153. 慟哭
◇
なんとなく、振り返った。
遠くで誰かの声が聞こえた気がした。
しかしきっとそれは気のせい。俺たちが王都を発ってからまだ十数日しか経っていない。王都はまだ混乱の真っただ中だろうし、立て直しが計れたのかどうかも怪しい。そんな状態では誰もここまで辿り着けるわけがない。
そもそも俺たちを追ってこれるのかも半信半疑。人々は決意よりも失意が先に来て、立てなくなってたりはしないか。事の重さに押しつぶされてやしないか。マリーもシレネもうまくやってくれているだろうか。
なんて。
他人の気持ちをこれだけ裏切り続けた男が、何を言っているんだ。誰に何を言う事もなく、本心を告げることもなく置いてきたくせに、何を一丁前に期待しているんだか。他者に何かを請うことができるような人生なんか送ってきていないのに。
だけど、人を裏切り続けてきた嘘つきだからこその矜持もある。俺は徹頭徹尾の嘘つき野郎。疎まれて憎まれて、ようやく俺になる。こんな男は殺しに来てもらわなくては困る。悪い奴はこの世から消し去ってもらわないと。
色んな人間に負の感情を向けられることが俺の唯一残った誇りである。
そんな妄想を鼻で笑って、また一歩足を進める。
魔の森のそれなりに深い場所。人の足跡の一つもなく、俺たち自身が道を作っていかないといけない。倒れた樹木をどかして、邪魔する折れ木を避けて、人の足の踏み場を作っていく。ひっきりなしに魔物が襲ってくるその場所で、俺たちはただ前を見つめて歩いていた。
すでに殺した魔物の数は百を越えていた。
先頭を歩く俺も、殿を務めるレドも、すでに魔物を殺したくらいでは報告も上げなくなっている。魔物は屠って当然。無傷で殺して当たり前。死骸を歩いてきた道程に放り捨てて、ただただ前へ。
立ち止まる時間も惜しかった。
「……どこまで行くんですか」
武勇を轟かせる男二人の間には、女性が三人。
その中でも、ハナズオウは特に荒い息を吐き出していた。
王都を出てからこっち、目に入った魔物を殺しながら、討伐隊基地にちょっかいを出しながら、少しの遠回りをしてここまで進んできた。休憩は最低限。特に魔の森の中での移動は神経をすり減らすし、睡眠も碌にとれていない。彼女も限界が近いのが見て取れた。
「行けるところまでさ」
軽口を叩こうとも、ハナズオウの顔色は変わらない。
青い顔のまま、肩で息をしている。
「実際、どこまで行くんだ」
ハナズオウを気遣ってか、レドも聞いてくる。
「奥の奥だよ。前に空を飛んでたどり着いた広場があるだろう。そこまで行く」
「なんでそんなところまで行くんだよ」
「魔の森まで軍を引き連れてくることがゴールじゃないからな。問題はその後。一番深いところ、一番危険なところ、そこまで人類は足を踏み入れないといけない。魔物を根元から叩くところまでいかないと、掃討なんかできやしない」
「だったら飛んで行けばいい。前だってそうしただろ。わざわざ歩いていく意味がどこにある」
「前は下見だ。俺たちだけで良かった。前と違って、今回は連れていく必要があるからな」
「誰を」
「全員だよ」
俺たちの通った道には、多数の魔物の死骸が転がっている。まるで”道しるべ”のように。そこを辿っていけば、魔の森の中心部まで一直線に向かうことができる。
王都から来た人類の戦力の全てをご招待。迷うことなく俺たちの後を追ってきてもらい、一番地獄に近い場所に誘っていくのだ。
一度に数十の魔物を相手どる、素敵な場所だ。わくわくするだろう?
「……そうか」
レドは苦虫を噛み潰したような顔をした。
ああ、そうだ。
俺たちのゴールは魔の森の奥の奥。多分ここにいる全員が死ぬし、下手をしたらハナズオウはそこまでもつことなく力尽きるだろう。
覚悟は決めたつもりだった。しかし、こうして他人の死が眼前に差し迫ると、揺らいでしまうのが人間というものだ。
「レドとハナズオウはここで抜けて。これ以上は足手まといになる。今までありがとう」
アイビーが口を開いた。
突き放すような言い方ではなく、諭すような言い方だった。
「それでおまえらはどうするんだよ」
「さっきリンクが言ったでしょ。魔物の血で道を作って、人類に最奥まで来てもらわないと。そうして全戦力が全魔物とぶつかり合うことで、ようやく勝機が生まれるの。私とリンクはこのまま進んで道を作っていくから」
アイビーの瞳にも確固たる覚悟があった。
幾度もの死を乗り越えた彼女が及び腰になることはない。何を言ってもその決意が覆ることはないだろう。
俺も同じ。
死ぬよりも怖いことがこの世にはあって。ただ無為に生きることの辛さもわかっている。
「……おまえたちはそうだよな。一度言ったら絶対に意見を変えねえんだ。頑固で我がままで、そして結局、それが正しい。腹が立つこともあるけどさ」
レドは呆れたように笑った。
俺は前から思っていたことを聞いてみることにした。
「黒の曲芸団に誘った時、おまえは活動内容に反対するかもしれないと思っていたよ。理由があったとしても、人殺しなんかおまえは嫌だろう」
「好きな奴なんかいねえだろ。言っただろ。おまえとアイビーには何を言ってもしょうがない。正しさを突き詰めるだけなんだ。だったら、どこまでも付き合ってやろうと思っただけだ。置いていかれるのはもう懲り懲りだったからな」
俺と同じ街で育った男は、悔しさを反芻するように天を見上げた。
アステラとの戦いを思い出す。あの時震えていただけの少年はもういない。
レドは人類よりも俺たちを取ってくれたということだろうか。俺とアイビーのことを信じてくれたということだ。
その選択が間違っていたことにはしたくない。
嘘は人の為にある。
人の為と書いて、偽となる。
嘘でも偽でも、輝けば正義だ。
「だから、ついていくさ。最後まで。置いていくなんて言うな」
レドの顔つきも俺たちと同じもの。揺れ動くことのない覚悟。
「私も、自分に負けたくない。ここで置いていかれたら、またいつもの私に戻ってしまう」
まだ少し余力のありそうなライも頷いた。
身体中擦り傷だらけだが、強い意志のこもった瞳で俺を見つめてきた。
「……私も」
ハナズオウも続こうとする。
だが、その声には覇気がない。
携帯食料ばかりで碌に栄養も取れていない。このままではただ衰弱して死ぬだけだ。
打算的に考えれば、もうハナズオウはいなくてもいい。魔物を召喚し、人類を煽るという役目は立派に担ってくれた。魔物の蔓延るこの場所では、敵をただ増やすことに繋がるし、彼女の能力はむしろ使うことができない。
理屈的には、追い返すべきだ。
感情的には、つれていきたい。
難しいな。
二つの相反する感情に塗れて、いつだって選択の連続だ。
どっちに振れたって、正しいし間違っている。
置いていくか連れていくか。逡巡していると、声が聞こえた。
「――見つけた」
他に人の声など聞こえるはずもない場所のはず。
五人全員が顔を向けると、そこには見知った顔――スカビオサ・エクスカリバーが立っていた。息を切らせて、体中を返り血で真っ赤に染めて、それでもそこに立っている。
正直――いや、かなり、驚いた。
全員が息を飲む中、俺は何とか口を開いた。
「……おいおい、こんなところでどうしたんだ一体。散歩でもしてたのか?」
「そんなことが言えるくらいに余裕はあるんだね」
「追いつくにしたって早すぎないか。一人で乗り込んできたのか?」
「まさか。全員で来たよ。貴方のお望み通りね」
スカビオサは満足げな顔になって、口の端を歪めた。
「貴方の吃驚した顔は珍しい。全国民に見せてあげたいくらい」
驚いているかって?
そりゃそうだ。
下手したら誰も間に合うことなく、俺たちは道を作って終わりだと思っていたのに。もう誰とも会う事はないくらいに思っていたのに。
「一人に見えるけどな」
「私は軍を率いてきた。先遣の意味合いもある軍だよ。他は私の後を追ってきてる。私はまだ暖かい魔物の死骸を見つけたから一気に駆けてきただけ。ようやく見つけたよ」
「……期待以上が過ぎるぜ。誰が指揮を――」
「女王様よ。貴方を失って少しぐだぐだやっていたけど、覚悟を決めたと思ったら行動は早かった。全員を巻き込んで、四聖剣の指揮下で軍を編成。即座にここまで進軍したわ」
俺たちだって遊んでいたわけじゃない。
確かに、討伐隊基地に寄ったり、見かけた魔物を殺しに行ったりと、真っすぐに魔の森には向かわずに、少し寄り道もした。魔の森の中だって目的地を確認しながらの移動だったから、そこまで早い速度ではなかった。
しかし、俺もアイビーも魔物の動きはよくわかっていたし、レドも実力者であったから、特に苦戦もせずにここまで来ることができていたのだ。早くはないが、遅くもなかった。
俺たちが王都で啖呵を切ってから十数日ほどだろうか。
十数日で軍を編成して、俺たちに追いつくところまで来るなんて、異常すぎる。
いくつの承認をすっ飛ばしてきたんだ。
「貴方はあの子に不真面目な背中を見せすぎた。曲がり道を最短距離で真っすぐ進む方法を教えすぎたんだ。貴方の思想を受け継いだ子たちが私をここに連れてきたの」
水をあげ過ぎたか。
栄養を与えたつもりはなかったが、知らず、大きくなっていたみたいだ。
「はは」
笑ってしまうな。
期待以上だよ。俺という人間であっても、やっぱり期待はするもんだ。期待を越えられることがこんなにも嬉しいなんて、知らなかった。
おまえもだよ、スカビオサ。
よくここまで来れるくらいに立ち直った。
人の成長っていうのは楽しく、そして眩しいな。
「リンク。貴方の役割は終わった。私はわかってるから。他の人間の理解は得られないだろうけど、秘密裏に、ここからは私たちと協力して魔物を討伐して――」
俺は、笑みを浮かべてすらいるスカビオサの言葉を遮った。
「レド、ハナズオウ。スカビオサの足止めを頼む」
スカビオサが追いついてくれて良かった。
色々と、”ちょうどいい”。
俺は打算的な男。
どんな事象でも、どんな状況でも、どうでもいい。
使えるものは何でも使う。どんなものでも目的のために振り回す。
どこにいたって、俺のやることは変わらないんだからな。どこでもなんでも人を喰ったような策を打ち出していけばいい。
「は?」
スカビオサもレドもハナズオウも、全員が疑問の声を上げた。
「何を言っているの? 私はもう、貴方の目的を理解している。貴方たちが国民にヘイトを集めてここまで足を運ばせたこと、わかってるから。私たちは敵じゃない。魔物を殺しきること、私たちの目的は一緒でしょう? このまま合流して一緒に討伐に回った方がいいに決まってる」
「俺も同意見だぞ。スカビオサには俺たちの目的は伝えただろ。ここからは協力した方がいいように思える」
スカビオサもレドも、言っていることは間違っていない。
でも、満点でもない。
「わざわざ魔の森まで来て、仲良しこよしをしに来たんじゃないんだよ。ここで俺たちが足を止めたら、いつもと同じだ。足並み揃えて魔物と向かい合ったって、それじゃ何も変わらないんだよ」
今までと一緒。
俺たちが協力体制になることで、何か一つを成し遂げた気になっていないか?
必死さが微塵も感じられない、理性的な話にしか聞こえない。
現実を打ち砕くためには、理想を抱かないといけない。
声を荒げてかかってこい。剥き出しのおまえを曝け出せ。
期待以上を。これ以上の、期待以上を。
「俺たちはまだ先に進む。まだまだ追ってこい、スカビオサ」
「――何を言って」
「もう止めれないんだよ。まだまだ足りないんだ。もっと必死に、くらいついてこい。俺たちと合流したら何なんだ。そこで満足か? 違うんだよ。もっと必死に、渇望して、絶望して、戦わなくちゃいけないんだ」
俺は背を向けて歩き出した。
アイビーもライも黙ってついてくる。
「おい、リンク!」
レドもついてこようとするのを、俺は視線で制した。
「スカビオサが俺たちを見失うくらいまで、足止めを頼む」
「なん、で」
「頼む」
「……馬鹿が」
その顔は全く納得していなかった。
けれど舌を打って、レドはスカビオサに向き直ってくれた。
「なんで! 私たちはもう仲間でしょう! ここで争う事に何の意味もない! 手を取り合って、戦うんだよ!
ようやく、ようやく、――手を取り合って戦えるのに!」
スカビオサの絶叫。
ようやく。
それはとても重い言葉だった。
反目し合っていたスカビオサとアイビー。二人は同じ目的を持っていたはずなのに、ずっと殺し、殺されあっていて。ようやく今、その手が握り合えるタイミングが訪れたというのに。
また敵対するのか。
そんな確証もない感情的な話で。
でも、スカビオサはそれで満足できてしまうだろう?
満足してしまったらこの戦いは終わりだよ。
俺の意図を理解してくれたアイビーは、にっこりと笑った。
スカビオサに、笑顔を向けた。
「私は嘘つきなんだ。前に言った、貴方が嫌いだってのは、嘘」
「アイビー……」
「貴方をこの世界に閉じ込めたのは、貴方が頑張れる人だと知っているから。ここまで来れる人だとわかっていたから。一緒に魔物を殺せるから、呼んだんだ。私は嫌いな人をトキノオリには呼べないよ」
悪魔のようだな。
人の心を喰って、弄んで。
昔は殺意で誘って、今は好意で誘おうとしている。
ここまでおいでと血の色の絨毯を敷いていくのだ。
「一番の親友だと思ってたよ、スカビオサ」
「――」
スカビオサは息を飲んだ。
こんなところで満足するな。もっと本気で足掻いてこい。まだ、魔の森の中心部までは距離がある。俺たちの足はこんなところで止まってはいけないんだ。
「じゃあね」
「アイビー!」
スカビオサはアイビーに向けて駆け出すが、そこにレドが立ちふさがった。
「どいて! 私はアイビーに……」
「俺は足止めを命じられたんだ。邪魔はさせない」
「邪魔をしているのはおまえだ!」
俺たちは歩みを再開した。
どれだけの人を不幸にすれば、この旅は終わりを迎えるのだろうか。
スカビオサの哀しい叫びが、鼓膜を揺らしていた。