157. 懺悔
◇
どうもマリー女王は相当に優秀らしい。スカビオサ、プリムラだけではなく、全員を引き連れて魔の森まで来たのは本当のようだった。
そして同様に、四聖剣も優秀だった。噂にたがわぬ一騎当千の兵。魔の森も奥深くまで来ているというのに、俺たちの足跡を追って追いつくところまで来ている。
多くの優秀が重なりがあって、眼前の存在をここに導いたのだ。
「……ようやく会えたね」
プリムラを撒いたというのに、次はザクロ・デュランダルがお出ましだった。
次から次へと、楽をさせてくれないな。こっちの目的地もあともう少しだというのに。予想以上を喜んだばかりだが、それはそれで悩みの種になるという贅沢。
ザクロは俺とアイビーの顔を見て、笑顔を作った。
表情の奥の感情は推し量れない。嬉しそうにも悔しそうに寂しそうにも見えた。
「久しぶりだな、ザクロ」
「うん。長く会っていない気がするよ」
「実際は最後に会ってから、まだ一月も経っていないぜ」
友人との再会。
胸が踊るね。
「なんでこんなことをしたの?」
ザクロは目を細めた。
返答次第では何をするかわからない、少しだけ怖い顔だった。
「人類救済のためさ。おまえにも話したことがあるだろう?」
「大枠だけね。こんなことするとは聞いてない」
「言ったら賛同してくれたか?」
「しないだろうね」
「じゃあそれが答えじゃないか」
突き放すような言い方に、ザクロの眉が寄った。
「それでも。言ってくれるのとくれないのとでは全然違う。リンク君は何も言わずに置いていかれる気持ちがわかる?」
「言わなかったということは言う必要がなかったということで、納得するしかないだろう」
俺だって、アイビーが聖女であることに対して、さっさと言ってくれればと思ったこともある。
しかし、アイビーの中ではそれは言う必要がないと判断されたことなのだ。それはそれで納得するしかない。実際に、言われたとして当時の俺にできることなんかなかった。
同じこと。
これをザクロに話したところで何も変わりはしないのだ。むしろ伝えたことで伝わってはいけないところに話が広がってしまう恐れもある。
「言わないという選択肢がベストだっただけだ」
「……友達でも?」
「関係ない。友達だろうが恋人だろうが家族だろうが、取捨選択は人生の基本だ。何も考えずに伝えることは罪になることもあるんだよ」
滔々と話したが、ザクロはきっと納得はできないだろう。
彼の人生の中では、大切なことは相手に素直に伝えるべきだと教わってきたのだろう。
俺は大切なものこそ相手には隠しておくべきだと学んできた。
どういう風に育ってきたかの違い。俺は腹を見せた瞬間に死ぬと思って生きてきたからな。
「羨ましいよ」
人間を教えてもらえていたようで、羨ましい。
本心から呟くと、ザクロは目くじらを立てた。
「それは間違ってる。大切な人だから伝えるんじゃない。大切なことを伝えたいから、大切な人なんだよ。本心を明かせる人が大切で、だから伝えるんだ」
「じゃあおまえは俺にとって大切な人じゃなかったってだけだ」
再三の突き放し。
流石にザクロも怒りに肩を震わせた。
「そう。そんなこと言うんだ」
「俺の性格はわかってるだろ」
ザクロは自身を落ち着かせるように息を吐いた。
「レド君は右腕を喪ったよ。スカビオサさんとの戦闘中に、ばっさりと斬られたらしい。君のわがままに付き合わされたせいだ」
「――。
……そうか」
「ハナズオウさんはレド君の近くでずっと泣いてる。もうレド君に両手で抱きしめてもらうこともできない。搬送が遅れれば死ぬ可能性だって低くないんだ。責任がとれるかい?」
「……さあな」
「ライさんは気絶したまま目を覚ましていない。全身傷だらけだって。プリムラ相手に一対一で残していったなんて、正気の沙汰じゃない。生きてるのが幸運なくらいだよ」
「……そうかい」
俺が置いていったもの。あるいは、切り捨てたもの。
誰も無事には済まなかったみたいだ。
全員、俺を恨んでいるだろうか。今は恨んでいなくとも、将来には俺を憎むのだろう。あの時の一瞬の気の迷いで協力したせいで、こんな目に遭っていると、牢屋の中ですすり泣くのだろう。
だけど、そんな”未来”があるだけマシだ。
途切れてしまった人の歴史。それを再び紡ぐためならば、何でもする。
――と、思い切れればいいんだけどな。
レドにハナズオウにライに、俺の計画に協力してくれたやつらに、恨まれて憎まれて問題ないと豪語できるような俺になれていれば良かったんだけどな。
痛いね、流石に。
三人とも、最後まで俺を信じてくれただけに。
「全部、君のせいだ。こんな手段をとった君が悪いんだ。もっと相談してくれれば良かった。もっと協力させてくれれば良かった。そうすれば、こんなんじゃない、もっと誰もが喜べる結末を導くことが――」
「黙れ」
ザクロの言葉を止めたのは、アイビーだった。
ザクロの視線がアイビーへと向き直る。
「そうだ。リンク君もだけど、アイビーさん、君だ。君がリンク君を唆して、こんな……。魔物を殺すためだからって、何をしてもいいわけじゃない!」
「何をしてもいいんだよ。目的のためならあらゆる手段をとってしかるべきなんだよ。甘えたことを言うな」
アイビーは腹の据わった目でザクロを睨み返す。
「何も知らないやつが外野からぎゃあぎゃあ騒ぐんじゃない。これが唯一で絶対の方法なんだ。無限に存在する選択肢の中で、これだけが目的を成し遂げられる方法なんだよ」
悪役に徹するアイビー。
彼女の性格を慮れば、俺と同じような心境でいるだろうに。
何が悪い? 聖女の記憶を有する霊装か? それを受け取ってしまった不遇な人生か?
全部後だしだ。
全部悪くて、全部正しい。
俺たちはこの道を進んだというだけ。
アイビーが一歩足を前に進めた。
「私が止める。リンクは先に行って」
「逆だ。おまえが先に行け」
俺は腰から剣を引き抜いた。鉄製の、何の面白味もない普通の剣。
デュランダルを掴むザクロと対峙する。
「私が止めた方が効率がいいよ。魔物はリンクの方が早く殺せるんだから」
「いや、魔物よりも今のザクロを止める方が苦労するだろう。おまえは死んではいけないんだ。わかるだろ」
聖女の霊装をハナズオウに移してはいけない。
それこそ、彼女に一生恨まれることになる。
「……わかった。じゃあ私は先に行く」
「ああ。頼んだ」
アイビーは森の奥へと走っていく。
俺とザクロ、二人きりの状態となる。
「もしもアイビーさんに脅されているというのなら、僕が救うよ」
「この期に及んで何を言ってるんだ。俺は俺の意志でここまで来てるんだ。それはおまえも同じだろう?」
人のせいにするな。
自分が今この場所に立っているのは、自分の意志の賜物だ。
今まで積み重ねてきた自分が、ここまで連れてきているのだ。
「僕の目的は君を止めることだ。両手両足の骨を折ってでも連れて帰る。一緒に懺悔しよう。必死に謝れば、皆、許してくれる。また一緒に国のために頑張ろうよ」
「レドが喪ったのは右腕だったな?」
「……そうだけど」
「そうかい」
俺は霊装でもないただの剣を構えた。
ザクロが首を傾げる。
「霊装は使わないの?」
「おまえにはこれで十分だ」
「舐められたもんだね」
ザクロが駆け寄ってくる。デュランダルによる横なぎ。それを剣で受け止める。
今まで俺の戦いは霊装に依存してきた。基本的に霊装は破壊不可能の代物。どんな攻撃でも受け止めることができていた。
しかし今、金属製の剣に持ち替え、みしりと剣が音を立てたことで、霊装のありがたみを知ることとなった。
「霊装を使いなよ!」
デュランダルの剣戟は止まらない。
スカビオサと違って剣は一本だから応じるのはそこまで苦じゃないが、それは逆に言うと、単純に剣のスペックの差が重要になってくる。
デュランダルの能力は単純明快な、使用者の身体能力の向上。運動能力も上がるし、肌の硬度も増す、攻防一体の力。
ただの剣では時間稼ぎも怪しい。
思い切り振り下ろされて、俺の剣にひびが入った。
「霊装がいかに超常的なものかを思い知らされるな」
「だから霊装に対抗するのは霊装だけなんだ。なんでそんな頑なに霊装を使わないの? デュランダルだって、アロンダイトだって、君は扱えるじゃないか」
「……」
俺は何も言い返さずに、ひび割れた剣を構えた。
「……まあ、いいか。その剣を叩き割って君を気絶させて、マリーさんのところに連れて行く。そうすればまたきっと……」
彼は何を夢見ているのだろうか。
もうそこに俺の戻る場所なんかないっていうのに。
彼の理想はすでに叶わないところにあるっていうのに。
ザクロの一閃。
俺は剣で対応するが、軽い音を立てて、剣が刀身の中ほどからぽっきりと折れてしまった。
「終わりだよ」
ザクロがデュランダルを振りかぶる。
その剣は刃先を俺の方には向けていなかった。刀身の腹で叩いて気絶させようと考えているようだった。
剣が振り下ろされる。
その速度は俺を昏倒させるには十分で。
しかし、俺はその攻撃を食らってはいけなかった。こんなところで気絶するなんて、今までの努力を無駄にするような行動とれるわけがない。
身体を避けさせる。
愚直な一撃は躱すのは難しくない。
そして。
俺の右腕は地面に落ちていた。
「……は?」
そんな呆けた声を出したのは、俺、
ではなくザクロの方だった。
空気が硬直する。ぼたぼたと、赤い血が地面を汚す音だけが鼓膜を揺らしていた。
いたいね、ほんとに。
「なんで……」
呆然とするザクロ。
俺は自身から離れた右腕を蹴り飛ばしてザクロの方に転がした。
「それを持っていけ。魔物をある程度殺して、事が収まってきたら、それを証拠に俺を死んだことにしてくれ。そうすれば、国民の怒りも俺に集約されて、自業自得だなんだと文句を言って溜飲を下げるだろうさ」
右腕の肘から指の先まで。
その部分はすでに俺ではなくなった。
過去にはすでに腕を失った時の痛みは経験済みだから、新たな知見はなかった。
痛みはあるけれど、それ以上でもなく、それ以下でもない。血は垂れ流しだが、しばらくは生きていける。どれくらいで死ぬのかも、過去から逆算できる。一度死んでおくのは大事なことだな。何事も経験だ。
「え、どう、いう」
ザクロは別離した俺と俺の右腕とを見比べて、無様な顔を晒す。
なに。おまえの剣の刃先に向かって右腕を押し当てただけだ。
俺が自分で自分の腕を切り落としただけだよ。
悪いな。損な役回りをさせる。
「大罪人リンクは魔の森で潜伏中、魔物に喰われて死ぬことになるだろう。その時に死体の一つも残らないんじゃ、人類の恨みの落としどころもわからない。あいつは無残にも死んだ、そういう話になれば、それは一つの終着点になるだろう」
「そうじゃなくて!」
ザクロは叫ぶ。
ぼろぼろと涙を零しながら、
「こんなつもりじゃ、なかったのに……。僕は、君を、」
「そうだ。おまえは何もやっていない。俺がやったんだ。だからおまえが気に病むことはない」
自分で斬り落としても良かったんだが、それではただの自傷行為だ。英雄ザクロが大罪人に傷を負わせたという報告の方が、民衆にとって聞き心地は良いだろう。
「おまえは英雄になるんだ。大丈夫。その腕を持っていけば、わかるやつは誰のものかよくわかる」
「違うんだって……。そういうことを聞きたいんじゃなくて……」
ザクロは酷く狼狽した様子で、その場に崩れ落ちた。
「ただ僕は、昔みたいに皆で一緒に過ごしたくて。仕事の愚痴とか、これからのこととか、遊びの計画とか、空いた時間で飲んでみたりとか――あの場所を、失いたくなくて……」
「そんな未来はない」
「ずっと、続くと思ってたんだ。また元に戻せるって、信じてて……」
「永遠なんてないんだよ」
あるとしたら、それは終わらせないといけない。
何も動かない玩具なんて、壊れたのも同じこと。
世界だって同じだ。動かない世界は壊れた世界。直さないといけない。
「もう俺たちが一堂に会することはない。そのうえで、どうするかだ。おまえは強い。前に進んでくれ」
「……じゃあ、僕も、君たちと一緒に……」
「おまえの役割はそれじゃない。おまえは四聖剣なんだ。国民の頂点に立って、皆を導け。英雄ザクロ。おまえにじゃないと頼めない」
おまえに救われてきた人間は多い。
俺だってその一人だ。
だからこれからも、その性格で、力で、才覚で、人を救ってやってくれ。
「人類を任せた」
俺はフォールアウトを掴むと、森の奥に放り投げた。
転移する寸前、ザクロは顔を上げて俺に向かって走り出していた。
「待って! 違う! 違うんだって! 僕はただ四聖剣を引き継いだだけの、なんにもないただの一般人なんだよ! 君が思っているような男じゃない。だから、」
一つ後悔があるとすれば、ザクロの成長の機会を俺が奪ってしまっていたのかもしれない、ということだ。
前回よりも弱弱しい男は、されど、立ち上がる強さを有している。俺はそれを知っている。
泣き顔の英雄に別れを告げて、俺はその場から姿を消した。
◇
しばらく行って、アイビーと落ち合う。
彼女は魔物を殺したばかりのようで、派手に血をまき散らして魔物の死骸を地面に転がしたところだった。
「待たせたな」
「ううん。予想通りの時間だったよ。大丈夫だった? ――」
アイビーは俺の姿を見て息を止めた。
視線は右腕のあったあたりに固定される。
流石に血を流し過ぎたのか、くらくらしてきた。樹に背中を預けると、俺は大きく息を吐いた。
「まったく、苦戦したぜ。ザクロは強いな」
「嘘つき」
アイビーはすぐに近寄ってきて、地面から木の蔓を拾うと俺の腕の切断面少し上のあたりにそれを巻きつけた。気持ち、吐き出される血の量が減った気がした。
「ありがとな。そうだよな。ここまで来て最奥部までたどり着かないで死んだら、洒落にならないもんな」
「そうじゃなくて……」
アイビーは俺の胸に額を押し当てた。
俺は嘆息するしかない。
「わかってるだろ。誰かが死を、終わりを見せないと終わらないんだ。おまえは死ねない。だったら、死ぬのは俺の方だ。まあ、流石に魔の森の最奥部だ、死体を残すことができないだろうが、だからこそ残すものが必要だったんだ」
「……ザクロなんか、目じゃないくせに」
「俺が使える霊装は、もうおまえのフォールアウトしかない。わかってるだろ」
俺は肩を竦めた。
俺の霊装ホワイトノート。
白紙の上には、色んな人の名前が踊っていた。
しかし今はもう、眼前で顔をうずめる少女のものしかない。
「……リンクは嘘ばっかりだ。使えるけど、使わないだけでしょ。誰もリンクのことを嫌ってないんかいないよ。皆、ずっと好きでいてくれてる」
「こんな俺なんかを好きでいるなんて可哀想だからな。その証拠は使えないだろ」
俺が霊装を扱えるのは、相手が俺を想ってくれてこそ。
いわば、好意の証拠なわけだ。
それを見せびらかして戦うなんて、俺を想ってくれている人に申し訳がない。俺なんかのことを想ってちゃいけないだろう。大罪人のことなんかさっさと忘れてほしいものだ。
「それは律義なんじゃない。臆病なだけだよ」
「どっちでもいい。もう必要がないものだ」
「右腕だって……。右腕を選んだのだって……」
「俺が命令したことでああなったんだ。俺もこうならないと不公平だろ」
「私の霊装はずっと使って」
アイビーは顔を上げた。
涙で潤んだ顔は、強気な彼女にしては珍しい。
いや、彼女も彼女で、本当は心配性で臆病で引っ込み思案なのに、強気を見せているだけ。嘘つきだ。
同じ、嘘つき。
嘘つきフタリ。
「ああ。死ぬまで使わせてもらう。おまえも罪人だからな。今更好きじゃなかったとか言うんじゃないぞ」
「貴方の覚悟が死ぬことだと言うのなら、私の覚悟は生きること。貴方を想って一生を生きること」
アイビーは一度鼻を鳴らしてから、歩みを再開した。
「行こう」
「ああ」
再び白紙になったホワイトノート。
最初に戻っただけだ。
何もないただのリンクに戻っただけ。
不思議と、清々しい気分だった。