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トキノオリ  作者: 紫藤朋己
18章 三色の女たち
162/183

162. 蒼色は燦然と



 ◆



「多くを救った貴方自身が救われないなんて、そんなの間違っています!」


 魔の森の奥、広場にて。

 シレネは目を閉じたリンクを前に、膝を折った。その身体を抱きしめる。この熱がなくなるのいつだろうか。それを防ぐために何ができるだろうか。


 ぼやける視界に映る、見たくもない現実。ほしくもなんともない未来。

 こんな未来が現実になるのなら、虚実にしたっていい。すべてなくしたっていい。


 こんな世界は嘘だ。

       偽物だ。


 だって、私の見たい未来は、すでにどこにもないのだから。

 だったら、もう一度やり直すべき。欲しい未来にがむしゃらに手を伸ばすべき。


「そうですよね、アイビー」


 シレネは顔を覆う水滴を服の袖で拭って、背後を振り返った。


 表情を落としたアイビーが、そこには立っていた。


「以前、貴方に言ったことを覚えていますか。今回失敗したら、私をこのトキノオリの中に入れ込む様にとお願いしましたよね。そうして私の力をもってやり直すと。今が約束を果たすときですわ」

「まだ終わってないよ」

「私の中では終わったんですよ」


 シレネは立ち上がると、黒剣アロンダイトを手にした。


「私はこれから王都に戻って、人類全員を斬り殺します。生きているのが私だけになれば、流石にトキノオリは発動するんでしょう? 何も魔物が殺すまで待たなくとも、私が殺したっていい」


 焦燥感に襲われ、脳髄が沸騰するくらいに熱くなる。


 リンクが死ぬ前に、人類が全滅すればいい。

 見たくない現実すら殺して、トキノオリが発動すればいい。


 そうすれば、リンクが死んだという結果自体が無に帰る。そんな事実は存在せず、次の世界に移っていく。生きたリンクに会える。


 また、

  まだ、

   一緒にいられる。


「リンクがせっかく貴方を救ったというのに、貴方はリンクの思いを無にするの?」


 その一言で、シレネは激情のままに踏み込もうとした足を止めた。

 冷や水をかけられたような気分だった。


 ――そう、これでは今まで通り。

   アロンダイトの呪いから解放されたはずの自分が、何も変わっていない証左。


 自分の優秀さは理解している。自分の思い通りにできなかったことは多くない。道を歩けばほとんどのことはなんとかすることができた。

 それは、自分が一人だったから。誰に何を思われてもどうでもいいと思っていたから。だから無感情に笑えたし、つまらないことも楽しそうに見せてきた。自分以外、あらゆる些末事を伽藍洞の笑顔の裏で踏みつぶしてきた。


 でも今は、心からの楽しみを、感情を、知ってしまった。

 誰かと一緒にいることを、誰かのために生きることを、今のシレネは知っている。

 一人、暴力的に、独裁的に、進んできたのでは得られない、大切なもの。


 ――私はもう、リンク様が殺してくれた、シレネ・アロンダイトではないのです。


 リンクの言う、自分よがりに生きて、周囲を殺して回った死神では、もうないのだ。


「……それは、卑怯な言い方ですわ。今、ここにいる私は――そんなことできない。しちゃ、いけないんです」


 人の地に土足で入り込もうとした足が、完全に止まった。


 大切な人が守ろうとした世界の中には、自分の姿だって含まれる。

 リンクが救ってくれた、大切に思える自分を、そんなに雑に扱ってあげたくもなかった。


「うん。貴方はシレネになれたんだね」


 アイビーはうっすらと微笑んで、リンクのことを見遣った。


「これでリンクも浮かばれるね。シレネが血まみれの英雄を辞めて、マリーが女王として生きていて、それで、ハッピーエンドなんだ。リンクにとってはこれ以上ない終わり方だよ。だから、もう、寝かせておいてあげよう」


 どこか厭世的に話すその顔を、シレネは睨みつけた。


「貴方はどうなんです」

「……私?」

「そんな他人行儀な言葉で終わらせていいんですか。赤の他人が吐くような、何の色もない言葉で、リンク様を送り出すんですか」

「……」

「そんなのは、嘘です」


 シレネはアイビーの厭世的な態度を責めようと思っていた。本当は身が張り裂けそうなはずなのに、他人のような態度でリンクを見るその顔面を、引っぱたこうと思った。


 しかし、アイビーの作った渋面を見て、考えを改めた。


「リンクはもう、役目を果たしたんだ。もう、利用価値もない。だからここで放っておいて、私たちは魔物討伐に再び向かうべきなんだよ」


 ぎりぎりと歯噛みする口から漏れる、何をも揺らすことのない言葉。


「私たちの目的は、魔物を殺しきることなんだ。ここで油を売ることじゃない。もっと、他の人間が進みやすいように道を作ること。周囲にいる魔物を狩ること。討伐隊基地に行って、最後の最後まで人類を煽ること。やることはいっぱいなんだ。こんな、……リンクに構ってる時間は、ないんだよ」


 口とは裏腹に、アイビーの足は動かない。

 手は震え、身体はわななき、目は揺れる。

 ぽろぽろと溢れる涙が、彼女の本心を示していた。


「アイビー……」

「早く、早く、早く。やることはいっぱいなんだ。私は、聖女なんだ。だから、人類のために、この命を使わないといけない。リンクだって一緒だよ。世界のために命を賭けたんだ。だったら、最後の最後まで、その命は人類のために使われるべき。本当はザクロなんかに腕をくれてやるんじゃなくて、もっと最期まで戦うべきだったんだ。道半ばでやることを終えたんだから、もう私たちが足を止めることもない。ここで放っておかれることが、ベストなんだ――」

「もういいですわ」


 シレネは首を横に振った。


 アイビーという少女。


 彼女は聖女である。

 人類のために命を賭けた存在。人類のためだけにその力を振るう存在。

 彼女の意志はすべて、人類救済のために。


 さっきから何度も何度も同じ言葉を吐いているアイビーは、自分を納得させようとしているのだろう。聖女として満点な行動をとるために、必死でリンクから目を逸らす言い訳を考えている。


 しかし、当のリンクから目は逸らせない。

 刻一刻を失われていく生に、どうしようもなくしがみついている。


 ――似ているかもしれませんわね。


 過去、この場所でリンクと戦った愚かな女と。


 眼前には進みたくもない道。でも、道はそこにしか繋がっていなくて。それ以外自分はどこにも進めなくて。吐き気を催しながらも自分の意志とは正反対の道に進むしかないのだ。


 感情と理屈の二律背反。

 聖女という称号は、アロンダイト家という境遇に似ていた。


 ――リンク様。私は、貴方のようになりたい。


 シレネは過去の自分を思い出す。

 誰にも助けてと言えないまま、振り返ることもできなかった自分。

 辛くてどうしようもなくて、無理矢理に足を進めるしかない子に手を差し伸べてあげられるような存在に、なりたいのだ。



「リンク様を救った方が良いですわ」


 がんじがらめになってしまった少女。


 救いたいのに、救うための理由が存在していない。

 感情では救いたいのに、理屈では救う意味が存在しない。


 だったら、自分がそのひもを解いてあげればいい。

 私なら、それができる。いつだってなんだってなんとかしてしまう、口だけの男が近くにいたから。その背中を見つめていたから。


「理由をいくつかお話しましょう。

 一つ、リンク様が救われないとなったら、私はもう動かない。なんならここで一緒に死ぬことを選びますわ。人類にとっては手痛い損失でしょう?」


 一つずつ、積み重ねよう。

 聖女の鎧を壊す、言葉の弾丸を。


「二つ、四聖剣であるザクロさんも、リンク様が死んだとなれば戦う意義を失うでしょう。まだ生きている、話すことができる、そういった希望をもたせれば、彼は本気で戦いますわ。義の人間である彼を効率よく動かすべきでは?」

「……なに、リンクを救わないと、四聖剣が二人も欠けるの?」


 アイビーの中の聖女は難色を示す。


 もっと、もっと。

 リンクを救う理由を。意味を。意義を。


 ”打算的に”積み上げるのだ。


「三つ、他の人間も、リンク様に少なからず正負様々な感情を有していますわ。ここでリンク様の死体を無意味に転がしてしまえば、彼らの士気に関わってくる。

 思い。

 貴方がたが大事にしていたものですわ。リンク様が死んだことが確定し、広められれば、せっかく高めた必死な思いに水を差すことになりますわ」

「それは、そう、だね」


 論破されているというのに、アイビーの顔がどこか明るくなっていく。


 他人に言われたくらいで何を、とも思うが、シレネはその気持ちがよくわかった。

 人は人の言葉が一番よく刺さる。

 自分の言葉では揺れない琴線が、揺れていく。


 リンクもこんな気持ちだったのだろうか。

 人が自分の言葉で変わっていく。明日を、希望を、未来を、見るようになっていく。こんな、――胸が溢れるような気持ちで私を助けてくれたのだろうか。


 ――自分のためでもあったのでしょうね。


 ここにきて、リンクの真意を知る。

 人を助けて、自分も助かっている気持ちになっていたのだろう。

 自分の生きる意義をそこに感じていたのだろう。


 そんなことしなくても、貴方はそこにいるだけでいいのに。自分はそれをどこまで伝えられただろうか。これから、伝えられるだろうか。


「最後に――このまま進んだら、リンク様の思いに反することになりますわ」

「……どういう意味?」

「貴方が救われない」


 リンクはアイビーを救った。

 けれどそれは、聖女を救ったわけじゃない。


「リンク様は貴方が聖女だから救ったわけじゃない。アイビーさん本人を救ったのです。それなのに、どうして”聖女の貴方”が出てくるんですか。リンク様の思いに添えと言いながら、リンク様の本懐であるアイビーの意志を無視するんですか」


 アイビーの言葉が詰まった。


 その矛盾。

 シレネは言葉の刃で、聖女を殺した。


「聖女である貴方はいらない。”アイビーさんの”意見を、聞いているのです」


 リンクが英雄シレネ・アロンダイトを殺したように。

 シレネは聖女アイビー・ヘデラを、殺す。


 ここにいるのは泣き虫シレネと、わがままアイビー。


 ――そうでしょう?


 呆れたような笑いは、理路整然とした聖女のものではなかった。


「……はは。そう。そうだよ。私はリンクに命を救われた。でも、それは私が私だったからなんだ。聖女だから救われたわけじゃない。リンクは”私”を救ってくれたんだ」

「それなのに何故、聖女がリンクの意志を尊重しろだなんて言うんですか。リンク様の意志を尊重するのなら、アイビーさんはアイビーさんのままでいなければならないのです」


 シレネはアロンダイトで、虚空を切り裂いた。

 幻想の聖女を斬り殺した。


「今は聖女はいらない。アイビーさんと話をしているのです」


 ”アイビー”は頷いた。


「……リンクを救おう」


 アイビーは目に溜まっていた涙を拭った。


「嫌だよ。こんなに頑張ってくれたのに、最期がこんななんて、あんまりだ。少なくとも、私は嫌だ。私を救ってくれて、暗いこの世界で光を見せてくれたリンクが、こんな終わり方をするなんて、認められないよ」

「何か策はありますの? 悔しいですが、私は何も思いつきません」


 歯噛みする。

 リンクを襲う脅威は三つ。


 周囲の魔物。

 人間社会との隔絶。

 医療機会の損失。


 魔物を殺しながら、人のいる場所まで出て、医療を受けさせないといけない。


 自分ができるのはせいぜいが最初の一つ。

 リンクを背負いながら魔の森を抜けるのはやれないことはないが、流石に時間がかかりすぎる。彼の失われる熱を背中で感じるなんて、拷問にも程がある。


「シレネはその戦闘力で魔を殺す役目を担って。私はリンクを討伐隊基地まで輸送する」

「どうやって?」

「聖女の能力を使う。――正確には、私とハナズオウの力を」


 シレネは眉を寄せる。


 アイビーの霊装。

 移動する霊装、フォールアウト。ナイフを放り投げて自分の位置を変えていけば、確かに早急に移動することができる。森の上を移動していけば、魔物と邂逅することもない。しかし、それでどうやってリンクを運ぶというのだ。まさか一緒に放り投げて行くとは言うまい。


 ハナズオウの霊装。

 霊装、フライウイング。一つの地点から別の地点へと移動を可能にする。これならリンクを安全に運べるが、現在の使用者はハナズオウだ。……まさか自殺をしてアイビーの身体を諦めて、ハナズオウに成り代わるつもりだろうか。いや、どっちにしろハナズオウの現在地も遠い。


「……いや」


 二つを繋げばどうだ。


「私たちは魔物を生み出していたわけじゃない。そんな能力は最初っからないんだ。フライウイングの能力で転送していただけ。そして、その転送元は、魔の森の奥、この近くにある」


 シレネの眉が上がった。


「そして、もう一つ、転送先の羽根はハナズオウが持っている。それを最低でも討伐隊基地まで持っていければ、この近くにある転送元から、討伐隊基地まで、転送の道をつなげられる。リンクを人里まで送ることができる」

「……なるほど。アイビーさんの能力があれば、上空からハナズオウさんを探すことも可能。移動速度も十分」

「だから私はこれから、ハナズオウのところまで行ってくる。彼女の霊装を回収して、討伐隊基地まで届けてくる。フォールアウトを使えば、そこまで最短で駆けられる」


 アイビーの強い意志のこもった視線を受けて、シレネは笑った。

 絶望的な状況であるのに、少しだけ面白かった。


「わかりました。私は転送元のところまでリンク様を運べばいいんですね。そして、転送のタイミングまで魔物から守ればいいと」

「頼める?」

「当然ですわ」


 シレネは優秀なのだ。

 他ならぬ、リンクが言っていた。

 だから、大丈夫。

 何よりも、そんなことくらいやってのけなければ、自分で自分を誇れない。


「転送元の場所を教えるよ。赤い羽根が差してあるから、そこにリンクを寝かせておいて」


 シレネはアイビーから場所を聞いた。


「これで問題の二つはなんとかできそうですね。後は時間の問題と、医療体制」

「信じるしかないね」


 三つ目を。

 討伐隊基地までリンクを運んだとして、医療の準備に時間がかかれば、はたまた後回しにされれば、そこで終わり。

 早急に万全な医療の準備が必要となる。


「……」

「……」


 二人は顔を見合わせた。

 どちらにも不安の色は見られなかった。

 恐らく大丈夫だろうという、根拠のない自信があった。


 討伐隊基地で待っている誰かが、その準備をして待っていると感じられた。

 きっと彼女も、二人のことを信じて待っているのだろう。


「色々あったけど、私、二人の事、嫌いじゃないよ」

「今はそう思えていても、これからはわかりませんよ」

「あはは。これから、か。本当、そうだね。

 ……人生ってさあ、助け合いだよね、ホントに」

「貴方が言うと含蓄がありますわ」


 アイビーは苦笑した。


「じゃあ、”三人で”やろうか」

「ええ。彼に救われた恩を返す時でしょう。きちんと届けてくださいね」

「魔物の討伐よりも失敗できないなんて言ったら、怒る?」

「聖女には怒りますが、アイビーには怒りません」

「はは。情けないこと聞いちゃった」


 アイビーは眉を下げながら笑って、ナイフを森の上目掛けて放り投げた。そして、姿を消す。



 シレネはそれを見送って、リンクの元に戻っていった。

 微かに息をする愛しい人の身体を背負うと、ゆっくりと歩き出す。


 リンクの身体はシレネよりもいつの間にか大きくなっていた。当初、学園で出会った時は同じくらいだったのに。

 ずりずりと、身長の差分、つま先を引きずる様に進んでいく。彼の靴跡が地面の上に道を作る。


「まるであの時と逆ですわね」


 この森の中で戦ったことは、自分の人生の転機。つい最近のように思い出せる。

 命を賭けて、あるいは、誇りを賭けて、人生で最初で最後の命がけの戦いを行った。


 自分は負けた。

 命も誇りも散らして、今の自分になった。


 それは輝かしい思い出。


 そういえば、目を覚ましたとき、やけに靴が汚れていたっけ。ライが必死に謝っていたけど、そんなライを不憫に思ったのか、リンクが俺が犯人だと名乗っていた。実際、彼も今の私と同じように、大きい体を引きずって歩いていたのだろうか。


 そうだ、リンクが元気になったとき、聞いてみよう。

 または、汚れた靴のつま先を見て何と言うか、予想してみよう。

 仕返しかよ、なんて言って笑うだろうか。ああ、そんな顔を見てみたい。見なくちゃいけない。


「だから――死なないでください」


 アイビーに言われた場所にたどり着いた。羽根の突き刺さっている近くにリンクの身体を寝かせる。


 ここは魔の森の中。

 当然、魔物が徘徊している。

 一体の魔物がとびかかってきたのを斬り捨てた。こちらを窺っている魔物も切り裂いた。


「なるほど、これからアイビーさんが仕事を終えるまで、私はここでリンク様を守り続けないといけないんですね」


 人を守りながら、無限に沸き続ける魔物を殺し続けないといけない。

 だけどそんなことは些末事。


「遅れたら許しませんよ」


 自分は役割をこなすことは確定している。

 アイビーがしっかり役割をこなすことだけが心配だった。

 アロンダイトを構える。


「貴方がしてくれたように、私が貴方を助けます」


 間違っている道から、手を差し伸べる。

 そんな貴方のような存在に、なりたいのだ。


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