156. 矜持
◆
ライは空中からプリムラを見下ろした。
同時に、地上からプリムラも自分のことを見上げていた。
相手は四聖剣。伝説にも語られる霊装を携えた存在。
そんな相手と向かい合っていると思うと、身体がぞくぞくとした。自分の特別性を感じられた。
――生きがい、なんてそんな大層なものではないけれど。
多分、自分は刺激に飢えていた。
ただ朴訥と続いていく人生に恐怖を覚えていた。
そういう意味ではきっと自分は異端。シレネにもレフにも理解はしてもらえなかったし、多くの人もきっと理解してはくれない。霊装を持っていて、家庭もそれなりに裕福で、四聖剣の御付きにもなっている。順風満帆な人生で羨ましいのになんで、と。
しかし、逆に言えば、それだけなのだ。
赤の他人ですらも想像できる自分の行く末。そんなものに何の価値がある。
自分にとって不運だったのは、そんな自我を持ってしまったこと。自分の人生が真っすぐの一本道であると決めつけたこと。あるいは、そこから逃げきれないことを悟ったこと。
自分にとって幸運だったのは、リンクと出会ったこと。自分の気持ちを理解する相手と顔を突き合わせることができたこと。
彼についてきたことで、まさか四聖剣と対峙することになるなんて。
――ぞくぞくする。
肌を這いよる興奮と、背中を撫でまわす恍惚と。
これがもし物語であったのなら、これは絶対に書き記されるワンシーンだ。今後の史実に残るであろう一幕。
自分の名が残る。
それが汚名であっても、自分が生きた証がそこにある。
「あはははははっ」
嬉しい。
たまらなく、たまらなく、たまらなく!
私の人生がここにある。そこいらにいる有象無象ではなく、何の記録に残らないものではなく、自分の存在が絶対のものとしてここにある。
ここに、私がいる。
「狂人が」
下の方でプリムラが呟いた一言も、ライを高揚させるスパイスとなった。
「そうかもね。私はどこかで狂ってる」
そこいらにいる一般人のはずなのに、自分が特別だと勘違いして、普通と特別の間で揺れ動いてどうしようもなくなって。
他者が見れば、まさに道化。
小さい時に抱いた理想を追い求めている、大人になりきれない子供。
でも、それが、私なのだ。
「きっとわかってもらないからいいの。でも、今の私は私史上一番に輝いている。私はようやく、私のことが好きになれそう」
眼前がキラキラと輝いている。
世界がこんな色をしているなんて、知らなかった。
特別になれた自分に与えられたご褒美のように思えた。
「――最高ね」
「下らんな」
プリムラは大剣を構える手を引いて、思い切り前へ。大剣をライ向けて投擲した。回転しながら襲来するそれを冷静に躱して、ライは笑う。
「なにそれ。そんなんでこの私を落とせると思ってるの?」
「当てるのは難しいか。……それならば、貴様など放って先を急げばいい」
プリムラはリンクたちの消えた方向へ足を向けた。
「させない」
ライは高度を下げて、プリムラの近くへ。空中で一回転して、箒の穂の部分をプリムラに叩きつけようとする。
プリムラはその行動を読んでいたようで、即座に振り返る。
ゴン、と武骨な音。ライの箒がプリムラの甲冑に当たった音だった。
それだけ。プリムラは気にした様子もなく、箒ではなくライ向けて剣を振るう。
ライは箒をかき消して、地面に降りた。しゃがみ込むと、その上を剣が通り過ぎていく。追撃が来る前に箒をプリムラとは逆方向に再展開。そのまま勢いをつけてプリムラと距離をとった。
心臓がばくばくと音を立てる。
プリムラは本気だった。ライが何もしなければ、あの大剣は自分を真っ二つにしていた。
「……楽しい」
心臓が高鳴る。
この戦闘は死と隣合わせ。
しかし、確実に、生を実感できた。あの一閃を躱せた自分に賞賛を送りたい。
嫌いだった自分が好きになっていく。こんなこともできたんだ。知らない自分が笑顔で自分に手を振っている。
「何を笑っている。不気味なやつめ」
「もっと言って。それがきっと、私を形作るの」
甲冑の奥、プリムラの眉が寄ったのがわかる。
ああ、これがリンクのいた世界か。
相手と戦い、言葉で行動で相手を困惑させる。困惑した相手の一手は読みやすい。自分の手のひらの上で踊っている相手を見るのは、とても心地よかった。
知る、知る。
自分の形を。相手の形を。
「……」
プリムラは立ち止まった。
次の一手を考えているのがわかった。
一直線に駆けるか、いや、箒で空に飛ばれる。大剣を放り投げるか、いや、そもそも大剣は投擲には向かない。
ライの箒に攻撃力はほとんどない。代わりに俊敏な移動を可能にしていた。迎え撃つことに特化したアスカロンにとっては天敵。
それを理解した途端、プリムラは背中を向けて走り出した。
「……そうなるわよね」
自分の攻撃は羽虫のような威力。プリムラは最初からライのことは無視して、リンクたちを追うべきで、実際にそうしたわけだ。
でも、自分がリンクに頼まれたのは足止めだ。それは遂行しないといけない。
ライはプリムラを追掛けようとして――異常に気が付く。
魔物が木陰から一度に数十匹ほど溢れだすように発生して、プリムラに襲い掛かっていた。
ハナズオウかとも思ったが、近くにいない以上、偶然の産物だろう。
虚空から急に生まれたように見えた魔物を見て、ライは息を飲んだ。
魔物はこうやって急に現れるのか。これが広範囲に起こることが、リンクたちの恐れていたことか。確かに普通の人間が対応できるものではない。
しかし、そこは四聖剣。重厚な鎧で覆われたプリムラは苦にしない。多数の牙に噛まれようとも斬られようとも、霊装は傷一つ残さない。冷静に大剣で一匹一匹叩き切っていく。
ライは魔物の被害のない空へと飛んで、その様子を観察していた。結果論だが、プリムラの足は止まっているのだ。放っておけばいい。
段々と魔物の数は減っていく。
が。
減ったところからどんどん増えていっている。
プリムラが十匹殺せば二十匹。二十匹殺せば四十匹、魔物が後か後から生まれていく。
「……これって」
全方向から魔物に襲われ、プリムラの姿を覆い始めた。プリムラの甲冑が見えなくなっていった。魔物の山の中、かろうじてもぞもぞと動く物体が見える程度。
このままでは圧死する。
彼の身体に傷はつかないだろうが、視界も隙間も何一つない状況で、押しつぶされる。そんなことで人は死ぬ。
四聖剣の一人が死ぬ。
こんなところで。
「私たちは何のために戦ってたんだっけ」
人類救済のため。
そのために、彼の存在は必要だ。
――私よりも。
「……私は私で狂ってるし、特別なんだろうけど、主役ではないのよね」
自分の異質さを理解すると同時に、主役になれないことも知る。
残念でもあり、悔しくもあった。
でも、どこか清々しいのは否めない。
史実の端に載るような人生が、自分にはふさわしい。
それだってきっと、”特別”なのだから。
ライは大きく息を吸うと、魔物で溢れる地上に向けて一直線。空中で箒の柄を掴むと、それを横なぎに振り払った。箒に当たった二、三匹が転がっていく。
また上空に上がって、重力の力を借りて、勢いよく箒を叩きつける。
魔物を殺せはしない。
しかし、プリムラの頭上を覆う魔物を振り払えた。
そのまま降下。彼の頭を甲冑越しに掴むと、引っ張り上げようと上昇する。
「おっも……」
全身フルプレートの大男を持ち上げるには、出力が足りなかった。
しかし、一度顔を出したくらいでプリムラには十分だったようだ。片腕を無理矢理外に押し出すと、魔物の頭蓋を掴んで山の中から脱出する。
殴り、蹴り、近くの魔物を淘汰して、戦線に復帰した。
彼が危機を乗り越えたことにほっとする。
が、プリムラの頭を掴めるくらいまでに高度を下げていたライは、魔物の攻撃範囲内にいた。ライはとびかかってくる魔物に対応できなかった。
箒に噛みつかれ、重量がかさみ、更に高度が落ちる。
魔物の山の中に放り込まれれば、プリムラとは違って生身のライは間違いなく生きてはいけない。
魔物を蹴り飛ばして何とか上空へ向かおうとするが、魔物は次々に跳躍してくる。噛みつき、しがみつき、箒の許容重量を段々と超過していく。
段々と降りてくるほどに、魔物の息遣いを肌で感じる。
もう、どの魔物でも自分の肉に噛みつけるくらいの高さまで来た。
そこに来て初めて、ライは死を意識した。
「……」
死の覚悟はしていた。
リンクに誘われた時に、この魔の森に足を踏み入れた時に。
実際に死が目の前に来た時、自分は何を言うのだろうと、少し楽しみでもあった。
「ああ、終わりか」
自分の口から出たのは、そんな言葉だった。
惜しむこともなく、悔しがることもなく、ただただ淡々と死を受け入れるだけの女だった。
そういった意味では、最初から、生きてもいなかったのかもしれない。
だからこそ、”生きた証”なんていう、自分には過ぎた代物に手を伸ばしていたのかも。
魔物に足を噛まれ、腕を切り裂かれ、上からのしかかられ。
下らない人生を鼻で笑って、ライは意識を手放した。
◆
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
誰が叫んでいるんだろうか。
こんな雄々しく、不格好で、無様な雄たけびを上げているのは誰だ。
俺だ。
魔物を踏みしめ、殴りつけ、蹴り飛ばし、切り裂いて。
プリムラは魔物の山の中に落ちた”そいつ”を引きずりだした。
四肢は裂傷だらけ、服はぼろぼろ。赤く染まった身体は痛々しい。
しかし、微かに息をしていた。
――これは、俺の矜持の問題だ。
別にこんな愚民を助ける義理などない。こんな犯罪者、死んで当然だ。魔物に食いつくされるのがお似合いな末路だ。
だから、こいつの生き死には関係がない。
単純に、俺が助けられてしまったから、その借りを返すだけ。
自分の矜持の問題だ。
「――こんな愚民に助けられて終わる俺じゃない!」
厭に軽い女性の身体を背負う。
大剣は投げ捨てた。
この数なら武器はむしろ邪魔だ。
全身を覆ったこの鎧だけでいい。
アスカロン。
亡き祖父から賜ったこの霊装に誇りを持って生きてきた。代々伝わっていくこの霊装こそがすべてで、それにふさわしい自分になるためだけに生きてきた。
敗北など許されない。
寄道などありえない。
王の下、人類のために消費されて然るべき。自分の力は高尚で高度なものなのだ。
――だからこそ、殺す。
この世に綺麗な戦いなどはない。あるのは勝利と敗北のみ。
そんなことはわかっている。あの男に二度も煮え湯を飲まされ、自分の中の矜持も薄れている。戦いとは、やるかやられるかだけだ。
手段など問うてる場合ではない。
とびかかってくる魔物の頭蓋を掴んで、手で握りつぶす。足元で蠢いていた魔物の腸を踏みつぶす。数で覆いかぶさろうとしてくるやつらを振り払った。
――これが俺の戦いだ。
魔物を殺すことこそ、自分の本分。
人類を守ることこそ、自分の本懐。
そうだ。あの男なんかどうだっていい。誰が何と言おうと関係がない。俺のこの力は、人々を守るためにある。
『他の人のことも考えて。きっと、貴方を助けてくれるのは、そういった人たちなのよ』
こんな時に一番嫌いな相手の言葉を思い出す。
違う。俺はあんな無能なやつらに助けられたりはしない。
背負っている女だって、勝手に落ちていっただけだ。こんな小さな手がなくとも、どうとでもできていたんだ。
今だって、俺が一人で魔物を殺しているのだ。
――じゃあ、なんのために戦うんだ。
さっき人々のために戦うと言ったばかりではないか。
「……ああ、そうか」
真っ赤に染まった鎧の中で、プリムラは独り言ちた。
助けられるというのは、何も手を差し伸べられることだけではない。
世界は無能なやつらばかり。――だからこそ、俺がやるのだ。アスカロンには、その責務がある。
責務を”もたせてくれている”のも、そんな存在がいるからだ。
自分の背後で震えているだけでも、守るべき対象になってくれている。それもきっと、必要な存在だ。
彼らが無能なのは変わらない。自分の認識も変わらない。
だけど。そのために自分が立ち上がる。立ち上がることができる。
『貴方にも思いを持ってほしいの』
また、あいつの声が響く。
絶対に納得はしない。
そんなもの、必要はない。
だがしかし。
「やってやる。俺が、魔物を殺しきってやる」
いまだ数の減らない魔物たち。
それらを眼前に、プリムラは片腕を握りしめた。
片腕はライの身体を離さない。
――こいつも、無能だ。
啖呵を切っていたくせに、いざとなれば気絶するだけ。無能の極み。
――無能は黙っていればいい。俺が、貴様らの分まで、全部殺してやる。この霊装アスカロンに賭けて。
刺し違えてでも。
真っ赤な思いを胸に、プリムラは襲い掛かる魔物を残虐した。