121.
「待って」
プリンツは俺たちの姿を認めると、一気に駆け寄ってきた。
お供もつけずに、俺たちの前に立つ。
真っすぐに俺を見た。
「……恥を承知で言うわ。貴方は結局、何をしたの?」
彼の部下は王城の外を出歩く俺を見ている。
俺たちは認めてはいけないが、彼にとってはそれは間違いのない事実。
「実際、外にいたんでしょう?」
「ああ、いたな」
もう戦いは終わった。
解答だけなら、いくらでもくれてやろう。
「騎士団員はトイレの個室の中までは入ってきてはいない。ナイフを使っての移動は容易だったよ。王城の外には簡単に出れた」
「外に出ることができる状況にあったことはわかっているわ。問題はその後よ。たった五分、いえ移動を含めれば、もっと少ない。その間に、貴方は投票箱に何をしたの? 何もしていないように見えた。だからこそ、部下は捕えることもなく何もできなかったわけで――」
「正解だ。何もしていない」
「はあ?」
ぽかんとするプリンツ。
俺は再度、答えを教えてやった。
「俺は何もしていない。ただ、数十秒ほど出歩いて、回りまわっておまえの耳に入る様にしただけだ。何なら、トイレの中で騎士団員に見つかっても良かった。あいつがいないと騒ぎになった後で、何喰わぬ顔で姿を見せる。トイレにいただけですよ、なんて素知らぬ顔で言う。それでも良かった」
「どういうこと? 何が目的なの?」
「俺がいない時間。それが少しでも生まれれば良かった。そうなれば、おまえたちはどう思う?」
「何かを、していると、そう、思う」
「強いて言えば、それが目的だよ。何かをしている俺を見せたかっただけだ」
「――」
絶句、とはこのことだろう。
プリンツは信じられないものを見るように、俺をただ見つめている。
「何かをする必要なんかない。なぜなら、俺はその時点で”何かを企てるやつ”として認識されていたからだ。俺が動けば、何かをしたと思われる。それだけで良かった」
俺が積み上げてきた実績。
王子たちの攻撃をかいくぐって、マリーを生存させたこと。結果として残っている以上、無視はできない。
俺が動いたことを知っている人間からすれば、仔細はうかがい知れないが、またマリーにとって都合の良い方向に進めたと思うはず。
今回だって同じ。
気が付いたら事が終わっている。
そういう風に、見えただろうよ。
「な、え、何も、してない?」
「正確に言えば、マリーに好意的になるよう、情報を流した。選挙活動をした。それくらいだよ。投票箱には何もしていないし、票をいじるようなことも何もしていない」
「……でも、それじゃ、勝てる保証は……」
「百パーセントではなかったな。だから、百パーセントにしたんだ」
段々とプリンツの顔が青くなっていく。
俺の仕掛けた行為の意味が、ようやくわかってきたようだ。
「おまえたちに負けるかもしれないと思わせれば、確実に勝てるだろう?」
「う、嘘よ。それは百パーセントではないわ。私たちが開票に臨んだ可能性がある。実際に、兄さんはあと一歩で開票していた。なんで、こんな、最後に、博打を打ったの?」
「博打なものか。兄の命運がかかったところだ。おまえは絶対に止めるだろ」
「……」
「それに、最後だからな。貯金を切り崩して楽をさせてもらっただけさ」
俺に積み上がった過分な評価。
それを切り崩して、戦略とさせてもらった。
溜まった”貯評価”は最後には使い切らないとな。
「……なら、私は……」
プリンツはその場に崩れ落ちる。目からは光が消えていた。
そう、彼は勝手に自滅しただけだ。俺の姿を見誤って、実際よりも大きな存在だと勘違いした。何もしていないのに、何かが終わった後だと誤認した。
俺の暗躍を見ていればそう思うのも無理はない。
実際、プリンツは学園内での一件で、どうして正体がバレたのかもわかっていないだろう。どうして俺たちが大臣たちの秘密を握っているのかも、どうして俺が庭園にプリンツがいることを知っていたのかも、わかっていない。わからない中で行動しようとすると、及び腰になるのは仕方がない。
不明瞭は一番の敵。
こうやって、ありもしない落とし穴に落ちることになる。
まあ、そうは言っても、流石に可哀想だな。
自分自身の手であれほどまでに欲しかった王座を手放したなんて、酷すぎる結末だ。少しフォローをしよう。
「おまえだけじゃない。クロノーを初めとした大臣たちも、俺たちの姿を見間違えた。マリーは大臣たちの秘密を握っていたしな。全員、俺たちに騙されたんだ。恥じることはない」
「……わざわざ私に霊装を見せつけたのは、そういうことだったのね」
「俺の姿を更に大きく見せようと思ってな。おまえが俺の霊装の話を出したことで、俺が何かを仕掛けた可能性は高まった。実際、あの時の俺は誰の目から見てもおぞましく見えていただろうさ」
影すら掴めない化け物。
そんな風に見えただろう。
正体も倒し方もわからない。そんな相手に勝てる方法はない。誰もがそう思って白旗を上げた。
気が付けば、プリンツの顔はかつてないくらいに真っ青になっていた。
「私は、なんてことを……。兄さんの、未来を……。わたしが、この手で……」
プリンツは懐から短剣を取り出して、そのまま自分の首に突き刺そうとした。
それを蹴り飛ばして止める。
ナイフは地面を転がっていった。
「馬鹿か、死んでどうする」
「……止めないで。もう私に生きる価値はない。何度も負けて、最後まで醜態を晒して、貴方の姿を見間違えて、兄さんの王の未来を奪ってしまった。もう、誰にも顔向けができない……」
顔を覆って、蹲ってしまった。
「おまえがどうこうしなくても、ロイは王にはなっていない。あんまり考えすぎるな」
「……とどめを刺したのは私よ。早く死んでしまいたい」
「そんな顔で死んで、父親に会いに行くのか?」
「はは。こんな顔。そうよね。私は女装までして、なんでもするとか言っておきながら何もできはしなかった。小娘一人いつでも殺せると言いながら、たった一つの命も奪えずに、こうして蹲っている。道化よ、道化。笑ってよ」
「笑わないよ」
俺たちは勝った。
こいつらは負けた。
もう、彼は敵じゃない。だったら、彼を再び立たせるのも仕事の内だ。
「おまえは本気だっただろうが。本気でマリーを殺そうと、霊装を手に入れようと努力していただろうが。おまえを笑うやつがいたら、俺が殴ってやるよ」
「……何を言ってるの」
「おまえが開票を取りやめたのも、兄のためだろう。一人だったら、開票に進んでいたはずだ。おまえは、王に向かって真っすぐに進む兄のために、汚れ仕事を請け負った。兄のために、汚名を引き受けると覚悟を持っていた。立派な心掛けだ。正直、ボタンの掛け違い次第では、マリーは死んでいたかもしれない。卑下するな。おまえは恐ろしい敵だったよ」
「……私は、兄さんのために、でも、もう、意味がないの。兄さんを王にすることはできなかった。生きてる意味もない」
「意味がないなんてのは、おまえの頭の中だけだ。クロノーの言葉を思い出せ。おまえたちの存在がこれからの世に必要だと言って、開票を止めたんだ。マリーだって言ってただろう、おまえたちの力が必要だって。王になることだけがおまえの人生じゃない。王にならなくたって、皆、おまえに生きていてほしいから、開票を止めたんだ。彼らの気持ちを裏切るな」
俺が仕掛けたのは間違いがない。
けれど、その中で、ロイとプリンツは多くから生きていてほしいと願われた。王にはなれない選択肢ではあるけれど、それでも、生きることを望まれた。
開票せずに終わることは、マリーを王にすること。
同時に、二人を救うこと。
「何度でも言う。おまえたちは王になるから必要なんじゃない。王にならなくたって、必要な人間なんだよ」
「……」
「まだ間に合う。ぎりぎりな」
「……」
顔を上げたプリンツは、泣いていた。
透明な、綺麗な涙だった。
「私は、王に……」
「ならなくてもいい。おまえらの父は言っただろ。霊装を有するものを支えろって。遺言に従って、マリーのことを支えてくれよ」
「でもそれじゃあ母上が浮かばれない……。マリーのことを恨んで死んだ母上が……」
「そんなもんは死んだ前王の責任だ。マリーのせいにするな。
マリーだって母のことを考えれば、おまえたちを恨んでるんだぞ。おまえたちの母は間接的でも、マリーの母は実際におまえたちに殺されているんだからな。でも、それを飲み込んで、おまえたちに手を差し伸べたんだ」
返す返すも、マリーはいい女だ。
母を斬殺したのはこいつらなのに。その復讐をしたっていいはずなのに。
『つなげるものなら、つないでみたい』
俺の問いに対するマリーの答えはそんなものだった。
自分の私情を、激情を、絶望を、乗り越えて。
過去にしかいない死者。
それ以上に必要なものがわかっているから。
彼女は歯を食いしばって耐えて、未来を見た。
国を、政治を、人類を、考えた選択肢を選んだ。
「おまえにだって、わかるだろ。あいつがどれほど辛い選択をしたのか。おまえがマリーを殺したかったように、マリーだっておまえたちを殺したかった。奪われたのはおまえたちだけじゃない。同じなんだよ、おまえら兄妹は」
「……」
「わからないようなら、おまえはどっちにしろ、碌なやつにはならないよ」
突き放すように言う。
これは一つの分岐点だ。
プリンツという人間が、人間足り得るのか。
人の思いを無下にするような人間なのか。
俺たちの隣に置いて良いのか。
ともに未来を見ることができるのか。
果たしてプリンツは、小さな声で呟いた。
「……大人なのね、あの子は。私たちよりも、よっぽど」
涙声ではあったが、プリンツの口調は柔らかかった。
きっと、マリーの微笑みを思い出しているのだろう。
「なんで霊装がマリーを選んだのか。ずっと、意味がわからなかった。あんな下町の小娘を選ぶなんてくだらないと思っていた。でも、ようやく、少しだけ、わかった気がする。私が王冠を持っていたとしても、そんなこと言えなかった。こんな未来は描けなかった」
大きく息を吐いた。
色んな感情が吐き出された、長い息だった。
「辛いわ。自分が、辛い。こんな自分が、嫌になる」
「羽化するときはいつだって苦しいもんさ」
「わかったように言わないでよ」
睨まれてしまった。
少し口を出し過ぎたか。
けれどプリンツも怒っているわけではなかった。
未来を見つめた、前向きな顔つきをしていた。
「ださいわ、私は。とても王にはふさわしくない。きっと最初から、私は王の器ではなかったのよ。でも、私の生きる道はそっちじゃない。私は汚れたままでいい。そういう人間だもの」
「うん」
「でも、汚れているなら汚れているなりに、矜持もある。私と同じ選択肢をとって、生きていてほしいと願ってくれた大臣たちにも恩がある。私たちに投票してくれた国民だっている。どうせ死ぬのなら、そんな恩に報いて死ぬことにするわ」
「ああ。おまえの命は、大切なものだ。簡単に捨てていいものじゃない」
「別にマリーのためじゃない。これは、この国のため。国民のため。そして何より、あの子に負けたくない自分自身のため。そのために、私はあの子の補佐につくわ。適当な政治をされちゃ、示しがつかないもの」
「助かるよ」
マリーだけでは進められないことも、プリンツの協力が得られれば問題はない。上手く処理してくれるだろう。
殺し合っていた兄妹は、ようやく互いのことを見つめ合った。
お互いの一端を、理解した。
許すなんてのは難しい。
互いへの負の感情を消すことはできない。
でも、それでいいと思う。
誰だって他人に対して嫌な部分を持っている。
彼らの場合はそれが如実であって、殺し合いにまで発展しただけ。
ただの兄妹喧嘩。
なんてのは、他人の俺が勝手に決めつけるものじゃないか。兄弟のことなんかわからないし。
後は勝手に納得してくれよ。
彼は彼の進む道がわかったようだ。
それならば、これ以上俺が言う事はない。
「……ありがとう」
蚊の鳴くような声の御礼。
俺は返事をしなかった。
彼に背を向けて、歩き出す。
そういえば、気になることが一個あった。
これを聞かないと夜も眠れない。
「おまえは王以外の道を見つけた。じゃあもう、女装はやめるのか?」
「別にやめないわ」
俺は振り返る。
プリンツはにっこりと笑っていた。
初めてみる純粋無垢な笑顔だったかもしれない。
「私、結構、今の私が気に入っているの。可愛いでしょう?」
なんだよ。
もうすでに性癖になってるのかよ。
正直、可愛い。
でも、アイビーが見ている手前、そうは言えなかった。
「俺のタイプじゃないけどな」
「貴方なら一晩一緒にいてあげてもいいわよ」
「いらねえよ」
軽口を叩き合って別れる。
けれどどうせまたすぐに会う事になるのだろう。
マリーの執務室で、嫌でもこれから顔を合わせることになるだろう。
憎まれ口を叩き合う未来が見えた。
「まったく、人たらしだなあ、リンクは」
やけに嬉しそうなアイビーの一言が、この一件を締めくくる言葉となった。
王を巡る戦いは終わった。
後は魔物を討伐できれば終わる。
すべてが十全に進んでいる今、それも可能のように思えた。