66.
◇
夜、あまりの寝苦しさに目を覚ますと、俺の身体は俺だけのものではなかった。腹部にはマリーが抱き着いていて、右半身は腕を中心にシレネに絡めとられ、左手はライにしっかりと握りこまれていた。
風呂に入って食事をとって簡単な晩酌をしてそれぞれの布団に入って寝ただけのはず。同じ部屋ではあるが、節度を保って男女しっかりと分けて寝ようと話していて、実際に彼女たちの布団は俺と離れていたはずなのに。いつの間にこんなことに。
抜け出そうと身体を捩るが、誰も振りほどけない。
三人とも、寝てるんだよな。がっしりと掴んでくる四肢の力は、無意識で発揮できるものなのかわからない。疑いたくもなってしまう。
しかし、シレネの口からは涎が垂れている。完璧を自称する彼女が起きているのならこんな顔は晒さないだろう。マリーだって先日添い寝をした時と同じように体を丸めて一定の周期で寝息を立てているし、ライも警戒心のない顔を見せつけているし……。
なるほど。
とりあえず朝まで俺に自由はないということだろう。状況把握。
唯一自由な首を動かして、周りの様子を窺ってみる。
視界の端にレドの赤い髪が見えた。こいつはこいつで俺の隣で寝ていたはずなのに、逆に今は部屋の端で大の字になっている。女性陣に突き飛ばされたのではないことを祈る。
ザクロの姿は……見えなかった。布団は空っぽ。同じく、レフの姿もない。
レフはザクロに好意を寄せていた。二人きりで何をしてるか知らないが、よろしくやってるのかもしれない。
同意の下であれば何も問題はない。ザクロだって本当に嫌なら断るだろう。
再び目を閉じる。
「ザクロさんは私と同じだと思っていました」
宵闇の隙間、そんな声が聞こえた。うっすらと聞こえる蟲の鳴き声に紛れて、男女の会話が聞こえてくる。
「どういう意味かな?」
「……失礼を承知で言いますと、流されるままというか、自分の意志がないというか。自分の足で立っていない人かと」
ザクロとレフだった。
二人はベランダに出て話しているようだった。窓が締めきれていないようで、声がここまで届いてくる。聞くべきじゃないとも思いつつ、今の俺は耳を塞ぐこともできないのだった。
「そうかもね。そういう意味なら、僕たちは似てるよ」
「いえ、違います。貴方はそういう人間”だった”んです」
「過去形ってこと? そう見える?」
「ええ。あの討伐隊の調査から、貴方は自分の足で立っているように見えます。変わったように、見えます」
「そう見えるのなら嬉しいな。僕は変われたってことか」
「どうして変われたんですか?」
答えはすぐに聞こえなかった。数十秒ほどの時間を置いて、
「……変わらないといけないから、かな。今までの僕じゃ、ここにはいられないんだ」
「……」
「リンク君がいて、レド君がいて、マリーさんがいて、シレネさんがいて、ライさんがいて――そして、レフさんがいる、この場所。僕はここが好きなんだ。全員、しっかりと自分を持っていて、辛いことがあってもそれを乗り越える力を持っていて、僕は尊敬してるし、憧れもしてる。でも、憧れのままでもいたくない。いざというときに頼りたいし、頼られたい。そのためには、並び立つ存在にならないと。明日一緒に笑うためには、今日隣にいないといけないんだよ」
「あはは……。耳が痛いですね。さっきお風呂で、シレネ様に言われました。貴方は普通だって。貴方を見ることで、私は普通を認識するって。その言葉には二つの意味があるんです。純粋に普通の尺度を測るために必要なのと、私がその枠を超えることはないという意味と」
「シレネさんらしくない厳しい意見だね」
「きっと、私のことを慮ってくれたんだと思います。シレネ様は人のことが良く見えていて、よく理解できている人ですから。私が悩んでいるから、あえて言葉を強くしたんでしょう」
「普通って立場は嫌?」
「少し前までは嫌じゃありませんでした。むしろ、それを望んでいました。普通に卒業して、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子供を産んで、そして――」
レフの言葉は途切れた。
次の言葉は、くぐもった声だった。
「きっと、そこに、ここの皆はいないんです」
「気持ちはわかるよ」
「マリー様を巡る状況に、リンク君は協力するでしょう。シレネ様もライもレド君もそこについていく。そこに普通はないんです。討伐隊の時みたいに、騙し合い、殺し合う、殺伐とした場所になります」
「うん」
「私は、戦いたくなんかないんです。のんびり日常が続いていくだけでいいんですよ。今日こんなことがあったって下らない話をして、明日はこんなことしようかって他愛無い話をする、そんな日常がほしいのに」
「僕も同じだったよ。だから、見て見ぬ振りをしてきたんだ」
「私もです。……そして、そんな自分が嫌いになっていったんです」
二人の気持ちを勝手に聞いてはしまっているが、俺だってわかる。
前世では俺もそっちの立場だった。必死になっている人間は馬鹿らしいとあざ笑っていたし、どうせ人間は死ぬんだとやる気もなかったし、白い布切れ一枚で霊装だと言い張る自分が大嫌いで。何に対しても本気を出すことがなかった。
そんな俺がなんでここまで精力的に動いてきたかと言えば、熱を持った人間がいたからだ。熱を持った人間と出会ってきたからだ。
英雄になる前に死にたかったと涙を流したシレネであり、
どうやっても生きようがないと絶望したマリーであり、
魔物が蔓延る中先陣を切って魔王までたどり着いたザクロであり。
様々な想いを持って魔物に立ち向かったパーティーの面々であり。
今まで出会った人間がやろうとしたことが、やりたかったことが、俺の中には降り積もり、原動力となっている。
二回目の人生となって良かったと思えるのは、そういった熱が、思いが、無駄にならなかったことだ。人との出会いが、人を変えていく。
「どうしてそう思うようになったの?」
「出会ってしまったからでしょう」
そして、レフも今、過去の俺と同じ結論に至った。
出会ってしまったから。熱を受け取ってしまったから。そうなれば、もうそれは過去の自分ではない。今まで満足していたことが不満足に変わり、逆に、捨ててきたものが宝物に見えたりもする。
人は変わる。人によって。良くも悪くも。
レフが変わってしまったことは、彼女にとって良いことか悪いことかはわからない。死ぬ間際になって、やっぱり進むべきではなかったと、道を後悔するのかもしれない。
けれど、俺と重ね合わせるのなら、後悔はないだろう。
俺に後悔はない。今、こうして俺に絡みついている子たちがいなかったかもしれないと思えば、後悔することなんかないだろう。
俺はきっと、何度やり直したってこの道を選ぶ。
「はは。やっぱり僕たちは似てるかもね。僕も同じことを思ってる」
「そうですか?」
「うん。少し前のレフさんは、昔の僕。そして、今のレフさんは今の僕と同じだ」
「私は、変われますかね?」
「変われるよ。僕だってできたんだから」
「また、こうして話してもいいですか? 他の人には話しづらいですから」
「他は皆、迷ったりしなさそうだしね。相談しても変な答えしか返ってこなさそう。うん。僕も迷ったら、レフさんに話してもいいかな?」
「勿論。私たちは、きっと普通ですから」
「二人で抜け出せるといいね」
「ふふ。ありがとうございます」
なんだかんだいい感じになって、会話は終わったようだった。二人は部屋の中に戻ってきて、俺の近くで足を止めた。
「……リンク君、モテモテだね。これ、動けないんじゃないの? 大丈夫かな?」
「多分本人は喜んでると思いますよ。モテるのも、まあ、戦ってるときは少しカッコよかったので、わからなくもないです」
「レフさんもそう思う?」
「いえ。私はそこまで。タイプの顔ではないので」
寝たふりの俺。色々言いたいことはあったが、だんまりを決め込む。
二人はそれぞれ自分の布団の中に入っていった。
良い話を聞くことができた。耳を塞げなかったから、聞こえてしまったのは仕方のないことだろう。
二人の悩み。二人の思い。
これだって、俺の原動力になる。絶対に後悔はさせない。
決意を新たに、さて、寝る前にトイレにでも行っておくか……。
がっしりと体は掴まれている。
俺は初めて危機感と後悔を覚えた。




