155. 葛藤
◇
スカビオサのことはレドがしっかりと足止めしてくれているようだった。ついぞ、彼女が姿を見せることはなかった。
しかして、スカビオサから逃げるように迂回したためか、別の問題が発生してしまった。
「リンクか。本当にここにいるとはな」
眼前に立つはプリムラ・アスカロン。
こいつも来ていたのか。いや、そりゃ来るか。
俺と二度戦って二度負けたプライドの塊のような存在。国の平和を願っているからこそ、俺を殺しに来るのは当然だ。
こいつもこいつで一人きり。
「さっきスカビオサと会って、おまえたちはそれぞれ軍を率いていると聞いたんだが」
「有象無象などかえって邪魔だ。必要のないやつらは置いてきた」
スカビオサは変わったが、こいつは変わらないな。相変わらず人を曲解している。
大勢で来られたら困るし、助かったといえば助かったんだが。
何にせよ、また面倒なことになった。こいつは貴重な戦力。殺してもいけないし、怪我をさせてもいけない。そのうえで逃げ切らないといけない。
「まだ進みたいの?」
ライが聞いてくる。
俺は頷いた。
俺たちの足跡を最奥部まで残してようやく、計画は完遂する。こんな森の中で迷ってもらっては本末転倒だ。俺たちはあくまで魔王の先兵として、魔王までの道をつくらないといけない。
「わかったわ。先に行って。こいつは私が足止めする」
ライはプリムラの前に立つ。
小柄なライと大柄なプリムラと、その体格差は歴然で、拳の一つで命が奪われそうな危機感を覚える。
「……駄目だ。三人で逃げるぞ」
「どうしてよ。レドには任せたじゃない。私には任せられないって言うの?」
振り返ってくるのは不満そうな顔。
レドとハナズオウを置いてきたのは、二つの意味があった。
ハナズオウはもう魔の森を歩くには限界だったから連れてはいけず、スカビオサが相手であれば殺されることはないという安心があった。二人とも保護されてしまえば、命は保証される。勿論、黒の曲芸団に関わったとして一生牢屋送りかもしれないが、そこはマリーとシレネに任せるしかない。
プリムラはそういった情状酌量の余地を有していない頑固者だ。いざとなったら簡単に命を摘むだろう。そんなところにライを置いていけはしない。
そしてそれを口に出すと、プリムラの意志が固定されてしまいそうで厭だ。
言葉に窮すると、アイビーが、
「わかった。任せるね」
と言う。
「……おい」
「目的のためにはこれが一番だよ。わかってるでしょ。私たちは魔物の死骸を残しつつ、最奥部までいかないといけない。ここでこの男を止める人間が必要で、それは私でもリンクでもない。ここから先は戦闘力の無い者を連れてはいけないし、ライが適役だよ」
冷たい言い方だ。
でも、それが事実。理屈で考えればそれしかない。
アイビーの顔は青かった。
俺が言い出せなかったから、代わりに言ってくれたんだろう。
覚悟を決めたって言っただろう、俺。
覚悟とは他者の死だ。自分の死なんか天秤にも乗りはしない。それに耐えうる覚悟をしたんじゃないのか。
この期に及んでビビるんじゃねえよ。
決めるのは俺だ。俺の始めた物語なんだから。
「ライ、任せていいか」
「ええ。当然じゃない」
ライは笑顔で振り返ってきた。
「これが私の成すべきことよ。誰に何を言われようと、譲ってなんかやらない」
「……つまらんおままごとだ」
こちらの相談も終わらないうちに、プリムラは自身の霊装を展開した。
身の丈ほどの大剣に、全身を覆うフルプレート。攻防一体の強固な霊装、アスカロン。
「必要のない身内切りに悩むことはない。全員ここで私が殺すのだから」
音を立てて接近してくる。
「行って!」
ライも霊装を手に取った。
霊装フレアボルト。箒の形の霊装を手にして、その場から飛び立つ。
一瞬の逡巡の後、俺とアイビーはそれぞれナイフを手に取って、森の奥に放り投げた。
「――死ぬなよ」
「ありえないわ。私の霊装は逃げることに特化してる。倒す必要がないのなら、どうとでもできるわ」
プリムラは足を止めた。
上空で旋回するライ、すでに見えない移動先を有している俺とアイビー。それぞれを見遣って、沈黙する。甲冑の先で苦渋の表情になっていることが窺えた。
ライは上空から声をかける。
「貴方の相手は私よ」
「……まずはこいつを捕まえて拷問することが先決か」
俺とアイビーの持つ霊装フォールアウトの能力はプリムラもよくわかっている。こっちの方が逃走には特化している。俺たちを捕まえる方が難しいと判断するのに時間はかからなかった。
俺とアイビーはそれを見届けて、霊装の力を使用した。彼らの姿が見えなくなる森の奥へと転移する。
歩みを再開した。
「ライを残したのは私の判断だよ。だからそんな顔しないで」
俺がどんな顔をしてるっていうんだ。
人類のためだぞ。なんでもやるって決めてるんだよ。
決めてるんだよ。