112.
――マリー女王は情報を操る魔女である。
そんな噂は瞬く間に王城中に広まった。
彼女には多くの耳と目があり、それは王都どころか世界中に張り巡らされている。彼女に見通せないものはなく、個々人のへそくりの隠し場所まで知られてしまっている。
加えて、そんな情報力だけではなく、カリスマ性も有しているという話だ。学園では四聖剣を従えていたという話もある。級友の心も鷲掴み、方々に散った彼らはいまだにマリー女王に追従し、来たるべき時のために爪を研いでいるとも聞く。
情報も、戦力も、必要なものすべてを有して王城に乗り込んできた化け物。
彼女には歯向かわない方がいい。
なんて。
「マリー様はすごいんですよ」
そんな噂を侍従仲間から聞いたと、レフが教えてくれた。王城では先日戴冠したばかりのマリーの噂で持ち切り。そんな話を聞かされて、侍従たちは尊敬と畏怖を抱いているらしい。
「でも、私がきちんと言っておきましたからね。マリー様は実は本当はとっても優しい人だって。私の恋が儚く散ったときも自分が吐くまで一緒に飲んでくれたし、私が落ち込んだ時にはのぼせるまで一緒に温泉に入ってくれたし、誰よりも優しい人なんです。エピソードを交えてきちんと言っておきましたよ」
堂々と胸を張るレフ。
マリーの方は羞恥に顔を真っ赤に染めていた。
「……いいのよ、エピソードの方は言わなくて。カッコ悪いでしょう」
「なんでですか。自分を犠牲にしてまで一緒にいてくれた貴方に私は励まされたんですよ。それに、この話をしたら皆、実は親近感が沸く方なのねって笑ってくれました。皆、わかってくれたんです」
「私の理想の王のイメージが……」
マリーは落ち込んでいるが、レフはよくやったと思う。
マリーの良いところはそういった、人に寄り添うところだ。良い意味でお節介。身内にはとんでもなく甘い。マリーの味方になることでそんな彼女も見られると思えば、こちら側に寄る一つの要因になってくれるだろう。
情報通で多くの霊装使いと知己で、敵には容赦しない。
それがマリー。
けれど仲間思いで優しく少し抜けたところもある。
それもマリー。
いいじゃないか。多くの人が好意を抱くであろう、完璧なブランディングだ。
思わず後方で腕組みして頷いてしまう。
「嫌なんですか? じゃあ、少し別の話もしてみますか? 噂に敏感な子何人かと知り合いになりましたから、マリー様の望む情報を流せると思いますけど」
こともなげに言うが、レフはすごいな。
まだ登城して十数日というタイミングで、もうすでに王城の生活に馴染んでる。マリーの手伝いをしながら狭い王城の給仕界隈に溶け込んだらしいが、そう簡単にできることではない。少なくとも俺には絶対にできない。やっぱりコミュ力お化けだ。
「じゃあ、私のこと、クールでカッコいいってことにして。えっと、仕事終わりには優雅に紅茶を飲んで、夜は王都の光を見て微笑んでるような……」
マリーの言葉を無視して、俺はレフのその案に乗っかった。
「マリーはすごいって情報で王城をいっぱいにしよう」
思ったことをそのまま言葉にすると阿呆らしいな。
言い方を変えて、
「今、マリーの王城での評価には恐れが混じっている。相手をビビらせるのは必要だが、必要以上にビビらせてもしょうがない。侍従などには親しみやすいマリーを提供しよう。舐めた相手には拳骨を、怯えている相手には握手を、だ」
マリーがげんなりとした顔になった。
この子は他人に評価されるのを嫌うからな。ただ、そうも言っていられない立場なんだぞ。
「わかりました! では、私はマリー様の素敵だと思うところを広めていきます」
元気いっぱいのレフ。
俺は大きく頷いた。
「任せた」
「ちょっと待って、レフ。一回私に聞かせてから話してね。ほら、イメージとかあるから」
「いや、話さなくていい。誰に何を言われようが、レフが思ったままのマリーを広めてくれ」
「はい! 任せてください」
「なんでこういう時は二人して結託するのよ……」
マリーは呆れた顔を見せながらも、本気で止めようとはしてこなかった。本心でイメージを気にする性格でもないだろうし。
「内側からはレフにマリーのことを広めてもらって、後は外側だな。レフだけの話だと、仲がいいからだと一蹴する人間も少なくないだろう」
「そうだね。できればそんなことを言わなさそうな人物から、マリーのことを話してもらいたいね」
アイビーも俺の意見に頷いてくれた。
「誰か候補はいるか?」
「いるけど、私がいきなり話しかけてもどうなんだろう。警戒されちゃうかも」
「そうか。それもそうだな」
アイビーの知識は一方通行。
相手が何も知らず、彼女だけが知っている事が多い。いきなり知らない人物から知りえないことを聞かされれば、以前の大臣たちのように畏怖と恐怖を覚えるだろう。
「わかった。そっちは俺が何とかする」
「誰か当てはあるんですか?」
レフが小首を傾げる質問の答えは、他の人物が持っているだろう。
「別に味方を探さなくてもいい。敵の敵は味方だからな。王子に何か思うところがある相手を探せばいい」
というわけで、俺は王城から外に出て、事前に話に聞いていたとある薬局へと向かった。
扉を開けて中に入ると、刺激臭が鼻を襲った。
「ひでえ匂い」
「いきなりひどい挨拶だな」
棚が立ち並ぶ店内の奥から顔を見せたのは、クロクサだった。
学園を卒業してぶり。卒業から少ししか経っていないのにそれでも懐かしく感じるのは、あまりこいつとは関わり合いを持たなかったから。
マリー側についてくれたとは言え、前科があるからな。
仲間ではあるが、友人とは違う。
「どうしたんだ、急に」
彼は半球形の金属瓶の中に数種類の液体を入れて、その経過を確認していたようだ。
金属瓶ごしに胡乱な眼で俺の顔を覗いてくる。
「少し近況を確認しにな。卒業してからどうだ、何かあったか」
「貴族ではなくなった」
こともなげに言う。
俺は肩を竦めた。
「マリーに肩入れしたからか。学園内にも目があったからな。誰かが王子にちくったな」
「別に目をつけられたわけじゃない。王子は関係ない。自業自得だ。元々落ち目のところに他の貴族から糾弾を喰らってありもしない罪をおいかぶされ、そのままドボンだ。家は名を失った。親父たちは姿をくらませたよ」
王子は関係ないとは言うが、マリーに寝返ったことも要因の一つにあるだろう。他の貴族も、彼の家に名のある貴族のバックアップがないことがわかっているから、嬉々として攻撃したに違いない。
クロクサに王子派閥を裏切れと言ったのはこの俺だ。
彼がこうなった原因は俺にもある。
だからといって、俺が彼に謝るというのは、それこそ不誠実だろう。彼は自分の責任でこちら側についた。自分の責任は他人に預けるものじゃない。
「そうかい。それは残念だ」
「良かった。謝罪されていたら、この薬品を投げつけるところだった」
「俺は謝らないぞ。だから、おまえも謝らなくていい。俺たちの関係は利害で成り立っている。感情論で話す必要もない」
ビジネスライク。
俺に利があって、こいつにも利がある。
それだけでいい。
「悲観することもない。親父たちの場所はわかってる。僕が成りあがったら呼び戻すさ。幸いなことに、霊装使いである僕は粛清の対象にもならない。霊装を利用した仕事をしたいと言えば、店まで用意してもらえた」
「これは犬小屋だろ」
「はは。わかってるさ。この首に鎖が繋がってることは」
クロクサは不遜に鼻を鳴らした。
「まあしかし、それも数年の辛抱だ。君たちがやってくれるんだろう?」
真っすぐに目を向けてくる。
当然だ。俺にベットしてくれた人物には、それ相応の対価を払う。
持ちつ持たれつが世界の在り方だ。
「ああ、任せろ」
「それで? そのために僕は何をすればいい? 君が今日、ここに来た用件は?」
「おまえのような立場の貴族を紹介してほしい。王城によく出入りしていて、貴族社会の中、家が焦げ付いている存在。俺たちに協力するしか道がないやつだ」
「なるほど。いくつか心当たりがある」
クロクサは紙面にいくつかの名前を書きなぐると、それを俺に放り投げた。
「全員、末端の貴族だ。誰かが息を吐けば飛んでいきそうな重さのやつらだ。君が話を持ち掛ければ、条件次第ではすぐに飛びついてくると思う。ああ、それは読み終わったらきちんと捨ててくれよ」
「了解」
三人の名前を暗記すると、机上にあった蝋燭の火でそれを焼却する。煤になったそれは宙に舞って虚空に消えた。
用は済んだので、俺は早々に彼に背を向けた。
長居してここの関係を疑われるのも面倒だしな。
「じゃあな。おまえも何とか頑張れよ」
「マリー女王様によろしくと伝えておいてくれ。その名がここまで轟く時を待っているよ」