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トキノオリ  作者: 紫藤朋己
11章 紅の女王
109/183

109.















 寮に置かれた荷物を片づける。

 俺の荷物はバック一つに収まるくらいのものだった。


 荷物を肩にかけて振り返る。俺の私物がなくなり備品だけが残ったその部屋は、ほんの少し寂しげに見えた。


「……前は学園を卒業できてせいせいしてたのにな」


 以前はようやくつまらない世界から解放されると自由を感じたのに、今は何か後ろ髪引かれる思いだ。


 今と昔。部屋の中身は変わらないというのに、何が変わったのだろう。または、何を変えることができたんだろう。


 部屋を見渡す。


 壁に空いた大穴は、いまだ突貫工事がされただけ。次にこの部屋に入る生徒はこれを見て何を思うだろうか。まさかここでの出来事が人類の行く末を変えていたとは思うまい。前の住人ふざけんなと怒るだろうな。


 アイビーが潜り込んでくるベッド。一人で寝るときの方が少なかった。夜中に帰ってくることもあったから、夜風を浴びた冷たい手足で起こされたこともあった。逆に、アイビーの温もりで暖かい状態で入れたこともあった。


 隣のベッドではレドが寝ていた。寝相が悪いもので、たまに転げ落ちている時もあった。鼻を打って血を流したときは、俺と喧嘩したんじゃないかとハナズオウが俺を批難してきた時もあったっけ。


 狭い空間に、色んな思い出が詰まっている。


 郷愁。

 なんとなく、離れがたかった。


「ここは貴方の居場所になれましたか?」


 振り返ると、戸口のところでシレネが微笑みと共に立っていた。


「私も部屋の片付けが終わって手持無沙汰になったところですの。少しお話に来ましたら寂しそうな顔をしていましたので」

「別にそんな顔してない」

「ふふ。そうですか」


 二人して、壁にもたれかかる。

 なんとなく、まだこの部屋からは出たくなかった。


「学園は居心地が良かったですわね」

「ああ。悪くなかった」

「前と比べていかがです?」

「雲泥の差だよ」


 皆が生きていて、笑っている。

 それだけで比べるまでもない。


「貴方にとって意義があったようで、何よりですわ」

「何が言いたいんだよ」

「貴方はよく、ここにいるようでいないような顔をしますからね」


 迂遠な言い方は、俺たちらしい会話とも言える。


「どんな顔だよ」

「この中にいてもいいんだろうか。俺の居場所はここだろうか。自分が犬だと自覚している生き物が猫の中に混ざるような、違和感を覚えている顔ですわ」

「何の例えだよ。よくわからんな」

「わかるでしょう? 人が心から笑うのは意外と難しいものです。それほどまでに無駄なしがらみを誰もが抱えている」


 シレネはうっすらと笑って、


「でも最近はそんなことはなくなりましたわ。白と黒が混じって灰色になった。さっきの例えでいうのなら、貴方は猫でも犬でも狸でも、自分がなんでもよくなったんでしょう。そんな場所を見つけられた。貴方は私たちと笑い合える人間になった。心の底から、私たちのことを友人と思ってくれた」

「当たり前だよ。おまえたちは最高の友達だ」


 はっきりと言える。

 ザクロじゃないけれど、また全員で会いたい。バカ騒ぎをしたい。それは嘘ではなく、まぎれもない真実だった。


「ここが貴方の居場所です。よく、覚えておいてください」

「……」

「貴方は一人ではない。一人では、なくなった。自覚もあるでしょうが、私の口からもお節介を少々。心に刻んでくださいな」

「おまえもだよ」


 俺とシレネはよく似ている。

 根元が違うだけで、葉先は同じなのだ。


 だからさっきの言葉も自分が感じていたことなのかもしれない。シレネが口を開けて笑うなんて、以前は考えられもしなかった。


「おまえももう、一人じゃない。ここにいる全員がおまえのことを思っている。だから一人で突っ走るんじゃないぞ」

「あはは。そうですわね。私も、よくわかっていますわ。ここまで他人との時間を有意義に感じたことはありません。皆と一緒にいた時間は私の中で宝物のように輝いている」


 うっとりとした顔。微笑みは艶やかに、寂しい色の部屋を彩った。


「この先何があっても、この時間が私たちに微笑みをくれる。そういう素敵な時を過ごさせて頂きました」


 この時間も永遠なのだ。

 俺が過ごした楽しい時間は俺の中に残り続ける。


 あるいは、そんな時間だって、トキノオリの中にあるのかもしれない。永遠に居続けたい、鑑賞し続けたい、時の檻の中。俺が鍵をかけた、絶対の時間。


 思い出はいつだって優しい。いつだって浸りたくなる。


「でも、前に進まないといけないな」

「ええ。未来が悲しんでしまいますもの」

「昔が楽しいんじゃなくて、昔も、楽しいんだ」

「ええ、ええ」


 シレネは深く頷いて、俺に抱き着いてきた。


「――ありがとう」


 耳元で囁かれる、御礼の言葉。


「私に宝物をくれて、ありがとう」

「俺こそだよ。おまえに助けてもらったから、ここまでこれたんだ」


 彼女に苦労をかけたことは一度や二度ではない。負担と心配をかけてきた。

 感謝と恩義と愛情と。言葉にできない多くの感情が、俺の中にも渦巻いている。


 そんな思いを伝えるように抱きしめ返した。


 けれど、これで終わりでは勿体ない。これで満足できるほど、人間は欲が浅くはないだろう。


「ここで終わりか? おまえの宝物はたった一つでいいのか?」

「うふふ。私は欲張りになってしまいましたわ。二つ、三つ、いえ、いっぱい。まだまだ多くの宝物をもらいたい。そして、貴方にあげたい」


 満面の笑みに、思わず笑い返してしまった。クールで有名な俺らしからぬことだ。同じくらい、お嬢様で有名なシレネらしくもない。


 人が変わる。

 それくらい、良い日々だった。


 そしてまた、歩き出す。

 未来にもきっと、閉じ込めたくなるくらいに嬉しいことや楽しいことが、待っているだろうから。


「――じゃあな」


 一つの区切りとして、部屋に別れを告げた。

 楽しかった時間に、さよならを伝えた。

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