114.
歯車はそれぞれが噛み合って動き始めた。
ロイは俺たちに明確に牙を向いた。言葉と権力を駆使して、俺たちを人間世界から放逐する腹積もりだ。プリンツもその背後で暗躍を進めるだろう。
俺たちは俺たちでロイとプリンツを表舞台から追い出す必要がある。
もう少し準備をしておきたかったなんて言ってる暇はない。早急に手を打たないと。
俺は教会へと足を進めた。
マーガレットに事の仔細を伝え、協力を扇ぐ必要がある。マリーこそが国を正しい方向に導く者だと、聖女として国民に流布してもらうのだ。
勇んで教会の中に入っていくと、しかしそこにマーガレットの姿はなかった。
代わりに護衛団の一人であるカストールが、執務室で独り書類を片づけていた。
彼は俺を見るや不機嫌を隠そうともせずに、
「なんだおまえ。懲りずまた顔を出して、マーガレット様の力を借りようと言うのか。図々しいにも程がある」
「なんで一人なんだよ。マーガレットは?」
「様をつけろ。いかにおまえが隠し玉を用意していようが、一人にできることには限度がある。次にマーガレット様を愚弄すれば、その首を落としてくれるぞ」
殺気と共に返事がくる。
マーガレットは何とか丸め込めているが、その周囲の人物にはヘイトを溜めてしまっているな。気を付けよう。
しかし、俺の用事はマーガレットに宛てたものなのだ。彼のご機嫌をとっている暇はない。
「悪かった。でも、今は仲間だ。同じ目的に向かって歩いていこうじゃないか」
「……ここで滅茶苦茶に暴れたおまえが言うのか」
「それで? マーガレット――様はどこにいる?」
「他の護衛と共に、王城へと向かわれた」
呆れのため息と共に答えてくれた。
なんだ、入れ違いだったのか。じゃあ戻ればいいな。
そう考えて身体を反転させてから。
一つの考えに至って、一気に血の気が引いた。
なんでマーガレットは王城に行ったんだ。
それはきっと、俺に逢うため。つまりは、俺が傍についているマリーの執務室に向かったと考えられる。今や聖女としてそれなりの地位を獲得し、味方として動いているマーガレットは、容易にマリーのところに辿り着くだろう。
そこで見るのは、マリーと楽しそうに笑いあうアイビー。
いや、それはまだいい。アイビーは俺の言葉で縛ってあるという認識だから、悪態はついても殺そうとはしないだろう。
問題は、それがマリーに伝わることだ。
マーガレットのことだ、アイビーを睨みつけて『魔王の癖に良い生活をしていますね』なんて皮肉を言うだろう。アイビーはそれを受け止めるしかない。彼女は立場上、反論ができないのだ。そしてマリーは言うだろう。『何のこと?』と。
芋づる式に、二人は会話を続ける。
二人ともわかってはいないが、互いに与えてはいけない情報を有しているのだ。
俺は即座に教会を出て、一目散に王城内マリーの執務室へと駆けた。
その間、マーガレットとは出会わなかった。出会えなかった。
息を切らしながら、執務室の扉を開ける。
俺の登場に、マリー、アイビー、マーガレット。そしてマーガレットの取り巻き全員の視線が集まった。
すでに邂逅は済んでいた。
アイビーと視線を合わせる。その表情で、俺が先刻予想していた状況にいることを察した。
――まずい。
マリーに詳細を伝えていないツケが出た。
「リンク。こっちに来なさい」
静かな声が、俺の退路を塞ぐ。
ここにいる全員、同じ方向を向いて歩いていかないといけない。これからそうするための議論をする予定なのに、大変な失態だ。
俺はマーガレットに、俺が教会に向かう旨の手紙を送るべきだった。あるいは、俺がいるタイミングでマーガレットをここに呼ぶべきだった。そうであればまだ傷は最小限に抑えられただろう。
はっきりとわかる。
ここにいる誰もが不満を覚えている。
マリーは俺が秘密にしていたことを。そして、最近打ち解けたばかりのアイビーこそが諸悪の根源だと知ったこと。
マーガレットはそんな諸悪の根源が平素の調子で王の傍にいること。怪我も治った状態で、綺麗な衣服に身を包んで楽しそうに働いていること。
ああ、修羅場だ。
身から出た錆過ぎて弁解の機会もないけれど、これで全てが瓦解するのは嫌だぞ。
「今さっき、そこの聖女様から色々と話を聞いたわ。それは本当?」
マリーの目は据わっている。
ふざけようものなら本気で怒られる。
どうにかして軌道修正を図らないと。
「何を聞いたんだ?」
「アイビーが魔王だって。どういうこと?」
「真実だよ。アイビーが魔王だ」
大丈夫。
マリーは魔王に対して憎しみの感情はない。ここは素直に認めても問題はない。
「――じゃあ何。貴方は殺すべき相手を近くに置いているということ? あんた、本気で魔王を殺そうとしていたじゃない。何のためにアイビーを私の補佐に据えているの? 私を王にしたのは魔王を殺すことが理由の一つだと思っていたけれど?」
「一個ずつ順を追って説明する。まず、アイビーは魔王だ。しかし、こいつはもう何もできない。なぜなら、」――やばい。マリーは霊装ティアクラウンの本当の能力を知っている。俺が霊装でアイビーの行動を縛っているという嘘が、マリーには通じない。どう答えるべきだ――「そういう契約をしているからだ。真の害悪である魔物の襲撃に耐えるために、今は動いている」
「……契約? なにそれ」
胡乱な目になるマリー。
くそ、わかってくれ。ここは突っ込まないでくれ。
『霊装ティアクラウンの力で縛ってるんだ』『そんなに長い間は効力がないわよね』『はあ? じゃあこの魔王はいつでも裏切れる状況ということですか』『そんなやつを私の隣に置いていたの?』『嘘をつきましたね。万死に値します』
見える。
最悪の未来が。
アイビーを制御できないと知れれば、彼女を殺そうという話になる。彼女が真の聖女だと伝えれば、なんでこんなことをしたんだという話になる。皆に本気になってもらわないといけなかったという意見は、当人にとっては受け入れがたい真実だ。逆に聖女に見切りをつけて、これ以後手を貸してくれることはなくなるかもしれない。最悪、憎悪でのみ保っていた精神が断ち切れる。
アイビーを逃がしても同じこと。俺と魔王が繋がっていると思われて、今後マーガレットの協力は得られない。そうなれば、予言に依るマリーの女王としての立場が揺らいでしまう。
ここが分岐点だ。
「――マリー」
俺はありったけの思いを込めて、マリーを見つめた。
頼む。
頼む。
わかってくれ。
誰がこのワンシーンが世界の命運を握るとわかっているだろう。くそ、最近こんな瀬戸際の状況が多すぎる。自分のせいとはいえ、胃に穴が空いてしまう。
マリーは俺の視線をどう受け取ったのか、首を傾げた後、
「――まあ、いいか。何にせよ、アイビーがリンクを裏切ることはないものね」
と、頷いてくれた。
全身の力が抜けそうになるのを、何とか防いだ。
「アイビーはリンクのことが大好きだものね。裏切るわけがないわ」
納得したのは、別の理由であったが。
首の皮一枚繋がる。
「……魔王がリンクに好意を? あれだけやったのに?」
しかして、それはそれでマーガレットに疑問を投げかける。
マーガレットの中で、俺とアイビーは敵対関係にある。あくまで俺はアイビーを飼っているという立場なのだ。好意どうこうの話ではない。
「ええ。二人して仲良く私を助けてくれているわ」
マリーもそこは止まってくれなかった。
くそ、また俺の首が落ちそうになっている。皮一枚が強靭であることを願う。
「どういうことですか、リンク。何故これと友好関係を築いているんです」
マーガレットが詰め寄ってくる。
ああ、もう、誰か助けてくれよ。
でも結局、自分を助けるのは自分だけだ。自分を貶めるのも自分だけだが。
俺は息をついてから、
「わざわざ敵対関係だと見せる理由もないだろう。今の敵はあくまで王子だからな」
「こいつが最終目標でしょう。魔物の侵攻を食い止めた後、こいつを殺すんです。仲良しこよしである必要はないのです」
「身内の敵対関係を王子に突っ込まれてマリーが失墜したらどうする。国の方針では討伐隊の遠征は行われず、いつも通り王都を守るだけだぞ。今までとまったく一緒だ。おまえだってよくわかってるだろう。感情論じゃないんだよ。今の目的は、王子たちを抑え込んで、マリーを絶対の王にすること。そして、国として討伐隊に全力を注ぐこと。違うか?」
堂々と言い切ると、マーガレットの口が不明瞭に動いた。色々言いたいことがあるようだが、俺の言ってることに筋が通っているから言い返せないといった様子だ。
「……そもそもこいつを矢面に出す必要はないでしょう。近くで飼い殺しにしておけばいい」
「俺はアイビーという存在を遊ばせておくべきではないと思っている。こいつは魔王として何度も人生を繰り返しているから、俺たち以上に世界を知っている。その知識を人類のために生かすよう、厳命している。あとは、命をかけてマリーを守れ、ともな。俺だってこいつには苛ついてる。けれど、以前みたいな怪我をさせて管理するよりも、マリーのために身を粉にして働かせた方がいい。打算的にな」
我ながら、よくもまあここまで口が回るものだ。
一歩間違えれば世界が終わるのに、綱渡りを上手い具合に渡っている。
「……スカビオサだって、怒ってましたよ」
マーガレットは切り口を変えてきた。
「魔王を人間の王の隣に置くのはおかしいって。そりゃ、リンクが王の隣にいなければいけなくて、管理するために近く置いておくのはわかりますし、しっかりと管理できているのだったら、そうなるのは変なことではありません。けれど、その、……」
自身なさげに。
最後の方は聞き取れなかった。
わかってる。マーガレットは俺の話を聞くことで、理屈で理解できた。けれど、感情で理解できないのだ。
だとすれば、俺の与える処方箋は、
「なんだ。スカビオサとそんな話をしたのか」
「ええ。彼女もたまに私のところに来ますから」
「友達みたいだな」
「……友達? は。そんな軽い関係ではありませんよ」
鼻で笑うマーガレット。けれど、どことなく嬉しそう。
彼女は一人になりたいのではない。一人にされてしまったから、強がってるだけだ。
「そうだな。俺たちの関係はそんな言葉では表せない。仲間とも、同志とも違う」
「ええ。そんな生易しいものじゃないです」
「これは大切にするべき”絆”だ。俺たちは同じことを願っている。そして、唯一状況を共有できる存在。疑わずに、協力して信じ合っていくべきだろ」
どの口が言ってるんだか。
「……どの口が言ってるんですか」
「奇遇だな。俺も自分でそう思ったよ」
「――まあ、いいです。そうですよね。私たちの最終目的は同じ。絶対です。そこが間違いなければ、疑うだけ無駄でしたね」
マーガレットはため息をつく。
俺もため息をついた。
二つのため息の意味合いは、全く異なっていた。
「で、わざわざこんなところまで来て、何を言いに来たんだよ」
本来の目的に会話を引き戻す。
もうさっきの話に戻りたくはなかった。
「貴方に会いに来たのは最終確認のためですよ。このままマリーを女王に推挙するという方針でよろしいんですよね。どうも王子たちは国民に王の是非を問おうとしているみたいですけど」
「ああ。マリーを女王にする方針で変わらない。さっき言った通り、討伐隊に力を注ぐためだ」
「了解です。では、私は新たな予言を出すことにします。マリーがこの決戦に勝利する。今の内彼女についておいていた方がいい、そんな感じで」
「後半はいらないさ。あくまでマリーが女王になることだけを予言してくれ。あとは国民の自主性に任せることが必要だ」
「わかりました。ここらへんが片づけば一息つけますね。私もスカビオサも討伐隊の様子を見に行っていますが、それなりに活発に動いているようですし、何とかなりそうです」
魔物を殺しきること。
そのために必要な駒は配置できている。
最大の邪魔である王子たちさえ何とかできれば、それで終わる話なのだ。
油断はしない。けれど、一定のゴールは見定めたい。
マーガレットは俺に微笑みかけると、
「では、また来ますよ」
「俺が行くからいいよ」
「いえ。定期的にマリー王女とそこの魔王の顔も見に来たいので」
マーガレットは最後にアイビーを睨みつけて、部屋から出ていった。
何とかなった。
けれど寿命は十年は縮まった。
崩れ落ちそうになるが、それはまだ許されなかった。
「それで? 全部話してくれるんでしょうね」
先日ロイとやり合ったことで虫の居所の悪いマリー。机を指で叩きながら、俺のことを睨みつけてくる。
「あんたの悪い癖よね。必要がないと判断したからでしょうけど、なんで言わないの。ようやく全てに合点がいったわ。聖女とやり合ったって話、アイビーが学園にやってきた理由、なんでアイビーが大臣たちのこととか知りえないことを知っていたのか、そもそもどんな存在だったのか」
とんとんとん、とリズミカルに机を叩く。
顔を見遣ると、怒鳴り散らしたいのをかろうじて我慢しているような顔だった。
俺には謝る以外の選択肢はなかった。
「……悪い」
「私に何も言わなかったのはもういい。言ったってしょうがないもんね。で? これ以上隠していることは? 次にこんなことしたら、本気で怒るから。誰が知ってて、誰が知らないの?」
俺は諦めてすべてを話した。
なんでマリーに話さなかったかと言えば、マリーの言う通り、必要がなかったからだ。彼女に言ったところで何が変わるわけでもない。魔王だろうが魔物だろうが、ゴールは変わらないのだから。むしろ、余計な心配を負わせてしまうことになる。
完全にそれが仇となった。
話し終えると、マリーは何回か頷いた。
「私の知らない間に、そんなことがあったのね。あんたの家に空いた穴、そういうことだったのね。――むかつく。あんたが相変わらず必要だとか不必要だとかに拘ってるのが。私たちは仲間じゃないの。同志じゃないの。愛し愛される関係じゃないの。だったら全部洗いざらい話して然るべきなんじゃないの」
俺は黙って頭を下げた。
知らせるということは、相手を傷つける。
でも、知らせないということも、相手を傷つける。
嘘なんかつくもんじゃない。
しかし、嘘をついているからこそ、現状が上手くいっているわけで――
人の世界は難しい。
正解は結果だけが教えてくれる。
「これ以上、私に嘘をつくことは禁止よ。色々と黙って裏で動くのも禁止。わかった?」
「はい……」
「アイビーもよ。これからは私も話を合わせてあげるから、変なことしないで」
「はい……。ごめんなさい」
しゅんとする王の護衛二人。
マリーはそれはそれは大きなため息を吐いた。
「正直、兄たちが可愛く見えてくるわ。あんなのどうとでもできそう。あんたたちの方がよっぽど厄介よ」
面目ない……。