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トキノオリ  作者: 紫藤朋己
19章 時の檻
173/183

173. アオイロ



 ◇ 



 マリー女王は旅行に行くことにした。


 過労、心労、積み重なっていることは俺の目だけでなく、誰の目にも明らかだった。

 戦後の積み重なる業務により目の下に隈を作ったマリーを案じて、兄二人から打診があった。少し羽根を伸ばしてきたらどうかと。


 王子二人、兄二人。

 少し前までだったらマリーの留守の間に何かするつもりだと邪推もあったが、今や純粋な心配なのだと受け止めることができる。マリーが倒れたら何よりも大変なことになると、二人もわかっているのだ。


 俺はマリーの背後で三人の会話を聞いていて、なんとなく、感じ入る思いがあった。

 俺は他人だ。彼らの胸中を理解できることなんかない。けれどそんな他人の眼から見ても、この三人が敵意もなく話し合っている状況は夢の中でも存在していなかった。


 理想すら越えた現状。

 事実は夢より奇なり。まさかこんな未来が待っているなんて、だから未来が楽しみになってしまう。閉じこもった世界ではなく、開けた世界を見てみたくなる。他にはどんな世界が待っているというんだろうか。


「貴方も。この子をよろしくね」


 会話の途中、プリンツから声をかけられて俺の肩は跳ねた。


 ウインク一つ。突然の馴れ馴れしい声掛けに正直びっくりしたが、まさか鎧の中身が誰か気づいたわけでもあるまい。

 いや、プリンツなら気が付いているかもしれない。

 マリーがたった一人の騎士に執着していたことは周知の事実。それを手にするためならなんでもすると、近くにいた人物ならわかっているのかもしれない。そもそも血を分けた兄妹だし、感情の機微にも詳しいかもしれない。


 真実は知られてもいいのだが、口外されると厄介だ。

 死んだと思われていた罪人を生かして近くに置いているなんて知れれば、マリーの評価は間違いなく下落する。特に俺は黒の曲芸団として多くの人間を屠った男。好感度の塊のマリーであっても抱えきれる負債ではない。


 俺は余計なツッコミを受けないよう、微動だにしないように努めた。


 プリンツは笑う。


「そんなにかしこまらなくても、別に取って食おうなんて思ってないわ。ただ、この子を支えてあげてね。この子はこれからだって大変なんだから」

「誰に話してるのよ」とマリー。

「そこにいる誰かさんによ」


 プリンツはそんなことを言って満足したのか、「じゃあ、そういうことで、休みの計画を立てておくことね」背中を向けて執務室を出ていった。


「何を言っているんだ、あいつは」とロイのことを首を傾げたままにしている以上、プリンツは気づいた上で告発する気はないようだった。ロイに言ったら間違いなく炎上するしな。


 これも成長なのだろうか。

 もう彼らが対立することはない。

 マリーが殺されることもない。

 すべてが終わったようで、肩の荷も降りた。


「そこまで言ってくれるのなら、じゃあ、どこか行ってこようかしら。前に皆で行った海とかどう?」


 俺の方に向かって口を開いているが、俺は答えられないんだぞ。


「勝手に行ってこい。尻ぬぐいくらいはやってやる」


 ロイはため息をついてから、プリンツの後を追って執務室を出ていった。


 二人きりになって、マリーは再度振り返ってくる。


「ねえ、どこに行こうかしら。アイビーと二人きりの旅の前に、まずは皆で旅行に行きましょう」


 アイビーとの逢瀬の予定がバレている。

 というか、マリーは俺をアイビーのいる魔の森に案内していたし、最初からアイビーと話し合っていたのかもしれない。


「貴方とアイビーが会う事、別に咎めることはないわ。アイビーだって功労者だもの。あの子がいなければ、私は生きてもいないし、貴方とこうして一緒にいることもなかったわ。本当は嫌だけど、報いる相手はわかってる。だから、たまになら旅でもなんでもしてきていいわ。鎧の中に入れる人物も、貴方だけじゃなくて他の人を募っていかないといけないし」


 この鎧は、誰が入っているかわからない状態にしておかないといけない。

 けれど、”誰かが入っている”とわかる状態でもないといけない。


 今日はあいつが入っているのかな、と誰かが入っていることを想起させないと、違和感が出てしまう。思い至る人物全員と会ったけれど、誰にも合致しない。誰も入っていないかもしれない、なんて思われたら破綻する。


 だから定期的に他の人物もこの中に入れないといけない。テツノオリ。牢屋のような鎧の中に放り込まれる被害者は誰だ。


「まあその話はいいのよ。旅行よ旅行。誰を誘おうかしら。シレネにザクロにレフに……」


 指折り数えて、かつて集まっていた、いつもの面子の半分の名前を挙げられないことに気づく。

 半分が死んでしまった。彼らの名は呼ばれることもない。


「――ま、皆ね」


 マリーは手のひらを開いて笑った。



 ◇



 久方ぶりの海は、中々に新鮮だった。

 あらゆるものから解放されたからだろうか、海は以前よりも青く、広大に見えた。


「いかがですか、久々のシャバは」


 声に振り返れば、美女がいる。

 水着を身に纏っていて、体つき肉付きがよく見える。

 依然に見た時は数年前か。その時よりも体つきの凹凸は美しく、そして妖艶になっている。風に靡く長髪が年月の移り変わりを思い出させた。


「綺麗だよ」

「ふふ。当然ですわ」


 慢心だな。まあしかし、本人が豪語するくらいに美しい。


「ありがとうな」

「水着を見せてくれて?」

「それもある。けど、全部だよ。おまえがいてくれたから、すべてなんとかなったんだ」


 ずっと伝えたかったのは、感謝だった。


 シレネがいればなんとかなる。

 逆説的に、シレネがいなければどうともならなかった。未来など存在していなかった。

 俺がここでこうして生きているのも、シレネのおかげである。


「私など、ただの一助をしたに過ぎません」


 本心から言っているようなので、俺はこれ以上言いはしなかった。


「空気がうまい」


 トキノオリから抜けて、テツノオリから解放されて、久々に深呼吸できた気がした。


「あの鎧の中にいたのではそうでしょうね」


 シレネは微笑んでから、俺の横に並ぶ。

 俺の右隣に立つと、同じように海を見つめた。

 少しだけ波の音を聞くだけの時間が流れた。


「一緒に暮らしませんか」


 突然、そんな申し出。


「これからの時間を、一緒に過ごしたいんです。永遠に続く世界が終わった以上、時間は有限となりました。一秒一秒が惜しくて恋しい。貴方の喪った右腕の代わりに私を使ってください。なんでもしますわ、すわすわ」

「無理だよ。俺は王城を出られない。すでに死んでいる男なんだから」

「何を言いますの。貴方の霊装をもってすれば、どうとでもできるでしょうに」

「まあ、アイビーはやってのけてたけどな」


 ナイフを放れば、どこへでも行ける。

 その権利が俺にあるかはわからない。


「マリー様、アイビーさんとはすでに話を通していますわ。私たち三人は、貴方を巡る恋愛戦争に、停戦協定を結んでおりますの」

「なんだそれ」


 恋愛戦争なんて。

 魔物との戦争が終わったと思ったら何をしているんだ。


「全員、貴方と過ごしたい。けれど競争相手が全員強かで、出し抜くことは難しい。それがわかったので、互いに納得できるように取り決めをしましたの。マリー様は日中と一部の夜。アイビーさんはどこかでまとめての期間。私は夜の大部分をいただくことにしましたの」


 にっこりと笑うその顔は、いやに綺麗だった。


「……いつの間に話したんだよ」

「貴方がぐっすり寝ている時ですわ」

「俺の個人的な時間は……」

「欲しいんですの?」


 言われ、考えてみたが、特に欲しいとは思わなかった。

 別に一人ですることもないし、したいことと言えば、好きな女の子と一緒にいること。

 あれ、渡りに船か?


「それに――放っておくと、貴方はどこかに消えてしまいそうですの。名前と共に、消えてしまいそうで。だから誰かが一緒にいないといけないのです」


 シレネの眉がひそめられる。

 少しだけ切なそうな顔に、俺は言葉を返せなかった。


「自分を責めるのはやめてください。死んだ人を数えるのはやめてください。そこにはもう誰もいないのですから」


 俺が以前、シレネに言った言葉。

 それがそのまま返ってきていた。

 それもそうだ。自分が言ったこと。死者は死者。生者の足かせにするのは間違っている。


「ご褒美が、可愛い女の子とのめくるめく日々ってことか」

「ええ。報酬としては破格ですわよ」


 確かに。

 シレネもマリーもアイビーも、本来の俺だったら逆立ちしたって手に入らない美人揃い。

 これが世界を救った褒美だとすれば、最高のものだ。自分の時間がないということくらい、どうってことない。

 無駄なことを考える時間すらないくらい、楽しい日々だろう。


「王城近くに部屋をとりますわ。そこならマリー様の部屋から飛んでこれるでしょう?」


 はにかむシレネ。

 どちらにせよ、選択権は俺にはなさそうだ。

 余生は流されるように生きるのも悪くはない。


 俺のご褒美であり、彼女たちのご褒美。

 全員幸福なら何の文句があろうか。


「そういえば、忘れ物ですわ」


 シレネは何かを取り出して、俺の左手をとった。

 その薬指に青色の指輪を嵌めてくる。


「逃げようとしても無駄ですわ。この指輪が手放せないように、私のことも手放せないのです」

「今度は左腕がなくなるかもな」

「そうしたら頭につけましょう。特注サイズの輪っかを頼みますの」


 嬉しそうなシレネに、俺は白旗を挙げた。


「嘘だよ。今度は死んでも失くさない」

「かといって死なれたら困りますわ」

「もう死んでるんだ。これ以上何がある」

「それもそうですわね」


 くすりと笑って、俺の手に手を重ねてきた。

 その手を握りしめる。


 空も海も指輪も、青色はいつまでも綺麗な青色だった。


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