152.
◆
行動は迅速だった。
黒の曲芸団が王都を発った後、彼らを取り逃さんと誰もが足早に行動した。
その結果、彼らを追い詰めるために軍勢は十日を待たずに編成された。
元々、王都を守るために方々から実力者を集めていたところだった。騎士団員、霊装使い、警護の人間、その他。彼らの戦う場所を、王都から魔の森へと変更しただけ。
魔の森に行くなんてふざけるな、など、懸念されていた文句はどこからも挙がらなかった。
むしろ我こそは軍に加わりたいと手を挙げる者に枚挙に暇がなかったくらいだ。
「戦意が向上している理由は主に二つですわ。昨今、この国には大きな戦が存在しなかった。戦闘能力を有する者にとって、自らの力を誇示する場所がほとんどなく、武勇や矜持を示すことができなかった。腕自慢には後世に語り継ぐ武勇伝が必要だったのです」
シレネは王城の執務室の椅子に腰を落ち着けながら、滔々と説明した。
「二つ目。想像以上にリンク様たちは警戒されている様子。また同じような事件を起こされてはたまらないと、あいつらを生かしてはおけないという意見が多いですわ。どうせならこのタイミングで魔の森の解体を行いたいとまで言っているわけです」
マリーはそれを聞いて頷いた。
「それはあいつにとっては朗報ね。考えていた通りの結果じゃない」
「ええ。彼の思惑通りに行きすぎて、私としては歯がゆさもありますが」
シレネは紅茶の入ったカップを口に運んだ。
優雅な所作に、マリーは突っ込まずにはいられない。
「随分と余裕ね。思い人が死んでしまうかもしれないわよ。もしかしたらもう死んでるかも」
「それはありえませんわ。彼の目的ははっきりしている。逆に言えば、それを果たせると確信するまでは絶対に生きています。そういう人なのですわ」
「確信した後は?」
「死を選ぶでしょうね。もうこの国に未練は無さそうですし」
シレネの言葉にマリーは渋面を作った。
「勝手なことね」
「ええ。勝手ですわ。だから私たちも勝手に動くべきなのです」
シレネは自分のこれからの行動パターンを思い起こす。
魔の森を最速で駆け抜けて、彼らの目的地である最奥を目指す。
黒の曲芸団は魔の森の最奥まで進んでいくだろう。人類が生き残るための道筋を示して、役目を終えることになる。その先は何も考えていないはず。
であれば、それまでに彼らを捕捉しないといけない。
彼らの予想を上回る速度で進軍しないといけない。
マリーやシレネ、事情を知る者だけが先走ってもいけない。
”全員で”、攻め込む。
人類の戦力を集めて、魔物を殺しきる。
それが求められる最低の条件で、最高の条件。残された者たちに与えられた、彼からの課題でもある。
「リンク様はまだしばらく時間がかかると思っているはずです。彼の計画を崩すには、その予想を裏切る必要がありますわ」
「もう数日もかからずに進軍できるわ。魔の森の近くに陣取っている討伐隊基地にはすでに備蓄を多く運んであるから、最低限の荷物で出発できるし。こんなことになるとは思ってなかったけど、元々魔物に対する対策はしていたから、兵糧も問題ないわ」
「人の動きも素晴らしいですわ。武力を有する者のほとんどが我先にと力を貸してくれている」
どれもこれも、リンクの予想通り。
だが、現状を見るに、それらはきっと予想の上を行くはずだ。
彼の計画を良い意味で裏切ることができれば、あるいは、協力の目もあるかもしれない。それこそ全員で肩を並べて戦いあえるかもしれない。
マリーの目も使命感に燃えている。それはどちらかというと魔物を殺しきることというよりも、その後、それ以上。
死を覚悟しているある男の命を拾い上げること。魔物の討伐は最低限の条件になっている。
シレネは笑みを零した。
――欲張りですわね、お互いに。
「わかってるわね、シレネ。女王の名において、進軍して森に入った後、貴方には独断行動の権利を与えるわ。どんな手を使っても、目的を完遂しなさい。貴方は名目上なだけで、軍を率いる必要はない。それはキーリに任せてあるから、一直線に目的地に向かって、あいつの目論みを外してちょうだい」
「職権乱用ですわ。すわすわ」
「なんでもいいのよ。結末さえもらえれば、過程はなんでも」
マリーは良い意味で覚悟を決めたようだ。
シレネも高揚する。
「承知しました。どうも私は個人行動の方が得意みたいですし」
「そんなことわかってるわよ。あんたの扱いは難しいんだから」
「ふふ。リンク様の話では私は魔物の中、一人だけ生き残るくらいには強いらしいですからね。任せてください」
カップを置いて、立ち上がる。
歩き出そうとするが、ふらついた足のせいで、腰が椅子にぶつかってしまった。
「……」
そこで足が少し震えていることに気が付いた。
「武者震いではないわよね。あんたでも怖いのね」
「あの人はいつも私の予想の斜め上を行きますから」
こっちはこっちで予想以上の結果を出した。
しかし、リンクはそれ以上の策を用意している可能性がある。
そこに巻き込まれれば、今考えている未来予想図だってどうなるかわからない。
安心なんか、どこにも存在しない。
シレネは右手の薬指にはめている指輪に触れた。
でも、大丈夫。
私は、彼は、きっと大丈夫。
彼は大罪人だが、別にこの国で生きられないだけだ。
ここじゃないところで生きればいいんだ。魔の森で魔物に喰われたことにして、どこか遠くで一緒に暮らせばいい。二人きりでもいい。二人とも死んだことにして、手を繋いでどこへでも行くのだ。
どうとでも、できる。
私の目的を果たすための選択肢はいっぱい。
「シレネ。抜け駆けは許さないわよ。貴方が逃げたと確信したら、軍を差し向けて追掛けるから」
マリーとも長い付き合いだ。
シレネの浅い考えは見透かされていた。
シレネはにっこりと笑う。
「いざとなれば貴方も連れていきますわ。だから安心してください」
「……まあ、それならいいか」
この人も女王のくせに大概な性格をしているなあ、と笑って、シレネは今度こそ歩いて執務室から出ていった。
◆
「進軍」
マリーが声を上げると、軍勢が一歩を踏み出した。
人の集団は、たった一つの目的を掲げて魔の森へと進んでいく。
人類に仇す存在に鉄槌を。
未来永劫続く人の栄光を。
女王の声の下に集結し、彼らは意志と覚悟を胸に歩き始めた。