166. 四聖剣
◆
『あ』
四つの声が重なった。
彼らはそれぞれを視認し、互いの顔を見つめあう。
すでに顔を突き合わせてしまった後だ。今更見て見ぬ振りを決め込むことなどできない。逃げられないことを悟ると、まずはシレネが口を開いた。
「どうしたんですの、揃いも揃って、こんなところで。偶然出会うような楽しい場所ではないでしょうに」
魔の森の奥地。
魔物しかおらず、人影一つ見当たらない死の場所にて、彼らは顔を突き合わせた。
偶然を信じる者などいない。
全員が明確な目的をもってここまでやってきたのだ。
シレネの皮肉交じりの言葉に、しかし、なかなか会話は始まらない。
思い返せば、同じ言葉で括られることが多いわりに、面と向かって話し合ったことはなかった。仲が悪いから話さないのか、話さないから仲が悪いのか。それすらも誰もわかりはしない。
全員が仏頂面となって、何を口に出したら良いかわからなくなっていた。
「……僕は、さっきそこでスカビオサに会って、状況を聞いて手伝ってるところ」
ザクロ・アロンダイトは背中にレドを背負っている。
振り返った先にいるスカビオサに水を向けた。
「私はアイビーにここに彼らを連れてくるようにいわれたの。ここまで来れば、彼らを救えると聞いてる。貴方もそうなの?」
「ええ。同じ目的ですわ。ここでリンク様をお守りしていましたの」
そう言うシレネの周りには、数え切らないほどの死骸の山。襲い掛かる魔物を斬っては捨てたのだろう、返り血で真っ黒になったまま笑う。
恐ろしいのは、その身体に一切の傷がなかったことだ。多勢で襲われたタイミングもあっただろうに、苦にせずに笑っている。
――シレネの使い方は、これが正しいんだ。
スカビオサは息を吐いた。
誰かを殺すことではなく、誰かを守るために置いておけば、これ以上の存在はない。彼女の生きる道は、殺すことではなく守ることだった。
今更言ってもしょうがないけれど。
「ハナズオウさんは意識がありますのね」
シレネはスカビオサの背中にも人が乗っていることに気が付いている。
ハナズオウはうっすらと目を開けて、シレネに向かって手を振った。
「……お疲れ様です、シレネ様」
「こっちの台詞ですわ。よくここまで踏んばりましたね」
「ありがとうございます。まあ、御礼を言われることでもないんですけどね。私はこの作戦、ずっと納得していませんし」
ため息を吐いて、リンクのことを見た。
憎しみは、なかった。
「……レド君の腕がなくなったとき、この人をどうにかしてやろうと思ったんですけれど。こんな姿を見せつけられたら、なんというか、いたたまれないですね」
少しだけ、沈黙が訪れる。
「言っても仕方ありませんわ。過ぎたことではなく、これからのことを考えませんと。貴方が来れたということは、アイビーはやったんですのね。貴方の霊装をもって、討伐隊基地まで向かったと」
ハナズオウの首肯を見て、シレネは息を吐いた。
計画の第一段階はクリアしたようだった。これでハナズオウを見つけられませんでしたなんて結末だったら笑えもしない。
加えて、スカビオサとの軋轢も解消したようだった。さっき、スカビオサの口からアイビーの名前が出てきたのが何よりの証拠。
スカビオサが足並みをそろえてくれるのは、シレネとしても心強いと思える。
「アイビーの計画に乗ってよろしいので?」
「もう喧嘩はおしまい。疲れたし、もう何を言う事もないよ。結局、私たちはすれ違っていただけだった。同じ目的なら、仲たがいすることもない」
「それは重畳ですわ」
シレネが微笑むと、スカビオサも微笑んだ。
こんな柔らかい笑い方をするのか、とシレネは思った。しかし、それはスカビオサも同様だった。
シレネの知るスカビオサは、無感動無感情の女。
スカビオサの知るシレネは、血走った目で血の道を歩く蛮勇。
互いの笑顔すら見たことのない二人は、しばらく互いを見つめ合ってから、何もなかったかのように行動を開始した。
「それで? ハナズオウとレドはどこに寝かせておけばいい?」
「リンク様の隣に寝かせてください。どうも、この羽根の付近であれば、能力は起動するようです。そうですよね?」
ハナズオウに確認すると、
「はい。もう一方の羽根はアイビーさんが持っていきまして、私の任意で発動できます。合図があれば能力を起動します」
「わかった」
スカビオサはハナズオウをリンクの傍に寝かせたが、「……この男の隣は嫌です」ハナズオウは這い這いでリンクから離れようとしていた。
「わがまま言わないでくださいな。ほら、レドさんが隣ならいいでしょう?」
シレネはザクロに視線を投げた。さっさとレドを置いてくれと。
ザクロは動かない。
「……また、話せるのかな」
蚊の鳴くような小さな声も、何故か耳に届いた。
「きっと、会えますし、話せますわ」
「言いたい文句がいっぱいある。伝えたい恨みがいっぱいある。こんなところで、死に逃げなんかされたくない」
「それはここにいる全員が思っていますわ。意識がある状態で頭を引っぱたいてあげないと、腹の虫が収まりません」
「私も同意見。勝手に決めて、人を振り回して。許せない」
スカビオサも呆れたため息を吐いた。
全員が同じ気持ち。
そして、覚悟を決めた瞳で、
「でも、それは私たちが”これから”を作れればの話。こいつらはもう仕事を終えたのかもしれないけれど、私たちの仕事はこれからなんだから。彼らと再び話す未来を作れるのは、私たちなんだよ」
「うん。そうだね」
ザクロはゆっくりとレドの身体を横たえた。
その後、手に聖剣を握って、その指を強く握りしめる。
「僕が、やる。やってやる。そして、リンク君のことをぶん殴るんだ」
「その意気ですわ。一度本気で説教してあげないと」
「僕が理想の未来を手繰り寄せる。僕が、やるんだ」
意欲に燃えるその眼を止められる者はいなかった。
――ザクロは大丈夫。
スカビオサは彼の顔を見て、安堵した。
このトキノオリを壊すためには、四聖剣が足並みを揃えないといけない。
問題児であるシレネも、臆病であるザクロも、弱虫である自分も、大丈夫。
あと一人。
これからを作るために必要なピースは、あと一つ。
どさ、と。
その音は、プリムラが背負っていたものを放り投げた音だった。
ライの身体が地面を転がる。
「おい」
ザクロが睨みつけるが、プリムラは鼻を鳴らすだけ。
「貴様らのおままごとに付き合っている暇はない。俺は俺で義理を果たした。これで終わりだ」
ライに背を向けて、プリムラは歩き出す。
背中越しに、
「魔王アイビーは殺すべき害悪だ。そんなやつにまんまとほだされて、貴様らは何がしたいんだかわからんな。そこのリンクも同じ、害虫だ。
そいつらを救う? 阿呆か。こいつらは目的はどうあれ、俺たちに弓を引いた。だったら、殺してやった方がそいつらのためでもあるだろう。救ったって、救われやしないんだ。仲良しごっこはままごとの中でやるんだな。現実に持ち込むな」
プリムラの言葉に、誰も何も返さなかった。
去っていく背中を見つめ、シレネが最後に一つだけ。
「負け逃げですわね」
「あ?」
プリムラが振り返る。
しっかりと聞こえていたようで、額には青筋が奔る。
「耳まで悪いようなので、寛大な私はもう一度言ってあげますわ。負けを繰り返した負け犬さん。そうですわよね。ここでリンク様が死ねば、貴方は二度と負けることがなくなるのですもの、そりゃ、死んでほしいですよね」
「……下らない煽りだぞ、シレネ」
「事実を口にしただけですわ。お気になさらずに尻尾を撒いておかえりなさい」
言った通り、シレネは手を振ってプリムラの退出を誘う。
「……。リンクの思惑を壊すなら、ここで生かした方がいい。だってリンクは自分が死ぬことも勘定に入れていたんだもの。ここで貴方が背を向けることは、彼の手の上で踊っているに等しい」
スカビオサもシレネに乗った。
プリムラの足が止まっている間に、ザクロも口を開いた。
「ここで四聖剣が揃うなんて、リンク君も予想してないだろうね。彼の予想を崩して、彼を生かすべきだ。さっき救ったって救われないと言ったけど、その通りだよ。これから生き伸びたリンク君を待つのは、地獄になる。人類全員が敵の、総スカン。だからこそ、簡単に殺しちゃいけない。生かして、生き地獄を与えてあげないと。人類に、償ってもらわないと。そうじゃない?」
「……」
プリムラは押し黙った。
空を見上げて、
「……あいつの顔が見えた気がした」
そのまま振り返って、肩を怒らせてこちらに戻ってくる。
「笑っていたぞ。腹が立つ顔だ。へらへらと軽薄に笑って、自分は成し遂げたなんて下らないことを口に出すんだろう。負けて逃げるのは、あいつの方だ。そんなこと許せるはずもない。あいつをぼこぼこにしてやらんと気がすまん」
鼻を鳴らして、横たわるリンクを睨みつける。
その過程で、ライの身体を抱き上げると、リンクの横に転がした。
「どうせまた負けるでしょうけどね」
「負け犬に負けるわけがない」
「よく言いますわ。私には満面の笑みのリンク様が見えますの」
シレネは声を出して笑った。
プリムラは笑わなかった。
「こいつもこいつで、不細工な面をしてよくもまあ笑えるものだ」
「それなりに可愛い顔ですわ」
「私もむかつく顔だと思うけど」
「それがいいんじゃないの?」
下らない話。
この面子でそんな話ができているのが、意味が分からなくて、危機感が足りていなくて、どうでもよくって。
誰からでもなく、苦い顔になった。
笑顔を作り損ねた、不細工な顔だった。
「私たちは四聖剣。ようやく同じ方向を向くと言うのなら、それなりに頑張ってみましょうか」
「足を引っ張るなよ。貴様らを信じることなど、万に一つもありえんがな」
「やるよ。この身が千切れたって、やってみせる。そうしてまた、皆で笑いあうんだ」
「――」
スカビオサは三人の口上に倣って口を開こうとして、うまく開けなかった。
大きく息を吐いてから、震える唇で言葉を紡ぐ。
「私はずっと、一人だった。一人で、ここまで来ていた。一人で、魔物を殺してきた」
その言葉の意味の本質をわからない者もいた。
しかし、この時ばかりは全員、黙って聞いていた。
「別に、貴方たちのことなんかどうでもいいんだけどね。言う事聞いてくれないし、わがままだし、勝手だし、自己中だし、私はもう、貴方たちのことなんか諦めてる。何回裏切られたかわからない。本当に、最低なやつらだよ」
過去が走馬灯のように蘇っていく。
協力の二文字など存在しえなかった四聖剣。
それぞれに実力があるのがまた面倒で、勝手にきままに、どれほど振り回されたことか。
それが今、こうして並んで立っていることが――
「……まあ、何? なんかさ、えっと―― 駄目だ、どうせわかってもらえないし、いいや。後でアイビーに伝えよう。きっと、私と同じ顔をするよ」
どこか嬉しそうに微笑んだスカビオサ。
宝物を包み込んだような、子供のように無垢なものだった。
「では、貴方も生きて帰らないといけませんね」
シレネの言葉に、スカビオサは力強く頷いた。
ほどなくして、羽根が輝き始めた。
「……では、後はよろしくお願いいたします」
横たわる四人のうち、唯一意識を有しているハナズオウが呟いた後、彼らの姿が消えた。
それが、終わりの合図であり、始まりの証だった。
残されたのは、四人の英傑。
人類の最高峰。
「では、私たちも頑張りましょうか」
「うん。僕たちだってやれるところを見せつけてやる」
「簡単に死んでくれるなよ」
「――ここで、終わらせよう」
それぞれの意識を、覚悟を、固めて。
彼らは地獄へと身を投じることを決めた。