0-4.
◇
王国から依頼された内容は、一定数の魔物の討伐と街の安全の確保だった。それが完遂するまでは、基本的に街から離れることは許されない。
街の外に出て周囲を哨戒。魔物が出てくれば殺す。ある程度片付いたら街に戻る。その繰り返しの日々が始まった。
魔物は毎日顔を見せた。ちょうど朝になって街の外に出ると、数匹の魔物がこちらに歩きよってくるものだから、俺たちはそれを狩る。昼と夕方も同様に街の外の様子を窺って、魔物がいれば殺す。
数日経っても、同じことの繰り返し。毎日戦闘ばかりだが、魔物一体一体は相手にはならず、王国から派遣された人間の中には負傷者すらいなかった。それぞれが信頼し合うメンバーと共に危なげなく戦う事ができている証左だった。
余り物や変人の類はその辺に転がっているだけだし、誰も怪我をする予兆もない。
王国で話を聞いた時には未曽有の事態と聞いていたから構えていたが、少し拍子抜けだ。大げさに噂されているだけだったな、なんて余裕の声も聞かれた。
後は討伐数を増やし、そのあたりに転がる魔物の数を減らしていけば任務完了。街にいる警備の人間に引き継いで王都に戻る。
俺も口うるさい英雄から離れた場所で喰っちゃねすることができて、有意義な時間を過ごすことができて万々歳。
良い仕事だ。
このままこれを続けようかな。
――とはいかないのが、昨今の魔物数上昇の状況だった。
街を拠点に魔物を狩り続けて七日ほど経った頃だろうか。
異変が起こり始めた。
「どうなってる! なんで、魔物の数が増えてるんだ!」
共に魔物の討伐に参加した人間の絶叫を前に、俺も目の前の光景に立ちすくんでしまった。
魔物はここ数日、一定の数を狩ることができている。その日に目についた魔物は殺しきってから街に戻っているし、このあたりの魔物は狩り尽くしたんじゃないかと軽口を叩く者もいたのに。
単純に、倍の数の魔物が見えた。
それぞれの個体値はそう高くない、小さい猪のような魔物。それこそ、今まで怪我人もなく殺すことができたものと変わらないのだから、恐れることはない。
しかし、それは一対一の構図を作ることができていたから。あるいは、数的有利を作成し、上手く陣形を作ることができていたから。
今までの戦術が許されない数の魔物を前に、息を飲むのも不思議なことではなかった。
「状況は変わらねえだろ。同じようにぶっ殺すだけだ」
斧を担いだ偉丈夫は初日と同じように駆け出していく。それを見て、同じように駆け出す者数名。大きく遅れて(遅らせて)俺も駆け出していく。
街まで魔物が押し寄せてしまえば責任問題だ。関わった人間すべての威信に傷がつく。民間人の人死を出せば、大きな混乱も起こって国が揺れる。それだけは絶対に死守せねばならなく、俺も自身の剣を握った。
……いや、”彼女”を見殺しにした国だ。今もなお、自分の妹を殺めた人間が王座に座っているのだ、崩壊した方がいいんじゃないか。
悩みも一瞬。
俺は頭を振って武器を握り直した。
前を行く豪胆な男たちの横を抜けてきた魔物が近づいてくる。間合いに入ったところから切り裂いていった。霊装ではない一般的な武器でも刃が通る。俺のような男でも、なんとななるような魔物で良かった。
全員が一丸となって戦う事で、魔物は数を減らしていって、ついにはすべてが死骸となった。
今回も何とかなった。街までの侵入を許すことはなかった。
しかし、初めての負傷者が出た。数人が軽傷を負い、一人が戦闘を継続できない怪我を負っていた。
その日の食事処はいつもとは勝手が違っていた。昨日までは報奨金で飲めや謳えやの宴会騒ぎだったというのに、今日は水を打ったかのような静寂が提供されていた。黙々と食事に手をつける者も多かった。
「いやあ、しかし、なんとかなって良かったぜ」「ああ、あいつら一匹一匹はどうとでもなるからな」「明日も稼がせてもらうことにしよう」なんて軽口も聞こえてきたが、その後に続く者は少ない。喧騒もすぐに鎮火してしまう。
誰もが頭の片隅に懸念を残していた。
――これからも増え続けるのではないか。
そもそも、これはそういった触れ込みではなかったのか。魔物の数が増えているから、何とかしてほしいと。どうして初日に出てきた魔物が最大値だと思えたのか。むしろ、あれが最小値だったのではないか。
天井がどこにあるかもわからない。もしも青天井に魔物の数が膨れ上がるのであれば――
「あーあ、どいつもこいつも腰が引けちゃって、寂しいもんだぜ。俺様たちはこういった有事の時こそ気張らねえといけないってのによ」
今日の酒の売れ行きは傍目から見ていても良くなかった。そんな雰囲気に抗うように、そいつは次から次へと酒を注文しては喉を鳴らしていく。俺の近く、店の端っこで一人でいる彼は、集団の中に入るというよりかは外から俯瞰の目で見ているようだった。
「おまえはどうだ? あれくらいの魔物の量で一喜一憂してんのか?」
異彩を放つ彼をじっと見ていると、水を向けられてしまった。
息を吐いて、素直に答えた。
「別に。どっちでも。数が多くなって少なくたって、人は死ぬとき死ぬもんだろ」
「間違っちゃいないな。だが、おまえは動じないというよりも、興味ないって風に見える」
男の目が細められた。
値踏みするように見つめられても、俺にはいくらの値もつかないぞ。
「その通りだ。この事象そのもんに興味がない。正直、魔物がどうなろうがどうでもいい」
「ここを死地を決めてんのか。何かあったのか? 酒のツマミに聞いてやるよ」
「何もない。だから何だっていいんだ」
「あ、そ。だせえな」
男は俺への興味を失ったようだった。
俺も男への興味を失って、食事へと再び手を伸ばした。
ふと、手が止まる。
口を、食事ではなく会話のために開いてしまっていた。
「……おまえは? 何のために戦ってるんだ?」
「なんでおまえにそんなこと言わないといけねえんだ」
「俺ばかりが酒のツマミにされても気分が悪い」
「興味がねえわけじゃねえのかよ、面倒なやつ。
まあ、いい。俺は金がいるんだ。妹が面倒な病気でな。治してやりてえ。この魔物討伐でできるところまで稼いで行きたい。後は、あいつがこれから生きる世界が魔物だらけってのも申し分けねえしな」
意外と真っ当な理由に、思わず面食らってしまった。
男は口端を歪める。
「なんだ、意外か?」
「酒飲みの台詞とは思えなくてな。十分面白かったからいつでも撤回していいぞ」
「冗談じゃねえよ」
男は鼻を鳴らして酒を煽る。
「……余計なやつに余計なこと言っちまった」
「いいだろ。俺は誰かに言いふらすような男じゃない」
「言いふらす相手もいなさそうだしな」
「正解。学園時代は壁扱いだった」
「壁ってなんだよ」
「何を言っても何にも返ってこないから壁だ。……いや、反響もしないから、壁以下だったのかもな」
「ははっ、なんだ、おまえ、つまんねえやつだと思ってたが、案外面白いやつだな」
男は大口開けて笑って、酒の入った入れ物を傾けてきた。
「俺様はウルフ。パーティメンバーが真面目なやつらばかりで、暇してたんだ。少し付き合えよ」
「壁で良ければ」
「壁にだって名前くらいあんだろ」
「リンクだ」
俺は誘われるまま、彼のテーブルへと移った。
特に宿に戻ってもやることもないし、この酔狂なやつに付き合ってやるのも一興かと思った。
◇
大方の予想通り、翌日に街の外に出てみると、昨日の更に倍以上の魔物が顔を見せていた。近場から遠方まで、魔物が雁首揃えてこちらを睨みつけている。
対して、人間たちは絶句していた。
今日、目前の敵をどうにかすることではない。今見えている敵の後ろにいるであろう無数の魔物と戦う未来を予見して、口を閉ざしていたのだ。明日にはこの倍の魔物と戦う可能性が見えている。
「やるしかねえんだからやるだけだろ」
そんな中、一人の男が倦怠感を顕に前に進み出た。
昨日俺が一緒に飲んだウルフという男だった。昨晩遅くまで飲んでいたし、深酒していたからか、目の下に隈を作って相当気分が悪そうだった。
だが、そんな状態でも彼は前に進む。
振り返って、俺と目が合った。口端が歪む。
「おまえにないのは興味じゃなくて、一歩目なんじゃねえのか」
半分の嘲りと半分の楽しさと、それらを織り交ぜた表情で笑うと、ウルフは魔物の群れ目掛けて駆け出した。
その両手にはかぎ爪のついた手甲が装着される。
彼の有する霊装は、まさしく敵を殺すためのものだった。一振りすれば魔物が斬殺されていく。一つの動作で屠ることができるのだから、数は問題ではなさそうだった。
「ほら、ウルフを一人にしないで」
彼を追うように、一つの集団が抜け出した。
男二人、女二人の四人組は、ウルフと行動を共にしているようだった。その中にはザクロ・デュランダルもいた。馬車の中で俺に突っかかってきた女性もいた。
「……なんだよ、立派なパーティじゃないか」
誰にともなく呟いた俺の言葉は、人々の喧騒に飲み込まれて消えていった。
五人の奮闘を見た他の人間も鼓舞されて、魔物へと向かっていった。
魔物は無事に狩りきることができた。
この日は。