113.
ふと、廊下でプリンツと出会ってしまった。
部屋は遠く離れども、同じ王城内で暮らしているのだ、お互いが執務室、居室の外に出れば、出会うのは必然とも言えた。
こちら以上にあちらの取り巻きの顔が青くなる。プリンツがマリーを敵視しているのは誰の目にも明らか。こんなところで喧嘩なんか始めてほしくはない。出会わないように移動先を管理していたというのに、という顔だ。
こっちだって同じ。わざわざ逢いたくはなかった。
そんな後悔もあり、一瞬だけ間が空いた。
お互いの取り巻きが初動を間違えた隙に、マリーとプリンツの二人は対峙する。
「ごきげんよう、義兄様。戴冠式以来ですわね」
「そうね。女王就任おめでとう」
ぴりぴりとした雰囲気。
どちらかというとマリーが好戦的で、プリンツが逃避気味だ。
そりゃ、こっちにはプリンツに対する絶対のカードがあるからな。下手に出る意味もない。取り巻きのどこまでが真実を知っているだろうか。
「お久しぶりと言えなくもないですね。せっかくの兄妹なのに、ほとんど接点がなくて寂しいです。今度遊びに行っても?」
「別に構わないわ。予定を教えてちょうだい。貴方の職務に影響がない範囲で応えてあげる」
「私はいつでもいいですよ。時間に余裕はありますから。優秀な大臣たちが自発的に仕事をしてくれていますので」
すでにマリーは大臣たちを手中に収めている。弱みを握られた彼らはマリーの言う事に従うしかない。
プリンツの眉が寄る。
打った手をこんなに早く返されるとは思っていなかったという顔だ。
悪いな。こっちにはアイビーという最強の情報通がついているんだ。
そして、今の俺は四聖剣最強であるスカビオサを倒したことで人類最強の看板を背負っている。
マリーの両脇を固めるのは絡み手でも正攻法でも倒せない相手。
眼の上のたんこぶが癒えない傷になってしまったような生き地獄だろう。
「早くも女王としての自覚を持っているようね。人を適材適所に使い分ける手腕は必須事項よ。義姉として、鼻が高いわ」
「そういえば一つ質問なのですが、貴方のことは兄と呼んだほうがいいのですか? それとも、姉が正しい?」
「姉で結構よ」
プリンツは堂々とした佇まい。
本当に女性なのではないかと疑ってもしまう。
もしもトキノオリの能力が彼の年齢以上に遡るものだったら、何らかの影響で女性になっているかもしれないなんて思っていたところだ。
しかし、十年遡ったところで、すでに生まれている命の性別が変わることはない。彼は男だ。
「そうですか。では、これからはお姉さまとお呼びさせていただきますわ。こんなに綺麗で素敵なお姉さまができて、私は幸せ者です」
俺は会話の間、取り巻きの表情を確認してみた。
特に変化はない。マリーとの会話が炎上しないか冷や冷やしているだけだ。プリンツの性別問題は、そこまでの地雷にはなりえないのか。
「ええ。私もよ。これからも姉妹、仲よくしましょうね」
「是非」
そんなこんなで、王城での初対面は終わった。
一応、何もなかった。
表面上はにこやかな会話だったが、事情を知る人間にとっては剣で鍔迫り合いをしているような状況だった。どっちかが失言すれば、互いの取り巻きが剣を抜くことも躊躇わなかった。
息をつく。
こんな生活をこれからも続けないといけないのかよ。
王子が去っていくのを見送ってから、歩みを再開する。
周りに誰もいないのを確認して、マリーは微笑んだ。
「ねえ、いつスイレンって呼んでみようかしら。どんな顔すると思う?」
俺の小心を知ってか知らずか、強心臓のマリー。
「それを口に出すときは、戦争の時だぞ」
「知ってるわ。だから聞いたのよ。正直、スイレンはさっさと叩き潰したいのよ。ぐだぐだやってる時間が嫌。何かの策を練られるのも嫌」
「相変わらずメンタルが強いな」
「あんたに言われたくはないわ」
俺は小心者の一市民だよ。
「でもお確かに、プリンツの方は行動不能にしておきたいよね。これからもちょっかいかけられるのは嫌だし」
アイビーもマリーの肩を持った。
「俺だって反対してるわけじゃない。ただ、それなりに心の準備がいるんだよ」
プリンツと戦うために必要な状況は、着々と進んでいる。
要は、王城をマリーの居場所にしてやればいい。求心力を奪ってやればいい。
レフのおかげで縁の下の力持ち、侍従たちからの評判は良くなってきている。
レフは良くも悪くも正直だから言葉を素直に届けられる。彼女のエピソードを交えた忌憚ない話でマリーを身近に感じさせることで、印象は良くなっている。
加えて、クロクサに紹介してもらった弱小貴族。
紹介のあった三人に俺はそれぞれ、マリーのバックアップをしてほしいと頼んだ。
吹けば飛ぶような彼らの立場。最初は渋られたが、マリーが背後にいるというのは思いのほか効果を発揮した。大臣たちは対面したことでマリーの恐ろしさを知っているし、容易に歯向かおうとはしていない。彼らをぞんさいに扱えなくなる。結果、彼らの立場は転げ落ちる坂を脱した。
そんな彼らを見て、我先にとこちら側に加わってくる貴族たち。自分の身を守ってくれと自己保身の塊たちがやってくる。段々と増えて、その数は無視できないものになってきた。
マリーが王城内を歩いていても最初はほとんど無視されていたのが、恭しく首を垂れる人間が増えてきた。
そういった意味で、中身はともかく頭数は集まってきている。
ただ、もう少しだけ時間が欲しいのが本音だ。
執務室に帰ってくる。
自分の領域に戻ってきたと思って、少しだけ安心した。
安心したのは俺だけではないのだろう、マリーは机に戻る前に一言呟いた。
「――ありがとうね」
殊勝な言葉。
少し照れたような顔をして、マリーは言う。
「貴方たちのおかげで、私はこうして生きていられる。一度は本当に死のうかと思ったけど、そうしなくて良かったと、心から思う事ができてる」
俺とアイビーは顔を見合わせて、安心させるように微笑んだ。
「そう言ってくれて良かったよ」
正直、マリーが本気で王になりたくないと願ったらどうすればいいかわからなかった。彼女を連れて国外に逃亡したとしても、追手に追われる生活になるだろう。生きたまま霊装を手放せない以上、彼女を生かす方法はこれしかない。
俺だって彼女には感謝している。
「女王になってくれて、ありがとうな」
「いいのよ。こんなことでいいのなら」
こんなことって。
でも、マリーにとってはそうなのかもしれない。
王になることよりも大切なことは沢山ある。
彼女にとって、王座はあくまで過程。欲しい未来の通過点に過ぎない。
その考え方も敵とは逆なのだ。
王座が目的の二人。
これから相手にするのは、王になることが一番と思っているやつらなのだ。
会話が噛み合うはずがない。
◇
俺たちは自分たちの土壌を固めている。簡単に吹き飛ばされないようなレンガの家を組み立てている最中。
いずれ来たる、王子たちとの戦いのために。
まだ少し心もとない。逆に言えば、もう少しあれば確実に勝てる状態に持っていけると思う。
しかし、なのか。
だからこそ、なのか。
物事はそんなにうまくいかない。
わかっていたつもりでも、実際にそうなると気後れしてしまうものだ。
「霊装に頼る時代は終わった」
ロイ・プリンツはマリーを前にしてそう告げた。
彼の執務室。女王であるマリーを呼びつけて眼前に立たせた状態にしていることからも、彼の思いは把握できた。
彼は無表情に告げる。
「霊装に人生を左右された人間は多い。正の方向にも、負の方向にも。まともな人間ほど、霊装に狂わされる。ここは人の世だ。人が作る世界なのだ。霊装は人が使うべきもの。霊装に人が使われてはならない。そんな世はおかしいのだよ」
それは同意できる内容だ。
霊装に狂わされる人は多い。誰よりも、目の前にいるマリーこそが誰よりも人生を狂わされている。
そんな彼女の返答は、鼻で笑いながら、
「つまりそれは、王は霊装で選ばれるものではないと、そう言いたいのですね」
「そう言っている」
逆に言えば、正攻法は諦めたわけだ。
なんで今までその論法を使わなかったかと言えば、恐れがあったから。霊装の意志に逆らうということが何を意味するのか、わからなかったから。
最悪、霊装自体が消え失せるかも。そんな懸念が誰の頭にもあったから、遠回りにマリーを害そうとしていたわけだ。
ロイはここに来て、霊装の意志というどこにあるかもわからない存在にそっぽを向いた。
霊装がマリーの手元に来たから彼女が王だという意見に反対意見を述べた。
反論は勿論起こるだろう。けれどそれ以上に、自分が王になる方が大切だと決定づけた。
やっぱり逆だ。
王という立場。マリーは過程。ロイは結果。
「ではお兄様の意見では、王様はどのように決めるのですか?」
「国民が決めるべきだ。王とは国の象徴。国民なら誰だって有象無象に任せたくはないだろう」
何故この判断を早めにしなかったのか。霊装の意志に反することと、もう一つ。
「父上の意志に背く判断ですが、よろしいのですか?」
前王だったマリーとロイの父親。
彼の遺言では、霊装を引き継いだ者こそ次の王ということだ。
その意志を受け取ったからこそ、マリーが順当に王になったわけだし。
「背いているわけではない。だからこそ、一度は遺言に従って貴様を王にした。それで義理は果たした」
「屁理屈ですね。王座はそう簡単にすげ替えてよいものなのですか?」
ロイは一度躊躇うような顔をしてから、”それ”を口に出した。
「――我が母上に不義理を働いた前王に尽くす義理は、すでにない」
前王への翻意宣言。
少しだけ、ロイの周囲の人間が身じろぎをした。彼らの中には前王の代から仕えている者もいるだろう。前王に忠誠を誓っていた者を切り捨てる様な判断。
しかし同時に、深く頷く者もいた。
マリーの父が他で子を作ったことは間違いがない。それも、妾として認識されるどころか、誰も知りえない市民相手にだ。血を大切に思う貴族然とした者からすれば、よく言ってくれたというところか。
「天国の父上が哀しみますね」
マリーは当然、そこを責める。
彼女は遺言に従って生まれた正統な王。
ロイのこの発言で、今までと立場は逆転する。
前時代を踏襲するマリーと、新時代を切り開いていくロイと。
「霊装は確かに強大な力だ。だが、それを手にしただけでふんぞり返る者には納得がいかない、たかだか選ばれたというだけで、持ち上げられることは何もない。人の世は人が作る。人の評価は人にある。霊装などに狂わされてたまるか。
よって私は、貴様を王とは認めない。貴様はただ、霊装を所有しているだけの小娘だ」
はっきりとした、絶縁宣言。
その剣幕は中々に迫力があった。
「ああ、そう。じゃあもうあんたに敬語は不要ね、お兄さん」
だが、マリーは一歩も退かない。
一度自殺を考えるまでにいった彼女の胆力は並のものではない。
「王は私よ。何よりも、亡き父の意志がそれを証明している。
案外、父は憂いていたのかもね。貴方のような傲慢な王の誕生が我慢ならなかったのよ。だから、外で私を作ったの。貴方のような王は誕生してはならないと、父と霊装が訴えてかけているわ」
にわかに殺気立つ空間。
ロイもその周囲も、今にも剣を抜き出しそうだった。
対して、俺とアイビーもマリーを守る様に一歩を踏み出した。
おいおい、俺は最強の存在だぜ。そんな俺に向けて剣を抜くんじゃない。まあ、ただ看板を引っ提げているだけの紛い物なんだけどね。
「次の王を決めるのは我々ではない」
「何? 別に私はここで殺し合いになってもいいのよ」
彼女は霊装ティアクラウンを頭に乗せた。
「全員、ここで死ぬ?」
彼女が一言言葉を発せば、誰であろうと逃げられない。剣先を首に突き付けているのも同じこと。
誰かが息を飲んだ。
服の擦れる音すら煩わしい。それくらいしんと張り詰めた雰囲気。
どんどん殺伐になっていく。
「それとも、剣で勝負する? 知っての通り、私の騎士は最強だけど」
やめろ。俺をテーブルに乗せるな。
「野蛮な女だ」
「どっちが。私は貴方の飼い犬に何度も殺されかけたんだけど」
「証拠はない」
「それは犯人が口にする言葉よ。まあ、今更どうでもいいけど。私は生き残った。だからあんたはこんなになっている。目論見が外れて可哀想ね。無能の自己紹介をどうもありがとう」
ロイの額に青筋が立った。
それ以上煽るのは本当にやめてくれ。どっちが勝つにせよ、ここが血で染まるぞ。
俺の思いが伝わったのか、マリーは口を閉じた。
「王を決めるのは国民だ。私か、貴様か。霊装に順ずるか、そうではないか」
「いいわ。そこではっきりと決めましょう。負けた方は逆賊よ。これから簡単に生きていけるとは思わないことね」
「私が王になった暁には、まずは貴様を処刑台に送る。野蛮で下賤な売女の娘め。地獄で母娘ともども、後悔に噎び泣くがいい」
「――」
マリーは激情に顔を真っ赤に染めて、一度止まって、息を吐いた。
「いいわ。私は貴方を殺しはしない。貴方は私が作る国を牢屋の中でただ見つめていなさい。何もできない檻の中で泣きながら、蛮族なりに今吐いた言葉を後悔するといいわ」
鼻を鳴らして、マリーは背を向けた。
これ以上この場にいる意味も価値もない、そう背中は語っている。
「――後日、詳細は連絡する」
柳眉を逆立てたマリーは、ロイのそんな言葉は聞いていなかった。