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トキノオリ  作者: 紫藤朋己
11章 紅の女王
121/183

121.







「待って」


 プリンツは俺たちの姿を認めると、一気に駆け寄ってきた。

 お供もつけずに、俺たちの前に立つ。


 真っすぐに俺を見た。


「……恥を承知で言うわ。貴方は結局、何をしたの?」


 彼の部下は王城の外を出歩く俺を見ている。

 俺たちは認めてはいけないが、彼にとってはそれは間違いのない事実。


「実際、外にいたんでしょう?」

「ああ、いたな」


 もう戦いは終わった。

 解答だけなら、いくらでもくれてやろう。


「騎士団員はトイレの個室の中までは入ってきてはいない。ナイフを使っての移動は容易だったよ。王城の外には簡単に出れた」

「外に出ることができる状況にあったことはわかっているわ。問題はその後よ。たった五分、いえ移動を含めれば、もっと少ない。その間に、貴方は投票箱に何をしたの? 何もしていないように見えた。だからこそ、部下は捕えることもなく何もできなかったわけで――」

「正解だ。何もしていない」

「はあ?」


 ぽかんとするプリンツ。

 俺は再度、答えを教えてやった。


「俺は何もしていない。ただ、数十秒ほど出歩いて、回りまわっておまえの耳に入る様にしただけだ。何なら、トイレの中で騎士団員に見つかっても良かった。あいつがいないと騒ぎになった後で、何喰わぬ顔で姿を見せる。トイレにいただけですよ、なんて素知らぬ顔で言う。それでも良かった」

「どういうこと? 何が目的なの?」

「俺がいない時間。それが少しでも生まれれば良かった。そうなれば、おまえたちはどう思う?」

「何かを、していると、そう、思う」

「強いて言えば、それが目的だよ。何かをしている俺を見せたかっただけだ」

「――」


 絶句、とはこのことだろう。

 プリンツは信じられないものを見るように、俺をただ見つめている。


「何かをする必要なんかない。なぜなら、俺はその時点で”何かを企てるやつ”として認識されていたからだ。俺が動けば、何かをしたと思われる。それだけで良かった」


 俺が積み上げてきた実績。

 王子たちの攻撃をかいくぐって、マリーを生存させたこと。結果として残っている以上、無視はできない。

 俺が動いたことを知っている人間からすれば、仔細はうかがい知れないが、またマリーにとって都合の良い方向に進めたと思うはず。


 今回だって同じ。

 気が付いたら事が終わっている。

 そういう風に、見えただろうよ。


「な、え、何も、してない?」

「正確に言えば、マリーに好意的になるよう、情報を流した。選挙活動をした。それくらいだよ。投票箱には何もしていないし、票をいじるようなことも何もしていない」

「……でも、それじゃ、勝てる保証は……」

「百パーセントではなかったな。だから、百パーセントにしたんだ」


 段々とプリンツの顔が青くなっていく。

 俺の仕掛けた行為の意味が、ようやくわかってきたようだ。


「おまえたちに負けるかもしれないと思わせれば、確実に勝てるだろう?」

「う、嘘よ。それは百パーセントではないわ。私たちが開票に臨んだ可能性がある。実際に、兄さんはあと一歩で開票していた。なんで、こんな、最後に、博打を打ったの?」

「博打なものか。兄の命運がかかったところだ。おまえは絶対に止めるだろ」

「……」

「それに、最後だからな。貯金を切り崩して楽をさせてもらっただけさ」


 俺に積み上がった過分な評価。

 それを切り崩して、戦略とさせてもらった。

 溜まった”貯評価”は最後には使い切らないとな。


「……なら、私は……」


 プリンツはその場に崩れ落ちる。目からは光が消えていた。


 そう、彼は勝手に自滅しただけだ。俺の姿を見誤って、実際よりも大きな存在だと勘違いした。何もしていないのに、何かが終わった後だと誤認した。


 俺の暗躍を見ていればそう思うのも無理はない。


 実際、プリンツは学園内での一件で、どうして正体がバレたのかもわかっていないだろう。どうして俺たちが大臣たちの秘密を握っているのかも、どうして俺が庭園にプリンツがいることを知っていたのかも、わかっていない。わからない中で行動しようとすると、及び腰になるのは仕方がない。


 不明瞭は一番の敵。

 こうやって、ありもしない落とし穴に落ちることになる。


 まあ、そうは言っても、流石に可哀想だな。

 自分自身の手であれほどまでに欲しかった王座を手放したなんて、酷すぎる結末だ。少しフォローをしよう。


「おまえだけじゃない。クロノーを初めとした大臣たちも、俺たちの姿を見間違えた。マリーは大臣たちの秘密を握っていたしな。全員、俺たちに騙されたんだ。恥じることはない」

「……わざわざ私に霊装を見せつけたのは、そういうことだったのね」

「俺の姿を更に大きく見せようと思ってな。おまえが俺の霊装の話を出したことで、俺が何かを仕掛けた可能性は高まった。実際、あの時の俺は誰の目から見てもおぞましく見えていただろうさ」


 影すら掴めない化け物。

 そんな風に見えただろう。

 正体も倒し方もわからない。そんな相手に勝てる方法はない。誰もがそう思って白旗を上げた。


 気が付けば、プリンツの顔はかつてないくらいに真っ青になっていた。


「私は、なんてことを……。兄さんの、未来を……。わたしが、この手で……」


 プリンツは懐から短剣を取り出して、そのまま自分の首に突き刺そうとした。

 それを蹴り飛ばして止める。

 ナイフは地面を転がっていった。


「馬鹿か、死んでどうする」

「……止めないで。もう私に生きる価値はない。何度も負けて、最後まで醜態を晒して、貴方の姿を見間違えて、兄さんの王の未来を奪ってしまった。もう、誰にも顔向けができない……」


 顔を覆って、蹲ってしまった。


「おまえがどうこうしなくても、ロイは王にはなっていない。あんまり考えすぎるな」

「……とどめを刺したのは私よ。早く死んでしまいたい」

「そんな顔で死んで、父親に会いに行くのか?」

「はは。こんな顔。そうよね。私は女装までして、なんでもするとか言っておきながら何もできはしなかった。小娘一人いつでも殺せると言いながら、たった一つの命も奪えずに、こうして蹲っている。道化よ、道化。笑ってよ」

「笑わないよ」


 俺たちは勝った。

 こいつらは負けた。

 もう、彼は敵じゃない。だったら、彼を再び立たせるのも仕事の内だ。


「おまえは本気だっただろうが。本気でマリーを殺そうと、霊装を手に入れようと努力していただろうが。おまえを笑うやつがいたら、俺が殴ってやるよ」

「……何を言ってるの」

「おまえが開票を取りやめたのも、兄のためだろう。一人だったら、開票に進んでいたはずだ。おまえは、王に向かって真っすぐに進む兄のために、汚れ仕事を請け負った。兄のために、汚名を引き受けると覚悟を持っていた。立派な心掛けだ。正直、ボタンの掛け違い次第では、マリーは死んでいたかもしれない。卑下するな。おまえは恐ろしい敵だったよ」


「……私は、兄さんのために、でも、もう、意味がないの。兄さんを王にすることはできなかった。生きてる意味もない」

「意味がないなんてのは、おまえの頭の中だけだ。クロノーの言葉を思い出せ。おまえたちの存在がこれからの世に必要だと言って、開票を止めたんだ。マリーだって言ってただろう、おまえたちの力が必要だって。王になることだけがおまえの人生じゃない。王にならなくたって、皆、おまえに生きていてほしいから、開票を止めたんだ。彼らの気持ちを裏切るな」


 俺が仕掛けたのは間違いがない。

 けれど、その中で、ロイとプリンツは多くから生きていてほしいと願われた。王にはなれない選択肢ではあるけれど、それでも、生きることを望まれた。


 開票せずに終わることは、マリーを王にすること。

 同時に、二人を救うこと。


「何度でも言う。おまえたちは王になるから必要なんじゃない。王にならなくたって、必要な人間なんだよ」

「……」

「まだ間に合う。ぎりぎりな」

「……」


 顔を上げたプリンツは、泣いていた。

 透明な、綺麗な涙だった。


「私は、王に……」

「ならなくてもいい。おまえらの父は言っただろ。霊装を有するものを支えろって。遺言に従って、マリーのことを支えてくれよ」

「でもそれじゃあ母上が浮かばれない……。マリーのことを恨んで死んだ母上が……」

「そんなもんは死んだ前王の責任だ。マリーのせいにするな。

 マリーだって母のことを考えれば、おまえたちを恨んでるんだぞ。おまえたちの母は間接的でも、マリーの母は実際におまえたちに殺されているんだからな。でも、それを飲み込んで、おまえたちに手を差し伸べたんだ」


 返す返すも、マリーはいい女だ。

 母を斬殺したのはこいつらなのに。その復讐をしたっていいはずなのに。


『つなげるものなら、つないでみたい』


 俺の問いに対するマリーの答えはそんなものだった。


 自分の私情を、激情を、絶望を、乗り越えて。

 過去にしかいない死者。

 それ以上に必要なものがわかっているから。


 彼女は歯を食いしばって耐えて、未来を見た。

 国を、政治を、人類を、考えた選択肢を選んだ。


「おまえにだって、わかるだろ。あいつがどれほど辛い選択をしたのか。おまえがマリーを殺したかったように、マリーだっておまえたちを殺したかった。奪われたのはおまえたちだけじゃない。同じなんだよ、おまえら兄妹は」

「……」

「わからないようなら、おまえはどっちにしろ、碌なやつにはならないよ」


 突き放すように言う。


 これは一つの分岐点だ。

 プリンツという人間が、人間足り得るのか。

 人の思いを無下にするような人間なのか。


 俺たちの隣に置いて良いのか。

 ともに未来を見ることができるのか。


 果たしてプリンツは、小さな声で呟いた。


「……大人なのね、あの子は。私たちよりも、よっぽど」


 涙声ではあったが、プリンツの口調は柔らかかった。

 きっと、マリーの微笑みを思い出しているのだろう。


「なんで霊装がマリーを選んだのか。ずっと、意味がわからなかった。あんな下町の小娘を選ぶなんてくだらないと思っていた。でも、ようやく、少しだけ、わかった気がする。私が王冠を持っていたとしても、そんなこと言えなかった。こんな未来は描けなかった」


 大きく息を吐いた。

 色んな感情が吐き出された、長い息だった。


「辛いわ。自分が、辛い。こんな自分が、嫌になる」

「羽化するときはいつだって苦しいもんさ」

「わかったように言わないでよ」


 睨まれてしまった。

 少し口を出し過ぎたか。


 けれどプリンツも怒っているわけではなかった。

 未来を見つめた、前向きな顔つきをしていた。


「ださいわ、私は。とても王にはふさわしくない。きっと最初から、私は王の器ではなかったのよ。でも、私の生きる道はそっちじゃない。私は汚れたままでいい。そういう人間だもの」

「うん」

「でも、汚れているなら汚れているなりに、矜持もある。私と同じ選択肢をとって、生きていてほしいと願ってくれた大臣たちにも恩がある。私たちに投票してくれた国民だっている。どうせ死ぬのなら、そんな恩に報いて死ぬことにするわ」

「ああ。おまえの命は、大切なものだ。簡単に捨てていいものじゃない」

「別にマリーのためじゃない。これは、この国のため。国民のため。そして何より、あの子に負けたくない自分自身のため。そのために、私はあの子の補佐につくわ。適当な政治をされちゃ、示しがつかないもの」

「助かるよ」


 マリーだけでは進められないことも、プリンツの協力が得られれば問題はない。上手く処理してくれるだろう。


 殺し合っていた兄妹は、ようやく互いのことを見つめ合った。

 お互いの一端を、理解した。


 許すなんてのは難しい。

 互いへの負の感情を消すことはできない。


 でも、それでいいと思う。

 誰だって他人に対して嫌な部分を持っている。

 彼らの場合はそれが如実であって、殺し合いにまで発展しただけ。

 

 ただの兄妹喧嘩。

 なんてのは、他人の俺が勝手に決めつけるものじゃないか。兄弟のことなんかわからないし。

 後は勝手に納得してくれよ。


 彼は彼の進む道がわかったようだ。

 それならば、これ以上俺が言う事はない。


「……ありがとう」


 蚊の鳴くような声の御礼。

 俺は返事をしなかった。


 彼に背を向けて、歩き出す。


 そういえば、気になることが一個あった。

 これを聞かないと夜も眠れない。


「おまえは王以外の道を見つけた。じゃあもう、女装はやめるのか?」

「別にやめないわ」


 俺は振り返る。


 プリンツはにっこりと笑っていた。

 初めてみる純粋無垢な笑顔だったかもしれない。


「私、結構、今の私が気に入っているの。可愛いでしょう?」


 なんだよ。

 もうすでに性癖になってるのかよ。


 正直、可愛い。

 でも、アイビーが見ている手前、そうは言えなかった。


「俺のタイプじゃないけどな」

「貴方なら一晩一緒にいてあげてもいいわよ」

「いらねえよ」


 軽口を叩き合って別れる。


 けれどどうせまたすぐに会う事になるのだろう。

 マリーの執務室で、嫌でもこれから顔を合わせることになるだろう。


 憎まれ口を叩き合う未来が見えた。


「まったく、人たらしだなあ、リンクは」


 やけに嬉しそうなアイビーの一言が、この一件を締めくくる言葉となった。



 王を巡る戦いは終わった。

 後は魔物を討伐できれば終わる。


 すべてが十全に進んでいる今、それも可能のように思えた。


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