110. 戴冠
級友たちと別れを告げて、それぞれの道を行く。
これで俺が二度目の人生を謳歌して、四年と少し。来たるべき魔物の襲来までおおよそ残り半分といったところか。
事前に固めておきたいと思っていた地盤は固めることができた。
当初に掲げていた当面の目標は順調だと言っていい。
一、俺自身の力を強化する。
成長するごとに、順調に筋力と体力を伸ばすことができた。加えて、霊装ホワイトノートの能力を開花させることもできている。育まれた友情と愛情の結果、所有する霊装は六つ。多種多様な力を有していて、十分すぎるくらいだ。
二、信頼できる仲間を集める。
零れ落ちそうな命を救って仲間にすることができたし、強大な力を持つ四聖剣も協力体制にある。級友もなんだかんだ話を聞いてくれるようになったし、騎士団や討伐隊といった外部にも協力者がいる。できることは全て行った。
三、世界に魔王の襲来を伝え、危機感を煽る。
魔王という存在は虚像となったが、魔物に対して警戒するのは変わらない。マーガレットは精力的に魔物の脅威を訴えかけてくれているし、スカビオサも時折討伐隊の訓練に参加してくれている。
すべてが、順調だ。
後はこの状態を維持、向上し、魔物を撃退すること。人類の未来を守ること。トキノオリから抜け出すこと。
そのために目下、気合を入れなければいけないのがこの大きなイベントだ。
とある小部屋。
礼服に身を包んだ俺は居住まいを正し、気合を入れた。
「さあ、マリー王女殿下。行きましょうか」
「ええ」
隣には王女様。髪と同じく真っ赤に染まったドレスを優雅に着こなして、部屋から一歩足を踏み出した。
そこは王城。
人の英知の中心。
国を一つの人間とした場合、頭脳であり心臓である場所。
真っ赤に彩られた絨毯の上。豪奢な装飾品を飾った壁を四方。列席している観客を周囲に。
王女様は自身を誇示するように、集まった面々に堂々と姿を見せつける。
玉座までの道程、行き交う視線の色はばらばらだった。
軽蔑。
どこぞの馬の骨ともわからない女が、よくもまあここに顔を出せたものだ。
傲慢。
どうせすぐに根を上げる。つかの間の玉座をせいぜい味わっておくんだな。
憤怒。
そこはおまえの居場所じゃない。霊装さえなければ一瞬で首を刎ねるのに。
ほとんどがマリー排斥派だった。主役であるマリー王女に負けず劣らずに着飾った貴族たちは、白んだ眼で眼前を横切るマリーを見つめている。
負の感情に染まった、目、目、目。
視線に質量があったのなら、俺たちは裂傷、打痕まみれで死んでいるね。
徒党を組んでマリーを睨む面々。対してマリーの周囲にはたった二人。俺とアイビーの二人だけ。
レフは列席には全力で首を横に振っていた。そもそも場違いだし、睨まれたくないし、とかつてないくらいに意固地だった。確かにレフは護衛には向かないし今日のところは参加を見送ってもらっている。
マリーの少し後ろを歩き、脇を固める両翼。
片方は堂々としたものだった。護衛という側面を強く見せるために男装に身を包んだアイビーは、普段のお茶らけた雰囲気を拝して見事に麗人を演じている。もう姿を隠す必要もなくなったから、髪も綺麗に切り揃えられている。彼女を見て感嘆の声が漏れるくらいに美しい。
反して、もう片方。馬子にも衣裳状態で、服に着られている俺。かっちりとした恰好であるのに、普段の猫背が響いて格好よく見えない。鏡を見て寂しくなった。
だからか、俺の方にはほとんど視線が集まってこなかった。そりゃ、美人二人が並べばそっちに目が向くのは当然。俺は脇役も脇役だ。結構おめかししたんだけどなあ。
と捻くれていると、いやに熱い視線を感じた。
――俺を見るのは誰だ。俺に一目ぼれした令嬢か。
視線を辿ると、玉座に一番近い位置に座る二人だった。
王子二人。ロイとプリンツ。野郎二人から俺に向けて熱視線だ。
いらねえ。
ロイはガタイの良い、武人といった様子の大男だった。金や銀に装飾された服を着ていて、マリーよりも目立つ恰好だった。悪びれもせず堂々と腕を組んでいるところからも、主役を喰おうと意図したのがよくわかる。目力は相当に強い。視線が少し合ってしまったので、俺は慌てて目を逸らした。
反対にプリンツは綺麗な長い髪の、女性のような王子。化粧をして、漆黒のドレスに身を包んでいる。その瞳が憎悪と恥辱に染まっていなければ、恋に落ちてしまいそうなくらいに可愛い。
ってかおい、おまえ、それが素なのかよ。男っていうのは誰もが知る周知の事実のはず。それなのに可愛らしい女の子の姿で式典に出るのか。
誰も王子に視線を投げてない以上、これが常態なのか……? それとも誰も指摘できないだけ? 俺を混乱させることが目的なら、満点だ。
髪の色とか髪型とか、化粧の仕方とか、スイレンの時と大きく変わっている。でも、女装は女装。女の子なのは女の子。スイレン時代は女装なのではなく、あくまで変装だったのか。
王城で仲間ができた暁には、ここらへんの情報を集めないとな。彼は奇特な王子として認識されているのか、それともこの王城ではこれが普通だと意識を改変させているのか。
あまりの出来事に話が少し脱線した。
王子の席から目を離す。
俺は目立たない程度に列席者に視線を投げる。
王子二人は当然として、宰相、大臣各位、貴族連中が多種多様。顔も覚えられないくらいの数の王国の重鎮が漏れなく座っている。
見知った顔といえば、四聖剣。全員同時に卒業した彼らもまた、装いを新たに着席している。
納得しきっていない顔でアイビーを見つめるスカビオサ。
彼女はこの場にアイビーという魔王を連れてくることに反対だった。彼女視点、アイビーは魔王である。戴冠式を邪魔するのではと懸念していた。あくまで俺の傍に置かないといけないこと、ティアクラウンで全力で行動することを縛っていると伝えたことで、なんとか溜飲を下げた。俺に一任してくれている。
瞑目するプリムラ。
彼はマリーが王座に座る瞬間を意地でも見ないつもりだろう、眼をつぶっているのに、無駄に目に力がかかっている。子供か。まあしかし、魔物討伐に参加する言質は取っているし、今はそれで十分か。
この場に不釣り合いなくらいに震えているザクロ。まだ四聖剣という立場に慣れないらしい。頑張れ。
反対に俺の視線に気づいてウインクを投げてくるシレネ。
逆におまえはリラックスし過ぎだ。他に誰も見ていないことを確認してのことだろうが、何かあれば一番に動いてくれるのは間違いないし、その顔で俺の緊張も少し解けた。
ここで気づいたけれど、俺も柄にもなく緊張してるっぽいな。
一人きょろきょろしていても不格好。視界に収まった情報を整理してから、俺も眼前だけを見据えて朱い絨毯の上を歩いていった。
数多の視線を耐えきって、玉座の前へ。
しん、と静まり返る王の間にて、マリーは振り返って集まった人間の顔を見遣った。
「私はマリー・クラウン。亡き前王、偉大にして絶対であった我が父の跡を継ぐもの」
マリーの声は良く通った。
緊張も恐怖もあるだろうに、それを微塵も感じさせない声をその場に響かせる。
「霊装ティアクラウンは私を選んだ。それはつまり、私が王である証左。異論はあるまいな」
虚空より出でて、手にするは霊装。
煌びやかな王冠を、自身の手で戴冠した。
誰も声を発さない。
異論なし。
異議なんか出せるわけもないけれど。ここでそんなこと言えるんだったら、最初から戦争を起こすくらいの勢いでマリーを殺しに来てるはずだし。
「これから先、王座は私のものとなる。この国を繁栄させるために、全力を尽くすことを誓う。然り、諸君らの健闘を期待する」
拍手。
そして、マリーはその小さなお尻を玉座に乗せた。
再度、割れんばかりの拍手。
喝采はなかったけど、名目上、誰も文句をいうことなく、マリー女王は誕生した。
そしてそれは、新たな戦いの幕開けを意味していた。
◇
「つかれたああああ」
私室に来るや否や、マリーは身をベッドの上に放り投げた。
着の身着のまま。
真紅のドレスが純白のベッドを彩った。
俺は空咳を入れてから、
「マリー女王様。まずは御召し物を脱いでからにいたしましょう。しわになってしまいますよ」
「キモ」
俺の執事スタイルはあえなく撃沈した。
「まあまあ。ほら、マリー様。服を脱ぎましょうね。着替えてしまいましょう。リンクさんはあっち向いててください」
部屋で待機していた傍仕えレフがマリーの衣服を脱がせにかかる。背中を向けた俺に降りかかる、絹擦れの音。
振り返ったら殺されるな。
出てけと言われないのは、全員が緊張と恐れを有しているからだろう。
誰一人離れることなく、傍に寄り添いたい。それくらい、王城からは疎外感を感じた。離れた獲物から噛みつかれるような恐ろしさがあった。
振り向けない代わりに部屋を見渡す。以前の持ち主の意向が組み込まれた、荘厳な部屋だった。広いし、周囲には時価いくらかもわからない調度品の類が並んでいる。金や黒を主体に、派手過ぎない洗練され落ち着いた魅力がある。
「……ここが前の王様――お父様の部屋だったのね」
ぽつりと零れた呟き。
顔は見れないから、感情は読み取れなかった。
「何か覚えてることはあるのか?」
「何も。物心ついた時からお母さんと一緒にいたし、当時は父親は死んだって聞かされてたし」
少しだけ、声が沈む。
「……なんでお母さんとそういうことしたんだろ。良い大人なんだから、することしたらこうなるってわかってるでしょ」
火のない所に煙は立たない。
同じように、行為なしで子供は生まれない。
「ただの馬鹿だったのかな。それとも、お母さんのことを本当に愛していたのかな」
一時の迷いか、永遠の想いか。
結果は同じだけど、意味合いは全然違う。
特に、残された子供たちにとっては。
王子二人にとっても死活問題になる。
「……人ってのは結局、阿呆だからね。一瞬の快楽も、永遠の耽美も、全てがほしいんだよ。父親に関しては期待も絶望もしない方がいいよ」
アイビーは頬杖をつきながらも物憂げに。
男装のまま椅子に座って足を組む姿はとても絵になっている。ファンを獲得しそうだ。
「誰か知っている人がいればいいけどな」
「別にいいわよ。今更何を聞いたって、哀しくなるだけ」
マリーは頭を振って、
「それよりも、これからのことよ。全員、私を親の仇でも見るように睨んできたわね。わかっちゃいたけど、露骨過ぎ」
「ああ、想像よりも嫌われてるな。討伐隊や騎士団で仲間を増やして貴族連中も懐柔してきたつもりだけど、本丸は完全に敵陣だ。覚悟はしておいた方がいい」
「あはは。逆に楽しくなってきたわ。あいつら全員、屈服させてやる」
マリーの声は元気だ。負けてはいない。
彼女は立ち止まったら死ぬことがわかっている。
「そうですよ。これから私たちは、マリー様を擁立しないといけません。他人の言葉に耳を傾けてなんかいられませんよ」
「レフもやる気ね」
「ええ。使用人界隈は私に任せてください! 私がマリー様の味方を増やして見せます!」
悪いことばかりではない。こちらの陣営は皆元気いっぱいだ。
なるように、してみせよう。