154. 喪失
◆
「どけ!」
スカビオサがエクスカリバーを手にして斬りかかってくる。その形相は必死であり、思わず気圧されそうになる。
――あいつら、これが目的かよ。
内心、毒づく。
リンクもアイビーも、人の感情の機微に聡い。
しかし、いや、だからこそ、だろうか。一番弱い部分を的確に刺激するのだ。
レドはバルディリスを手にして、純白の刀身を受けた。重厚な金属音がして、みしりと身体が唸った。
押し切られなかったのは、スカビオサの剣に逡巡があったからだろうか。
「……意味が分からない。なんで、協力した方がいいのに。やっと、同じ夢を見られるのに」
スカビオサは熱に浮かされたようにぶつぶつと呟く。
レドはエクスカリバーを斧で押し返して、後退。一旦距離を取った。
「あいつにはあいつなりの考えがあるんだろ」
「貴方はどうして納得できるの。さっきのはどう考えても理論的な考えじゃない」
「知らねえよ」
レドは鼻で笑う。
そう、最初からリンクの言っていることはわからない。どこまで先を見据えて話しているか想像もつかない。アイビーも同様。人生が二度目になると、そういった思考が身につくのかと思いきや、スカビオサが困惑している以上、持って生まれたものなのだろう。
レドが信じているのは、こういった目先の行動ではない。どのみちこれは理解できないのだから諦めた。
最終目標。考えの根っこ。
行動の原理だけは、納得できる。
あいつはいつだってなんだって、他人のことを考えている。話を聞いていると、自分の意見が意外と少ないということに気が付く。俺のために、とは口で嘯くが、結局は誰かのための行動なのだ。
「あいつのことを信じる。俺はそう納得した」
だから今回も同じ。
人類のため。まだ見ぬ他人の明日のために、奮闘している。
レドはライのように使命感や正義感をもっているわけでもないし、ハナズオウのように心の底ではやりたくないわけではないけれど。
「自分のことなんか顧みずに、他人しか見ていないあいつのことを見てやれるのは、俺だけだからな」
そういう意味では使命感なのかもしれない。
自己を顧みないあいつを支えるという矜持。俺がいなくてもあいつはやってのけるだろうが、その時には何かを失っているかもしれない。誰かが守ってやらないといけないのだ。
「意味が分からない」
スカビオサは首を振る。
そこに優越感を有したのは、愚かなことだろうか。
「そりゃ、おまえはあいつと一緒にいなかったからな」
「楽しそうね」
「そう見えんなら、そうなんだろうな」
レドは斧を握る手の力を強くする。
「あいつと過ごしてきて、良い人生だったと胸を張って言えるぜ」
リンクから伝えられたのは、スカビオサの足止め。会話しているだけでも十分だ。
一つの目的のために、行動する。
「逆に聞かせてくれよ。俺こそ意味がわからねえな。どうしてアイビーに固執するんだ。おまえはあいつを恨んでいただろうに。親友って言葉はよっぽど嬉しかったのか?」
「……貴方にはわからない」
スカビオサの目が据わった。
両手に霊装を手にして、低い声を出す。
「私からすれば貴方は生まれたばかりのただの赤ん坊。この世界の一端を知っただけの知恵のない動物。物事をたった一度の人生の中だけでしか考えられていないでしょう。死の先の事なんか考えたことがないでしょう。一時の感情がすべてだと思っているでしょう。
私はアイビーを恨んでるよ。それは間違いない。今だって殺したい。あの子のせいで、私はこんなことになってる。言ってくれればいいのに、話してくれればいいのに、言っても意味がないと勝手に判断されて、こんなところまで来てしまっている。むかつく。むかつくむかつくむかつく。
でもきっと、ずっとずっと、こんなことばかりを考えているくらいに、殺したいという感情と同じくらいに――執着しているのがわかる。私の人生のほとんどは彼女に占められてしまっているんだから。
あの子と私はずっと一緒にいるの。何年も何年も、同じ時を過ごしている。もう、彼女しかいないの。元々の私を知っている人は、あの子しかいないの。だから恨んでるとか嫌っているとか、そういうのは二の次。感情はどうでもよくて、事実として、アイビーが私にとって唯一の……」
スカビオサは自分の中にある感情を確かめるように、ゆっくりと言葉を紡いでいた。
レドは確かに、スカビオサの感情がわからなかった。
けれど、その一端はわかるような気がした。
「ついていくと決めたんだな」
少しだけ自分と眼前の相手が似ていると思った。
ただ真っすぐに進んでいく二人に、追いつきたい、隣に並びたい。
自分より前を進む二人に少しでもこちらを見てもらいたい。
だからレドはリンクに協力したし、スカビオサはアイビーを追い掛けている。
――乙女かよ。
それこそ、鼻で笑ってしまう。
そんな綺麗なもんじゃないし、そんな汚いものでもない。
ああ、まるであいつのような言い草だな。
「……なるほど。私も少し、貴方の気持ちがわかったかも」
スカビオサは大きく息を吐いた。
「決めたのね」
「ああ、覆ることはねえ」
スカビオサによって無造作に放り投げられた短剣を、レドは斧で弾いた。
「最後通告よ。どいて。貴方じゃ私には勝てない。何度も負けてるんだからもうわかるでしょう」
「ああ。俺はおまえにもう二度も負けてる」
披露会の際と、その後のアイビーの一件で。どちらもまったく歯が立たなかった。
「だが、それは引く理由にはならないな」
「死んでも文句言わないでよね」
スカビオサが駆け出す。
彼女の霊装は両手に掴んで余りある。
合計五つの霊装が順に繰り出され、レドは防戦一方になるしかなかった。
基本的にはエクスカリバーとカラドボルグの二本の剣による二刀流。時折、短剣セクエンスと長槍グングニルを投擲して、戦いに厚みを生み出す。一瞬の隙を突こうと斧を差し向けるも、宙に浮いている盾アイオスがその間に入って攻撃も通らない。
――なんであいつはこんなやつに勝てたんだよ。
過去のリンクに舌を巻く。
あいつだってスカビオサと同等の数の霊装を扱うことができていたが、同時展開と一つ一つ繰り出していくのとではまったく違う。リンクの能力を自分が持っていたと仮定して、どこまで抗うことができただろうか。
剣二つをかいくぐり、投擲を避け、スカビオサの腕に斧を振り下ろす。
しかし、見下ろすところにある彼女の四肢は、近く、遠い。
「効かないよ」
盾と邂逅し、金属音。
その隙にスカビオサに蹴り飛ばされ、地面を転がっていく。起き上がろうとすると、右腕にエクスカリバーの切っ先が突き立てられた。純白の刀身と肉の隙間から血が噴き出した。
「ぐ……」
「私に勝てるわけがないのに。これで満足? じゃあね」
エクスカリバーを引き抜いて、スカビオサはレドを越えて歩き出す
――のを、ほかならぬ魔物の襲来が邪魔をした。
スカビオサはそれを一刀の下に切り捨てるが、原因となった女性を見つめると、眉を顰めた。
「なに。貴方も邪魔をするの? そんな身体で?」
ハナズオウが樹を支えに立ち上がり、羽根を振ったところだった。霊装フライウイングの効果で、魔物は転送されて最寄りのスカビオサを襲う。が、一蹴だった。
「貴方はリンクに捨てられたんだよ。もう必要ないからって切られたんだ。それなのにあいつに報いるの?」
「あんな男、どうでもいいんですよ。最初っから、何考えているのかわからないところが気に食わなかったですし」
「じゃあなんで」
「……別に、私に大層な目的はないんですけれど」
荒い息を吐きながらも、目はしっかりとスカビオサを睨みつける。
「大切な人の危機に何もしないようなら、私である意味がない」
「私たちは同じ目的のはずでしょうに」
スカビオサは舌を打った。
「そろそろまずい。リンクとアイビーを見失う」
焦燥感を滲ませて、スカビオサは二人を無視して先へ進もうとするが、立ち上がったレドの斧と、それを援護するハナズオウの魔物が阻害してくる。
「――邪魔だってば!!」
眼前で血を滴らせながらも立ちふさがるレドに、カラドボルグで斬りかかる。
レドは斧でそれを受けてから、弾き飛ばされる前にかき消した。
スカビオサの剣は虚空を切り裂いて、その先にレドはいない。大きな隙ができて、レドの右手に握られた斧が、スカビオサを捉えようとしていた。
逡巡はあった。
葛藤はあった。
けれど、これしかないと思った。
これは遊びじゃない。互いに命を賭けた真剣の勝負。だからレドは本気で斧を振り下ろしている。
スカビオサだって同じ。本気だ。
アイビーを追掛けなくちゃいけない。
また、話さないといけない。
これは絶対に成し遂げないといけない。
間にある障害は取り除かないといけない。
そう、言い訳して。
スカビオサは左手に握ったエクスカリバーで、レドの右腕を斬り落とした。
鮮血をまき散らして宙を舞う右腕。
ハナズオウの絶叫がいやに耳に響いた。
「……貴方が悪いんだ。私の邪魔をするから」
その場にうつ伏せに倒れこむレド。駆け寄るハナズオウ。
スカビオサはそれらを見下ろして、レドの口角が上がっていることに気が付く。
「なに」
「俺の戦いは最初から、おまえに勝つことじゃねえ」
レドには右腕を失っても、その目的を達成するという意志があった。
スカビオサの足は止まっていた。
そして、すでに彼らの足音すら聞こえなくなっていることに気が付いた。
「そうね。――貴方の勝ちよ、レド・マーフィ」
すでにリンクとアイビーの姿は見えなくなってしまっていた。