0-2.
◇
その少女が教室に顔を見せなくなった。
誰も何も言わなかった。
教官も生徒も、最初からその子がいなかったかのように講義や訓練を進めていく。
以前は顔を見ていた食堂にも顔を見せなくなった。
流石に心配になってくる。
俺と同じく独りぼっちで過ごしているから、誰が彼女の動向を知っているというわけでもない。
不安が胸を撫でていく。
――正直、何が起きているのかは、予想できていた。
いつそうなるのか。カウントダウンはずっと刻まされていたのだから。
そういう意味では、俺も”加害者”なのだ。誰かが一声かければ、それは起きていなかったのかもしれない。未来に一筋の光を垂らすことができたかもしれない。
けれど、どう足掻いたって、いつか絶対起こりうることなのだ。王族を相手にして、庶民の女の子一人で渡り合っていけるはずもない。どんな策もどこかで崩壊して、変わらない未来がやってくる。
俺は講義をサボって女子寮に向かった。
俺もまた、いなくても何も言われはしなかった。
女子寮にいた寮監督は俺を見て用件を聞くと、簡単に部屋の場所を教えてくれた。
男が女子寮に入ることが容易に許可される。
寮監督が安心したような顔を見せたことが印象的だった。
誰だって、第一発見者にはなりたくない。状況によっては自分が犯人に仕立て上げられる可能性もある。だから長い間彼女はそのまま放置された。
女子寮の廊下を歩き、彼女の部屋の前まで来る。
一人部屋の角部屋。
部屋の前に立つだけで鼻の奥を刺すような、嫌な臭いがした。隣の部屋で暮らしている人間なら、絶対に気づくだろうに。
それほどまでに関わり合いを排除されているのか。
誰も彼女と関わろうとはしなかったのか。
もしかしたらこの学園の中で彼女と話していたのは俺だけだったのかもしれない。無色透明で何の影響も及ぼさない俺だからこそ、彼女と話しても誰も何も言わなかった。彼女も呆れながらも会話をすることができた。何もないからこそ、――俺だからこそ、できていたことだったのかもしれない。
俺とは異なる孤独。
何もないのではなく、多くを抱えるからの絶望。
俺が孤独なのは自分と他人による無関心からで、彼女が孤独なのは俺以外がひどく関心を持っていたからだった。
俺は扉を開いた。
彼女はやはり、そうなっていた。
鼻を刺す腐臭と死臭。下に汚物が垂れ落ち、すでに水分は蒸発して凝固していた。顔は扉の反対側を向いていて、どんな表情になっているのかはうかがい知れない。誰にも弱みを見せたくないなんていう――そこに彼女の意地を感じた。
「きゃああああっ」
背後から悲鳴が聞こえた。
寮監督が悲鳴を上げて、走り去っていった。
俺が第一発見者になった。寮の監督も自分以外の誰かが扉を開いたという結果だけが欲しくて、俺のような阿呆を待っていたのだろう。それだけのために、彼女は長い間放置された。
死してなお、彼女は腫れもの。誰からも触れられない禁忌な存在。
いや、違う。
俺が、彼女をここまで放置したんだ。
俺だけが、気づくことができて、発見者になりえたのに。
こんな中途半端なところで手を出すような馬鹿野郎。
生の匂いなんかとっくにしなくなっている状態になるまで、俺は逃げ続けていたんだ。
……。
…………。
俺には何もない。
いや、何もなかった、というべきか。
彼女の死を前にしても何も持っていないという人間を名乗るほど、本当に無色な人間ではなかったらしい。
ただ、
ただ。
◇
サボってばかりの学園生活だった。特に特筆することもない、まさしく無色な二年間だった。
その結果、俺は特にどこに誘われることもなかった。披露会でも容易に一回戦で敗北し、誰にアピールすることもできなかった。騎士団に行くなんて夢のまた夢、要衝の街に常駐する霊装使いにもなれなかった。なんとかお情けで王都の警備隊、その末席に加えてもらえた。
雀の涙の給金をもらって、王都を囲う壁面に備え付けられた小部屋から、魔獣の類がやってこないかを見張る毎日。
王都を囲んだ主要都市でほとんど魔獣は狩られるから、王都まで魔獣が来るなんてありえない。この仕事はあってもなくてもよい、まさしく俺のような職だった。
「……貴方はずっと変わりませんのね」
呆れたため息を吐く英雄。
こんな何もないところに寄ってくるのは、四聖剣の英雄様くらいなものだ。
「おまえも暇だな。こんなところに何しに来るんだ」
「私は暇ではありませんわ。……ただ、ちょっと」
目の下に隈を作って、困ったように笑っていた。
「疲れた、なんて誰にも言えないでしょう?」
「俺に言ってるだろ」
「貴方には何も言ってもいいのです。貴方にはこのことを告げ口する友人もいなければ、誰かに信じてもらえるような仁徳もない。私が一言言えば消えて飛ぶような脆弱な存在。安心して何でも言う事ができますわ」
英雄様は俺のことをゴミ箱か何かと勘違いしているらしい。
物言わぬゴミ箱だって、ごみが溜まれば文句も出るぞ。
「おまえがここに来ることによって、邪推するやつも出てくるんだ。英雄様がわざわざ声をかけにいっているあいつはなんだってな。そのせいで俺に迷惑がかかる。平穏な人生を歩ませてくれ」
「それくらいいいでしょう。貴方は何もないのだから、私が来るということだけでも、幸運が合っても良いと思いますよ」
「何が幸運だ。おまえの評判にも傷がつくぞ」
「それはよくないですわね」
おい。
俺よりも英雄の看板の方が大事ってか。
そりゃそうだ。
英雄様はうっすらと笑って、
「そんなにここに来られては困るというのなら、貴方の方から私のところに来てください」
一枚の紙片を取り出して、俺に放って来た。
そこには王都の高級住宅街の住所が記載されていた。
「歓迎しますわ。貴方がこれまでもこれからも一生お目に掛かれないような接待を約束しましょう」
「行かねえよ。なんで俺みたいな一介の兵士が英雄様の家にいかないといけないんだ。それこそ変な噂が立つ」
「立ちませんわ。なぜなら、私は英雄だから」
目を見開いて、にっこりと微笑んでいる。
「英雄は貴方のような末端の人間とは関わらない。誰もが羨むように燦然と輝き、人々の不安を腫らし、未来を照らすのです。だから、貴方が来ようが誰も何も気にしない。彼もまた私に救われたのか、と勝手に解釈するだけ。
私には、誰も何も言えないんです」
みしみしという音が聞こえた。
彼女の身体では押さえきれない英雄像が見え隠れしていた。
俺の中にあるいくつかの過去が顔を見せた。
路地裏で死んでいる少女が見えた。
扉の奥で首を吊って死んでいる少女が見えた。
「……」
「ここからは貴方に任せます。その紙は捨てても良いですし、売ってもいいですわ。何が来ても私は迎え入れると約束しましょう」
壊れかけの英雄は変わらぬ笑顔を残して去っていった。
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