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トキノオリ  作者: 紫藤朋己
19章 時の檻
174/183

174. 宴



 ◇



 その宿にはいつかと同じように温泉が備え付けられていた。

 露天仕様であり、空を見ながらお湯に浸かれるとのこと。


 かけ湯もそこそこに、暖かい湯船の中に身を沈めていく。

 心地いい。気が付かないうちに、俺なんかにも疲労が溜まっていたようだ。暖かさに包まれて、それらが抜け出していくのを感じる。

 ぶくぶくぶく。口から吐き出した空気がお湯の中で泡になっていく音。俺の身体も泡となって溶けていくような気がする。


 安堵と達成感。

 気持ちいい。


 そう思っていると、


「気持ちいいな」


 すでに湯船に浸かっていた先客に話しかけられた。


 広い湯船の先、こちらに視線を送ってきているのは、どこかで見たことのあるような赤髪の男だった。右腕がないということは、あくどい商売で失敗して責任でも取らされたのだろうか。

 知らない相手だってので、俺は無視をした。


「おい、無視するな」

「さて。初対面の相手にそんな風に馴れ馴れしく話しかけられても困りますね。いつかどこかでお会いしたことがありましたっけ?」

「三文芝居をするんじゃねえ。毎日会ってただろうが」

「ああ、どこかで見た顔だと思ったら、指名手配書にあんたみたいなやつがいた気がするな。通報しないと」

「お互い様だろ。ちなみに貼られてた時は、おまえの方が罪と賞金が大きかったぞ」


「え、まじ?」

「そりゃそうだろ。おまえはしっかり顔出ししてヘイトを稼いでたんだから。だからお互いに通報し合った場合、痛み分けじゃなく、俺の方がもらえる額が多い。俺の勝ちだ」

「何言ってんだ。どっちも牢屋行きだろうが。どっちも負けだよ」

「はは。そうだな」


 下らない会話。

 久々に会ったというのに、そこに緊張感はなかった。いつもの会話の延長は心地よく、空いていた穴が埋まるような感じがした。

 これも踏まえて、気持ちの良い温泉だった。


 だから、少しだけ感傷的な気持ちにもなってしまう。


「一回だけしか言わないけどな」

「なんだよ」

「ありがとな」

「きもちわりい」


 俺の礼の言葉は受け取られることなく、蒸気となって宙に溶けた。


 そりゃそうだ。俺が逆の立場だったら、何言ってんだこいつって鼻で笑う。俺とこいつとの間柄で、今更礼を言う言わないというのは違う。

 おまえのためにやったんじゃない。俺のために、俺がやるべきだからやったんだ。互いにそう思っている。

 友人のために動いたことでいちいち礼を言われてたんじゃ、礼の在庫もすぐに切れてしまうだろうさ。言葉にしない方が伝わることもあるものだ。


「元気にしてたか?」

「ああ。今は王都から遠い街で暮らしてる」

「大丈夫か? バレてないか?」

「おまえと違って俺は顔を出してなかったからな。魔物騒ぎの薄い街だし、誰に何を言われることもない。

 おまえの方は?」

「相変わらず美女に囲まれてウハウハな生活だよ」

「そりゃ大変だな」


 レドは少しの憐憫を含ませて笑った。

 ずっと一緒にいたんだもんな。この嬉しさと大変さが伝わるのはこいつくらいなもんだ。


「ハナズオウは元気か?」

「一緒に来てるんだから、直接会って聞けよ」

「そりゃそうだな」

「アイビーは元気にしてるか?」

「おまえ、さっき言ったこと自分で思い返せよ。直接聞け」

「そうだった」


 無味無臭な会話。

 脳を通さない、ほとんど脊髄反射のような対話に意味なんかなかった。これは部屋の中二人で繰り広げていた過去のまま。でもきっと、こんな無意味に意味があると思った。


 がらがら、と扉が開いて、また一人男が入ってくる。


 彼は何も言わずにかけ湯を浴びて早々に、「えいっ!」掛け声と共に湯船に勢いよく飛び込んできた。

 お湯を顔面から浴びる俺とレド。


「……なんだ、風呂のマナーも知らねえ餓鬼がいるぞ」

「ああ、こういうやつが風呂場で泳ぎだすんだろうな」


 俺とレドは互いにため息を吐いた。

 やれやれ、まったく。こういうやつが風紀を乱すんだ。


「あはは! あはははは!」


 いや、これは餓鬼じゃない。壊れた玩具だ。


 もう十二分に大人になったというのに、その男は湯船をひたすらに蹴り上げて遊んでいる。借し切りじゃなかったら苦情の一つでも入りそうな蛮行だ。


「いつまでやってんだよ。子供に戻ったのか?」

「逆に二人は大人になったの?」


 そう問われ、確かにと思った。

 何が大人なものか。誰に誇れる生でもないくせに、白々しい。


 お湯に紛れて別の液体が彼の顔を伝っているのを見えた。

 お湯を浴びていないと、その液体が白日の下に晒されてしまう。

 それは恥ずかしいもんな。

 子供っぽい行動の裏に隠れた、カッコ悪い大人の矜持を見つけて、俺は眼を閉じた。



 それから、そいつの足を掴んで引き倒した。


「馬鹿が! 油断したな! 俺はずっと餓鬼のままだ!」

「沈めてやる!」


 俺とレドとの無駄に息の合ったコンビネーションに、ザクロはされるがままだった。

 彼はずっと馬鹿のように笑っていた。



 ◇



 部屋に戻ると、一番に頬を叩かれた。

 ぱん、と良い音が鳴る。


「あはははは! てんちゅー!」


 眼を白黒させていると、真っ赤になったハナズオウが満面の笑みで、振り切った手のひらを見せつけていた。


「……いきなりですか」

「てんちゅーだからしょうがない! いろいろあったけど、これでゆるした!」


 発音と声量がおかしい。

 こいつ、もうすでに出来上がってやがる。


 部屋の中を見遣ると、すでに酒の空瓶がいくつか転がっていた。

 そのまま視線をずらしていくと、気まずそうに眼を逸らしたシレネがいた。こっちはまだほんのり赤いくらいで済んでいる。


「すいません。止めきれませんでした」

「あはは! 紅葉だ! かっこわる!」


 背後からザクロが俺の顔を見て、大声を上げて笑った。

 いつかもこんな紅葉顔を晒したような気がする。随分と前のように思える。


「レド君、おかえり! お酒いっぱいだよ! ぜんぶのんでいいって!」


 ハナズオウはレドに抱き着いて、酒瓶をレドの口に突き刺した。

 レドはそれから逃れようと暴れている。交錯した瞳は助けを求めていた、が、俺はそっと眼を逸らした。ここはそういう場所なのだろう。逃げるには生贄が必要なのだ。


 混沌を増す場所から離れて、比較的落ち着いていそうなシレネとライの近くに来た。


「いつからやってるんだこれ」

「蓋を開けてから、もうそれなりな時間が経っていますわ。貴方たちが遅いんです。何を話していたんですか?」

「何を話してたんだっけ?」

「なんですかそれ」


 湯船の中で話していた内容が思い出せない。

 下らないことを話して、下らない競争を繰り返していた。何も残っちゃいなかった。

 まあでも、そんなことが意外と楽しかったりするものだ。ストレスすら残っちゃいないくらいに、何をしていたかも思い出せないくらいに、楽しかった。


「元気?」


 ライに酒の入った盃を手渡された。


「なんとかな。マリーにこき使われてるよ」

「いつも通りってことね」


 微笑むライの雰囲気は柔らかい。

 どこか焦燥感を漲らせていた彼女はもういない。


「おまえはどうだ? 何をしてるんだ?」

「世界を回ってるの。私の霊装は色んなところを見て回るのに適しているわ。上空から人の生きる世界を見下ろすと、色んな人生があるんだなって、なんだか楽しくなる。魔物に襲われている人を助けて感謝されたりしてね」


 王国に縛られなくても、人は生きていける。人の生きる場所は、どこにだって存在している。

 咲いた場所で生き続ける必要もないのだ。


「なんだか遠くに行ってしまった気分ですわ」

「私はどこにも行っていないわ。ただ自分の人生を生きているだけよ。呼ばれたらこうやって来るしね」


 そう言えるライはきらきらと輝いていて。

 俺はそんな彼女を見ながら、酒を煽った。


「ひぇぇ……」


 這い這いしてこちらに逃げ込んできたのはレフだった。


「あっちがすごいですよぉ。さっきからすごいペースでお酒が進んでて、手が付けられないです」


 あっち、とは、レド、ザクロ、ハナズオウ、マリー、アイビーの五人がひたすらに酒を煽っている空間だ。

 レドは半ば巻き込まれたような形で眼を回しているが、それ以外の四人はとても楽しそうにしている。アイビーなんかはこっち側だと思ってたんだが、真っ赤な顔で踊っている。


「……混ざりたくはないわね」とライ。

「もう少しお酒が必要ですわ」と息を飲むシレネ。


「でも、ザクロ君が楽しそうで良かった。久々にあんなに笑ってるところ見たかも」


 レフは温もりを有した瞳を細める。

 ザクロは酔っていなくても一人ずっとテンションが高かった。ずっと待ち望んでいた時間だというのがよくわかった。


 ハナズオウもマリーも、普段にため込んだストレスを発散すべく笑っている。レドだけは自分の意志ではなく巻き込まれて飲まされているという状況であり、明日ぶつぶつ文句を言いそうだ。


「……また、会えますよね」


 小さな声でレフが呟いた言葉。


 これから。

 一つの課題を乗り越えてから、俺たちの向かう先。


「半分が死んでるのに会えているんだ。会えないわけがない」


 これは絆か鎖か腐れ縁か。

 何にせよ、すでに俺たちは離れられないところまで来てしまっている。

 本当に死ぬときまで、なんだかんだ理由をつけて集まっているのだろう。


 こんな日がまた来るというのなら。

 死んでまで守ったこの世界にも、意味があるというものだろう。


「それに、これからのことを考えるのはまだ早い。夜はまだ始まったばかりだぜ」


 俺は酒瓶と共に立ち上がった。

 せっかくだ。

 俺も羽目を外して、翌日の記憶を飛ばしにかかろうじゃないか。


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