83. 嘘つきフタリ
何も出てこなかった。
俺からは、何も出ていかない。
「そっか。スカビオサから聞いちゃったんだ。なんでスカビオサが私を狙ったのか、なんで私の霊装を見て驚いていたか。私が彼女をこの世界に閉じ込めたんだもの、スカビオサは色々と知ってるもんね。それにしても、時間がかかったねえ」
にやにやと、アイビーは嗤う。
ただただ立ち尽くす俺に、言葉の刃を突き立てる。
「遅いよ、リンク。何年も遅い。私が普通じゃないことなんてわかりきっていたでしょう? 私が魔王だって気が付く場所なんか沢山あったでしょう? ヒントだって沢山出してあげたのに。どうしてそれを見て見ぬ振りをしてきたの?」
アイビーが普通の女の子ではないことはわかっていた。時折見せる理性的な目もそうだし、仕事でも人間関係も、誰よりも優秀だった。先がわかっているかのように、巧みに動いていたことも知っている。
でもそれが、なんて、わかりようがない。
俺は徹頭徹尾、アイビーを疑いもしていなかった。
「浅ましいなあ。だっさいなあ」
「……なんで」
絞り出た声は、そんなものだった。
俺は、そんなものだった。
「魔の森の奥でも言ったじゃん。貴方の絶望した顔を見せて、って。そう、――その顔が見たかったんだよ」
アイビーの口角が歪む。
俺の視界も、歪んだ。
感覚も、歪んだ。
ドン、と大きな音が鳴った。
自分で自分の身体が制御できていない。操られるように、激情のままに、俺はアイビーの首根っこを掴んで壁に叩きつけていた。両足が宙に浮き、「ぐ……」苦しそうに顔を歪めるアイビー。
「あ、はは。リンクってそんな顔もするんだ」
「楽しかったか? 俺が無様に足掻くさまを隣で見てきて。わざわざすぐ隣にいることを選んで、俺ができもしない魔王討伐に奔走しているのを見るのは、ご満悦だったのか?」
「うん。楽しかったよ。とってもね」
俺は霊装ティアクラウンを召喚した。頭に乗せて、アイビーの目を覗く。
「”嘘をつくなよ”」
「はは。そんな霊装使わなくなったって、もう嘘なんかつかないよ。ここまでバレちゃったら意味がないもん」
「おまえは、魔王なのか?」
「何度も言ってるじゃん。”私は魔王だよ”」
嘘ではない。
嘘ではない。
嘘では、ない。
内臓がぎりぎりと音を立てて、脳がみしみしと軋んだ。
「おまえは俺をこの世界に閉じ込めた。この、時の檻に」
「そうだよ」
「それは、俺を嗤うためか」
「嘘じゃないね。私は笑おうと思ってた」
「今までの行動は、ただただ、おまえの自己満足のためのものなのか? 本当に、俺を馬鹿にしたいだけの行動なのか?」
「そうだよ。ぜーんぶ、私の自己満足」
「じゃあ全部全部、
ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ、嘘だったってのか!
魔王を殺そうとしていた俺たちに協力したのも、楽しそうに俺たちと過ごしたのも、全部おまえの下らない娯楽のためにやったってのかよ!」
「あはは! 馬鹿みたい。何度も言ってるのに。何度だって言ってあげるよ。そうだよ。そうなんだよ! 私はただ、笑うために、隣にいたに過ぎない。みんなと一緒にいるのは、本当に楽しい日々だったよ!」
「……嘘をつくなよ」
「嘘じゃないって、何度言えばわかるの? その頭の王冠はただの飾り? いやだいやだって、赤ん坊? 何度も言ってるでしょ、そうだって。私の目的のために、足蹴にしただけなんだよ」
首を締める力が知らず、強くなる。「ぐぅ……」なんて、アイビーの喉から不明瞭な嗚咽が漏れる。
「抵抗しないのか?」
「……もう、ひつようが、ないからね」
「――ああ。おまえは死んでも別の人間になるだけだったか。次はハナズオウの身体に入り込むのか?」
アイビーの目は一度瞬いて、「色々と話ができてよかったみたいだね」
「その通り。私は、いや、正確には、私の記憶は、永遠と引き継がれていく。死んだら、次の継承者へと移り行く。私が死ぬことはない」
それはまるで、霊装のようだった。
血を遡って、次の継承先を探す。
「じゃあ、おまえを殺してハナズオウを殺して――」
「それで、どうするの? 次は誰を殺すの?」
「――っ! 答えろ! おまえは誰になるんだよ! どこまでが、おまえなんだよ!」
「教えるわけないじゃん」
アイビーの顔が歪んだ。
「そう、リンクはね、これから、永遠と私を探し続けるんだ。何度も何度も何度も何度も魔物に挑んでいって、最奥にいる私を、殺しに来るんだよ。私が誰かもどれかもわからない、永遠の道。その地獄にも似た道を、歩いていくんだ」
「決めつけんなよ」
「リンクはそうするよ。だってそれが唯一、世界を救う方法なんだよ」
身体中から変な音が鳴っている。
みしみしと崩れていきそうな俺を、憎しみの感情だけがなんとか保っている。憎しみの感情だけが、俺だった。
何に俺は怒ってるんだ。騙されたことか? 嘲笑われたことか? 裏切られたことか?
わからない。何がここまで、俺を苦しめるのか。
「……馬鹿みたい。何をそんなに哀しい顔をしているの? 私と一緒にいたのだって、打算なんでしょ。いつもそう言ってるじゃん。貴方らしくもない。さっさと私を殺せばいい。それが、打算ってやつでしょう?」
打算だなんて。
そんなもの、あってないようなものだ。
ただの理由付けに過ぎない。
掴みたい夢があって、説明しやすい様に後追いで取り付けた残りかすに過ぎない。
俺はいまだ、感覚のないままに彼女の首を締め付けている。意志もなく、未来もなく、ただただ感情の赴くままだアイビーの顔はすでに真っ白だった全然似ていないのに俺が剣を突き刺した時の魔王とそっくりだったその顔を、俺は滲んで良く見えなかった。
「俺は、俺は、俺は――」
「じこ、まんぞく、で、ひとをすくって、たのしかった?」
自己満足。
それはその通り。
俺は誰に頼まれたわけでもなく、人を救って満足感に浸っていた。魔王を殺そうと足掻いていた。俺が満足するために、俺を満足させるために。それが正義だと、勝手に決めつけて。
それでも、誰かのためになっていると信じていて。
俺の人生が無駄ではないと、感じられると思っていて。
アイビーの命を救ったこと。
それが俺の一番初めの成功で。
一番初めの、失敗だった。
俺は最初から間違えていたんだ。
「ばかだよ、リンクは」
「……知ってるさ。でも、おまえには、おまえだけには、言われたくなかった」
最初に出会った時、アイビーが俺を信じてくれて、一緒に歩いてくれて、どれほど力強かったか。俺の道は間違いじゃないと感じられて、どれほど助けられたか。俺は一人じゃないと、感じることができたんだ。
けれどあの時からアイビーはアイビーで。魔王は魔王のままで。
あれほどまでに殺したかった魔王はずっと、隣にいて。
俺は、ずっと、間違えて生きてきたんだ。
「わたしは、しなない。よおくおぼえておくことだね」
「また殺しに行く。おまえが魔王だっていうのなら、俺はおまえを何度でも殺して――」
「そっか」
最後に、アイビーは笑った気がした。
嘲笑うわけでもない、いつもと同じ笑顔に見えた。満足そうな、笑顔に見えた。
「よかった」
「……おい」
「……ごめんね」
その、最後の一言で我に返った。アイビーががくりと首を垂らしたところだった。
「なんで、謝るんだよ」
こいつは、魔王なんだ。
世界を滅ぼそうとしている、悪なんだ。
だから俺は、こいつを殺して正解なんだ。
人類のために、こいつは死なないといけないんだ。
俺が、助けてしまったのだから、俺が、殺さないといけないんだ。
なのに、どうして――
手を離すと、アイビーの身体は床に転がった。受け身も、身じろぎ一つしなかった。虚ろな目が、虚空を見つめていた。
「なんで、なにが、どうして」
何もわからない。
何が起こっているのか。
俺は間違いなく、前に進んでいたはずなのに。魔王を殺して世界を救う――その誰が見たって正しい道を進んでいたはずなのに。にっくき魔王を殺したはずなのに。
なんで、なんで、なんで、
こんなにも、
かつてないくらいに、
やり直したいだなんて、思うんだ。
何も考えられない俺の身体は、息をしなくなったアイビーの唇に口をつけて、空気を送り込んでいた。心臓をマッサージして、死んだ相手に手を伸ばそうとしていた。自分で殺したくせに。自分で何もわからないままに手を下したくせに。視界が歪んで何も見えない中で、ただただ眼前の敵の生存を願っていた。
服が邪魔だ。
俺は霊装フォールアウトを取り出した。それでアイビーの服を鳩尾のところから切り裂いて、素肌から直接心臓に刺激を与える。
ふと、フォールアウトを見つめる。古ぼけたナイフは、俺の手元にあった。
これは、所有者から俺への好意で成り立っている。
このナイフが使えるということは、アイビーは俺に好意を持っているということだ。抱かれても良いくらい、異性として、人間として、俺を愛してくれているということだ。
俺に殺されても。今も、なお。
「……なんで、なんだよ」
目を固く閉じたアイビーは、何も語ってはくれない。
フォールアウトが顕現できている以上、まだ死んではいない。けれど、このナイフが消えた途端が、死んでしまったということなのだろう。
「いやだいやだいやだ――」
餓鬼のように、子供のように、泣きじゃくる俺は、俺なのか。
自分でやった責任も取れないがきんちょのくせに、何をしているんだ。
取り返せないものがこの世には沢山あることを知っているはずなのに。人生は一回きりで、後悔に溢れていて、だからこそ一つ一つが大切だって、信じていたはずなのに。
「お願いだ、アイビー。教えてくれよ……」
こいつは魔王で、それは間違いがなくて。
でも、何か他のものを抱えていて。
真実は沢山あった。でも、それくらいに虚飾も混じっていて。
こいつもまた、嘘つきだった。
俺だって、嘘つきで。
――だから簡単に魔王を殺すなんて口にできたんだ。
そんな簡単な話じゃないのに。
魔王を殺すだけでいいのなら、誰だってできる。簡単に世界だって救われているだろうに。きっと世界はそんなに単純じゃない。このトキノオリに閉じ込められた人間たちは、それがわかって然るべきなのに。
俺は、君が魔王だったとしても、君をこんなにも愛しているのに。
嘘つきな俺は、結局正しい言葉一つ伝えられていなかった。
ただの、道化だった。
けほ、と。アイビーの身体が反応を見せた。
微弱だけれど、アイビーが息を吹き返した。俺の手形の残った首が小さく動き、小さな吐息を繰り返している。アイビーの霊装も、なくなってはいない。
なんとか、一つを越えた。
目に残った雫を拭う。
だけど、どうすればいいんだ。俺は、何を選択すればいいんだ。
俺はまだ、アイビーを殺すという選択ができない。
いや、もう、殺すという選択肢はなくなってしまった。
これからも、できる気がしなかった。
「……どうして殺さないの?」
扉の方を見る。
いつの間にか、その扉は開いていた。
三つの顔が俺と、腕の中のアイビーを見つめている。
真っ青な顔のレドと、真っ白な顔のスカビオサ、真っ赤な顔のマーガレットが立っていた。




