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トキノオリ  作者: 紫藤朋己
0章 白紙
181/183

0-6





「まだこんなところにいたのか。四聖剣であるおまえには、王都から召集がかかったんじゃないのか? こんな街じゃなくて、王都の方を守ってくださいって」


「断ったよ。この街を見捨てることなんかできない。それに、この街が落とされれば、魔物はまっすぐ王都に向かう事になる。ここで防衛線をするのが、王都にとっても一番正しい在り方だよ」


 王都からこの街に送られた戦力は激減した。今では街の住民の力自慢も防衛に駆られている。そんな中でも希望が残っているのは、この男の存在が大きかった。


 本人の実力は勿論、裏表のない性格に、正確な判断を下せる頭脳。名実ともにこの街の支えとなっている。それがわかっているからか、背中を見せるつもりは一切ないようだった。


「リンク君こそ、逃げないの?」

「逃げてどうなるんだ。どこに逃げたって一緒だろ」


 王都に逃げ帰ったところで逃亡者の烙印を押されるだけだし、そもそも魔物が王都に向かえば同じ状況に陥る。最終的には逃げる場所もなくなるだろう。先か後か、時間の問題だけだ。


 それこそ根本的問題が解決できればいいが、死にたがりの英雄様でも森の最奥部には辿り着けていない。望みは薄いだろう。


「うん、そうだね。だから頑張れるところで頑張らないといけない」


 ザクロは俺の隣までやってきて、墓標の前に立った。


「知り合いがいたの?」

「いや。残念ながらコミュニケーション能力が欠如しているもんで、ほとんど話したこともないやつらだよ」

「それならなんでここに?」


 問われても俺は答えを持っていなかった。


「さあ。暇だからかな。俺なんかよりも先に逝くやつらに、少しばかり申し訳なく思ったんだ」


 さっさと死ぬべきは俺の方だったのに、勇気を有している者ほど先に死んでいく。


 あの女が死にたがりの英雄だとするのならば、俺はただの死にたがり。いや、死にたがってすらいない。ただそこにいるだけの凡夫。


 そんな男より先に墓に入ることになる人間がいるのならば、謝罪の一つも必要だろう。


「考え方次第じゃないかな。彼らの死が君をここまで生き延びらせたと思えば、それは彼らにとって賛辞となるよ」

「冗談だろ。おまえを助けたならまだしも、俺を助けても何の意味もない。未来に負債を残すだけだ」

「それはこれからの君次第でしょ」


 ザクロが俺に視線を投げているのは視界の端で見えていた。

 けれど俺は顔を向けなかった。


「何を期待してるんだ。俺はこれからも変わらない」

「知り合いでもない人の墓標に手を合わせて、何も感じていないわけではないでしょ」

「感じてはいるさ。だが、そこからどうしようとは全く考えていない。大変だな、辛いだろうな、そんな他人行儀な感情を漂わせているだけだよ」


「なんでそう感じるの?」

「そりゃ、俺が生き残ってるからだろうな」

「なんで生き残っているの?」

「知らないさ、そんなこと。俺は生き残りたいと思って動いてはいない。天上の存在が道化だと思って面白がってるんじゃないか」

「じゃあ死ねばいいじゃないか」


 剣呑な言葉に鼻を鳴らした。

 口ばかりの俺に、温厚が売りの英雄さんも痺れを切らしたようだった。


「だったら殺してくれよ。おまえのような英雄に殺されるのなら本望だ」


 そこでようやく俺はザクロの顔を見遣った。

 ザクロは悔しそうに唇を噛んでいた。何の言葉も響かない俺に対して、憤りを感じているのだろう。


「君はよく、俺は何も持っていないなんて言うよね」

「ああ。生まれも知らず、親の顔を知らないし、友人と語る人間もいない」

「可哀想だ」


 俺が眉を寄せる目の前で、ザクロは歯噛みしたまま涙を零していた。


「君を友と呼んだ多くの人たちが。君に頼ろうとした数々の人が。

 ――何より、君が」


 なんでこいつは泣いているんだろうか。

 俺はこいつを泣かせるようなことはしていない。ただ、何もしていないだけなのに。


「違うんだよ。

 君は思いを受け取っていないだけなんだ。何もないんじゃない、何も受け取っていないだけなんだ。多くの人が色んなものを渡してくれたのに、君は何にも受け取らなかっただけなんだ」


 心がざわめいたのは、きっとこれが真実だからだろう。


 俺というコップはどこかに穴が空いている。注げば注ぐほど、それは零れていく。


「でも、それもきっと違うんだ。君は受け取らなかったんじゃない。受け取れなかったんだ。受け取り方がわからないんじゃないのかな」


 ザクロに涙ながらに訴えられ、俺も俺自身を知る。

 自分を探す。


「……だって、どうすればいいか、わからないだろ」


 友達だと言われて、何と返すのが正解なのか。笑えばいいのか、冗談で返せばいいのか、わからない。友情という不定形なものがどうなっているのか、理解できない。


 そもそもそんな台詞が出る以上、”本当の友達”ではないんじゃないのか。表面だけを取り繕っただけの関係じゃないか。


 俺の霊装――ホワイトノート。

 好意を向けてくれた相手の霊装を模倣する。

 霊装の特性上、俺はその発動方法も、使用方法もわかっている。でも、俺はこの霊装を一度たりとも使えたことがない。


 それはつまりこの人生の中で、――誰も俺に好意を向けてくれていなかったということだろう?


 好きだと言ってくれても、友達だと言ってくれても、頼りにしていると言われても――この霊装が反応しないということは、それらはすべて偽りだ。”本当の感情”じゃない。


 だから全部嘘なんだ。

 あの子が泣きながら好意を吐き出したことだって、あの子が死ぬ手前に俺に向けて薄く微笑んでいたことだって、あいつが酒場で友情を熱く語ったことだって。


 今、こうして、四聖剣の英雄が俺のために泣いていることだって。


 全部、嘘。

 だって霊装がそう言っている。

 霊装は正しいんだ。俺よりもよっぽど。


 受け取るも何も、最初からないと、霊装が教えてくれている。


「全部、そのまま受け取ってくれていいんだよ。僕は君を友達だと思ってる」

「なんで? 俺とおまえとに関係性はないだろ」


 だから俺は理屈を口にする。

 直感的に理解できない好意という存在を、考えた先にあるのではないかと探そうとする。


 ザクロは諦めなかった。


「……君は弱い人の気持ちがわかる人だ。シレネさんにだって、マリーさんにだって、君は寄り添ってあげていた。


 本当にどうしようもないのは僕の方なんだ。本当は僕がやらないといけなかった。四聖剣の立場でシレネさんの異常を察して接してあげていれば、あそこまで暴走することもなかった。マリーさんだって、僕が動けていれば死なないで済む方法があったかもしれない。

 でも、僕は逃げたんだ。僕にできることはないと勝手に見切りをつけて、そういう責任から逃げ出したんだ」


「別におまえの責任はないだろ。そもそも、俺だって何も防げていないし、何かを成そうとしてたわけじゃない」

「でもきっと、君が近くにいてくれたから、救われた時間はあったはずなんだ」


 俺は唇を噛んだ。

 そうだといいな、なんて語るのは自己中心的過ぎるか。


 ザクロは何もしないで傍観したことを後悔しているが、俺は隣にいて何もしなかったんだ。できたのに、何もしなかった。後悔して懺悔して許しを請うのは俺の方。


「そういう優しい君と、僕は友達になりたいんだよ」


 涙をふき取って、ザクロは笑顔を向けてくれる。

 それはとても綺麗な笑顔で、俺は思わず信じてしまいそうになる。


 だが。

 俺は右手に白い布を握った。

 霊装ホワイトノート。好意を受けている人間の霊装を模倣する。が、その白い布は白い布のまま。


「……嘘はつかないでくれ。おまえが本当に俺のことを友人だと想ってくれているのなら、俺はおまえの霊装を使うことができている」

「それが君の霊装?」

「ああ、今まで一度も使えたことがないけどな」


 鼻で笑って、白い布を放り投げた。

 風に攫われて、どこかへ飛んでいく。そのまま俺のところに戻ってこないで、どこかに行ってくれた方が気が楽なのに。


「友人ってのはさ、きっと一方的な感情じゃないよ」


 ザクロは飛んでいく白い布を見つめて、ぽつりと呟いた。


「片方が思ってるだけじゃ、きっとそれは友情じゃない。どちらもが同じくらいの感情も持っていないと、それはただの独りよがり。

 さっきの話と一緒だよ。僕からの友情の話を聞いても、まだこの友情を、君は受け取っていないんだ。だから、霊装もそれを友情だと感じていない。君が受け取って初めて、それは情の形になるんだよ」


 受け取り方がわからない。

 何を手のひらの上に乗せていいかもわからない。


 だって今まで、そうしたことがないから。

 もっと深く考えれば、俺なんかが友人になるなんておこがましいという感情が巣食っている。他人の人生の一部に組み込まれるような大層な人間ではないと思っている。


「僕も変な人間だからさ。友達が欲しいんだよね」

「四聖剣が何言ってんだ」

「やめてよ。だから王都にいるのをやめたんだよ」


 含みのある言い方に、俺の方が言葉を失っていた。


「僕はただのザクロだよ。君だってただのリンクでしょ。今ここにいるのは、何のしがらみもない二人だ。二人が並び立つのに理由があるっていうのなら、それは友情以外にはありえないんじゃないかな」


 王都から離れれば、俺たちは変わらない。同じ宿で寝て、同じ飯を喰って、同じ戦場で戦う。


 同じ、人間だ。

 俺なんかよりもよっぽどできた男。それでも、人間なんだ。


 息を吐いた。

 友情というものはいまだによくわからない。


 けれど、応えたいとは思った。

 こいつになら、裏切られてもいい。あるいは、こんな人間は失われてはいけない。


 こんな俺にもやることがあるというのなら、それはこいつのように、人のために動くことができて報われるべき人間が、正しく報われる世界を作ることなのかもしれない。


 ドス、と何かが落ちる音がした。

 いつの間にか、空を浮遊していた白い布が消えていた。


 そして、浮遊していた場所の直下、一振りの剣が地面に突き刺さっていた。

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