104. おまえさえ、いなければ。
静謐な空間に、多くの生徒たち。
誰もが固唾を飲んで俺たちのことを見つめている。誰が悪いのかを吟味している。
「どうしたの、皆。そんなに怖い顔しちゃって」
スイレンが全員に笑いかけた。
しかし、反応は鈍い。俺たち側の根回しが完了していないとはいえ、すでにそれなりの説明はなされている。これが王子であるということだけを秘密に、俺やマリーの評判を落としに来た刺客だという話は済んでいる。
そんな馬鹿なと笑う生徒もいたし、そうかもしれないと頷く生徒もいた。これは、それらの疑問が払拭する機会となる。
となれば、黙っているだけ不利だ。ボロが出るまで話させることが重要。これはいかに観客を”納得させるか”の勝負。霊装なんかに頼らず同じ土俵で勝負する必要がある。
「まずは俺から質問させてくれ」
「なにかしら」
「おまえの目的は? 霊装使いでもない部外者がどうしてこんなところにいる?」
この勝負、いかに観客を巻き込んで、誘導するかにかかっている。
スイレンのことを後輩だと勘違いして、部外者であることすら知らなかった生徒たちも少なくない。彼らは一様に困惑の表情を浮かべていた。
「なんでそんなことがわかるの?」
「じゃあ霊装を出してみろよ。ここにいる以上、持ってないとは言わせないぜ」
スイレンは服の袖から短刀を取り出した。その動きは俊敏で、まるで虚空から取り出したよう。彼女が霊装使いだという前提を持っていれば、納得してしまいそうなものだった。しかし、種が明かされた今、それはただの手品に近い。
彼女は短刀を床に落とした。
「そうね。私は霊装使いではない」
「ここにいるべき人間じゃないってことだな」
まずは一歩。
少々どよめきが上がった。
「そうね」
「そうなるとどうしておまえがここにいるのかという問題になる。結論を言わせてもらう。おまえはマリーを貶めるために派遣された、王子側の人間だ。俺たち霊装使いの結束を壊そうとしたんだ」
教室内がざわつく。
そんなことないという憤慨と、もう一つ、滅多なことを言うなと目で訴えかけられた。
王子とマリーの対立は目に見えていた。しかし、それを口に出すことは禁忌とされている。口に出せば関係者となり、どっちにつくのか回答を迫られる。対岸の火事ではいられなくなってしまう。
そうだよ。俺はここでスイレンを責めると同時に、この問題をおまえたちに投げかけてるんだ。関係ないとは言わせない。無責任な観客のままでいてもらっちゃ困る。
「なるほどね」
「認めるのか?」
「仮定の話としてはね。ありえなくはないんじゃない?」
「じゃあ」
「あくまで、仮定だけどね。全然、真実には程遠い。何か証拠を握っているのなら提出してみせて。何もないのなら、この話は終わり」
誰も何も言えない。何を思ったとしても。
スイレンの身は削った。
彼女の無垢な美少女の仮面は剥がれていく。
「じゃあ、逆に聞くけど、貴方はどうなの?」
今度は、スイレンの目が俺を射抜く。
「貴方の目的は? マリー様にべったりとくっついて、何を狙っているの? 田舎の街で育った何も持っていない貴方は、マリー様に近づいて何をしようとしているの?」
「彼女を王にする」
「へえ。そうよね、マリー様が王になれば、近くにいる貴方もおこぼれに預かれるものね。立身出世のため? 貴族に憧れでもあるのかしら。だからマリー様にくっついているんだ。マリー様はあんたに好意を伝えているのに、貴方は打算だけでマリー様と一緒にいるんだ。ああ、マリー様が可哀想ね」
スイレンに傾きかけていた負の意識が今度は俺に傾いてくる。
だけどここは小手先の言葉で回避しようとしてはいけない。突っ張るところだ。
「俺は別におこぼれなんか狙っちゃいないさ。ただ、マリーは良い王様になりそうだと思ってるだけだ」
「何を根拠に?」
「おまえに言う必要はない。ただ、俺はマリーを王にする。そのために全力を尽くしているだけだ」
スイレンの眉が寄る。
討論でむきになっちゃいけないな。例えこの話題が地雷だったとしても。
「だから、その根本的な理由を聞いているのよ。なんでマリー様を推挙するの?」
「マリーの方が王にふさわしいからだ」
「――だから! なんでマリー様の方がふさわしいと思うのか、って聞いてるの。裏にある貴方の目的を聞いてるのよ」
マリー関連になると語気を荒げるスイレン。
俺に見つかってしまった時点で、自分の評価を上げて俺を圧倒するプランは早々に捨てている。後は俺の評価がどこまで下に行くかにかかっている。
「魔物の侵攻を防ぐこと。俺の目的はそれだ。聖女マーガレットからも予言が出ていただろう」
「あれを信じるの?」
「ああ。何て言ったって聖女の予言だからな。今までの予言も正確だったし」
「……それが真実だとして、どうしてマリー様なの。現王子でも成せることでしょうに」
「できないよ。今の王子たちはそういう器じゃない。予言だって名前が出たのはマリーの方だった。俺はそっちを信じるよ」
スイレンの顔に青筋が立つ。正体を知っている俺からすれば、彼女――いや、彼か。彼の激昂もわかる。
「そう。それで貴方は予言を信じて、王子たちを信じなかった。予言通り、マリー様を王にするために尽力している、ってこと」
「ああ」
「でも、こんな噂もあるわ。貴方がマリー様に手を出したという噂。貴方の求める未来の国母を、ほかならぬ貴方が傷をつけたって聞いてるわ」
スイレンは視線を生徒たちに投げた。
「ねえ、そうでしょう? マリー様はリンクにべったりらしいじゃない。こんなに可愛らしい王女様が近くにいたら、そういう関係になったとしてもおかしくはないでしょう」
確かに、なんて声がちらほらと。
単純に興味がある生徒が多そうだ。聞き耳が立つ。
「私とリンクはそういう関係よ」
そして、他ならぬ当人がそれを認めた。
スイレンの目が、ここに来て初めてマリーを捉えた。
「私が宣言するわ。他人に余計なことを言われるのも癪だしね。私とそこのリンクは、愛し愛される関係にある。私はこいつのことが好きよ。同意の下で何度もキスをしたし、同じベッドで寝たこともあるわ」
あまりに堂々と誇らしげに宣言するものだから、誰も何も言えなかった。
数秒置いて、ざわざわと声が上がり、ようやくスイレンも動き出す。
「ほら! 王になる者として、その行動はどうなのかしらね。貴方は将来、女王として位の高い者と結婚し、子供を成さないといけない。貴方の人生はこの国と共にある。どこぞの野良犬の泥がついた貴方は、すでにその価値を失っているわ」
「泥というのならば、最初から私は汚れているわ。貴方のような艶めいた髪も持ってないし、肌だって荒れている。そう、生まれた時から、私は王女の器じゃない」
「認めるのね。――じゃあ」
「じゃあ、どうなるの? 霊装に選ばれたのは私よ」
マリーの強い目がスイレンを穿った。
彼女の手には霊装ティアクラウンが乗せられる。
「これは私を選んだ。何を言ってもいいけれど、それがすべてではなくて?」
「……」
欲張ったな、スイレン。一貫して俺を攻撃し続けるのが正解だった。
マリーを直接叩けば、なんて思ったんだろうが、彼女はもう弱くない。
スイレンは顔を引きつらせながらも、
「……だとして。残念だったわね。ここのリンクは、他にも手を出している女がいる。彼の愛情は貴方だけに向けられたものではない」
「知ってるわよ。これが浮気性でしょうもない男だってことは」
鼻を鳴らすマリー。
彼女の堂々とした佇まいは変わらない。
「それでも好きだと言ってるの」
「……は。餓鬼のおままごとじゃない。そんな不純、認められないわ」
「じゃあ貴方は何なの? 霊装使いしか入れない学園に入り込んで、色んな男にちょっかいをかけて。子供のわがままと何が違うの?」
「貴方のは将来性のない浅はかなただのお遊び。私のは高尚な計略よ」
「そうなんだ。すごいのね」
興味を失ったらしいマリーは口を閉ざした。
態度ってのは人の目にも如実に映りやすい。堂々としているマリーと、それを苛だたしく睨みつけるスイレン。
マリーは良くも悪くも、他人の評価を集めようとは思っていない。今回はそれが功を奏した。マリーのそういう真っすぐなところを実際に見てきた観客たちは、そのぶれなさに感嘆しているくらいだ。
俺の評価は上がらないけど。
けれど相対的に見て、スイレンの方が株を下げた。
「貴方が良くても、他が良いとは限らない。むしろ貴方が認めたことで、リンクは色んな女の子に手を出しているクソ野郎ということが確定したわ」
「おまえだって同じだろ。何人の男に声をかけたんだよ」
「ええ、それでいいの。貴方はクズ。私もクズ」
ついには俺を泥船に誘ってきた。
討論は次の段階へと移る。二人のクズ。どっちがよく下にいるのかの足の引っ張り合い。
「私は確かに最低なんでしょう。でも、リンクだって最低よ。こんなに想ってくれている人を置いて、他の人にも手を出そうとしている」
「全員、魅力的過ぎてな」
「ほら、聞いた? こいつはこういう人間なの。マリー様の近くにいて良い人間じゃないわ」
そもそも俺の行動は級友から疎ましく思われていた。
シレネもマリーもアイビーもそれなりにカリスマ性を有しているから、その矢印が俺に向いていることに納得できない生徒も多い。
そのことについて、俺が言えることはない。
「他にも、彼の不審な点は多い。急に披露会で優勝したのだって、何をしたのかしらね。きっとあくどい方法を使ったんだわ。そんな人間がこの場に居続けるのは、果たして国のため、貴方たちのためになるのかしら」
俺への攻撃に執着する。
天秤が傾いていく。
俺が今まで培ってきた不信が、すべて表に出てきてしまっている。
「でも、すごい試合だったけど」
ぽつりとライから言葉が零れた。
しんとした教室内に響き渡る。
「スカビオサ様もすごかったけど、リンクもすごかった。あれが八百長だったのなら、今までの試合すべてに価値がなくなると思う」
「最初から打ち合わせしていればできることでしょう」
「……それは、私に対する侮辱?」
スカビオサが口を開く。
四聖剣、その筆頭として挙げられる彼女の言葉は重かった。
「私は全力で戦った。そして、負けた。それ以上言う事はない」
「……貴方、なぜリンクの肩を持つの」
「それ以上言う事はないと言った」
ぶっきらぼうな返答は、そのままスイレンに突き刺さる。「僕も本気でやったよ」「私も本気でしたわ」というザクロとシレネのバックアップも入る。
「だ、だとしても」
「一つ、よろしいでしょうか」
シレネが手を上げて発言。
度重なる外野からの言葉に、スイレンはびくりと肩を震わせた。
この場は俺とスイレンにとって、平等な裁判所だ。俺はスイレンの作った俺を排斥する流れを止めきれなかった。事前に懐柔しきれなかった裁判官――級友たちは俺の賛同に偏っているわけではない。むしろ最初の方は俺を忌避する人間の方が多かった。
不平等だったのは、弁護人の存在。
「別に当人たちは誰もそれが悪いとは言っていません。私もリンク様を愛している人間ですが、彼が他の人にも好意を寄せようが、別に文句はありませんわ」
「……嘘よ。強がりだわ。正直に言いなさい」
「正直も正直ですわ、すわ。だって彼は私のことを確かに愛してくれているから。自身が死んだ後もそれを引きずって、自分の命を賭けて助けに来てくれるくらいには、私のことを愛してくれている」
シレネの口角が歪む。
「何を言っているのかわからないわ」
「私の言葉は理性的な人間にしか聞こえませんの」
スイレンの口が閉じた。
トドメとばかりに、アイビーが口を開いた。
「私たちはリンクを支持するよ。被害者なんかいない。だから部外者がぎゃあぎゃあ騒ぐことじゃないよね」
「それは違うわ。ここは霊装使いの学園。霊装使い同士は結ばれるべきではない。霊装は多岐に渡って受け継がれていくべき。国の未来を考えれば、国防が損なわれて不利益を被るわ。被害者は将来の国民たちよ」
「じゃあ男女別の学園にすればいいじゃん。国の政策でさ」
「――」
アイビーの一言で、スイレンは自分の素性が割れていることを知っただろう。これ以上は何も言い返せない。
段々と青い顔になってきたスイレンは、顔の向きを俺の方に戻した。
「リンク。貴方って卑怯ね。自分では何も言い返さないの? 女の子たちに助けてもらって楽しい?」
「ここはそういう場所だろ。互いの評価を他人に委ねる場所だ。それぞれが思っていることを口に出しているだけだ。文句を言う暇があるなら、おまえも助けを求めればいいだろ。ここにはおまえを大好きな男の子がいっぱいいるぜ」
ここが俺とスイレンの絶対的な差だった。
スイレンは顔を上げない。上げられない。助けを求められない。
そりゃ、清廉潔白で売っていた子がここまで大暴れした後だ。誰も進んで助けようとは思わないだろう。
あれだけ好きだなんだと言っておいて、スイレンの窮地に声一つ上げない男子生徒たちは薄情だと思う。しかし、それも仕方がない。例えばこの中の男子生徒が炎上したときに、スイレンが助けるかといえば、答えは絶対に否だ。それがこの場でわかったからこそ、誰もスイレンを助けない。他人は自分を映す鏡だとは良く言ったものだ。
スイレンはまだ諦めていないようだった。
「恋愛、そう、恋愛。この学園での恋愛はご法度でしょう。そもそもがおかしいのよ。恋愛なんかに現を抜かしている場合じゃないでしょう。貴方たちはこの国の最高戦力。国の防衛と繁栄に一役買わないといけない重要人物たちよ。駄目じゃない、こんなことしてちゃ」
「…………」
スイレンは霊装使いじゃない。
だからわからない。
霊装使いにとって、恋愛が望まれないものであること。その話で霊装使いたちが鬱憤を貯めていることを。シレネの恋愛しよう宣言でどれほど教室が沸いたか、見せてやりたいくらいだ。
地雷があるよ、その足元。
「おまえにそれを決める権利があるのかよ。そもそも、誰なんだよおまえ。仮定だなんだの言って誤魔化してたけど、霊装使いじゃない以上、どの立場から物を言ってるわけ?」
レドが怒気を顕にすると、数人の生徒が同調した。
「私は――」
かっとなって口に出そうとするが、流石に押し留まった。
それは切り札。俺を蹴り落とすために使うはずだったであろう、最強のカード。自分を崖から救い上げるものとして使用するには、少しもの悲しい。
「というか、俺のことなんか全然好きじゃなかったんだ……」
一人の男子生徒が顔を伏せると、周囲に憐憫の情が沸く。盲目のままに進んだ彼は愚かであることに変わりはない。けれど同時に、間違いのない被害者だった。
同情。
同調。
反転する。
彼女が渡っていた綱渡り。ゴールを目前にして、その綱が切れる。片道切符の道のりは、それが暴かれた途端につけを払う羽目になる。
「……何よ」
スイレンは周囲を見渡す。
敵意に塗れるようになった教室内を見渡す。
「何なのよ!」
「おまえは俺を含めたこいつらを人として見ていなかった。ただの記号としてしか数えていなかった。上手く感情を誘導したけど、それだけ。おまえの予想を越えて助けてくれる人間はここにはいない。おまえは自分の力だけで何とかしないといけない」
「貴方は自分では何もしていないじゃない」
「それが俺の答えだよ。俺は委ねただけだ」
どっちでも良かった、と答えるのは流石にずるいだろう。
信じたかった。
俺の積み上げてきたものが独りよがりではないと、ただの自己満足ではないと、答えを聞きたかった。スイレンとは違うと、俺は助けてもらえるに値する人間だと、知りたかった。
――いや、この答えの方がずるいかな。まるで愛に飢えた子供みたいだ。
「同じでしょう、私も、貴方も……」
「俺もそう思ってたけど、違うみたいだ」
「何が……」
「俺はこいつらのためなら、業火にも焼かれる覚悟がある」
息を飲んだのは誰だろうか。
呆れと納得があった。
俺を見る目は諦念と感嘆の二種類だけになっていた。
スイレンは言葉を失う。大勢が決したことは誰の目にも明らかだった。
「ここで提案だ」
俺はスイレンに交渉を始めた。
裁判の後は示談交渉って決まってる。
「おまえはここから去ってくれないか」
「……」
「わかってるだろ。これは俺のための条件じゃない。おまえのための条件だ」
このまま続けば、王子のカードを切る必要が出てくる。この場だけは切り抜けられるだろう。しかしそうなったとき、霊装使いからの彼への評価の下落は著しい。死ぬ覚悟で来ただろうが、無駄死にしたいと思ってるわけではないだろう。
「交換条件はない。ただ帰ってくれるだけでいい」
無傷で帰らせる。一見すると俺たちに旨味がなさそうだが、そうでもない。俺たちは王子の弱みを得た。彼の翼を奪い取った。
「――」
無言のスイレン。
彼は無表情のまま何の気なしに足元の短刀を拾うと、それを自然な様子でマリーに投擲した。マリーの傍にいたシレネがそれを弾く。
「……ずるいなあ」
誰に、何に向けたものなのか。
スイレンは呟いて、俺に視線を投げてきた。
「私、実はリンクのことが好きなの。愛してる。結婚しよ」
「あほか。俺はおまえに欲情しない」
「なんで貴方はこんな女の肩を持つの? これは汚れた血の混じった女だ」
「……」
「私だって、こんなにカワイイのに? こんなにキレイなのに? こんなに優秀なのにこんなに素晴らしいのにこんなに頑張ってるのにこんなに汚れてるのにこんなに頑張ってるのに頑張ってるのに」
一気にまくしたてると、マリーのことを再度睨みつけた。
「死ね。死ね死ね死ね。おまえさえいなければ、おまえさえ死んでくれれば、おまえさえ生まれてこなければ、おまえの母さえたぶらかさなければ、こんなことにはならなかったのに。ただただ、死んでよ。本当に、お願いだから、国のために民のために未来のために私のために兄さんのために――死んでってばああああ」
「”黙れ”」
マリーの頭に乗った霊装ティアクラウンが輝いて、スイレンは言葉を失った。いくら叫ぼうとも、喉から言葉が出てくることはない。
その目は真っ暗だった。顔をひどくかきむしると、その瞳から大粒の涙が溢れだす。
口だけで何かを叫びだす。
――おまえさえ、いなければ。
それは悲痛で無音な、彼の慟哭だった。