36.
◇
「一つの仮説があります」
シレネは人差し指を突き出した。
レクリエーションも終わり、生徒たちも帰宅し、閑散とした教室。
二人きりになりたいと言ってきたシレネに促されるままの俺。
「貴方の霊装についてですわ」
「ああ、何かあったのか?」
「貴方の霊装は他者の霊装をコピーするもの。それ自体は貴方と相対した人なら誰でも知っていますわ。知りえないのは、その条件。一つは霊装の能力を理解することでしょう。流石に知りもしない霊装を操れるとは思えない。そうであれば、色んな事象に一瞬で決着がつきますもの」
シレネ視点では、俺はわざわざシレネとの戦いの時にぼろぼろにされる必要もなく、今回の件もプリムラから攻撃を受けることもない。
「だとすれば、他の条件は、霊装をもった相手との関係性。友好関係? いえ、それなら、きっと戦う前からマリー王女の王冠は使えていた。貴方は、あの時、何かを待っていたのですわ。私との戦いも同様。戦いの中で、何かを待っていた」
流石はシレネだ。
たった二回、その場に出くわしただけで理解してしまった。
「そうかもな」
「私の時。貴方は殺意を明確にした。私は殺してもらえるかもと思った。この人なら、と胸が大きく高鳴りましたわ。今回。マリー王女も、貴方を見る目がひどく熱っぽかった。あの状況の中、それは加速したように見えましたの」
さて、シレネはどう考えるだろうか。
俺が言わなかった俺の霊装の能力。
今までの俺の行動が、打算と思案によって生まれたものなんだと知れれば。
「はっきり言いましょう。貴方の霊装の力は、”愛情”を持つ相手の霊装をコピーする。ゆえに、気があるようなそぶりで人に近寄っている。違いますか?」
俺は肩を竦めた。
遅かれ早かれわかること。
予想外はシレネの頭の回転だろう。
「反論する気はないよ」
「そうですか」
シレネはうっすらと笑って。
落胆か。
失笑か。
哀惜か。
俺自身、どの目が出てほしいのかわからない状況で。
「――嬉しいですわ」
にっこり、と。
喜色満面で、笑った。
「貴方は、私のことが好きとかそういう意味合いではなく、私に”価値がある”から、近寄ってくれる。私に”意味がある”から、一緒にいてくれる。とっても、素敵」
思えば、シレネという人物を普通の尺度で考えるのは最初から間違っていた。
彼女も彼女で、異常なのだ。
「嫌じゃないのか? 俺は打算で、理屈で、おまえを助けたに過ぎない。おまえが引きおこす最悪な未来を防ぐため、おまえの霊装を使えるようにするため、おまえに近づいたんだ。そこに甘酸っぱい感情はない」
「ふふ。打算や理屈は、恋や愛なんていう不確定なものより圧倒的に信用できますわ、すわすわ。逆に言えば、貴方は私の力が必要な限り、私から離れることはできない。私とずっと、一緒にいてくれる。これ以上に嬉しいことはありませんわ」
「霊装はもうすでに得たから、冷たくあしらってもいいんだぞ」
「あり得ませんわ。それなら、今ここで私に逢う意味がない。ふふ。貴方の行動はすべて理屈で説明できる。打算で理解できる。私も同じ考えを持っていますわ。だから安心できて、嬉しくて、幸せになれる。愛情が続かないと、霊装は使えなくなるのでしょう?」
正解。
俺はため息をついた。
そのため息が思っていたほど重くないのは、シレネという少女が俺に似ているからだろうか。
シレネは近づいてきて、俺の眼前に迫る。
すでに夕暮れ。
赤色がシレネの白と黒の髪に差し込んだ。
「それに、貴方は言うほど情がないわけではない。九割の理屈と、一割の感情。いえ、もしかしたら、九割の感情に一割の理屈なのかも。ふふ。そういう貴方を、愛しています」
唇に熱い感触。
たっぷり数十秒密着した後、シレネはゆっくりと唇を離した。
「私のことが好きでしょう? それは嘘ではない。わかっていますわ。そして同時に、貴方が言うほど好きではないということも、わかっていますわ。貴方には目的があるから、私はきっとそれ以上にはなれないのでしょう。けれど、それ以下にもならない。貴方の行動の底には愛情がある」
魔王を倒すために、戦力を集めている。
あるいは、
好きな相手と一緒にいるために、魔王討伐という言い訳を使っている。
どっちも一緒で、どっちも違う。
シレネは魔王なんかよりもずっと大事で、でも、魔王を倒す方が大切だ。
どっちも、どっち。
打算だ理屈だと言葉を紡いでいるが、根っこのところがどうかなんて、考えもしていない。
正確には、俺もわかっていないのかもしれない。
「私は貴方と添い遂げる。貴方が私のことを好きだと思ってくれて、私のことを優秀だと思ってくれているから。これから先、貴方の周りに人が増えても、私だけは変わらず貴方の近くに居続ける。だから、哀しい顔をしないで」
「してないよ」
「ふふ。わかっていますわ。霊装の発動条件を隠していたのは、真実を告げたら嫌われてしまうかもしれないと思う、臆病な貴方がいたからではなくて?」
勝てる気がしない。
頭の回転が速くて、真っすぐに進める人間には、どうあがいたって勝てないのだ。
「おまえに離れてもらっちゃ困る」
「そういうことでしょう? 感情と打算でがんじがらめに縛られた時のこの感情。これこそがきっと愛なのでしょう」
シレネは俺の手を握る。俺の腕をとる。俺と足を絡ませる。
「私の愛は、【恭順】。貴方の隣で貴方の望む未来を創り上げましょう」
生き生きとした表情。
そんな顔を向けられては、喜色以外の感情が浮かぶこともない。
ぞくぞくとした感情は、今まで俺の中にあって無かったもの。
ほしくてほしくて、けれど手元には置きたくなかったもの。
一旦、蓋をする。
こんな感情を有して生きていけば、どうなるかわからない。
「少しだけ、私のことを信用して正直に話してくれなかったのはショックですわ。気持ちはわかりますけれど。私だってこんなこと、貴方にしか言えない。貴方だから、言えること。他の人に言ってしまえば――」
シレネは俺から離れると、教室の出入口に近づいていって扉を開けた。
ばたばたばた、と。
同じタイミングで、駆けだす音が聞こえた。
教室の外に顔を出すと、赤色の髪の少女の後ろ姿が見えた。
「――好意に裏がある、なんて、普通の子は嫌がるものですわ」
霊装ティアクラウン。
先ほどまで俺の手元に現れてくれていた王冠が、呼び出せなくなっていた。
「聞かれてたのか?」
「最初からいたみたいですわね」
「言えよ」
「どうして?」
シレネは笑う。
笑う、哂う、嗤う。
「貴方を理解できない人なんて、いらないでしょう。貴方に救ってもらって、愛を囁かれて、それなのにあまつさえ、純度百パーセントの愛ではなかっただけで見限るなんて、必要のない人間ですわ、すわすわすわ。本当の愛とは、不純物が混ざってこそ。多くの感情が混ぜられてこそ。頭空っぽで好きと口に出すことに意味はないんですわ」
シレネの指が俺の首をなぞる。
「ねえ、リンク様。私は優秀で価値があって綺麗ですわ。そして、貴方を愛している。他はいらないでしょう。他の考えなしのオンナなんか、いらないでしょう」
注がれた愛情は、コップからあふれ出す。
溢れだして、床を汚す。
周囲を、全体を、侵食していく。
「私に、私だけに、任せてください。貴方の目的のすべてを達成しましょう」
◆
自分がわからなかった。
ただ、教室内、二人の話を聞いただけ。
聞いただけなのに。
人の噂話や悪口なんか何度も何度も聞いたはずなのに、ついさっきの会話には心を抉られた。今、ただただ辛かった。
「私のことが好きなんじゃなくって、私の霊装が目的だったのね……」
彼の霊装の発動条件を聞いて、はっきりと落胆した自分がいた。
嘯き、茶化して、へらへらとしていて。けれどそれでも根っこのところは自分のことを好きでいてくれたんだと思っていた。
だって命を自分のために張ってくれたんだもの。
私の騎士だと言ってくれたんだもの。
何度も追い返したのに、諦めなかったんだもの。
好きという言葉を、好意という感情を、信じたっていいじゃない。
王冠なんか関係ない、素のマリーを好きになってくれたと思っていたのに。
眼前が潤む。
どういう意味かはわからない。わかりたくなかった。
「そろそろ返して」
そんな声と共に、少女が眼前に現れた。
びくりとして肩を揺らす。彼女の手は自分の懐に入っていた。そこにしまってあるのは、小ぶりのナイフ。”お守り”として預かっていたものだった。
そのナイフが目の前の少女によって回収される。灰色の髪の少女はつまらなさそうに鼻を鳴らして背を向けた。
「ち、ちょっと待って」
思わず呼び止めてしまう。
「何?」
振り返る視線は冷たい。
マリーはこの少女のことが苦手だった。
とある人物が周りにいるといないとでは、その言動が全く異なっているから。纏う雰囲気が別人かと思うくらいに変わるのだ。
「アイ、さんよね。貴方はリンクとは付き合いが長いのよね」
「うん。最初に会ってから、大分経つね」
「あんたは、その、知ってるの?」
何を聞こうとしてるのだろうか。
落胆する仲間を増やそうとでも思ってるのか。
自分の浅ましさに更に落胆する。傷つくのが自分だけなのは寂しいのか。
「うん。知ってるよ」
内容など何も言っていないのに、アイは簡単に答える。
得意げに語るでもなく、虚飾に胸を張るわけでもなく、ただ淡々と。
「彼のことなら、なんでも知ってる」
「そう。リンクの霊装はその人から愛情を受けないと使えないらしいのよ。つまり、あいつが話した言葉はすべて霊装目当て。私のことなんか……見てなかったんだわ」
「ふうん。それで?」
反応はにべもない。
反論しようとすると、制された。
「それで貴方に不利益はあったの? むしろ貴方は彼に命を救われてるんでしょう? だったらいいじゃん。何をぐだぐだと並べ立てているの?」
「……彼は私に好きと言ってくれたのよ。私は、」
「信じたの?」
顔が熱い。
きっと自分は、顔が真っ赤になっている。
落胆と羞恥が一緒くたになった複雑な感情に。
「信じて……、」
「それとも、信じられないの?」
「信じる、って、そういう話じゃないでしょ。リンクは私を」
騙していたの。
言おうと思った言葉。しかしそれも何か違う気がして。
色んな言葉や感情がごちゃ混ぜになって、手に負えなくなる。
「騙した、って? ただ好きとか騎士とか言ってただけじゃん。婚約したわけでも、子供ができたわけでもない。貴方はリンクの何なの」
「それが私自身もわからないから、困惑してるのよ」
「私から言えることは、他人に聞いてるようじゃどうしようもないってことかな」
そんなことわかってる。
でも、一人ではぐるぐると袋小路に陥って、何もできそうになかった。
「あんたはどうなの? あんただって彼のことが好きなんでしょ? いいの? あいつは何人もに愛を囁いて、しかもその愛が打算に塗れているのよ」
アイはにっこりと笑った。
「いいことじゃん。英雄色を好むってことで」
「……そうなの?」
「はは。打算に塗れた愛、ねえ。それは普通の愛とはどう違うの? 体目当ての愛は、財産目当ての愛は、何の計算もないの? 顔、性格、体つき、好きなタイプの子に愛を囁いてそれをものにしたいと思うのは、一切の打算がないの? じゃあ、打算のない愛って何? 運命的な、偶然な、一切計算の無い、尊敬されるべき愛ってどういうの?」
「……」
マリーは言葉に窮した。
「答えられない時点で、貴方には何かが足りない。考えか、言葉か、それこそ、愛情か。それを克服した先に、貴方なりの愛があるんじゃないの?」
「じゃあ貴方の愛、って何?」
アイはまた、間髪入れずに応える。
「【遵守】。私は彼の言う事をすべて飲み込みたいの。私は彼に救われてるの。昔も、今も、ね。だから私は全身全霊をもって彼に応えるの、報いるの。私の愛は彼が何を言おうが何をしようが、絶対。私のすべてをもって彼に尽くすことが、私の愛」
マリーは息を飲んだ。
リンクのことを話すアイは愉しそうだった。
同時に、ある種、狂信者じみていた。
「……話し過ぎたかな」
最後には冷静になって、ばつの悪そうな顔になる。
「一個だけ。リンクは貴方のこと、好きだよ。貴方がどう思うかは勝手だけど、彼は嘘はつかないよ」
「嘘よ。じゃあなんであんたにもシレネにも浮ついた言葉を吐くのよ」
「リンクには”ない”からね。どれくらいの愛で自分が満足できるかもわからないんだよ。それがわかるようになるまで、恋愛はお預けだね。貴方、まだまだお子ちゃまだもん」
アイの目は語る。
私は貴方より彼のことがわかっているの。
言葉に出さなくてもわかるその一言に、したり顔に、イラっとした。
◇
俺が部屋に戻ると、ベッドの上に体を投げたレドがいた。
「ただいま」
「おかえり。大丈夫だったのか?」
レドは体を起き上がらせる。
俺は自分の荷物を床に放り投げた。
「何が?」
「シレネと話してたんだろ。私以外に愛を囁くなってお怒りなんじゃないか?」
にやにやと。
こいつ、異性に興味ないとか言っておきながら、恋愛の話は好きだよな。
「そう見えたなら、おまえもまだまだだな」
「は? どういう意味だ?」
「シレネという女を外から見ただけで判断するのはやめておけ、って話。初日にも言っただろ」
「いまだにかよ。まだ本性を見せてないってことか?」
「もしかしたら俺もまだ見えてない一面があるのかも」
「こっわ」
口を尖らせる。
実際、今のシレネは俺が知っているシレネとも言い難い。英雄の殻を脱ぎ捨てた彼女は、逞しく、恐ろしい。
好みかどうかと言われたら、どんぴしゃタイプだ。
「だから女は怖いんだよな。まあでも、今日はなんとかなってよかったな。プリムラたちを撃退できたし、マリーも喜んでるだろ」
「そうだといいな」
「俺も霊装を使った実戦でも、通じることがわかったし」
レドは拳を握りしめて口の端を歪めている。
戦闘狂。確かにレドは十二分に戦力になっていた。霊装使い二人に圧倒していたからな。
「手ごたえを感じたか?」
「ああ。俺、そこまで弱くはないんだな」
「おまえは弱くねえよ。なんでそんな卑屈なんだ」
「……おまえとかザクロとかが異常なんだってよくわかったよ。訓練だとほとんどおまえらと組んでたから、少し考えるところもあったんだ」
なんだこいつ、一人で拗ねてたのかよ。意外とナーバスなところがあるんだな。
「安心しろ。俺は八百屋に魚は頼まないよ」
「わかるように言え」
「おまえの力量を理解して、信用してるから、声をかけたんだ。おまえなら並みの霊装使い二人を相手にしたって問題ないことはよくわかってる」
「はいはい、リンク先生は色々と考えていて賢いデスネ」
拗ねたような口調だが、どことなく嬉しそうだから、放っておこう。
男二人のむさい空間で話していると、華が部屋に入ってきた。
「ただいまー」
アイビーがいつも通り窓から参上。
「おかえり。マリーは大丈夫そうだったか?」
「部屋に戻るまでは見張っておいたよ。問題ナシ。なんか色々考えてるようだったけど」
「そうか。まあ、また後で話しておこう」
マリーには俺の霊装の使用条件が聞かれてしまった。シレネはまったく意に介さなかったが、マリーはそうでもなかったのだろう。彼女の霊装は使えなくなってしまった。
つくられた愛。人工の、打算的な愛。
沢山の色で彩られた愛は、飲み込むのに勇気がいる。嫌がる人間も多いだろう。うまく話していかないと。
それよりも、今は眼前、目を輝かせてエサを待っている子をどうにかしないと。
「アイビーも良くやってくれた。ありがとうな。おまえのおかげで攻撃に専念できた」
頭を撫でると、喜色満面の顔。
「うふふ。まあでも、私の出番はなかったね。せっかく王女サマに攻撃が飛んで来たら対応しようと思ってたのに、意外と皆慎重なんだから。なんだかんだ、人を殺す覚悟ってのはなかったのかもね」
「俺たちも結局、殺しはしなかったからな」
殺しはしなかったが、心は折った。レクリエーション後、笑顔で戻ってきた俺たちと、遅れて罰の悪そうな顔で戻ってきたプリムラたち。どっちに軍配が上がったのかは火を見るより明らか。直近で何かを起こそうとは思わないだろう。
報告を聞いた上層部は何か手を打ってくるかもしれないが、そこで、俺が霊装ティアクラウンを見せたことが効いてくる。
二つの王冠。
発動条件を知らない人たちは、むやみやたらにマリーに手を出せない。俺に継承権が移った可能性を否定できないからだ。マリーを殺して何もなかったとなれば、どうしようもない。
選択肢。
俺か、マリーか。一枚岩ではない上層部。混乱させることで、どうとでもできる。
「殺したら殺したで別の問題も生まれるし、いいんじゃない? 私的には満点だったと思うけど」
「俺的にも満点だ。付き合わせて悪かったな」
「いいよ。私とリンクの仲じゃない」
こうして笑いあえるのなら、それに越したことはない。
「リンク様~。お手紙が届いてますわ」
次から次へとお客さん。
シレネが堂々と扉を開けて入ってきた。
「シレネ。ここは男子寮だぞ」
「知ってますわ」
「どうやって入ってきたんだ」
「正面からですわ、すわすわ」
満面の笑み。
これ以上は聞くまい。
シレネのことだ。うまくやったのだろう。
「で、手紙? なんでシレネが持ってくるんだ」
「寮長から預かりましたの。どうせこの部屋に行くのなら、持って行ってくれって」
「……寮長を絡めて堂々とって、そこまで合意をとったのか」
「あ、珍しいリンク様の引き顔。脳内保存ですわ」
押されっぱなしだ。
勝てる気がしない。
まあ、今に始まったことじゃないか。
俺は手紙を受け取った。
とはいっても、俺宛の手紙に心当たりはない。天涯孤独の身だし、知り合いはレドかアイビーが絡んでいる。アステラくらいが用件があったときに俺に送ってきそうか。
差出人の項目の無い手紙の封を切って、中を覗いた。
四人目に告ぐ
見ているぞ
おまえは、やりすぎた
赤い文字でそう書いてあった。




