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トキノオリ  作者: 紫藤朋己
18章 三色の女たち
165/183

165. 紅色は悠然と




 ◆



 こつん、と小石が額に当たった。


 魔の森を前にして緊張の最中にいたマリーは、声を上げずにそちらに視線を投げた。そして、行動することを決めた。


「少し、自室に戻るわ」

「どうかしましたか?」


 エクセルを初めとしたその場の人間たちがマリーに顔を向ける。

 マリーが魔の森を前に動かないものだから、ここが青空会議室となってしまっていた。設立した軍の重鎮たちが一同に会して、何かあれば即座に指示を送るために、魔の森に視線を向けている。


 そんな彼らの視線が、魔の森から自分へと移る。

 マリーが隈を作った顔で鼻を鳴らすと、誰もが閉口。


「なに、悪い? 疲れたのよ」

「はっは。それはそうですな。不眠不休で兵を待つ慈母であっても、人は人。疲れを知らぬわけにはいきますまい。貴方が人間で良かったですよ」


 豪快に笑うエクセルを尻目に、マリーはレフの腕をとって歩き出す。


「ほら、レフ。私の傍にいて。行くわよ」

「え、ええ」

「じゃあ、少しの間、任せるわ。しばらく戻るつもりはないから」


 自分の周りに集まっていた兵士たちに告げ、踵を返す。


「お疲れでしょう。お休みになってください」


 エクセルは特に何を詮索することもなかった。むしろ安堵したような声色だった。


 マリーはそのまま、”見せつけるように”、わざと建物の影にならないような場所を歩いていく。日陰を避けて、青空の下を歩く。


 建物の中に入り、自室へと向かう。

 廊下では、後ろを歩くレフから気遣いの言葉をもらった。


「マリー様。ゆっくり休んでくださいね。ずっと眠らずにいたので、休んでくれて安心しましたよ。エクセル様だけじゃなく、私も心配だったんですよ」

「ごめんね。でも、ベッドの中に入ったってろくに寝られないわ。いてもたってもいられないのよ」

「気持ちはわかりますけど、マリー様が倒れたら元も子もないと思います。皆、大丈夫ですから。まずは自分を大切にしてください。とりあえずは、落ち着くように紅茶を入れますよ。それから、眠れなくてもベッドの上で横になってもらって」

「必要ないわ。私は休みたくて抜けたわけじゃないもの」

「え? どういうことですか?」


 自室に到着する。


 天蓋付きのベッドの置かれた、豪華な部屋。装飾のついた棚や姿見が置いてある。女王になった以上、この豪華絢爛を断るわけにもいかなかった。キーリが笑顔で作りあげたこの部屋を不承不承ながら使っている。


 しかし、落ち着かないのは落ち着かない。ベッドの上には乱雑に服が放り投げられていて、そこだけが自分のスペースになっていた。


 つかつかと部屋の端、窓の前まで歩いていって、窓を開ける。日差しと共に、風が舞い込んできた。

 同時に。

 外からナイフが飛んできて、床に突き刺さった。


「ひぇ! なんですか」

「……」


 マリーはそれをしげしげと眺めた。


 何度も目にしたナイフだった。銀色の刃渡りを、柄の文様を、目を閉じるだけで思い出す。同じナイフを使っている男を思い出す。


 やってきたのは、この霊装の本来の持ち主。

 瞬きの後、一人の女性が現れる。

 肩で息をして、満身創痍だった。言葉を吐こうとしても、なかなか出てこない様子。


「落ち着きなさい、アイビー」


 大きく息を吐いた後、アイビーは立ち上がる。


 その風貌は、凄絶なものだった。

 体中が鮮血で真っ赤に染まり、衣服は油や肉が付着して不気味な光沢を放っている。鼻を突き刺すような匂いは、肉と血と死臭。


 それらを突き付けられて、マリーは息を飲んだ。

 魔の森の中の世界。どうなっているのかと想像を張り巡らせてはいたが、想像をはるかに超える地獄が待っているようだった。

 人々に追われながら、魔物を殺す。やはり生半可な覚悟ではこなせない。


「医者は」


 アイビーは有無を言わさぬ瞳で、マリーを睨みつけた。

 ここで何もしていないなんて言えば、殺されるのだろうと思った。


 ――私でもそうするわ。


 玉座に胡坐をかいていたら、首を搔っ切ってやる。自分がアイビーの立場でも、こんな血走った目を向けるだろう。


 マリーは、自分でも待ち望んでいた回答をした。


「用意してるわ。こっちよ」


 マリーは足早に部屋を出ようとする。

 しかし、そのままついてこようとするアイビーを見て、まずは部屋に置いてある外套を掴んで被せた。


「とりあえず、おつかれさま」

「まだ終わってない。むしろこれからだよ」

「貴方たちのせいで、私は何もできていないの。労ることくらいさせて。汚いんだから黙って受け取りなさい。そのままのあんたを歩かせてたら誰に指を刺されるかわからないわ」

「それは……うん、そうだね。ありがとう」


 外套で身を包んで、アイビーは身体と顔を隠した。むせ返るような匂いだけはどうしても残ってしまうが、仕方がない。


「ほら、レフも。行くわよ」

「はい!」


 三人で部屋を出て、討伐基地内を歩く。

 侍従の何人かとすれ違ったが、特に何を言われることもなかった。外套で身を隠すアイビーに突っ込むこともなく、マリーに深々と頭を下げるだけ。足早に歩いていることもあって、話しかけられもしなかった。

 だから会話を聞かれて困ることもなかった。


「いつでも治療できるように、医者には準備をさせているわ。貴方たちの誰が運ばれても問題ないようにね」

「はは。流石だね。でも、私たちの治療なんかして大丈夫なの?」

「文句は言わせないわ。そのための女王でしょう?」


 マリーは歯を見せて笑った。


 自分の力はすべて使う。権力も、能力も、立場も。

 そのために自分はここに残ったのだ。必要のない玉座を抱いて、その権力を振りかざすために。


「こんなわがままを王にした国民が悪いわ」

「立派に女王だね」

「ええ。ようやく私は私になった。地に脚がついているような気がするわ」


 元来、ほしいものなどない。

 ほしいものは過去に置いてきた。

 いつ死んでもいい、そんなつもりだった。

 でも、未来にもほしいものができた。


「だから、手を伸ばすの。私のできるすべてをして、未来を掴むの」


 過去に道はない。未練もない。

 だから、躊躇いもなかった。


「あいつの腕が送られてきた瞬間に、これから何が起きても対応できるように準備は整えたわ。まだ兵士の中で怪我人もそう多くは出ていないし、医者の確保も難しくはなかった。タイミングが良かったのよ」

「そうなんだ。さっき、マリーなら信じられる、って、シレネと話してたところだよ」

「私もシレネとは、貴方がただで終わるわけがないと話していたわ」


 こんな状況でも、いや、こんな状況だからだろうか。

 いつになく軽い調子で二人は会話をすることができていた。


「もう少し遅かったら、許さなかったけどね。けれど、そうはならないと思っていたわ。貴方が確実に間に合うように行動すると、確信していたの」


 信頼。

 というと、少し違う。

 腐れ縁? 敵愾心? ライバル意識?

 まあでも、信頼でもいいか。


「貴方とも、リンクと同じ。なんだかんだもう七、八年くらいの付き合いだもんね。秘密が多いし、喧嘩っ早いし、何も言わずに一人でなんでもやっちゃうし、正直気に食わないところも多いけど、でも、同じくらい、気に入ってるところもある。残念だけど、友達だと思ってるわ。こんなこと思ってるの、私だけかしら」


 シレネに対しても同じ。

 斜に構えた態度とか、自分は優秀ですと顔に張っているところとか、急にふざけたことを言うところとか、少しだけ気に食わない。自分に持ってないものを持っているところが妬ましい。


 でも、違うところがいっぱいだからこそ、自分にできないことをやってくれる。

 なんだかんだ長い間一緒にいたのだ。いることができたのだ。嫌い一辺倒なわけがない。根っこで、信じられる存在だった。


「恥ずかしいこと言うんだね」


 アイビーは外套の頭頂部を引っ張って、目深にする。


「……年寄りをあんまりからかうんじゃないよ」

「何を言ってるのかしらね。どれだけ長く生きてるのか知らないけど、あんたはただのがきんちょよ。世界が自分だけで回ってると思ってる、自意識過剰なお子様。ようやく人に頼ることを覚えられて、少し成長ってところかしら。偉い偉い」

「その言葉、そのまま返すけどね。今までの貴方なら部屋の中にこもってるだけだったろうに。よくもまあここまで図太くなったもんだよ」

「生きてるんだもの。変わるのよ、なんでも」

「そうだね。生きてるもんね」


 軽口を叩き合っていると、鼻をすする音が聞こえた。

 マリーとアイビーが振り返ると、レフがぼろぼろと大粒の涙を流していた。


「どうしたのよ、レフ」

「他の人が大変なのに、ほかならぬ私が生きてて嫌だったかな?」


 アイビーが皮肉に顔を歪ませると、レフは大きく首を横に振った。


「馬鹿言わないでください。アイビーさんが生きていてくれて、嬉しかったに決まってるじゃないですか!」


 レフは大声を出すと、アイビーの手をとった。

 血豆や痣や傷だらけの両手を優しく包み込む。


「……私は、このまま終わるのが怖かったんです。誰にも何にも言えないまま、結果だけが残ることが、怖くて仕方なかった。リンク君にも、レド君にも、ライにも、交わしたい言葉がまだたくさんあるんです」

「うん」

「ライは元気ですか。シレネ様はどうしてるんですか。ザクロ君は大丈夫ですか。リンク君は、レドさんは、ハナズオウさんは、また、私と話せるんですか」

「わからないよ。未来はなんでもできて、なんにもできないんだから」

「じゃあ、なんとかしてみせましょうよ」


 レフが真っすぐな目を向けてくる。

 あらゆることを乗り越えようとする意志を感じられた。


 マリーは微笑む。


「ええ、やってみせましょう」


 未来はわからない。

 それはとても不安で、とても、嬉しかった。


 自分の行動一つで何かを変えることができる。自分の好きな未来を手繰り寄せることができる。


 もう、真っ暗闇ではない。

 自分の手で光を起こすことも、道を作り上げることもできる。

 崖を一つ乗り越えれば、違った未来を描くことができる。


「――まだ、やりたいことがたくさんあるの」


 不明瞭な未来。

 それに向かって、手を伸ばした。

 

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