71.
教会の外に出て、アイビーと合流する。「どうしたの? 何があったの?」と聞いてくる彼女に状況を説明すると、苦い顔になった。
「誰も彼もが変なことを言って、うまいこといかないね」
「誰か一人協力してくれるだけで全然違うんだけどな。どいつもこいつも意味わからんこと言って……。詳細を確認するためにも本人に会ってくる」
「わかった。直接聞かないとわからないしね。私はどうすればいい?」
「学園の中の話だ。一旦待機しておいてくれ」
状況如何によっては説き伏せるための戦闘にも発展するだろう。その時は応援を頼むことになる。
「了解。じゃあ、リンクの部屋で待ってるね」
「ああ。見つからないようにな」
「今まで見つかったことないんだよ。余裕余裕」
「調子乗った時が一番危ないんだからな。気をつけろよ。じゃあ、そういうことで」
アイビーとの会話を終えて、俺は学園へと足を向ける。
のを、
「……あ、リンク」
アイビーの一言が止めた。振り返ると、いつになく不安そうな顔をしている彼女がいた。俺以上に自分の口から出た言葉に驚いていたようだった。
「どうした?」
「え、あ、なんというか……、スカビオサに会うんだよね?」
「そうだって言っただろ」
「そうだよね……」
「歯切れが悪いな。おまえもおまえで何だってんだ。何が不安なんだよ」
「え? 私、そんな顔してる?」
「ああ。初めて見た顔かもしれない」
いや、似たような顔は見たことがある。俺たちがまだ道場にいた頃、アステラの襲撃に備えるために一緒の布団で寝ていた時。その時も彼女はこんな顔をしていた。
逡巡と、恐怖と。前に進もうと思っているのに、足が縫い付けられているような状況、感情。
「何を心配してるか知らないが、気にするな。別にその場で戦闘なんてことにはならない。万が一それがあったとして、俺が負けると思うか? 俺の手元にはフォールアウトがあるんだぜ。逃げるなら簡単だ」
「ううん。私は最初っからリンクの強さは疑ってないよ」
「じゃあなんだよ」
「何でもないよ。なんとなく、声をかけたかっただけ」
いつものように、笑顔を作る。
「何があっても、いいんだよ。リンクの好きなようにしてね」
いつものような、言葉を出す。
それは聞き方によっては、どこか突き放すような言い方で。
なんとなく、アイビーの迷いは、俺に関係あるように思えた。しかし、それが何かは見当もつかない。そこまで言われると、逆に不安になるのだが。
「スカビオサについて、なんか知ってるのか?」
「ううん。会ったこともないからわからない」
「……じゃあなんなんだよ」
「だから何でもないって。何度も言ってるじゃん。ごめんね、呼び止めちゃって」
アイビーはこれ以上話すことはないといったように、背を向けた。
正直、かなり気になる。でもアイビーが何でもないと言った以上、これ以上話してくれることはないんだろう。良くも悪くも自分の中で結論を持っていて、幸か不幸かそれが正しいものだと信じている。アイビーはそういう女だ。
良くも悪くも、理論的。だから彼女の言葉には説得力がある。アイビーが言い負かされないのは、そういった正当性を有しているから。
彼女が俺に好意を持っていることは知っている。だから俺に致命的なことが起こるかもしれない、という不安ではない。それだったら止めるだろう。何を抱えているんだろうか。
悩みでもあるのか、という言葉は喉を越えなかった。
考えてもしょうがない。アイビーが口を割らない以上、そこには何も生まれはしない。虚空から水を出す方法なんか、考えたって出てくるわけもないのだ。
「俺は行くぞ」
「うん。行ってらっしゃい」
その口調は優し気で、寂し気だった。
俺はアイビーに背を向けて、学園へと歩みを進めた。門をくぐり、校舎の中に入り、いつもの面子が集まる談話室に入る。皆がこちらを向く中、まずはシレネの姿を探した。
「あ、浮気者」
マリーの軽口は「悪い。少し急用だ」と躱す。マリーはむすっとした顔になるが、追撃はしようとしなかった。
シレネは本を読む手を止めて、俺のことを見上げた。
「あら、リンク様。お早いお帰りで。もう贖罪のデートはいいんですの?」
「スカビオサのことを教えてくれ」
「……ふむ。
スカビオサさんというと、唯我独尊の方ですわ。王城で開かれるパーティーでも必要最低限の時間、必要最低限の人とだけ話して、席を立ってしまいますの。だから同じ四聖剣の立場でありながら、私も話したことは数回です。教室内でもほとんどその姿は見かけませんしね」
「スカビオサが人を殺したってのは本当か?」
「本当ですわ。三十二人、でしたっけ? 細かな人数は別として、実際に私も死者を見ています。彼女が死体を引きずっていたのも見たことがありますわ。彼女が人殺しである――それは噂ではなく真実です」
一つ、息をつく。
噂と真実とが重なり合う。
強張っていた表情が少し崩れた。
「よくそれでここまで生きてこれたな」
「エクスカリバー家自体が特殊な家系ですからね。家系がひどく限定されますわ。分家もないですし、家系図も当初から一本の線で繋がるような家です。彼女が死ねば、エクスカリバーがどこに行くかわかりません。
私も似たような立場ですが、家としての格はあちらの方は上ですわ。国として、そんな彼女は失えない。加えて、彼女が人を殺すことには意味があります。殺した先で、霊装は彼女の手元に移り行く。スカビオサ・エクスカリバーは、さらに強くなる。人類の最終到達点として、人の世界を守る存在なのです」
一人が育つために、多くを犠牲にする。それを正しいと思えるかどうか、俺には判断がつかない。しかし、スカビオサは判断したのだろう。
そして、そんなスカビオサの行動も、今の俺なら理解できる。スカビオサが何者か、その一端を掴んだ俺なら、わかることがある。
魔王を倒すため。
そのために自分の力を強化しているのだとしたら、行動原理もようやく理解できる。突飛なことには間違いがないけれど。
「どうしてそんなことを聞くのですか?」
「あいつが二人目だ。俺やマーガレットと同じ、未来を知る人間だ」
「……なるほど。だから魔王を倒すために、霊装を集めていたのですね。普通に暮らしている分にはエクスカリバー一本で事足りますが、魔王とやらには足りなかった、と」
「逆に言えば、あれだけ霊装を集めても、まだ魔王を倒せてないってことか」
マーガレットの言葉が脳内を過る。
魔王なんか倒せない。
そもそも俺は魔王の何たるかがいまだによくわかっていない。俺の知る魔王の姿はハナズオウそのもの。けれど今、彼女にその様子はまったく見られない。レドにちょっかいをかける姿はまるで恋する乙女。俺に対しては敵愾心を持ってはいるが、取って食おうとしてきたり、別の意図を感じることもない。
スカビオサはいまだ俺の知らない何かと戦っているのだろうか。
「本人に会いに行くんですか?」
「ああ」
「お供しましょう」
立ち上がりかけたシレネを手で制した。
「いや。俺が一人で行く。大勢で押し寄せて警戒されてもつまらない」
「大丈夫ですか?」
「いざとなればフォールアウトがある」
俺はフォールアウトを生み出すと、それをマリー向けて放り投げた。話を聞いていた彼女はむすっとした顔でそれを受け取る。親指と人差し指とで挟み込んで、ぷらぷらと揺らす。
「これは何ヨ」
「預けておく。持っておいてくれ。それが消えたら、戦闘の合図だ。シレネたちをつれて助けに来てくれ。もしくは、俺がそのナイフを起点にここに戻ってくるから」
「私は荷物置き場じゃないんだけど」
「帰る場所、って言い方じゃダメか?」
「……まあ、合格」
口元が緩んで、そのナイフを握りしめ直した。
「……今の流れ、ナイフを渡すのは私にでは? 私が持っていた方がいち早く非常事態に気づけるのでは? どうしてマリー様を介すのです?」
シレネが立ち上がっていた。
せっかく止めたのに。
「おまえの両手は空いてないとダメだろ?」
「剣を握るために?」
「俺を抱きしめるために」
流石にくさいな。
それでも一定の満足は得られたようで、シレネは俺に背後から抱き着いてきた。
「死んだら許しませんわ」
「俺を誰だと思ってる。シレネ・アロンダイトを倒した男だぜ」
「あのシレネ・アロンダイトを!? では、心配はいりませんでしたね。誰にだって勝てそうですわ」
「リンクさんって、改めて見るとすごいですね。口がうまいです」「すごいよね。ああまで振り切れるとすごいよ」と、レフとザクロの声も聞こえる。おまえらだって最近仲いいじゃないか。
「……」
ライは思案顔。
この子に対しては愛情を注げばいいのかどうか、よくわからない。シレネとの関係もあるし、どれくらいを求めているのだろうか。
そういえば、一人いない気がする。こういう時にいの一番に突っ込んできそうなやつが。
「あれ、レドは?」
「ハナズオウさんから逃げてますわ」
相変わらずってことか。