84. 佇むサンニン
「……どうして殺さないの?」
扉の方を見る。
いつの間にか、その扉は開いていた。
三つの顔が俺と、腕の中のアイビーを見つめている。
真っ青な顔のレドと、真っ白な顔のスカビオサ、真っ赤な顔のマーガレットが立っていた。
三者三様の顔つきを見せている中、マーガレットが声を発した。
「……やっぱり、そいつが魔王だったんですね。おかしいと思ったんですよ。私の……いえ、それはどうでもいいです。早く、早く殺してくださいよ。それが魔王です。移動するナイフの霊装を有している、魔王ですよ。私の首をかき切ろうとしたでしょう!」
マーガレットにあるのは憤慨だった。
「……なるほど。貴方が匿っていたんだ。生かしていたんだ。だから、ネメシアもハナズオウも魔王として生きていなかった。魔王は、アイビー・ヘデラで止まっていたんだ。私が送ったアステラを、貴方が止めたんだ。……だからアステラは今は元気で騎士団にいるんだね。アイビー・ヘデラを殺さなかったから」
スカビオサは三人の中では比較的冷静に現状把握に努めている。
「どういうことだ、リンク。なんでアイビーが死にかけていて、こいつらが変なことを言ってるんだ。おまえは何をして、アイビーが何者で、こいつらは何をしに来たんだ。全部、説明しろ……。早く!」
レドもレドで、必死だった。
スカビオサとマーガレット、二人がアイビーに向けて殺気を飛ばしているのだから当然と言えば当然か。
彼らの声が遠い。
冷静に思考を続ける自分すら、遠い。
「そこまでやったんです。貴方だって魔王だと知らなかった被害者です。今ならまだ、被害者でいられます。早く殺してください。早く!!」
「早く殺して。できないのなら私がやる。私が直接やるべきだった。手なりは駄目だね。やっぱり全部自分でやらないといけない」
「早く、早く答えろ――、リンク!」
スカビオサが霊装エクスカリバーを引き抜いてとびかかってくるのと、レドが間に入ってその剣を斧で受けるのとは同時だった。
「――ち」
「レド・マーフィ。退いて。ここは貴方と争っている場合じゃない。言ったでしょう? これが、魔王なの。私たちの世界をめちゃくちゃにする、悪の根源なんだよ」
「知らねえよ。これは、アイビーだ。俺たちの仲間なんだよ!」
「……聞き分けのない子は殺しちゃうよ」
スカビオサのエクスカリバーを持つ手とは逆の手に、槍が握られる。スカビオサが複数の霊装を使用すれば、レドが勝てるわけがない。
どうしたいんだ。
俺は、どうしたいんだ。
何をすれば、俺なんだ。
「何してんだ、リンク! 早くアイビーをつれて逃げろ!」
「……」
「何悩んでんだよ。アイビーが言ったんだよ! 俺に、おまえの味方をしろって! 何があっても、リンクの力になれって! アイビーは、いつだって、おまえの味方だっただろうが! 積み重なってきた関係が、あるだろうがよ!」
俺は――!!!
かぶりを振ると、アロンダイトを手にして、眼前の壁に衝撃波をぶつけた。壁が砕け、穴が空く。そこから外に飛び出した。
アイビーを抱えて。
「何をしてるんですか!」
地面に着地して走り出すと、マーガレットが同様に飛び降りて、ついてきた。
「うるせえ! 俺だってわかんねえよ!」
わからないことしかない。
でも、わからないまま、激情のままに行動するのはもう嫌だった。
俺の震える両手は、愛する人を殺すためにあるわけじゃない。
「わかるでしょうが! それが、諸悪の根源なんです。それを殺すだけで、人類は一歩踏み出せるんでしょうが! 貴方はその邪魔をしてるんですよ!」
そうなのだろうか。
そんなに簡単なんだろうか。
レドの言う通り、アイビーはいつだって、俺の味方をしてくれていた。魔王を倒すと言ったときだって、とても嬉しそうで。嬉々として俺のやろうとしていることに協力してくれて。当然、演技だった可能性もある。俺をただ、嘲笑いたいだけだったのかもしれない。
でも。
今まで一緒にいて、アイビーの行動を見て、俺は、そう簡単に判断できない。判断しちゃ、いけなかったんだ。
口はいつだって嘘を吐く。
でも、行動は嘘に縛られはしない。
「馬鹿ですね! 大馬鹿です! そもそもそいつは私を殺そうとしました! あれは冗談じゃなかった! 私は聖女ですよ! その時点で、人間に敵対する存在でしょう!」
思い出せ。
思い出せ、思い出せ。
アイビーは何て言ってこいつの首にナイフを当てた?
――”今の貴方”は邪魔なの。邪魔をする貴方はいらない。
あの時、マーガレットは、マリーを王女にと推挙する俺の邪魔をしようとしていた。マリーを殺して、王子たちの機嫌を買おうとしていた。俺の行動に反対していたんだ。
それをアイビーは諫めた。
どうして?
アイビーには何らかの目的があったんだ。
それは、少なくとも、この瞬間に俺たちを嘲笑いたいといった理由じゃないだろう。
アイビーを抱えながらでは、流石に全力疾走ができない。マーガレット相手でも、分が悪かった。マーガレットの姿がすぐ背後に迫っている。
「貴方は魔王を殺そうとしていたんでしょう。その魔王を手に抱えているのは、大きな矛盾ではありませんか? 何度でも言います。それを離してください!」
「駄目だ」
「なんでですか!?」
「俺はこいつと、まだ話していないからだ」
本当のアイビーと。
アイビーの本心と。
嘘つき同士の下らないじゃれ合いはあった。
でも、俺は最後に謝ったアイビーとは、まだ話していないんだ。
「……どうしても、ですか」
「ああ。絶対だ」
「……。あーあ。もう、どうしようもないですね。
――貴方のせいですからね。それは、死ななければいけない存在なんです。邪魔をすれば貴方も同罪です。死をもって償いなさい」
マーガレットの声が低くなった。
脅しのつもりだろうが、別に彼女自身は何も怖くない。護衛の人間も周りにはいないし、そもそもここは学園の中だ。マーガレットがどう入り込んだのかは知らないが、勝手気ままに入り込める施設ではない。マーガレットがたった一人で何ができる。
いや、待て。
本当に、マーガレットは怖い存在ではないのか?
振り返る。
目の座ったマーガレットは、眠ったきりのアイビーを睨みつけている。
俺は、マーガレットのこんな顔を前にも見なかったか? あれは教会内でマーガレットと対峙した時。マーガレットがアイビーに斬り付けられて、床に倒れこんだ瞬間。その時はマリーを、こんな表情で睨みつけていた。
そして、その時、アイビーはそれを諫めた。
――それをしたら、最も凄惨な方法で殺してやるから。
そんなことを言っていた。
アイビーは、
なんで止められたのか。
そして、何を止めたのか。
どっちだ。
俺は何を信じたらいい。
信じたいのは――
信じるべきなのは――
俺はアロンダイトを手にすると、即座に叫んだ。
「破天!」
「フレイムヘイズ!」
俺とマーガレットの声は同時だった。
マーガレットの手に水晶が現れると、そこから業火が一気に噴き出して、俺とアイビーに襲い掛かる。その焔は、同時に発生させた俺の衝撃波によって霧散した。
宵闇を焔が照らして、心臓が早鐘を打つ。
反応が少しでも遅れていたら、俺とアイビーは黒焦げだった。
「お、まえ、霊装使いだったのか」
「……よおく考えてくださいね。なんで貴方が私の攻撃を回避できたのか。私はこの霊装を、一周目以外では見せていません。この霊装の存在を知っているのは、一人目、二人目、そして、眼前でこれを受け止めた、魔王だけ。貴方が今抱きしめているのが魔王だから、あの時だって止められたというわけです。つまり、そこにいるのは、間違いなく魔王なんです。わかりましたか」
あの時アイビーが止めたのは、この霊装だったのか。アイビーがいなかったら、マリーは丸焦げだった。
なんで、止めたんだ。
俺を嘲笑うなら、マリーが燃えた瞬間だって、楽しく嗤えただろうに。
全部、逆じゃないか。言っていることと、行動が。
ぐわんぐわんと唸る脳内。
「私は聖女です。そう、世間では認められています。それを殺そうだなんて、許されることではりません。早く、早く、手遅れになる前に早く――殺してよ!」
マーガレットの握りしめる水晶から、高温の焔が立ち上がる。それはある程度マーガレットの思いのままに動くようで、俺たちに向かって差し迫ってくる。
再度、アロンダイトの衝撃波を発するが、量が多い。吹き飛ばしたところから次の焔が飛来してくる。
「くそ」
後退するが、当然、マーガレットは追ってくる。
「死ね、死ね死ね死ね死ね! 私をこんなところに閉じ込めた悪魔は、燃え尽きろ!」
このフレイムヘイズという霊装、中々に火力が高い。マーガレットがどうして魔王のところまでたどり着けたのか、味方に恵まれたものだとばかり思っていたが、本人も武闘派だったようだ。この霊装を隠しきったところに、彼女の恐ろしさを垣間見た。
アロンダイトの二つ目の能力、離天を使用する。マーガレットの片手に剣を移し、衝撃波を発する。――が、それはマーガレットに読まれていたようだ。即座にアロンダイトを背後に放り投げると、むしろ衝撃波を推進力に変えて、一気に距離を詰めてきた。
「知ってますよ、その霊装は。私に二度、同じ手が使えるとは思わないことです」
「おまえ――っ」
「魔王を匿うなんて、同罪です。次の世界では、もう少し賢くなりましょうね」
焔が迫ってくる。
俺だけならデュランダルの身体強化でも、フォールアウトでの回避でも容易なんだが、いかんせん人を抱えていると、そうもいかない。
次善の策として、俺はアイビーを背後に放り投げた。草の上だし、致命傷にはならないだろう。
身体強化を可能にするデュランダルを手にして、飛来する炎を身体で受け止める。
「あっつ……」
「業火を身に受けてそれだけで済むのだから、四聖剣というのは恐ろしいですね」
そう思うのなら炎を止めてくれ。だが、炎に包まれる俺を見ても、マーガレットは攻撃の手を緩めようとはしなかった。
そっちがその気なら、俺だって対抗手段をとる。
焔の中、マーガレットの両手を掴んで、その場に押し倒した。マーガレットに馬乗りになる。霊装以外であれば、ただの少女だ。組み伏せるのは容易だった。
「く、離してください! 燃やしますよ!」
「もう燃えてんだよ」
俺は無事だが、俺の服は無事じゃない。それに、痛みは存在している。
「熱いからやめてくれよ」
「やめませんよ! 貴方を殺して、そこの魔王も――」
俺はデュランダルを握った手とは逆の手で、マーガレットの頬を殴りつけた。
ばき、と鈍い音がする。
「いたっ……」
「じゃあ、どっちの根気が上か、勝負しようか。燃やされる俺が負けるか、殴られるおまえが負けるか」
マーガレットの顔が予想通り、真っ青になった。
「ひぃ……、なんで、私の方が正しいのに。私は間違ったことをしていないのに。自分が何をしてるかわかってるんですか?」
「わかってはない」
正直、脳内は混乱しっぱなしだ。ぐちゃぐちゃですぐにでも放り出して忘れてしまいたい。
でも、アイビーは命をかけた。
理由は判然としないが、俺に”殺されること”すら望んでいたように思える。
だったら、俺も命を賭ける。命をかけて、アイビーと話す。その道を邪魔するのなら、全員敵だ。
「ばかばかばかばか!」
「おまえはいつもうるさいな」
俺が再び腕を振り上げると、マーガレットは「ひいぃ」と嗚咽を漏らして、目を閉じた。
「何をしてるの?」
そこに、スカビオサがやってくる。
十字架――エクスカリバーを地面に引きずって、まるで死神の様に見えた。
「……レドはどうした」
「ぐっすり眠ってる。私に勝てるわけがない」
「そうか」
正直、レドには悪いが、スカビオサとレドでは力関係に差がありすぎる。それこそ、スカビオサが無傷でレドを昏倒させるくらいには。
さて、どうする。
流石にスカビオサとマーガレットを相手にアイビーを守るのは、不可能に近い。
次の世界に繋ぐか――いや、人生は一度きりだ。次があると思うなよ。
「す、スカビオサ! そこに魔王が寝ています。早くその剣を突き立ててください!」
援軍見たり、声を張り上げるマーガレット。
くそ、くそ、くそ!
「やめろ、スカビオサ! ここでアイビーを殺せば、何も進まないぞ! こいつは魔王だけど、俺たちの思ってる魔王じゃない!」
「ふざけたこと言わないでください! 私たちはこいつのせいでただただ無為に生きる世界に閉じ込められたんですよ! 早く殺して償わせるべきです」
「違う! 何か理由があったんだ」
「理由なんかありませんよ! それに、あるのなら、最初から説明するべきです。何も言わずに私たちの前に立ちふさがってる時点で、殺されても仕方ないんですよ!」
「何か理由があるんだよ!」
「だから――そんなもの無いって言ってるでしょう!」
「……ふむ」
スカビオサは俺たち二人の無意味な言い争いを聞くと、聖剣をかき消した。何度か首肯を繰り返して、判決を下す。
「今回はリンクに従うことにする。そういう約束だった」
正直、驚いた。
スカビオサがここまで忠実に約束を守ってくれるとは。
「は、はあ? 貴方何言ってるんですか? 貴方が一番の被害者でしょう。こいつに直接、この檻の中に閉じ込められたんでしょう?」
「それはそう」
「だったら、殺すべきでしょうが!」
激昂のマーガレットに反して、スカビオサの目は落ち着いていた。
「殺しても意味がないことは、すでにわかってる。直接殺したことだって何回もある。それこそ、拷問をして地獄の苦しみを与えたこともある。けれどこいつは、へらへらと笑っていただけだった。何も意味がない」
「……だから、なんですか」
「魔王がリンクに何かの意志を残しているのなら、それを聞いてからでも遅くはない」
「ありえないありえないありえない」
「これ以上やるのなら、私はリンクの側につく。別の景色が見れるかもしれない。マーガレットも死にたくはないでしょう?」
「……後悔しますよ」
諦めたのか、マーガレットの手から霊装が消えた。俺は羽交い絞めを解く。当然、アイビーとの間には入って、不意打ちをされないようにしながら。
「ありがとう、スカビオサ」
「聞き出せなかったら意味がない。未来に進むための情報を得ること。それが貴方に課せられた使命。できなかったら、この魔王は殺す。流石にそれ以上は擁護できない」
「わかってる」
案外、スカビオサはまともな感性を有していた。
いや、スカビオサもマーガレットも、元はまともだったのだろう。この周回のせいで、人格や感性が歪められてしまっただけで。
――元はまとも。そして、二人とも強大な霊装を持っている。
なんで魔王は、アイビーは、この二人を選んだのだろう。嘲笑うため? いや、もうその考えは捨てよう。もっと理論的に、”打算的に”。俺だったら、どうしてこの二人を選ぶ?
四聖剣を持ち、家柄も良く、権力も有しているスカビオサ。
教会の生まれで求心力があり、強大な霊装を持つマーガレット。
魔王の元、魔の森の奥にたどり着いた二人を、どうして選んだのか。
俺だったら、理屈的に考えれば、”戦力として”見る。彼女たちだからできることがあるから、手を差し伸べる。
すべて、逆だとしたら。
途端、背筋を悪寒が撫でていった。
「……そもそも、魔王ってなんだよ」
「魔物の王でしょうが」
マーガレットはそっぽを向きながらも、反応してくれた。
「そうだよな。そう考える。でも――」
思いだせ。
思いだせ。
思いだせ。
死の淵、死にかけの俺の最後の記憶。魔王に剣を突き立てて、地面に転がったとき。目の前で魔王も転がった。じりじりと迫る魔物たち。その時、何か違和感はなかったか。
いや、あったはずだ。
魔物たちは――魔王を、喰っていた。
「……全部、逆なのかもしれない」
「どういうこと?」
「いや、わからない。あくまで俺の推測だ」
組みあがっていく。
パズルのように、今までの事象に一本の線が通る。
なんでアイビーは俺と行動を共にして、全力で手助けしてくれたのか。
なんで魔王は俺たちをこの世界に閉じ込めたのか。
なんで魔王なんて存在がいるのか。
全部、前提を覆すと、理由が立つ。
「後は俺に任せてくれないか。アイビーから、話を聞く」
「私は構わない。前に進める材料を集めてくれるのなら」
「……もう、どっちもでいいですよ。今回はおしまいです」
二人とも、考え方は真逆だが、頷いてくれた。




