105.
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霊装が継承者を選ぶ理由は誰にもわからない。
候補者に偉丈夫がいる中で病弱な少女が手にした例もあるし、眉目秀麗な女性ではなく生まれたばかりの赤ん坊が握ったこともある。死ぬほどほしい人間もいれば、死ぬほどほしくなかった人間もいる。
これは天命だと受け取るしかない。
霊装に選ばれる、それだって一種の才能なのだ。
でも、それで納得できる人間ばかりではない。
才能だの運命だのそんな言葉で納得してしまえば、自己を失ってしまう人間だっている。
選ばれなかった理由を探して、何故こうなってしまったのかを積み上げて、迷信でもなんでも様々なものに縋って。劣っている部分を探して、足りないものを洗いだして、自己研鑽に努めあげて。
けれど何度考えたって、自分たちが選ばれない理由は判然としなくて。
それでもなんとか絞り出して見つけたのは。
――ああ、きっと、霊装は女の子が好きなんだ。
可愛い子が好みなのだ。だから、自分たちは選ばれなかった。雲の上の存在は、あれが女の子だから選んだだけなのだ。きっと神と呼ばれる存在は人間の男と同じで、女の子が好きなんだ。それならしょうがない。逆立ちしたって生まれ持った性別は変えられないのだから、しょうがない。
しょうがない。
しかたがない。
しょうもない。
でも、逆説的に。可愛い女の子なら、霊装はこちらを振り返るかもしれない。
現在の継承者が死んだ後、他の女の子のところに行ってしまうかもしれない。
奪うために、繋ぎとめるために、必要なことはなんだろうか。自分にできることはなんだろうか。
自分がなればいいんだ。
それ以外理由がないんだから、そうするしかないんだ。そうする以外に方法はないんだ。
私はカワイイ女の子。
私はカワイイ女の子。
私はカワイイ女の子。
だから、私は王になる。私たちは、王になれる。
父の遺した言葉を叶えることができる。
そうでなければ。
私の生きた意味って、ナニ。
◇
スイレンが幽鬼のような動きで教室を去った。誰もその背に声をかけることはなく、追い掛けることもなかった。その背中は小さく寂しく、少々の憐憫を感じさせた。
彼の姿が見えなくなってから、安堵の息が方々から漏れ出した。
王子絡みの神経質な問題。緊張感から解放された彼らは、身の内に秘めていた自分の考えを思い思いに話し始めた。
スイレンのこと、俺のこと、自分のこと。
多くの考えが交錯し合ったこの場を経て、色んな思想が生まれていた。
盗み聞きすると、どうも俺は完全に許されたわけではなさそうだった。あくまで執行猶予がついただけ。俺に好意の矢印を向けてくれている子がいずれも文句なく生き生きとしているから許されただけ。
けれど、それで問題ない。呆れさせて、あいつならそんなもんだろう、そう思わせれば勝ちだ。
俺はそのポジションに収まった。求めていた最良の結果だ。
加えて、彼らにも王子とマリーの対立をより鮮明に印象付けることができた。俺には関係ないと日和見を決め込んでいた人間も、少しは考えを改めただろう。マリーの堂々とした佇まいに感銘を受けた生徒もいるだろうし、そちら側も及第点。
俺だって危ない橋を渡っていたのはその通り。けれど何とか渡りきることができた。
一息つくと、シレネが声をかけてきた。
「お疲れさまでした。何とかなりましたわね」
「シレネもお疲れ様。俺は運が良かったよ。皆のおかげで何とかなった」
「起点になったのは貴方でしょう。それにしても、相変わらずお優しいんですのね」
シレネは少しだけ不満そうだった。
「何がだよ」
「どうして彼が王子だと告発しなかったのですか。最後の一押しとして、皆の前で彼女の正体を暴いても良かったと思います。ここは彼をとことん叩くところでしたわ。彼が砕けない限りは、何度だってマリー様は命を狙われるのですよ」
「そりゃ、俺だってそのカードをどこで切るかは機会を窺っていたさ。結論として、切らない方が有用だと判断しただけだ」
「というと?」
「男とキスしたなんて、級友にトラウマを残したくないだろ」
俺は徹頭徹尾打算的な人間。
これから頑張ってもらう霊装使いにトラウマを植え付けたくはない。この失恋はあくまで将来笑い話になるくらいがちょうどいい。女装した王子様とロマンスがあったなんて、色んな意味で悲劇だろう。
それは王子も一緒。彼の行動力、人心掌握能力はかけがえのない財産だ。ここで壊れ切ってしまうのは勿体ない。
「俺は使えるものはすべてを使う。打算的にな。この場にいる誰もが貴重な人的資源だ。失うなんて勿体ない」
「はいはい。貴方はそういう人ですものね。まあ確かに、あの様子を見ていると、プリンツ王子が出張ってくることはもうないでしょう。貴方はまた、全てをあるべきところに落とし込んだということですか」
「俺たちの最終目標のためには、人類のすべてを結集する必要があるからな」
王子たちはマリーにとっては明確に敵だ。
けれど、人類という広い枠で括れば、彼らもまた戦力である。俺に余裕が少しでもあるうちは、上手く誘導させてもらう。
これが慢心や油断にならないことだけ気を付けよう。
「末恐ろしいですわね」
シレネににっこりと微笑みを向けられる状況になれて、何よりだよ。
「ありがとう」
礼を言っておく。
この勝利は俺の手柄ではない。彼女たちがいなかったら、俺は詰んでいた。
「別に。打算的に貴方を救った方がいいと思っただけですわ。私の評価も上がりますし、貴方が拗ねたように御礼を言うところも見れまして、満足ですわすわ」
「別に拗ねてはないだろ」
なんだ、打算的って。
人が口にしてるところを聞くと、ひねくれものって感情しか沸かないぞ。別の感情を隠しているのがバレバレだ。皆は俺に対してこんな気持ちだったのか。恥ずかしいから多用しないようにしよう。
マリーも近づいてきた。
「マリーも、ありがとう。おまえの啖呵のおかげで、状況は一変したよ」
「別に、私が普段から思ってることを言っただけよ」
よく見ると、その手は少し震えていた。
彼女には大分、無理をさせてしまったようだ。
「悪かった。怖かっただろ」
「短刀を投げられたことは別に。あんなこと、しょっちゅうだったし」
マリーは震える自分の手を見つめた。
「怖かったのは――私の存在が、彼をここまで変えてしまったということ。私が剥き出しの憎悪を向けられるような人間だということ。憎しみの根源は、こんなにもおぞましいのね」
スイレンの絶望は、傍目にもよくわかった。
王を背負って生きる。その覚悟を持って生きてきたというのに、その道が閉ざされる恐怖は、俺たちには想像もつかない。自分の全てを否定される気分なのだろうか。
「彼はまた私たちの前に立ちふさがるのかしら。こういうことがこれからもあるのね……」
「嫌になったか?」
「いえ。私が生きる以上、仕方がないことよ。生きるということは誰かの道を踏みつぶすということ。私の場合それが顕著だっただけ。もう、嘆くこともないわ」
マリーは息をついて、俺をまっすぐに見上げた。
「貴方がいてくれるのなら、地獄だって怖くないわ」
「頼もしいね」
「だから、この手を離さないで。私を裏切らないでね」
優しく包まれる手。暖かく震えるその手を握り返す。
離すわけがないだろうに。
離されないように頑張らないとな。
そんなやり取りを遠巻きに見ている級友たちは、こちらに暖かい目を向けてきている。王女と庶民の逢瀬。物語に出てくる話みたいだ、なんて噂している。
好意的な目は嫌悪よりはいいんだけど、少し気持ちが悪い。それはそれで困る。
「やっとわかった? リンクは結構、人気者なんだよ」
アイビーはしたり顔。
「敵も多いけどな」
「それ以上に味方がいるんだよ。王子派を相手にしても退かない仲間がいっぱいいるってわかる、良い機会だったんじゃないの?」
その通りだな。身に染みてよくわかったよ。
人は一人じゃ生きられない。
月並みな言葉を吐くことになるくらい、今の俺は満ち足りている。