138.
一つの建物から火の手が上がった。
多くの人が建物内に取り残された被害者を心配したが、運が良いことにそこは持ち主が廃棄したばかりの建物で、人も物も何もなかった。被害は発生しているが、最悪なことにはならなかった。
人災がなくて安心だが、焔はいまだ立ち上がっている。なんとか延焼だけは防ごうと、消化班が忙しなく動いていた。
駆け付けた俺はてっきり魔物の仕業かと思っていたのだが、違っていたようだ。火元となった壁には燃えやすい様に油が塗りたくられていたという。知性のほとんど無い魔物にそんな芸当ができるはずもない。
人間が、動いている。
どうしてだろうか。
敵は魔物だけのはずなのに。
なぜ人間同士で争うようなことをするのか。
ふと、視界の端に黒い影を捉えた。
建物と建物の路地の中に消えた影。
追い掛けるも、そこにはすでに誰もいなかった。
何かが動いている。
俺は王城に戻って、そのことをマリーに伝えた。
彼女は眉を寄せながら、
「……どうやら魔物の被害にかこつけて、人間の便乗犯がいるみたいね。似たような話をさっきも聞いたわ。各地で黒い服に身を包んだやつらが暗躍してるって」
「なんでだよ。これから人類が一致団結して魔物に戦いを挑むって時に、どうしてそんなことをしてるんだ」
「私に聞かれてもわからないわよ。また、仕事が増える……。今回の一件よりもぽっと出程度の魔物の方が対応が楽だと思っちゃうのは、我ながら重傷ね。騎士団員には黒ずくめの人物を見かけたら取り締まるよう、伝えているわ」
「大丈夫か?」
「大丈夫ではないと思う。あっちの目的がわからないからね。愉快犯なら最悪いい。私たちの邪魔をしにきているのなら、本当に嫌。何の目的でそんなことするのか意味がわからないわ。これから魔物との全面戦争が控えているっていうのに、優秀な騎士団員に怪我でもさせられたら、魔物にも対応できなくなる。今のところただ火を点けて回ってるだけだからいいんだけど」
誰が何の目的でこんなことをしているんだ。
この一件を先導している人物は、この行動によって何か利益を生み出すことができるのか。
想像できる利益が何も思い浮かばない。
利を得るというのなら、燃やすべきは空き家ではなく貴族の家ではないか。金銭の類を奪い取った後に、証拠隠滅のために火を点ける。それならまだわかる。空き家を燃やして逃げるだけなんて、行動の真意が読めない。
俺たちの邪魔をしたいだけ?
それならわかるが、
だとしても、なんで邪魔をしたいんだ。
「……ねえ、リンク。なんとかなると思う? 次から次へと問題が出てきて、正直疲れちゃうわ」
マリーも大分憔悴している。
毎日のように異常が発生しているのだから当然か。
俺にも彼女を王にした責任がある以上、対応策を考えないといけない。
「まずは誰でもいい、一味の一人を捕えることだな。そこから情報を集めよう。騎士団各位に、魔物が発生しているタイミングじゃなければ優先的に黒いやつらを追えと命令を出そう」
「そうね。本人たちに口を割らせることが一番楽ね」
俺たちには霊装ティアクラウンがある。
拷問の類など必要もない。ただ、敵を見つけてしまえば、あらゆる情報を吐かせて、そこですべてを解決することができる。
◇
この国の騎士団員は優秀だ。
そんな会話をした一週間後には、一人の黒服が捕まった。素人同然の動きだったから特に苦労しなかったと、捕らえた騎士団員は話していた。
簡単に一人捕まり、黒ずくめの集団は熟練者の集まりではないことがわかった。きちんと末端は末端だ。
安心と同時に恐怖を覚える。
一般人が上手く誘導されてこの犯罪に与しているのか。腹から敵が生まれ出てくるなんて、対応のしようがないぞ。
捕らえた人物の黒いフードを剥がして顔を見るが、見たことも会ったこともない青年だった。
「どうしてこんなことをしたの?」
彼は後ろ手に縛られて、謁見の間にて裁かれる。
女王マリーに王子に各大臣。多くから睨みつけられて、青年は小さく縮こまっていた。
「……金をくれるというから、です」
「金?」
「ええ。古い民家に火をつけて無事に逃げ切れば、賞金をもらえる手はずになっていました。話を持ってきてくれたやつは、国の区画整理の一環だとも言っていました」
「そんな強引な区画整理、国が主導するわけないでしょうが」
「それはそうですよね……」
この男も正直疑わしかったようだ。
しかし、目の前に大金を積まれれば、話は別。
無知ゆえの行動には頭が痛くなる。無能な隣人が一番の敵とはよく言ったものだ。
「貴方は牢屋行きよ。被害状況次第では極刑も求刑するわよ。放火は重罪となっている。燃えたのが誰もいない棟ばかりでよかったけれど、情状酌量の余地はないわ。己の犯した罪の重さを感じなさい」
「病気の家族がいるんだ……。あいつは大金を用意できると言った。だから、こうでもしないと、薬も買えなくて、しょうがなかったんだ」
悲痛な思いを口にする。
同情はしない。そんな窮地で足掻ける人間こそが美しいのだ。
「薬のためなら、犯罪を起こしてもいいって?」
「……そうじゃないですけど、今は魔物の騒動で傷薬や湿布の類だけではなく、あらゆる薬が高騰してるんです。ただでさえ買えなかった薬がさらに手の届かないところまで行ってしまう。家を燃やせば、一定期間の薬が買える額を保証するって、そう言われたんだ。だから」
「もう言い訳はいらないわ」
ぴしゃりと言い放つマリー。
青年は小さくなって、首を垂れる。
「……まあ、もういいんです。覚悟はしていましたから」
「裁かれてもいいって?」
「はい。あいつは約束は守ってくれる。僕は牢屋行きですが、これで家族が助かるのなら問題はありません」
「……」
マリーの顔が曇る。
真っすぐに曇りなき眼でこっちを見つめてくる青年。まるで俺たちが悪人のようだ。
何のために何を賭けるか。
それは人間の命題だ。
彼は自分の自由と未来を賭けてでも、家族への薬を優先した。
俺たちは彼に同情しない。
しかし、こういう考えもあるというのは、少しだけ思うところがあった。
「言い訳はもういいわ。真実だけを話しなさい」
マリーは霊装ティアクラウンを頭の上に乗せた。
「今まで言ったことに嘘はないわね。”正直に答えなさい”」
「はい……。もう嘘を言う意味もありません」
「そうしたら”首謀者の名を吐きなさい”」
青年の口が動く。
「ウルフ。ウルフっていう、下町のボスです」
◇
青年の話を聞いた後、ウルフという男の拠点に入り込んだが、そこはすでにもぬけの殻だった。懇意にしているというバーに行っても、しばらく来ておらず行方はわからないという。
「……踊らされていますね」
俺と一緒にウルフを捜索してくれているシレネが眉を顰めた。
「私たちの行動が先読みされています。後手に回っている以上、仕方のないことですが」
「そうだな。仕方ない。敵の目的がわからない以上、他に俺たちができることはないんだ。全力で背中を追掛けるまでだ」
その背中がなかなか見えてこないのが辛いところだが。
まずは情報をということで、バーの店主にウルフのことを聞いてみる。
「あいつは下町の英雄だったからなあ。表ざたにできないことも多いが、多くの人のことを考えていて、それなりに慕われてもいたよ。ここで色んな相談を受けたり、色んなやつと話していた。そんな兄貴分だったから、犯罪に手を染めた理由も、消えた理由も状況も、俺にはわからない」
「そうですか」
得られる情報はないかと肩を落としかけたが、
「……ああ、でも、一個、この場所で特徴的なやつと話していたのは覚えてる。この店の中でも一切フードを取らなかった、黒ずくめの男だ。それなりに最近だったと思う」
俺とシレネは顔を見合わせた。
「どんなやつでしたか?」
「黒ずくめのやつだって言っただろう。何もわかりやしないさ。ただ、ウルフはやつをピエロとか呼んでいたかな。低い声で重そうな話をしていて、会話も聞き取れやしなかった。しかし、ウルフは慎重な男だ。そう簡単に人を信用しない。短い期間でそんな危険な依頼を受けたというのなら、二人は昔から関係があったのかもしれないな」
彼から得られたのは、そこまでだった。
二人して店を出る。
「恐らくはウルフと話していたという黒ずくめが主犯でしょう。最初に魔物が襲来したときに街に火を放ったのも彼ら。これは国家に対する反逆ですわ。捕まれば極刑となるレベルの、大罪人」
「ああ。やつら、とんだ危ない橋を渡っているな。ウルフってやつも片棒を担いでいるのか。
とすれば、なぜウルフはそんな話を受けたのか。黒ずくめの人間に与した理由はなんだ。今は逃げられているようだが、こうして俺らが追掛けている以上、ずっと逃げ切るのは難しいだろう。どこかで捕まって、その先は地獄だぞ。命を賭けてまで何をしたいんだ」
「脅されでもしたんでしょうか。もしくは、懇意の仲だったのであれば協力するのもわからなくはないですわ。どちらにせよ、情報が足りませんわね」
「王都の下町って言ってたな。マリーにも聞いてみるか。どこかで知り合いがいるかもしれない」
「私もこのあたりは詳しくありませんわ。アイビーさんにも聞いてみましょう。そもそもウルフというのが、どういう人なのか、彼女なら知っている可能性が高いですわ」
王城に戻って、女王の執務室。
そこではひっきりなしに人が行き交って、マリー、もしくはロイやプリンツと話している。また放火なり魔物の襲撃なりがあったようだ。いつまで続くんだ。
そんな合間を縫って、俺たちはマリーとアイビーに事の次第を伝えた。
「ウルフ? 私は知らないわ。下町だって大きいもの。有名人でも知らないのは知らないわ」
マリーはウルフのことを知らなかった。
しかし、当然とも言うべきか、聖女であるアイビーはウルフという人物を知っていた。
「ウルフはね、下町を取りまとめている男だよ。特に東部では権力を持ってる。義理堅くて頭が回って、頼りになる人物でもある。妹さんがいて、病気を患ってて、その進行を遅らせるための薬が必要で、お金にはいつも困ってる様子だったな」
つらつらと出てくる個人情報。
彼女は多くを知っている。
「じゃあ金をちらつかせれば、ある程度の言う事は聞いてしまうんだな」
「ありえると思う。過程よりも結果を求めるタイプだから、どんなに自分の手が汚れても妹さんが生きているって結果がほしいんだって。以前に話したこともあるよ」
「彼と仲の良い人物に心当たりは?」
「え? うーん、そりゃ、色々といるけど、全部列挙する?」
「では、こんなことを起こしそうな人物に限定してください」
「それは難しいな……。該当する人も、過去とで考え方が変わっちゃってる可能性もあるし……。まあ、うん、少し考えてみる」
アイビーはシレネの無茶ぶりにも笑顔で応えていた。
アイビーにとってもウルフの存在は眼の上のたんこぶ。なんとか処理したいだろう。
「ウルフの隠れそうな場所はわからないか?」
「ウルフが犯罪者になったのは今回だけだからね。過去では普通に討伐隊にも参加していたし、非の打ち所の無い人物だよ。逃げ込む場所は流石にわからない」
「そうだよな……」
俺だって見当もつかない。
とりあえず今は経過を見守り、姿を見せた時に全力で確保するしかないか。
しかし、俺の判断は間違いだった。
俺たちが相手の正体と目的を掴みかねている間に、被害はどんどんと増えていった。
魔物は出現し、黒ずくめは暗躍する。
人は怪我を負い、居住地は荒される。
二つの脅威を国民全員が認識し始め、敵対心と反骨心と絶望感を持ち始めてしまった。
今でこれなら、聖女の予言の時にはどうなるんだ。
本当に我々は何とかできるのか。
漠然とした不安が胸中を撫でていく。
決定的な一手を打てないまま、時間だけが過ぎていく――