124.
マリー女王は人気者だった。
血筋はあったにせよ、下町の小娘からここまで駆けあがった話は誰もが知るところ。そこに不信感や違和感を抱く者は少なく、むしろその境遇だからこそ親しみやすいというのが民衆の感想だった。
王城にいる侍従は地方からの出稼ぎの子も多い。そんな子らは親近感からロイやプリンツよりも圧倒的にマリーに笑顔を向けてくる。
今だって休憩中の執務室でレフや他の侍従の子と楽しそうに話していた。彼女たち、意外と情報通な子もいるから、侮ってはいけない。まあ、マリーはそんな打算では話していないだろうけど。
遠巻きに見つめるは俺とアイビー。
「良かったね。なんだかんだ楽しそうで」
「ああ。周囲にも恵まれてるよ」
ロイとプリンツが態度を軟化させたことが大きいだろう。彼ら二人の主導でマリーの排斥活動はあったわけだから、火が消えれば煙も消える。不満を出してくるのは階級を重視する貴族や大臣各位だけど、ロイとプリンツが膝を折った以上、口を出せることはなさそうだった。
王城にマリーの居場所はある。
父親の跡を十全に継ぐことができている。
ここまで来れたことが俺を感傷的な気持ちにもさせる。
隣のアイビーも同じ気持ちのようだった。
「全部、リンクのおかげだね」
慈愛に満ちた顔つきは、聖女といっても差し支えない。
伝承の聖女様そのものなんだけど。
「別に俺がどうこうって話じゃない。俺の力は全部借りものだし、俺自身、明確なポジションについているわけじゃない。アイビーが、シレネが、マリーが、皆それぞれが頑張ったから今がある」
レドだって、ザクロだって、レフだって、ライだって。
全員が前を向いて動いてくれたから、ここまで来れたのだ。
「でも、やっぱり、火を点けたのはリンクだもん」
アイビーはそっと、俺の指を握ってきた。
「助けられたのはマリーだけじゃない。私もだよ。こうやって笑えること、それがとっても嬉しんだ」
「俺だって同じだよ。孤児院で騒いでいたころ、おまえが俺のことを信じてくれたから、一歩目を踏み出せたんだ」
「私はその時から全部知ってたんだけどね」
「それをさっさと言ってくれれば――いや、違うか。あの時アイビーの正体を話されたところで俺にできることはなかった。信じられたかも怪しい。四人目を俺にしたのは危なかったな。ずっと綱渡りばっかりだ」
あの日、あの時、あの場所だったからこそ、こうなっている。
俺が自分で手に入れた情報が重なったからこそ、アイビーが魔王であることを一度は信じて、そして、否定できたんだ。
結局人は自分の目で見たことがすべて。噂話や御伽噺は酒の肴になるだけ。本気の行動は痛みが伴ってこそ。勿論、状況によりけりだけど。
俺じゃなければ、ここまで綱渡りにはなっていないだろう。この手にも何も残っていなければ、その空っぽの手でアイビーを絞め殺していたかもしれない。
「うん、綱渡りはそうだよね。でもね、やっぱりリンクじゃないと、駄目だったと思う。きっと他の人だったら、その人は今も魔王を殺そうとしている”四人目”で、私はもうここにはいない。魔王として殺されて、まだこのオリは壊される目途もなく、そこにあるんだと思うよ。リンクが私の下らない嘘を見破ってくれたから、今があるんだ」
「あまりおだてるな。俺は一度はおまえを殺そうとしたんだ。少しは恨んでくれてもいいんだぞ。もっと上手くやれるやつはいたさ」
「そうかな。そうじゃないと思うよ。スカビオサやマーガレットだけじゃなく、多くが私を殺しに来たけれど、あそこで手を止められたのは今までリンクしかいなかったよ」
「そりゃ、俺はおまえと過ごした日々があったからな。運が良かった」
「最初に私を助けてくれたのだって、リンクだからこそでしょ。……まあ、リンクはああいえばこういうだけだから、もうこれ以上は言わないよ」
呆れられてしまった。
元来よりひねくれた性格なもので。
「ありがとう」
それでもその一言だけは、無言で受け取った。
心からの御礼をつき返すほど、無粋でもないんだ。
「魔物を倒したら、リンクはどうする?」
会話はこれから先に移る。
魔物がいなくなって、平和な世の中になって。
そうなれば、俺という人間は何をすればいいんだろう。
「地元に帰ってもなあ。挨拶するような仲良しもいないし、帰るところもないし」
「マリーの護衛を続ける?」
「そうだな。多分、そうなると思う」
「その後は?」
「その後は――」
考えたこともなかった。
目の前のことに精一杯だったこともあるし、未来という存在そのものを感じたことがなかった。
「どうするかな。アイビーは?」
「私はこの戦いで犠牲になった人に謝りにいこうと思う。リュカン・デュランダルだって私が殺したし、スカビオサが殺しちゃった人も沢山いるし、マーガレットが燃やしたネメシアにだって家族がいるわけだし」
「どれもおまえのせいじゃないだろ」
「そうかもね。でも、これは私の罪だから。だから、絶対に降ろさないよ。誰に何を言われても、私の背中には十字架がある」
俺が未来を考えられないように、アイビーは贖罪しか考えられない。
何もない荒野をあてもなく歩き回る旅と、極寒でありながら目的のしっかりとした旅。どっちの方が幸せなんだろうな。
「スカビオサとマーガレットにも謝らないと。真実を告げたら、なんて言われるかな」
「言わない方がいいんじゃないか。知らぬが仏。あいつら冗談通じないからなあ」
「リンクが冗談通じすぎなんだよ。なんで私と笑いあえてるのか意味わかんない」
「俺はおまえに合わせてるだけだ」
「私はそんなちゃらんぽらんな性格じゃありません」
「人は鏡って言うぞ」
「じゃあその鏡は割れてるね」
「おまえが婉曲すると俺になるのか」
「なにそれ」
明るく笑う。
アイビーにとっての贖罪は絶対だ。
けれどそれが彼女にとって重荷として感じられなければ、未来に進むための過程であってくれれば、それでいい。
「全部終わったらさ、会いに行っていい?」
アイビーは少し頬を染めながら、そんなことを言う。
「皆に謝ったら、少しはしたいことをしてもいいかな? 謝っただけで許されるなんて思っちゃダメかな……」
「おまえは聖女の記憶を持ってる。責任や義務も感じてるだろう。でも、根っこはアイビーなんだよ。聖女の前に人として、幸せになる権利をもってる。十分お前はよくやったよ。むしろここまで身を粉にしてやってきた。誰も文句は言わないって」
「……うん」
「決めた。終わったら、旅にでも出てみるか。俺もやりたいこともないし、そこらへんで探しにでもいこうかな」
「自分探しの旅?」
「そんな感じ。やりたいことくらい、そこで見つけたっていいだろ。おまえもやりたいことに悩んでるなら、一緒に行こうぜ」
アイビーは目を丸くしてから、ゆっくりと細くした。
「いいの? 二人で?」
「ああ。それくらい俺たちは頑張ったよ」
「他の子が怒るよ」
「……それくらい、俺たちは頑張ったよ」
「あはは。まあでも、ちょっとくらいいいよね。私たち、頑張ったもんね」
アイビーは大きく伸びをした。
晴れやかな顔で、前を見据える。
「まだまだ楽しいことがいっぱいだね」
一区切りついたって、人生は続く。
そっちの方が大変かもしれないけどな。