88. マオウの独白
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『私に任せてくれたまえよ。この、リュカン・デュランダルに。世界を回ってみても、私以上に優れた人間はいないだろう。聖女様の騎士としては、適任だよ』
その言葉を聞いて、ミュールは反応に迷った。結局、興が冷めても仕方がないと思って、笑顔を作っておいた。
聖女の霊装が起動して、何回かが経った。
自分で試行錯誤しながら魔物と戦ってわかったのは、今回の魔物の襲来は過去よりも対処が難しそうだということ。人間の暮らす場所をあっという間に覆う数量と速度は、過去の経験をそのまま生かしただけでは攻略できなかった。
協力が必要なのは間違いがない。人生を繰り返すことで、現実の理解はある程度進めている。
この世界の中で、最も優秀な人間はこの男――リュカン・デュランダルだった。四聖剣であるデュランダルを手にし、本人も努力を怠らない。周りに人が多く集まる人望もあり、性格に裏表もない、おまけに器量もいい。何の文句もない、偉丈夫だった。
『ああ、聖女様! その御声を私に届けてくださり、感謝に耐えません。私は選ばれるに足る人物だったというわけだ。過去に刻まれし歴史、そこに私の名も刻まれると思うと、歓喜に沸く!』
過剰な演出がたまに傷だったが。
彼であれば、人類を率いて魔物を討伐することも不可能ではないと思っていた。事実、王子たちを巻き込み、人類の行く先を魔王討伐へと舵を切った。頼れる男の背中に誰もがついていった。
普通の人間は、ついていった。そう、注釈をつける必要があるだろうか。
自信満々の大男の顔が曇ってきたのは、何回目だっただろうか。
『……シレネ・アロンダイトは何故私の言う事に従わない……。単独行動をするな、後ろを振り返れと何度も言っているのに』
リュカンの言葉は、彼未満の人間には届いた。彼を支持する多くの人間を動かした。
けれど、同じ立場の人間を動かすのには苦慮していた。彼は誰よりも強く、誰よりも自信に満ち溢れていたが、それゆえに相手の気持ちを理解できないきらいがあった。相手との会話はいつだって宣言であった。
思うようにいかなくなってから、リュカンの眉間にはしわが刻まれるようになった。自信に溢れていた背中が、段々と小さくなっていくようにも思えた。
『スカビオサ・エクスカリバーはどうしてあそこまで消極的なのだ。もっと前に進まないといけないというのに、これだから競争もない温室で育った人間は駄目なのだ。
プリムラ・アスカロンはなぜ他の者と協力をしない。どうして他人の価値を勝手に決めつける。どうでもいいやつだと割り切って、目の前で人が死ぬのをどうして助けないのだ』
今世の四聖剣は、ばらばらだった。
四人の英傑は、決して交わることはなかった。
ミュールが動いても、彼らの思いが変わることもなかった。
ミュールは二人目を用意するとリュカンに伝えた。協力者が増えることで歴史に介入できる人が増え、それだけ未来予想図が煩雑になってしまうが仕方がない。四聖剣の他の誰かが協力すれば、状況は間違いなく好転する。
スカビオサが適任だ。シレネは倫理感が破綻しているし、プリムラは価値観が壊れている。スカビオサであれば、話せばわかってくれる。少し消極的だが、それは何度も繰り返すことで矯正されていくだろう。
『私が無能だと、そう言いたいのか』
ミュールが人選を間違えたとすれば、偏に、リュカンの自尊心の高さを読み間違えたことである。
彼は挫折を知らなかった。大きな失敗もない、順風満帆な人生だった。絶望を乗り越える力を有していなかった。何度も何度も繰り返したことで、その精神は大きく摩耗していた。他の者の介入は彼にとどめを刺した。
自分ではできないと悟って、彼は死を選んだ。
自分にはできないという未来が怖くて、自分のせいで世界が崩壊するという結果が嫌で、魔の森で幾度となく殺される明日に絶望して、死に逃げ込んだ。
――人は簡単に死ぬんだな。
リュカンの遺体を見下ろして、ミュールは漠然とそう思った。
ミュールには使命がある。この記憶を受け継いだからには、世界を救わないといけない。諦めるも挫折するもない。ただ、やるだけ。
だけど、彼はそうではなかった。
度重なる死の先に絶対はなかった。彼にとっては、死を選ぶ方が簡単だった。
ミュールは悟る。
記憶にあっても、実際に経験するのとは違う。
――人は、脆いんだ。
このトキノオリは、普通の人間に耐えられるものではない。繰り返しの中、頭を過る恐怖に、繰り返す死の絶望に、人は太刀打ちすることができない。
このままでは、他の協力者を募っても、同じことになる。
誰も、生き残ってはくれない。
とりあえず、ミュールは自分の命を断つことにした。
この人を選んだのは、自分だ。この人を”殺した”のは、自分だ。
そんな中、自分だけのうのうと生きているのは、違う。聖女として死ぬ事はありえないが、ミュールとして生きていくのは間違っている。
ごめんなさい。
リュカンの死体に謝罪して、
贖罪のまま、彼女は首を切り落とした。
◆
『どうして!? アイビー! 私たち、友達だったじゃない!』
怒号。
それを聞いて少しだけ嬉しくなる。
来てくれた。私のところに。
がむしゃらに、一心不乱に、私に向かって、激情を飛ばしてくれる。
『これを、貴方がやったんだ。なんで、なんで、なんで!』
魔物に喰われた死体の山を見て、まだ何も知らないスカビオサは叫んでいた。一人で聖剣を掴む彼女は、唇を深く噛み締めていた。大粒の涙を流して同じ学び舎で育った自分を睨みつけていた。
『最初からこうするつもりだったの? 貴方は最初から魔王だったって言うの? 全部、騙してたんだ。皆をこうやって殺して、何が楽しいんだよ……。良くしてくれた人だっていたでしょう』
スカビオサは泣く。
泣く。
泣いて、
激昂した。
『私のことを、裏切ったな!!』
裏切ってなどいない。
最初から、裏切ってなんかいない。
だって別に、貴方のことなんかどうとも思っていなかったんだもの。
スカビオサの刃が、自分を貫いた。
――貴方が、二人目だ。
リュカンのことをなかったことにするのは、違う気がした。だから、魔王として人の前に立ったのは初めてだったけれど、彼女を二人目と称した。
スカビオサの瞳はぎらぎらと黒く輝いている。
ああ、この眼なら、簡単に折れはしない。
彼女は、このトキノオリの中を生き残ってくれる。
挫折する過去が、絶望する状況が、今までなかったというのなら、作ってあげればいい。用意してあげればいい。骨の一本ですら這いずり回って、私を殺しに来る化け物を作ってあげればいい。
ごめんね。
私を恨んでね。
――そして、また、殺しに来てね。
/
『見つけたよ、アイビー』
そうして、スカビオサは自分の眼前に現れるようになった。
まだ幼く、学園に入る前。新しい過去が始まってすぐ、王都から離れた街の中で、十字架のような剣――エクスカリバーを握ったスカビオサが、立っている。
もう何度目かわからない。
真っ黒な瞳は色んな感情が入り混じり、人間のものとは呼び難いものであった。
『もう、何回目? まだ、殺されたりないの? なんでこの世界は終わらないの? 何度も何度も何度も殺してるのに、なんで!? 何をすればいいの!?』
絶望しきった顔で、叫んでいた。
――魔王は一つじゃないからだよ。
だから貴方は、何度でも魔物に立ち向かわないといけないの。
私だけじゃない。奥にいる、魔王を殺さないといけないんだよ。
貴方に、できるかな。
『あああああああああああああああああ! 殺してやる! その憎たらしい顔が見せられなくなるくらいに、何度だって、殺してやる!』
エクスカリバーが胸に突き立てられる。
そのたびに痛みと共に、嬉しさが生まれるのだ。
ああ、まだ彼女はここにいてくれる。魔物を殺すために、尽力してくれる。
◆
そうして目を覚ますと、自分はネメシアになっていた。
聖女の記憶があるからといって、別に、人格が変わるわけではない。記憶がすとんと降りてくるような感じ。私は聖女だった、という事実を思い出す。それによってある程度の意識の変革はあるけれど。
『相変わらず辛気臭い顔してますね』
ネメシアはあまり社交的な性格ではない。霊装使いとして学園に通ってはいるが、友人もそう多くはなかった。
そんな中でも、マーガレット・フィンだけはしきりに話しかけてくる。
追い払おうとも、世話好きで優しい彼女はなんだかんだとついてくるのだ。
『私はここにいる全員に満足行く人生を送ってほしいんです。悩める人や、挫ける人がいないように、手を差し伸べていきたいんです。それが私の夢であり、使命ですから』
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『……貴方が悪いんですからね。貴方が魔王だから、いけないんです』
業火の中、マーガレットは虚ろな顔で呟いていた。
そこにすでに、過去の元気な彼女はいなかった。
絶望を知った、少女になっていた。
『ようやく魔王のところにたどり着いたかと思ったら、相手が貴方だったとは。滑稽ですね。私は人類の敵に手を差し伸べていたなんて』
マーガレットの霊装から、容赦なく焔が巻き起こる。
ネメシアの皮膚は燃え爛れ、肺と喉は高温で焼き切れた。言葉も行動も許されない業火の中で、されど、満足感があった。
そう、殺しに来ている段階なら大丈夫。
怨嗟を持っているなら、大丈夫。
その感情が、貴方を支える。
あとは早く、魔物を殺しきってほしい。
◆
まだ、足りない。
いや、足りすぎた。
スカビオサもマーガレットも優秀であったことに間違いはない。人選に間違いはない。そして、絶望の過去を与えたことで、リュカンのように死にゆくこともなくなった。
だが、ずれていく。
少し前まで魔王を殺すと息巻いていた二人の意識が、崩れていく。
スカビオサは自身の強化に余念がない。魔王を殺すことと自分が強くなることとの違いがわからなくなってしまっている。周りの人間を殺して霊装を奪うのではなく、協力して一緒に立ち向かうべきなのに。
マーガレットは恐怖に押しつぶされてしまった。死の感触が怖すぎるあまり、魔物を殺すことを放棄した。人類の数が一定数になるのを待つために、自分の守りだけを固めるようになった。
違う。
違う。
貴方たちがやるべきことは、そっちじゃない。
早く、もっと、私を殺しに来てくれないと。
と、気づく。
自分も、ずれていることに。
なんで私は、殺されようとしてるんだっけ?
殺されると安心するけれど、なんでだっけ。
目的と過程が乖離して、手に負えない。
私がもっとしっかりしないと。聖女として、人類をまとめ上げないと。
けれど、自分は記憶を持っているだけの人間だ。図書館を与えられただけの人間。その膨大な知識をどう使うかは、結局は当人に依る。
他に優秀な人間を引き入れないと。誰でもいいというわけではない。このトキノオリを魔物を倒すためだけに使ってくれる人間。魔物を殺してくれる英雄。
いくつかの種を撒いて、魔の森の最奥で待つ。
ハナズオウは、空を扇いで待つ。
『おまえが魔王か』
そうして、貴方が現れる。




