか。

 今日、再びアイビー・ヘデラと会って、自分はどうすればいい。


 わからない。ずっと殺意を向けていた存在でありながら、殺しても意味がないことはわかっている。でも、殺さないと前に進めないこともわかっている。殺さなければ自分に意味がなく、殺しても相手に意味はない。


 悩んでも悩んでも、決して答えの出ない設問。

 自分は何のためにここにいるのか。何のために生きてきたのか。

 この世界に出口はあるのか。今まで必死に足掻いてきたが、すでに出口は存在しないのではないか。

 考えは袋小路に入って、抜け出すことができない。覚めることのない悪夢に等しかった。




 自分の意志とは関係なく揺れる身体を何とか起こして、目的地へと向かう。学園内をゆっくりと進んで、男子寮に入っていく。異性の同級生とすれ違っても、誰も何も言わなかった。スカビオサは声をかけるのも憚られるほど、青い顔をしていた。


 リンクの部屋の扉を開ける。昨日、リンクが空けた大穴が真っ先に目に入った。

 人物は二人。リンクとレドがいた。


「よお、スカビオサ。早いな」


 リンクが声をかけてくる。昨日の狼狽はどこへやら、平素の表情だった。へらへらと軽薄で、にやにやと薄っぺらい。逆に腹が立ってくるくらいだった。


「別に……」


 嘔吐しそうな口を押さえて、部屋の隅に向かう。部屋全体を見渡せる場所で壁にもたれかかった。

 マーガレットはまだ現れていないようだった。そして、今日議題にあげられるはずの人物もここにはいないようだった。


「アイビー・ヘデラはどこ? まさか、取り逃がしたなんて言わないよね」


 リンクはアイビーを殺すことに反対していた。そこには魔王を殺しても意味がないという諦念以上に、ただ”殺したくない”という感情が優先されているように感じられた。そんな感情のままに逃がしてしまいました、なんて口走れば殺してやる。

 スカビオサは冗談を許さない眼力でもって、リンクを睨みつけた。


「おまえは何を言ってるんだ? ここにいるだろ」


 リンクが足元に置いてあった何かを蹴り飛ばす。


 ごろごろと床の上を転がるそれ。

 それは置物や布切れなんかでなく、人だったらしい。


 衣服をひどく擦り切れさせ、その隙間からは真っ赤な裂傷が伺え、ぴくぴくと痙攣している何か。よく見てみると、確かに布切れの端っこからは四肢が伸びていた。四肢も青あざや裂傷まみれで、生傷がひどかった。

 何度も殴打されたのだろう、赤く腫れあがった顔を見ると、それは確かにアイビー・ヘデラの顔だった。


「何を……」

「制裁ってやつだよ」

「……殺したの?」

「よく見ろって。生きてるよ、かろうじてだけどな」


 その生き物は、息を吸っては吐き、小さく身体を上下させている。だけど、それだけ。スカビオサに目すら向けようとはしていなかった。いや、向ける余裕すらなさそうだった。


「……」


 スカビオサはこの場の最後の一人、レドにも目を向けた。しかし、彼は腕を組んで目を閉じたまま、何も言わない。

 リンクへと視線を戻す。


「何があったの? 貴方はこいつに親愛を抱いていたように思えたけど。守る様に動いていたと思ったけど」

「おいおい、おまえは何を言ってるんだ? こいつは魔王だぞ。何人の命を奪ったかもわからない、人類の敵だ。なんでそんなやつに情けをかける必要があるんだ? むしろこれくらいじゃ生ぬるいくらいだ。この場でおまえも制裁を加えてくれよ」


 リンクは憎しみを込めてアイビーを睨みつける。


 ずきん、と、スカビオサの脳が唸った。


「なんで……。貴方はアイビーを助けたんでしょう? こんなにしてしまって、どうするつもり?」

「ただの贖罪だよ。罪は償わせないといけない。こいつを助けたのだって、死なれちゃ困るってだけの話だ。殺されたら魔王は移り変わってしまう。魔王はこいつの中、逃げられないように閉じ込めておくのが正解だ。ずっとずっと、こいつには生きてもらう。死なない程度に、かろうじて生きてもらう」


 そう語るリンクの瞳は、揺らがない。確固たる意志を持っているのはわかった。


「だとしても――」

「なんだ? これが一番正しい選択だろうが。こいつは殺しても意味がない。むしろ殺してしまえば次の魔王が追えなくなって、状況は悪化する。かといって無傷で生き延びさせるのも癪に障る。理屈と感情の折り合いが、この半殺しなんだよ」

「……」


 言っていることはその通り。

 何も反論することはないように思える。

 実際、ぼろ雑巾のようなアイビーを見て、溜飲が下がる自分もいた。


 けれどスカビオサの頭は痛んでしまうのだった。





「あはは。やるようになったじゃないですか」


 嘲笑と共に部屋に入ってきたのは、マーガレット。背後には五人のお供を引き連れていた。


「ようやく来たと思ったら、護衛が勢揃いじゃないか」

「当然です。私はこの場でそいつを殺しに来たのですから」


 マーガレットはアイビーを睨みつけた。

 彼女が手を挙げると、背後の五人が霊装を展開する。いずれもアイビーに狙いを定めて、主の命令を待っていた。


「一晩考えました。しかし、私の結論は変わらない。そいつは殺すべきです。そいつがのうのうと生きていることは、あり得ない。赦せない」


 そんな折、リンクが大きなため息を吐いた。


「おまえはばかだなあ、マーガレット。何度説明させれば気が済むんだ」

「……言葉に気をつけてくださいよ。今の私に貴方の冗談を聞いている余裕はありません。邪魔をするなら、貴方もここで殺します。そこの魔王とは随分と仲が良かったようですし」

「こいつが魔王だとわかるまでの話な。こいつを殺しても次の魔王が生まれるだけだぞ」

「それでも、殺します。魔王を殺さない限り、この世界は終わらない」


「ったく、これだから馬鹿は困る。なあ、スカビオサ」


 水を向けられ、スカビオサは返答に困った。

 こいつ、何を考えている。


「どいつもこいつも、馬鹿ばかりだ。魔王を殺せばこのトキノオリは壊れる? 誰が言ったんだ、そんなこと。こいつが言っただけだろうが。なんで事の張本人である魔王の言ったことを信じてるんだ」

「嘘だとしても、殺さない理由はありません」

「話が通じないな」


 リンクは再びため息をつくと、アイビーの腹部に蹴りを見舞った。どすん、という鈍い音は、決して手加減しているようには聞こえなかった。アイビーの細い身体は軽々しく吹き飛び、壁に激突する。


「これは殺されるのを望んでるんだぜ? だって死ねば俺からは逃げられるからな。おまえは魔王の望みを叶えてやりたいのか?」


 マーガレットもその剣幕には怯んでいた。


「貴方、何をして……」


 リンクはアイビーに近づいていって、その髪を掴んだ。「いっ――」顔をしかめるアイビーに構わず、元居た場所にひきずっていって、彼女の顔を床に叩きつける。


「――俺を騙した罪は重い。死なない程度にいたぶって、償ってもらわないとなあ」


 その瞳は真っ黒だった。


 スカビオサは息を飲んだ。

 隣でマーガレットも息を飲んでいた。


 アイビーの顔面はリンクの手によって、何度も何度も床に叩きつけられていく。大きな音が鳴って、顔が歪んでいって、鼻血が飛び散って、反面、うめき声や痙攣などのアイビーからの反応は段々と薄くなっていく。


「だ、大丈夫なんですか……」


 マーガレットの小さな呟きは、加害者と被害者、どちらに向けられたものかもわからなかった。


「優しいねえ、マーガレットさんよお。殺すってことは、こいつを地獄の苦しみから救ってあげるつもりなのか。死は救済ってやつか、流石は聖女様だ」

「……なんですか。可哀想だから救ってやれと、そういう場面を作ってるんですか?」

「違うんだよなあ。いい加減わかれ、馬鹿野郎」


 リンクは手を離すと、再びアイビーを蹴り飛ばす。アイビーの身体はスカビオサとマーガレットの眼前に転がった。


「こいつには殺す価値も生かす価値もないんだ」

「……」


 ぼろ雑巾みたいな魔王。

 身じろぎ一つしなかった。


「こんなやつに何ができる。死んだら回復されて、生きていても邪魔でしかない。だったら、生と死の境目、この状態で管理するのが正解だ」

「貴方はこの状態で魔王を管理すると言いたいの? 殺さず生かさず、留めておくと」

「おまえは賢くて助かるよ、スカビオサ」


 リンクに笑いかけられたが、スカビオサは眉間にしわを寄せた。


 リンクは本当にアイビーに対して憎しみを顕にしているのだろうか。真っ青な顔でアイビーを抱えていたのは昨日のこと。記憶に新しい。一晩で考えが変わったのだろうか。信じていた者に裏切られたと考えれば、変わり身もわからなくはないけれど。

 近くで見るとアイビーの怪我は本物であることがわかる。本当に切り刻まれているし、顔を殴打されている。演技や虚飾の枠を越えている。親しい人をここまで痛めつけられるだろうか。


 いや、否定するまでもない。瀕死まで痛めつけている以上、リンクは本気だ。

 リンクは、道を定めたようだった。


 ――私は、どうしたいんだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] その手は考えつかなかったな...w 個人的にやはりこの半年で一番の当たりですねこの作品は [気になる点] これで対スカビオサ戦の時のフォールアウト二本も裏切られた前のことにして一応説明でき…
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