122.
選挙の結果、マリーは正式に女王となって国民の前に顔を出した。
王城からのベランダから覗く景色からは、マリー女王の誕生を祝う国民で溢れかえっていた。
当然、中にはマリーを良く思わない者もいるだろう。けれどそれを飲み込むくらい、彼女の人気は圧倒的だった。誰もが好意的に喜色を張り付けている。
彼女が手を振る。
会場が沸く。
彼女は口を開ける。
会場が静まる。
語られる言葉に耳を傾けようとする。
「――私は、生まれながらにしての王ではありませんでした」
彼女の出自は誰もが知るところ。
王城で蝶よ花よと育てられた存在ではない。今にも倒壊しそうな建物の中、身を寄せ合いながら生きてきた。十年後を考えるのではなく、明日を考えるので精一杯な子供であった。王国の未来を考えて生きてきたわけではない。
「だから、貴方たちの期待する王にはなれないかもしれません」
人を先導して、自分の歩いた後に国民がついてくる。そんな前王の姿が、国民の頭には焼き付いているだろう。
きっとマリーは、そんな王にはなれない。
生まれも育ちも、思いも夢も、何もかもが違うのだから。
「私は悩むし、困るし、立ち止まってしまう事もある」
誰も言葉を発しはしなかった。
これだけの人が集まって、物音一つしない。誰もがマリーの言葉を噛み締めている。
「その時は、助けてください。王として未熟な私を、助けてください。その代わり、私は貴方たちを助けます。貴方たちは国民として、国を、王を、支える働きを。私は王として、国を、貴方たちを、助ける働きを。他人事だと思わずに、助け合っていきましょう」
微笑み。
綺麗な笑顔だった。
着飾ったマリーの姿はとても美しく、見る者を魅了した。
寸暇すら置かず、歓声が上がる。
マリーは手を挙げて国民の歓声を制すると、再びにっこりと笑った。
「私の愛しい兄二人も、私が王となることに賛成してくれました。これからはいがみ合うことなく、仲良く、政治に邁進してまいります。皆で良い国にしていきましょう」
ロイとプリンツ、二人はマリーの横で仏頂面。
けれど国民はそれを和解だと受け取った。二人の真っすぐな瞳がマリーを支えるためにあるものだと好意的に判断して、また沸き上がる。
実際、もう彼らに反逆の力は残っていないだろう。
マリーの底の深さをまざまざと見せつけられて、勝負の前に膝を折ったのだ。大臣たちも彼らが頭ではもうついていくことはない。
仲良し兄妹。彼らはもう、その枠からは逃げ出せない。
暗雲の立ち込めていた、この国の政治。
その基盤は盤石になったと言える。ここで生きるものとして、喜ばしいことに違いはなかった。
誰もが楽しそうに嬉しそうに声を挙げる中、マリーの存在は絶対になった。
◇
そして後日、マリーは早々に王城を抜け出していた。
着飾った姿はすでに過去のもの。学園時代に使用していた普段着を着こなして、マリーは王都内を堂々と闊歩していた。
流石に赤い髪は帽子の中に隠して、軽く変装。眼鏡などの小物で顔も覆う。王城から見せた姿とはなかなか結びつかない見た目をしているし、女王がこんな無造作に歩いているわけがないという思い込みから、これをマリーだと指を指す人間はいなかった。
「勝手に王城を抜け出していいのか?」
護衛兼エスコート役の俺は、彼女の隣で確認を行った。
俺も俺とて、小物で着飾ったりと、意味があるのかないのかわからない変装。
「いいの。国民にも言ったもの。私は貴方たちの期待する王にはなれない、って。王にだって休みが必要なのよ」
「期待する王って、そういう意味じゃないだろ。ロイが激怒するぞ」
「いいのよ、あんなのは怒らせておけば。いっつも怒ってるんだから。今更小言が一個増えたところで変わらないわ。アイビーは残してあるから、仕事は問題なく進むし」
あの王子にも少なからず同情する。
きっとマリーの執務室に行って、空の机を見て、残ったアイビーの苦い顔を見て、怒髪天になるのだろう。王に不適格だと絶叫して、家臣に宥められる姿が見える見える。
「私は貴方から学んだのよ。最初が肝心ってね。今の内、こういうやつなんだと思われた方が得なの」
「俺の事は反面教師にしろよ。色々と炎上してるの見てただろ」
「いいじゃない。結果、なんとかなってるんだから。鎮火できてるんだから正解よ。もしもあんたが真面目なやつだと思われた上であんなことしていたら、それこそ大炎上だったでしょ」
仰る通り。
しょうがないな、と思わせれば勝ちなのだ。
「まあ、小言ばかり言ってもしょうがないよな。ここまで来ちゃったもんはしょうがない。休暇と思って楽しむことにしよう」
「あんたのそういうところが好きよ」
「俺を真似たんだったら、俺の責任だ。責任もってエスコートさせていただこう」
「苦しゅうない」
下らないやり取りをして笑いあって、二人で歩く。
遠いところに来てしまったと思っていた。マリーは王となって、王城で生活するようになって、仲間たちとも中々会えなくて。俺たちはもう、俺たちでいられないのかとも思っていた。
でも、王になってもマリーはマリーで。
わがままで、すぐ頭に血が上って、文句がいちいち多くて。
けれど聡明で、人の気持ちがわかって、笑顔が眩しくて。
こうして一緒にいられること。
終わったからこそ。
それが何よりも、嬉しいと、思えるんだ。
選挙の時に建てられた露店がまだ何件か残っていた。美味しいと判断された場所は祭りの後でも客がしっかりと残っている。
列に並んで、焼き菓子を受け取った。
俺はそれをマリーに手渡す。道の脇で行儀悪く、それを食べ始めた。
行き交う人たちは俺たちを注視もしていない。俺たちはそこらへんにいる一般人だった。
「ありがとうって、月並みの言葉しか言えないのが恥ずかしいわ」
「これくらい大した金額じゃないって」
「これじゃないわよ。いえ、これだけじゃないわよ。もっと、全部」
「ああ。でも、前に御礼は言われただろ。もう十分だよ。全部、俺自身のためにやったことだ。おまえを王にすることで、これからの魔物に対して対策をとる。おまえのためだけじゃない」
「あんたはそう言うものね」
ふう、と、焼き菓子によって暖かくなった息が漏れ出る。
「私はあんたに何を返せばいい? 命と国に吊り合うものなんて、私には思いつかないわ」
「だからいらないって。おまえはこの菓子を売ってくれた店の人に、この菓子は美味しすぎて値段に吊り合わないって法外な金を渡すのか? あっちがこの料金で売ってるんだから、いいんだよ。同じことだ。俺がいいって言ってるんだからいいんだよ」
「口じゃ貴方に勝てないわね」
「おまえの師匠なもんで」
軽口もこれくらいにして。
マリーは神妙な雰囲気を醸し出し始める。
「あんた、私のこと好きよね」
「ああ、好きだ」
「臆面もなく……」
仕掛けたマリーの方が頬を赤く染めた。
俺だってマリーが相手じゃなかったら、ここまではしていない。
魔王に対抗するというだけだったら他にも方法はあった。別に俺にはロイやプリンツを育てるという選択肢もあった。なんだったらマーガレットという聖女の存在だけでもなんとか話を持っていけたかもしれない。
単純に、マリーに生きていてほしかったんだ。
「じゃあ、私をあげる」
マリーは自分のものが残っているのに、俺の手元の菓子を奪って喰った。赤面を隠すように頬を膨らませながら、
「あんたがほしいもの、あげるわ」
思わず、笑ってしまった。
小動物のように口いっぱいにものを放り込んだマリーの顔が可愛かったし、その頬が赤く膨らんでいるのも面白い。そして、その真っすぐな性格が、何よりも楽しかった。
「何よ。笑う事ないじゃない」
「いや、嬉しんだ。とっても、嬉しんだよ」
俺はマリーの手をとった。握る。握り返される。
道行く人からは、初々しいカップルだとでも思われているんだろうか。
「おまえは女王だろ。俺なんかに構ってる場合じゃないぜ。さっさと位の高いやつと結婚して、世継ぎをつくらないと」
「あんたと作るって言ってんの」
「無理だって。俺は何も持ってないんだから」
「少なくとも、私の心は持ってる。十分すぎない?」
わかってるさ。
俺は何も持っていない――なんて、もう嘯けないことは。
いっぱいだ。大切なものがいっぱい、この手には乗せられている。手のひらに乗せられないくらいに、いっぱいもらったよ。
「俺と一緒になったら、また同じことになるぞ。俺はおまえの母親と同じだ。また政争が起こる」
「別にいいわよ」
「良くないだろ。おまえがどうしてこんな目にあったのか考えろ」
「……ただ、好きだっただけなのかしらね」
マリーの父親。前の王。
彼がどうしてマリーの母親に手を出したのか。
その理由を語る存在がいない以上、真実は闇の中。それこそ、投票箱と同じ。
「昔は父さんのことを死ぬほど恨んだわ。なんでそんなことをしたんだって。大人しく王妃と一緒にいてくれれば、私を産まなければ、もっと話は簡単だったのに。
でもようやく、その気持ちがわかった気がする。理屈じゃないのかもしれない。人生は一回だけだもの。本当に好きな人と一緒にいられないのは、死よりも辛い苦しみになる。それこそ、死んでも死にきれないかもしれない」
王だけでなく、彼女の母も同じだったのかもしれない。国王と夜を過ごして、マリーが出来てしまって、それでも堕ろすという判断も選択肢にあったはず。霊装の受け継がれる先について、万が一の可能性は考えたはずだ。
でも、産んだ。
そこには他人には説明できない想いがあったのかもしれない。
柔らかい手が、俺の手を強く握った。
「私は女王になったわ。でも、それよりも前に一人の人間なの。わがままだろうがなんだろうが、ほしいものは必ず手に入れる。そうやって、生きてきたんだもの」
「似た者親子なのかもな」
きっと真実は、そこまで単純ではなくて、それくらい単純なことなんだろう。
人によっては万感で。
人によっては一言で。
国民や王子からすればたまったものじゃないけどな。一人の勝手な判断でどれほどまでに国が揺れたか。
王として、どこまでわがままを通すか。夫や世継ぎなんてのは、わがままを通していいところじゃない。
でもそこを通したら、自分はどこに残るんだろう。
自分という存在は、どこまで殺していいんだろう。
自分を乗せた天秤の片側。吊り合うのは、一体何なんだろう。
答えはどこにもない。
そして、誰の中にもある。
「もうクソ親父、なんて言えないわね。あれも私も同じよ」
「ああ、同じ、人間だな」
「何とかしてよ。私のこと好きなんでしょう?」
「おまえ、それを武器に使ってないか?」
「好きになった方が負けなの」
「はいはい」
「冗談よ。本気にした?」
「俺はいつだって本気だよ」
「嘘つき」
「嘘です」
「ふふ」
マリーは俺の手を引いて歩き出した。
「貴方と一緒にいる一秒一秒が愛おしい。こういう風に、一緒にいられたらいいわね。別に貴方は私の護衛でいいわ。私とずっと一緒にいて。私だけの騎士。私だけの愛しい人」
俺はその甲に口づけを落とした。
気障らしいのは似合わない。けれど、相手が女王様なら仕方がない。
俺はこの子の騎士なのだ。
「任せろ。俺だって、おまえと一緒にいたいから掴み取った未来なんだ」
「ふふ。嬉しいこと言ってくれるじゃない。これで浮気癖がなかったら満点なんだけど」
「……」
「わかってるわ。シレネもアイビーも、魅力的だものね。私は彼女たちに全部負けてるとは思わないけれど、絶対に勝てないところがいくつもある。戦争を起こしても、多分勝てないわ。だからそこは諦めてる。もう何年もこんな関係を続けてたから、彼女たちに情もあるしね。全員、しょうもないくらいに貴方を愛していることも知ってるわ」
鼻を鳴らして、
「だからあんたの責任は、全員を満足させることよ。私はなかなか護衛の休みを取らせないから。せいぜい、限られた中で癖のあるあの二人を満足させることね」
意地の悪い笑みをもらったが、それは甘んじて受けるもの。
むしろ、甘すぎる判断だ。
「これも、しょうがないやつだと思わせたおかげだよ」
「ためになるわ」
すんなよ。こんなくそ野郎の言う事。