64.
「海だああああああああああああああああああああ」
レフは全力で叫んで水面に飛び込んでいった。
水に濡れる衣服。それは勿論そういった用途の服。局部を隠した水着は、逆に言えば局部以外の素肌は見えているということで、なかなかに扇情的である。
水しぶきを上げて彼女の姿は水面下に消える。顔だけを出すと、ばしゃばしゃと泳ぎ始めた。笑顔で遊泳している彼女を見て、思うところは一つだけ。
「あいつ、落ち込んでたんじゃないのかよ」
「一杯食わされたわね」
マリーの声がしたので振り返ると、レフ同様、水着に身を包んだ彼女の姿があった。紅い髪色に映える、黒色の水着。ぴったりサイズの水着により、肢体の流麗さがよくわかった。少しやせ気味だが、女性らしい美しい体つきをしている。えっちだ。
「似合ってるよ。可愛いな」
「会話の腰を折らないで」
と言いつつも嬉しそう。
俺はじっくりとマリーの水着姿を堪能した後に、遠くで楽しそうに泳いでいるレフに視線を戻した。
「あれが演技だったってのか? 女は怖いな」
「あの様子を見ると、ほとんど演技だったんでしょうね。そもそも人質の価値はないと言われてショックだったっていうのもおかしいわよね。あの子は別に戦闘にプライドなんか持ってないはずだもの。役に立てなかった、とかで悩むこともないでしょう。人質にならなくてラッキー、くらいに思ってそう」
当時は確かにショックだったのだろうが、それは命のやりとりをする場に置かれたことによるものだろう。無事に学園に帰れたことで機嫌は治っていたのか。
「強かだよなあ」
「多分、彼女はどんな環境でも生きていけるわよ」
「俺の方がショックを受けてるからな。立ち直れないよ」
「結構本気で慰めの言葉を考えていたものね」
「わかってたなら助けてくれよ」
「酷いことを言ったのは事実だもの。言い方を間違えた、あるいは、フォローまで考慮していなかったあんたの方が悪いわ。いえ、悪いというよりは、あんたの方の負けって感じね」
負け。
仰る通りだ。これが俺とレフの勝負だとしたら、完敗もいいところだ。
この旅行を計画するのにどれほど骨を折ったか。
俺たちは霊装持ちの人間。その戦闘力は口にするまでもない。それに、まだ組織に所属していないぺーぺー。何をしでかすかわからないし、一人前になるまでは外に出るのも基本的には赦されない立場だ。特に在学中にこんな簡単に旅行に来れるわけもない。理由があればまだしも、色んなしがらみが存在している。
今回、それらを解決するために、アステラに連絡して、討伐隊から調査の際に確認を怠った部分があるから再度現地に来てほしい、という依頼を出してもらった。それを理由に学園の外に出ると、シレネの用意した馬車に乗って、ここまでやってきた。たかが一泊の小旅行だが、多くの嘘を散りばめた大嘘だ。ばれたら大目玉確実。
何かあった時には俺の首一つでどうこうできないかもしれない。
まあ、どれもこれも俺が負けたからだとして、諦めることだ。もうここまで来てしまったんだ。腹をくくって楽しむことにしよう。
「これも勉強だと思って諦めるよ」
「そういうところはあんたの美点よね。素直でよろしい」
「レフの行動は俺の考えにないことが多いからな。知己が広げられてウレシイヨ。今度同じ方法を試してみようかな」
「あんたは演技が下手だから、レフと同じようなことをしても駄目よ」
「さいですか」
残念だ。しかし、レフの機嫌が元に戻ったのならそれに越したことはない。
レフが遊んでいるところに、レドとザクロとライが加わった。四人が海の中ではしゃいでいるのを見て、嘆息。
「子供たちに混ざらなくてよろしいので?」
シレネが顔を出す。
そちらに視線を投げる。
まだ若い身でありながら、プロポーションが完成しかかっているシレネ。豊満な胸部を有しているのに、腰はしっかりと細いのだから犯罪的だ。白い水着の下の身体は、海辺の視線を一手に引き受けている。
海辺のビーナスかくや。
しかし見つめるだけで誰も近寄ってこないのは、その身体に刻まれた斬り傷の跡が原因だろうか。肩から腰まで一直線に入った傷跡は、彼女の美貌に汚点のように残ってしまっている。
ここまで傷が綺麗に残っていると、いたたまれない。もう少し浅く斬り付けるべきだっただろうか。綺麗な身体で誉め言葉も沢山脳内に浮かんでいるのだが、中々に発しづらい。
が、マリーはそういうことを気にする性格ではなかった。
「それ、例の傷?」
「ええ。素敵でしょう?」
「……別に。でも、あんまり自慢げに見せびらかさないでくれる?」
堂々としているシレネと、不服そうな顔のマリー。普通、逆じゃないか。
「なんでシレネの方が得意気なんだよ」
「ふふ。私のこの傷は、愛しい人がつけてくれた名誉の傷。私のことを命がけで助けようとしてくれた証なのですわ、すわすわ。鍵、あるいは絆。これを見るたびに、私は私として生きていていいと思えるのです。何よりも誇らしい装飾品でしょう?」
言った言葉に偽りはないようで、彼女は傷を一切隠す様子もない。豊満な胸部ごと、惜しげもなく見せつけてくる。
本人が気にしていないと言っているのだ。俺がこれ以上憶測するのも無粋だろう。
「そうか。水着、似合ってるよ。綺麗だ」
「当然ですわ。貴方のシレネは誰よりも美しいのです」
近寄ってきて腕をとってくる。にっこにこだ。
反面、マリーが悔しそうな顔をしている。
「マリーもいい体をしてると思うぞ」
「そういう話じゃないのよ。ねえ、リンク。私のことも斬ってくれない? ここらへん、ばっさりと」
フォローしてやったつもりなのに、意味が分からないことを言いだす。
「何言ってんだ。ついにおかしくなったのか」
「うるさいわね。あんたが心配そうにシレネのことを見るのが嫌なのよ」
「そんな風に見てるのか?」
「さあ。リンク様の視線はいつでも熱っぽいので。もっと見てくれていいんですのよ」
「よし」
許可を頂いたので、じっくりと見ることにする。こういう機会はそうそうないからね。
マリーに叩かれた。ぐーだった。
「馬鹿じゃないの! こっち見なさいよ。あんた好みの良い体なんでしょ!」
「まあ、リンク様は私のほくろの位置まで知っていますし、今更な話ではありますが」
「なにそれ? どういうこと? いつの話なんの話?」
低い声。
これ以上マリーに意味の分からないことを言われては敵わないので、俺は海の方に向かって走り出した
「海だああああああああああああああ」
半分ヤケクソになって、叫ぶ。
背後からかかる声を無視して、すでに遊んでいる四人と合流した。
◇
予約されていた部屋は大部屋だった。
七人もいるのだからそれなりの広さが求められるのはわかる。わからないのは、どうして全員が同じ部屋なのかということだ。性別が違うのが半分半分なんだけど。
「部屋割を間違えてしまいましたわ~」
海沿いの宿にて。案内された部屋を覗いたところで、シレネは棒読みで自らの失態を恥じていた。
「白々しいな」
「仕方ありませんの。急に連絡を入れたものだから、ここしか空いていなかったのですわ」
「観光シーズンでもないし、空いてそうな雰囲気だったぞ。確認してこようか?」
歩き出そうとすると、肩を掴まれた。
「まあまあ、そんなつれないことをおっしゃらずに」
「なぜにそこまで必死に……」
「添い寝」
その言葉で俺はすべてを察した。
思い浮かぶ相手が多すぎる。必中かつ必殺の、なんて恐ろしい呪文なんだ。問題はなぜ彼女がそれを知っているかということだ。
「誰から聞いた」
「今。貴方から聞きました。その反応で察しました」
「……」
「……。誰となのかは聞かないでおきましょう。これが私の譲歩。貴方の譲歩はいかほど?」
こわ。
カマかけが正確過ぎるだろ。何かしらの情報を持っていないとできない芸当だろ。やっぱり不明瞭というのは一番の敵だ。
「……それで?」
「私も一緒に寝たいですわ。紅蓮討伐隊の中でマリー様が堪能したという添い寝を私ばかりが体験できないのは寂しいですもの」
「誰が情報を漏らしたのか、犯人が見つかったな」
「さっきほくろの話の後に、真っ赤な顔で言われましたわ」
へええ。ま、まあ、私はリンクと一緒に寝たけどね。夜の間ずっと一緒にいたけどね。なんて真っ赤な顔で言っているマリーが想像できた。
あいつ。
変なところでプライドが高いな。
「背景はわかったけど、流石に大部屋でそれはどうかと思うぞ」
「私は寝相が悪いのです。それはそれは悪いのですわ。もう、ドン引きするくらいに。部屋の端から端まで転がっていくくらいに。それくらい寝相が悪いのなら、間違えて他の人の布団に入るのも起こりえてしまいますわ。すわすわ」
ここまで自分の欲望に忠実に正確に物事を進めてきて、最後の詰めが甘いのはどういうことなんだろうか。なんだよ、寝相悪すぎって。
「こんな会話してるけど、別に俺は大部屋であることに反対じゃないんだが……」
俺とシレネが会話している間に、すでに他の面々は部屋に入って自分の荷物を広げ始めている。男女同部屋だというのに、誰も文句を言う気配もない。文句を言いそうな人間は多そうなものだが、各々何らかの考えがあってのことだろう。
女子勢に文句がないというのに、男の俺が文句を言うのも違うしな。
頷くと、シレネの顔がぱあっと輝いた。
「私の寝相が悪いことに感謝ですわ~」
なんだかんだ、満面の笑みの彼女は可愛かった。




