0-5
◇
旗色は悪くなっていく。
日を追うごとに魔物は増えていき、それに伴って負傷者も増え、戦況は悪くなっていく。一度死者が出ると、籍を切ったかのように戦場の中で死が蔓延した。
一人が戦闘を続けられなくなる怪我を負い、
一人が噛まれ砕かれ死んで動かなくなり、
一人が増え続ける魔物を前に逃げ出して――
すでに酒場には初日ほどの活気はなくなっていた。
なんとかザクロのパーティが中心となって戦線を支えてくれているが、彼らの目の届かないところでは幾度も戦線が崩壊している。互いに補い合いながらなんとか戦線を保っている状態だ。街に魔物を入れないという絶対の目的は果たされているが、それ以外の目的は果たされているとは言いがたかった。
「――って状況でも、おまえは生き残ってるんだよなア」
ウルフはいつものように飄々とした顔で、俺の対面に座った。手馴れた調子で度数の高い酒を頼んでいる。
了承もなく座りやがって。
最初に友好的にするんじゃなかった。俺は別に酒が強くもなく好きでもないのに、毎日毎日こいつの飲みに付き合わされる羽目になってしまった。
「その台詞、そのまま返す」
「俺様は霊装使いだからいいんだよ。霊装も持っていない一介の兵士崩れがよくもまあ持ちこたえているもんだと思ってな。皮肉じゃなく、本気で褒めてるんだぜ」
店の人も慣れたもので、すぐに並々と注がれた酒が二人分、目の前に運ばれてきた。
「……」
「なんだよ、飲もうぜ。それとも飲めない理由でもあんのか? 別に今日死んだ奴と友達だってわけでもねえんだろ?」
「俺に友はいない」
「はっは。そうだよな。じゃあ飲めるだろ」
俺は半ばヤケクソに酒を煽った。
強い酒だった。
にやにやしている野郎を前に酒を飲むのは、……まあ、悪い気分ではなかった。
「おまえも配給の剣一本でよくやってると思うぜ。しかも一人で。正直さっさと死んじまうと思ってたんだけどな」
「俺もそうなるもんだと思ってたけどな」
しかし、俺は怪我らしい怪我一つなくここまで生き残ることができた。もしくは、”生き残ってしまった”。
人は望みを叶えてもらえない。神は人の思いを知っていて、反対方向に誘導するのだ。どっかの誰かが英雄的な死を求めながらも死に場所を見つけられないように、歯を食いしばりながら王国に喧嘩を打ったとしてもどうにもならないように。
俺のように適当に生きている人間が生き残ってしまうように。
夢は叶わない。
だから人は目を閉じた時だけに夢を見る。
……くだらないな。
「何が言いたいかというと、おまえは評判よりも優秀だというわけだ」
ウルフは楽しそうに断言する。
俺は肩を竦めていた。
「酔いが回るのが早いな。俺なんかを褒めても何も出ないぜ」
「事実を伝えただけだ。剣一本でここまでやるのはなかなかだ。だからこそ、惜しい」
ウルフは真面目な顔になって、俺のことをじっと見つめてきた。
「俺様たちのパーティに入れ。一人で戦うのはこれきりにしておけ。このままだとホントに死んじまうぞ」
今をときめく四聖剣様のパーティへの加入。
この状況おいて、生き残るための最善な方法だろう。
素敵なお誘いだ。
「ザクロのところか」
「おう」
「おまえのようなやつが、意外だな。おまえとザクロに共通点が見当たらない」
ザクロの生真面目さとこいつの不真面目さは水と油のようにも見えた。
「はっは。まあそうだな。相手は国の特記戦力である四聖剣。俺もいまだに意外な心境だ。だが、一緒にいれば違和感はないぜ。あいつは外面ほど真面目じゃない。変人だから、余計な気を遣う必要もない」
「お貴族様の四聖剣相手に対して、不敬だぞ」
「あいつは四聖剣の霊装を持っているが、四聖剣じゃない。貴族位を返還したんだ。だからあいつはただのザクロなんだ」
驚いた。そんなことになっていたのか。乗り合いの馬車に乗っていたのか。
四聖剣なんか、貴族中の貴族。むしろ専用の馬車が用意されて然るべきなのに。
貴族位の返還とは、なかなかに豪胆だ。黙っていれば何不自由ない生活が約束されているというのに、それを捨ててわざわざ王国内に敵を作ったということになる。
そもそも四聖剣という特別な存在が貴族を降りるなんてことができるのだろうか。
「面白いだろ?」
「まあ、確かに変人だな」
俺も見る目を変えないといけないかもしれない。
「だから来い。ザクロも面白いやつだし、おまえも面白いやつだ。遠慮することはないんだぜ」
「俺が遠慮しているように見えるのか?」
そういう理由でごねているわけじゃないんだけど。
「その言い方、おまえは俺に死んでほしくないのか? そんな他人を心配するような殊勝な性格には思えなかったけど」
「俺は義を重んじる。報われる思いはあるべきだと思っている」
意外とこいつ、真面目なんだよな。
飲んでいても時折熱い話が出るのは、これが初めてじゃない。そういう部分がザクロに気に入られたのかもしれない。
熱さから逃げるように、俺は手を振った。
「俺は何も思ってない。だからおまえがわざわざ俺に義を感じる必要はない」
「……めんどくせえな。じゃあいいよ、俺が勝手に思ってるってだけでいい。俺はおまえに友情を感じている。なんだかんだ酒に付き合ってくれて、感謝してるんだぜ」
「恥ずかしいこと言うな。暇だっただけだ」
「もう逃げるなよ」
真っすぐに言われてしまえば、俺に返せる言葉はない。
「おまえが受け取っても受け取らなくても、世界は変わらない。だったら、無責任にだって受けとって努力するべきじゃないか。おまえにはここまで生き残った才能があるだろ」
「ない。俺には何もない」
過去を振り返っても未来を慮っても。
俺には何もない。
◇
墓標の前に立つ。
街の中の墓地。魔物の牙と爪によって滅茶苦茶にされ、還る土地もわからない英雄たちがこの下で眠っていた。
百名ほどの英傑がこの街には集められていたが、すでに戦えることのできる人間は半分も残っていなかった。戦えないほどの怪我をして、あるいはそのまま致死の攻撃をとなって、それを見て逃げ出す者も多くいて、そんな中、魔物の勢力は増していって、この街が魔物に突破されるのも時間の問題と言えた。
王都には応援の要請が行っているはずだが、音沙汰がない。魔の森と王都とを結ぶ道中の他の町でも同様の出来事が起こっていて、対応が間に合っていないという見解だ。
あるいは、”万が一”のことを考えて、王都に戦力を終結させているのかもしれない。守る範囲は狭い方が十全に対応することができる。
この街は見捨てられたのか。
そうであれば、逆に愛着も湧いてきた。
ただ死を待つだけという意味では、俺と同じ存在だった。
俺は墓石と語り合うこともなく、ただ茫然と立ち尽くしている。
「やあ」
背後から声をかけられて振り返る。
そこには聖剣を賜った英雄が立っていた。