51.
◇
現状の移り変わりが大きくて、感情の浮き沈みが激しい。
激動の一週間だったはずなのに、帰ってきたのはスタート地点。何も進んでいない事実に切なくなり、自分だけが空回りしているみたいで辛くなる。
困り果てた。
もう打つ手はない。
もしかしたら、魔王はすでに死んでいるのかもしれない。俺の突き刺した剣が致命傷となって、この世界にはいないのかもしれない。すべてが終わっているのに、俺がただ一人空回っているだけなのかもしれない。
はたまた、今までのことが全部俺の妄想だったり。一度目の人生なんかなくって、俺はただ夢で見たことを前世だと勘違いしているだけ。
いや、マーガレットという同じ存在にも出会えたし、それはないか。
じゃあなんなんだよ。
ぐるぐると巡る脳内。
現状の情報で結論が出てくることはない。
掲げていた目標がするりと手から零れ落ちていった。目標とする看板もなし。
暗礁に乗り上げた。これ以上俺ができることはない。少なくとも魔王に関することでいえば、俺は今動くことはできない。向かう方向が決まらないんだから。
ハナズオウが何かを握っていようとも、ティアクラウンの力でも吐かせることができなかった以上、掘り出すことはできない。
あるいは――一度、殺してしまおうか。
マーガレットの言うことを信じるのなら、時がくればまたこの人生は繰り返されるわけだし、ハナズオウが魔王である可能性に賭けて殺してしまおうか。
いや、それはあり得ない。
人生はそんな簡単に奪っていいものではないし、何度も繰り返していいものでもないんだ。
そんな折、教官から一つ提言があった。
「君たちも知っての通り、教会の聖女様から予言があった。魔物の大侵攻が予期されるというものだ」
教壇に立つ彼は、昨今話題に上がることのことの多い事柄について語った。
「それに伴い、騎士団員を中心に、討伐隊が結成されることになった。直近では第一陣が魔の森に調査に赴くということらしい。君たちは国防を担う霊装使いの卵。この調査に同行する希望者がいれば参加可能であるが、どうだ?」
マーガレットが働きかけたことにより、討伐隊の結成は成された。彼らはまずは魔物の侵攻状況を確認するべく、森に赴くという。
恐らくまだ魔物は人類に危害を及ぼすところまでは行っていない。前回を考えれば、数も進行具合も気にする状況ではないと思う。今回の調査は空ぶることになるだろう。
しかし、討伐隊が結成されたということが重要なのだ。数年後に急に結成された付け焼刃の組織で何ができるという。今のうちに備えておくのは間違いがない。
そう、例え魔王がいなくなったとして、魔物がいなくなるわけではない。
指揮者がいなくても惨事は起こる可能性がある。魔王ばかりに目を向けていても仕様がないのかもしれない。
魔物を殺すこと。魔王は置いておいて、そちらに舵を切るのが正しい選択か。
討伐隊に参加する面々を見ておきたいということもあるし、学園にいても特段これ以上やれることもないし、俺にとっては渡りに船な話だ。
「これは希望者を募ることにしている。現場の空気を知り、将来の目標を立てるために必要なことだ。だが、君たちも学園生活の後半に差し掛かっているし、三か月後には披露会もある。無理をして参加する必要はないと思っている」
披露会。
自分の力、霊装使いとしての価値を対外的に伝える催しだ。この結果如何によって自分の就職先、配属先が決まると言っても過言ではない。
クラス全員で戦いあい、トップを決める。自分の価値を伝えるための大会。
俺からすればどうでもいい大会だ。
誰に俺の力を誇示したって、何にもなりはしない。騎士団に入りたいわけでもないし、門番になりたくないわけでもない。適当に負けて自分の生きる道を進むだけだ。
教官は教室中を見渡す。
生徒たちは互いに互いの様子を窺っていた。
討伐隊に入りたいのなら、これは絶好の好機だ。実質、討伐隊の予備訓練にもなる。
しかし、そうでもない人間にとっては一切必要のない催し。王都からしばらく離れるということも、箱入りの坊ちゃんたちには決断しづらい。
恐れと不安と逡巡と。
色んな感情が教室を包み込む。
「はい」
なので俺は一番に手を挙げた。
そもそも、予言を出して討伐隊を組織しろと聖女様に命令したのは俺だしね。言い出しっぺが何もしないんじゃ格好がつかない。
「お、リンク。君は参加するか。討伐隊に志願するつもりなのか?」
「ええ。家名もない私が名を上げるのは、これしかないと思いまして」
「良い心掛けだ。確かに君の成績だと騎士団に入るのも難しいだろうし、家業を継ぐという選択肢もないんだろう? 良い選択だと思う。しっかり討伐隊の方に顔を売っておくんだぞ」
しれっとディスられた。
勉学は並、実技は下。教官の前では本気の力を見せていないし、当然の結果ではあるんだけど。
「君の名で申請しておこう」
誰もいないとそれはそれで学園の意欲に関わるからだろう、教官は顔を綻ばせて頷いた。手を挙げたのが落第生の俺、良い就職先に案内できたという思いもその笑顔に一役買っていると思う。
「じゃ、俺も」
隣の席のレドも手を挙げる。
「レドも討伐隊に?」
「自分を研鑽したいんで」
「良いことだ。レドは実技の成績も良いし、重宝されるだろう」
うんうん、と頷く教官。
落第生と、実力者。
二人いれば学園としての体裁も十分だろうと心の声が漏れ出ている。
ふと、視線を感じた。
マリーからだった。
俺は首を横には振らなかった。
「じゃあ、今回の討伐隊の実地調査にはこの二人に行ってもらうということで――」
「私も行くわ」
「では、私も」
マリー、シレネからも手が挙がる。
教官の顔が引きつった。
「マリー、様、と、シレネ、様。二人が?」
「何よ、悪いの?」
「色んな場所に顔を出して自分の知見を広げるのは大切ですわ」
「しかし、二人はその、引く手あまたというか、行く先が決まっているというか、わざわざ参加しなくても……。危険もつきまとうことはわかっているだろう?」
露骨に態度が違う。
ひどいや。
俺とレドはどうでもいいってか。
「この学園にいたのでは得られない経験をしたい、そう申し上げましたわ。利益があるから手を挙げたのです。何か問題でも?」
教官はまさかの二人の挙手に、冷や汗を流し始める。
二人とも俺たちとは立場が違う。卒業後の進路なんかほとんど決まっているようなものだし、逆にイレギュラーは許されない存在。怪我や万が一の出来事なんか起こったら誰が責任をとるんだ、なんて思われている。
「何かが起こるというのなら、そもそも討伐隊が組織として機能していないってことでしょ。そんな組織に意味はないわ」
マリーの言葉がとどめだった。
これ以上の戸惑いは討伐隊そのもの、ひいては聖女様の威信を汚すことになる。
「わ、わかった。申請しておこう」
「では、私も行きます」
「シレネ様が行くのなら、私もいかないと」
次いで、ライ、レフも参加を表明。
「え、じゃあ僕もいこうかなあ」
ザクロも手を挙げる。
合計七名の挙手。
流石にこれは予想外だったのか、教官はぴたと止まってしまう。
王女一人に、四聖剣二人。
学園から参加者がそんなに出るなんて、それだけ魔物討伐に本気なのだとアピールできる良い機会じゃないか。なんて、ポジティブに考えられるかは人に依る。多くは何かあったらどうしようと保身に走る。
冷や汗を流しながら俺たちの顔を覗く。誰も手を下げるつもりがないとわかると、重いため息を吐いていた。
「……私も行こう」
意外だったのは、プリムラ・アスカロンだ。
眉間にしわを寄せたまま、彼も手を挙げていた。
七人は普段から行動を共にしているから理解できるのだが、この男は何を考えているのだろうか。彼のこれまでの行いを考えれば、調査中にマリーを害そうとでも考えているのかもしれない。
「四聖剣が、三人も……」
教官の顔がいよいよ青くなってしまった。
学園としての責務は、霊装使い、特に四聖剣を無事に卒業させること。そのために徹底した管理を行っている。
討伐隊の訓練でもしもがあってはいけない。
かといって、もしもがあるからと止めることもできない。
ジレンマに挟まれた教官にはお悔やみ申し上げる。
「スカビオサ様は……」
四聖剣のうち、最後の一人に声をかける。
スカビオサは「行きません」と端的に答えていた。教官はほっとした顔を浮かべて、俺たちに向かい直った。
「わかった。学園は君たちの意志を尊重する。八名が討伐隊の調査に参加するということで、申請を出しておこう」
プリムラがやってくるということだけが気がかりだが、考えていても仕方がない。
俺は俺にやれることをやっていこう。
◇
プリムラの他にも、ザクロが参加したのが意外だった。
いや、普段一緒にいるメンバーが全員参加なのだから、参加すること自体はおかしいことではないのだが。
その日の夕方、俺は訓練場にいるザクロを見つけた。
「よお、ザクロ。訓練か?」
近づいていくと、照れたような顔で振り返った。
「ああ、リンク君。来てたんだ。ちょっと身体を動かしたくてね」
少し遠くで見ていたが、ザクロにしては大雑把な力の使い方だった。まるで何かを振り払うように、ストレス解消のために身体を動かしていたという感じだった。
「何かあったのか?」
「何かあった、というと少し違うけどね。うーん、別に何もないんだけど……」
「レフから詰め寄られたのか?」
「え、なんで知ってるの?」
半分冗談で言ったのだが、合っていたらしい。
レフという少女は本当に恋愛が好きなようだ。アステラが駄目であっても、次の恋に一直線。
「前にアステラの件で飲みに行った時があっただろ? その時にザクロがレフのことを介抱していたと伝えたら、眼を輝かせていたんだ」
「あー、なるほどね」
レフはザクロ本人に伝わるくらいの露骨なアタックをかけていたようだ。逞しい。
困ったように笑うザクロ。どうも彼にとっては望ましい展開ではないらしい。
「焚き付けたのは俺だし、困ってるならそれとなく伝えておくけど」
「いや、いいよ。伝えるなら僕が直接伝えるべきだと思うから」
こういった正義感は彼の美徳だ。
「レフは可愛いのに、前向きにはならないか。モテるのにもったいないな」
「リンク君からすればモテの中には入らないでしょ。美女二人を相手にしてるんだもん」
「そう言われると痛いな」
「はは。冗談だよ。咎めるつもりはまったくないし。シレネさんもマリーさんも幸せそうだし、いいんじゃないかな。僕は単純に、レフさんと吊り合う人間じゃないから応えられないだけだから」
その目は暗い。
何か悩みがあることは間違いなさそうだ。
「どうした、そんな弱気なこと言って。自信がないのか。おまえは四聖剣で、それに見合う実力も持ってる。この前のレクリエーションだって優勝してただろ」
「他の実力者が全員いなかったからね」
「だとしても、霊装使いとしてトップクラスの力を持ってるのは間違いがない。おまえが不安に思うなら、俺なんか学園に通うのを躊躇うレベルだ」
「……リンク君は強いよ」
「おまえと戦えばすぐに負ける自信がある」
「そういう意味じゃなくて、心の強さってやつかな」
ザクロは天を仰いだ。
訓練場の天井には無機質な木材が張られているだけ。
「この力を受け継いでしばらく経つけれども、僕は何をすればいいかわからない」
聖剣、デュランダル。
それは四聖剣という称号に恥じない力を有している。
しかし、受皿となったザクロはこれを手にしてまだ間もない。シレネ、プリムラ、スカビオサ。他の四聖剣と比較しても聖剣の重さをまだ理解できていないのも無理はない。
デュランダル家はデュランダルの継承者を決める際に、候補者同士が互いを潰し合い、結果、誰も残らなかった。お鉢が回ってきたのが市井で暮らしていた分家筋のザクロだったという話。
「デュランダル家のために剣を振るうというのも違う。自分の出世のために剣を振るうのも違う。この剣に見合う生き方というものがわからないんだ」
「別に聖剣はおまえを縛るものじゃないぞ。どう生きたっていいだろ」
「リンク君はマリーさんにも同じことを言ってるの?」
「……上辺だけの優しさはいらないよな。悪かった」
俺は居住まいを正した。
霊装に選ばれる。それは宿命だ。
自分の人生が一瞬で変化する。良くも悪くも、霊装に左右される。
マリーが王冠を受け継いだことで、王として生きる以外に道がないのと同じように、ザクロだって四聖剣として生きていく以外に道はない。
それを捨てるということはすなわち、命を捨てることと同義。
簡単に自分の好きなように生きろ、というのは難しい。せめて霊装によって与えられた檻の中で自分な好きなことをするしかない。
「僕は、何のために剣を振るえばいいんだろう」
いきなり剣を渡されて頑張れと言われても、立ち尽くすだけだ。
学園生活の一年間で、ザクロは自分自身を見つけられていない。
そして俺も、彼の望む答えを渡せるわけじゃない。
「俺には答えられないな。自分で見つけるしかない」
「そうだよね。こんな話聞かされたって、しょうがないよね」
「でも、俺はおまえなら見つけられると思うぞ」
「どうしてそう思うの?」
「俺はおまえの知らないおまえを知ってるからな」
ザクロ・デュランダルの功績。
前世では唯一と言っていい、まともな感性を持つ四聖剣だった。
人々のために剣を振るい、巨悪を倒さんと立ち上がった本当の英雄。
ザクロは目を細めて、薄く笑った。
「すごいよね、リンク君は。妙な説得力があるというかさ。話してるだけで、前向きにさせられる」
「俺はすごくない。俺に影響を与えてくれたやつがすごいんだ」
「それって誰? 僕の知ってる人?」
小首を傾げるザクロ。
俺はその顔をじっと見つめて、口の端を歪めた。
「さあな」
「僕もその人みたいに強くなれるかな」
「ああ。自分のいる場所さえわかれば、その剣の使い道も出てくるよ」
少し他人事だろうか。
だけど、俺はザクロに関しては心配していないし、俺の言う事で余計な思想を与えたくない。
いつだって頼りになる男なのだから。




