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トキノオリ  作者: 紫藤朋己
18章 三色の女たち
164/183

164. 灰色は毅然と(2)



 ◆



 プリムラと別れた後、さほど時間をかけずして目的の集団を見つけることができた。

 彼らも討伐隊基地に向かって後退しているところだった。


 アイビーはその眼前に立って、征く手を塞ぐ。


「止まって」


 アイビーの姿を見て、兵士たちは目を剥いた。ざわめきと共に武器が取り出される。

 魔王を前に、警戒態勢。恐れと敵意と殺意と、様々な感情が突き刺さる。


 一番前に立っていたスカビオサが唸った。


「……アイビー。貴方、どの面下げてこんなところに」


 アイビーは集団の様子を見渡す。

 スカビオサに与えられた一軍の一部が集まっていた。細かな傷は散見されたが、誰も大怪我はしていないようだった。


 問題があるのは兵士以外の二人。

 レド、ハナズオウがそれぞれ兵士に背負われている。レドは腕を失った怪我で、ハナズオウは疲労で、どちらも青い顔をしている。

 早くしないと。


「レド、ハナズオウを連れて、魔の森の奥に進んで。そこにハナズオウの霊装が置いてある。シレネがいるから、指示に従って。そこから討伐隊基地に飛べるよう、私が今から霊装を運ぶから。そっちの方が、後退するよりも早い」

「何を……」

「お願いします」


 大きく、頭を下げた。


 しかし、アイビーは兵士たちから見れば、事の犯人、魔王本人である。当然、そう簡単に受け入れられるものではない。

 眼前では怨嗟の声が沸き起こった。そんなこと信じられるか。罠だろう。また自分たちを裏切るのか。


 一度裏切った者が信じてもらうのは、至難の業だった。

 逆の立場で考えれば、一度あることは二度あるように思える。そして、何度も何度も繰り返される。信じられるわけがない。


 特にスカビオサのことを裏切ってきた数は、数えきれないくらいだった。

 当初、はるか昔。学園で初めて出会って話してから今に至るまで、彼女の手を何度振り払っただろう、何度欺いてきただろう

 積み重なってきた歴史が、二人の間に、簡単に歩み寄ることのできない溝を作る。


 すべて、自己責任。自分の撒いた種のせい。

 世界のため。そのために皆を欺き続けた。しかし、それは免罪符にはなりえない。狼少年は殺されて初めて自分の業の深さを知ることになる。


「……」


 頭を下げたまま。アイビーは前を向くことができなかった。


 黙り込んだまま、声を聞く。怒号を、激昂を、慟哭を、聞く。

 しかし、凶刃を振られることも、殴打が飛んでくることもなかった。


 理由は単純。彼らの長であるスカビオサがアイビーの対面から動いていなかったからだった。


「全員、少し下がっていて。私はこいつと二人きりで話がしたい」

「しかし……」

「いいから」


 スカビオサの有無を言わさぬ言葉に、兵士たちは不承不承ながら頷いた。それぞれ、二人の声が聞こえないところまで移動する。


 二人きりになった。

 アイビーはなおも頭を下げたまま。


「――確認する。すべて嘘偽りなく答えなさい」

「うん」

「貴方は聖女。このトキノオリは貴方の力によるもの」

「間違いないよ」

「貴方は人類を救うために生きてきた。そのために、私を利用した。私に憎まれるよう仕組んで、私に殺され続けた。私が、貴方を憎んだ勢いそのまま魔物を殺すことを期待した」

「うん」

「ここにこうして私たちが立っているのは、貴方の理想通り?」

「うん」

「そう」


 スカビオサの声から、感情は読み取れない。

 平坦な声色は、今にも剣を振り下ろしそうでも、無気力に背を向けそうでもあった。


「人類のためだからといって、何をやってもいいわけではない」

「わかってる」


 理解はしている。

 ただ、恭順はしない。

 倫理に沿っていたのでは成しえないことがある。

 ただ真っすぐに綺麗に進んだのでは得られないものがある。


 それらの問答に意味がないことはスカビオサにもわかったらしく、彼女は言葉を区切った。


「まあいい。そんなこと言ったって、今更だもんね。

 私の要求は、一つだけ。聞いてもらう」

「なんでもきく。死ねというのなら、すべてが終わった後に死にます。全員の前で首を吊る」


 聖女の霊装が発現するのは、人類の危機下のみ。

 魔物が討伐されれば、危機は去る。自分が死んでも霊装はハナズオウに移ることもないだろう。その後であれば、死ぬことに何の疑問もなかった。


 そう、スカビオサは自分を恨んでいる。

 殺意なんか、生ぬるい。四肢をもがれても不思議はない。

 アイビーがするべきことは、目的を達成するまで生きること。今ここで殺されないように話し合うことだけ。


 アイビーは顔を上げた。

 自分の犯した罪と、スカビオサの憎悪に染まった顔をしっかりと見つめようと思った。


 視界が開ける。


 予想に反して。

 そこにあったのは、ただただ純粋に、泣きそうな顔だった。



「私のこと、好きだと言って」



「……」

「ごめんねって、謝って。

 頑張ったねって、褒めて。

 ありがとうって、言って」


 子供のように、なりふり構わずに、スカビオサは続けた。


「ひどい。アイビーはひどいよ。私は本当は貴方を殺したくなんかなかったのに。急に魔王だなんて言って、私を裏切って。ずっとずっと、辛かった。この長い長い人生、貴方のせいでずっと辛かったんだよ。でも、私しかいなくて、私がやるしかなくて、ただただ、明日も来世も未来も、全部怖くて嫌で」


 体裁もなく、矜持もなく、世間体もなく。

 脊髄反射のような言葉が零れ落ちる。


 どこかで生まれ、誰かが作り上げた、無感動で無感情なスカビオサ・エクスカリバーが崩れていく。


「私は頑張ったんだ。ここまで、一人で、恨みたくもない貴方を恨んで。ずっと限界だと思いながらも生きてきて。だったら、褒めてよ。貴方の理想が叶ったのなら、喜ばしいなら、嬉しいなら、私に、頑張ったねって、言ってよ」


 そこにいるスカビオサは子供だった。

 自分と初めて会ったときのような、無垢で、弱虫で、泣き虫で、素直な、一人の女の子だった。


 ――私にしか、見せてないものね。


 衣服を必死に握りしめて、涙を拭おうともしないで、目線を逸らそうともしないで。


 アイビーはそんな彼女の姿を笑うことはなかった。


 スカビオサよりも身体の大きい者はいる。見た目の年齢を重ねた者もいる。学力を、運動能力を有した者もいる。


 けれど、彼女より長く生きた者はいない。


 彼女は良くも悪くも大人だった。大人になってしまっていた。

 仮面を被って、体裁を気にして、自分を演じて。

 スカビオサ・エクスカリバーという偶像に押し込まれてしまっていた。


 でも。

 本当はそうじゃない。

 そして、それを知っているのはアイビーだけだった。

 アイビーの前では、子供の自分を見せたことがあった。泣き虫な自分の姿を見せていた。


 唯一。

 二人の関係は、憎しみ合うもの。殺し合うもの。

 そんな”簡単な関係”でもなかった。


「私を認めてよ。ここまでやったんだよ。私の手だって、真っ赤に染まってるんだ。貴方と一緒。もう、貴方が大罪人だろうが何だろうが、どうでもいい。アイビー、貴方に、認めてほしいの。褒めてほしいの、赦してほしいの、慰めてほしいの。今の私を、見てほしいの」


 まるで、自分をないがしろにする母親に懇願するように。

 愛情に飢えた子供のようだった。

 この世界で一人、戦い続けた子供の姿だった。


「……私は」


 そして、自分には、それをする権利がなかった。


 人をこれだけ裏切ってきた存在に、人を認めるようなことができるはずもない。どの面下げてそんなことができるんだ。


 でも、これだけ頑張ってきたスカビオサが救われないというのは、違った。リンクが救われるべきだと思うように、スカビオサも救われるべきなのだ。


 でも、でも、でも。

 自分なんかが、認める、なんて、上から目線の言葉を吐くのはどうなんだろうか。彼女の奮闘を知っている自分しか言えない言葉であるのは確かだけど、愚かで裏切者の自分が言えるような言葉でもないのに。


 ああ、どうしようもない。

 救いたい人と、救えない自分と。

 がんじがらめになる。 


 ふと。


 誰かに、馬鹿だなあと笑われた気がした。

 そんなことは問題じゃない。おまえがしたいようにするべきだと、笑われた気がした。


 頭を過るのは、――打算という言葉。


 私はスカビオサのために、彼女を認めてあげる必要がある。自分がどうこうという話ではなく、相手のために。そうすれば、スカビオサは前を向いてこれからも戦ってくれる。ひいては、世界のためになる。


 打算とは、倫理と論理に遮られる一つの感情を押し通す、魔法の言葉であった。

 自分の本当の感情に理由を付与し、正義に置き換える、人を前に進ませる言葉。


 ――打算的、かあ。


 これを口癖にしていた男は、多くの悩みを抱えて、それでも、どこかに理由をつけて動いてきた。自分が最も大事にする感情に、もっともらしい理屈をつけて、突き進んできた。


 その背中は、アイビーの瞳にも焼き付いていた。

 人は人に影響を与えていく。

 誰が欠けても、そこに未来はないのだ。


「ありがとう、スカビオサ」


 アイビーは自分の相反する感情に決着をつけた。

 感情も、理屈も、倫理も。すべてがスカビオサに報いるべきだと判断した。


 何よりも、それが私のしたいことだった。


 近づいて、その小柄な身体を抱きしめた。


「貴方のおかげで、ここまで来れたんだ。貴方がいてくれたから、私も頑張れたんだよ。ありがとう。――ありがとう」


 謝罪と、御礼と、親愛と。

 すべてのこもった、ありがとう。


「……」


 スカビオサの手も、アイビーの背中に回る。

 震える両手は、強く、強く、アイビーを抱きしめ返す。


 二人の間には、声にならない言葉が溢れていた。

 涙と嗚咽に塗れた言葉は、人の言葉にはなっていなかった。


 それでも、二人は通じ合っていた。

 本当は互いに、負の感情なんか持っていなかったことを。


 むしろ、逆。


 互いに思っていたから。

 互いを信用していたから。

 互いを理解し合っていたから。

 反目し、殺し合いながらも、心の奥底では信じることができていた。


 こうやって、抱きしめあうことができたんだ。

 







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