102.
◇
久々に教室に顔を出すと、一瞬で追い出された。
有無を言わさぬ視線の数々。睨まれるだけで帰宅以外の選択肢を奪われた。顔も見たくないとばかり。蛇蝎のごとく嫌われてしまっている。
俺という敵の存在を恨むことで、教室中が一つになっている。
俺と仲の良いやつらも居心地悪そうにしている。
被害を少しでも抑えるように俺との接触をできるだけ避けるようにと伝えているけど、大分こたえていそうだ。
いよいよやばいぞ、これは。
あの調子なら俺のどんな悪い噂でも信じられて、広められてしまう。その真偽に関わらずだ。
大人しく引いて証拠を掴みに行くよりも、もっと感情的に暴れるべきだったか。俺は何もしていないと大声で叫ぶべきだったか。
いやしかし、それはそれで、普段大人しいやつが急に怒り散らかして本当にそうなんじゃないかと疑われることにもなりかねないし……。
どうにもならない。
「ごめんね、リンク。私がスイレンって子が誰かわかれば……」
追い出された俺と一緒にサボり場にやってきたアイビーはしゅんとしている。
「おまえは悪くないって」
「おかしいんだよ。名前もそうだし、聞いてる見た目も私に心当たりがないんだ。考えたり探してみたりしたけど、長髪で、美人で、この学園に入り込める女の子。誰も該当しない」
苦渋を煮詰めた顔をしているアイビー。
その言葉には嘘がない。だとすれば、状況の方が嘘なのだ。
発想を逆転しないといけないかもしれない。
俺たちが本気で探しているのにいまだに影も掴めない状況や、アイビーが相手を特定できないことが一つの突破口なんだ。
「いや、それがわかるだけで十分だ。探してくれてありがとう。多分、それが一つの正解なんだ」
俺も学園中を探し回ったが、結局足取りは掴めなかった。
相手が生徒たちの心を掌握して行先を知らせないようにしているのもあるし、学園の中を熟知していることもある。歩き方を知っているのだ。
これだけやっても見つからない。
それだってヒントだ。
「私が知らない名前。つまりは偽名を使ってるかもってことだよね」
「ああ、おまえが人の名前を忘れるわけがない。その頭にはほぼすべての人間の名前が入ってるんだろ」
「出会った人、聞いたことがある人は全部ね。可能性を探して国中を回ったから、この時代で生きてる人はほとんど全員網羅してる」
「すげえな」
「でも、リンクが動いたことで救われた人とかはわからないよ。過去に生きていた人しか、その動向はわからない」
「俺が動いたのが原因なのは間違いないな」
俺がいるからマリーが生きている。そのせいで王になりきれない人がいる。だからこんなことになってるわけだし。
俺が動いたことで間接的に救われたことのある人物が犯人だった場合、追い切れない。けれど、そんな人物が都合よく実行犯になるだろうか。
「俺たちが過去の記憶を持っていることを知ってるのは限られた人物だ。全員、信頼がおけると思う。そういう人物を選んで話してるし、敵側に知られていることはないだろう。そんな中、狙い打って前の世界では死んでいて、俺たちが追えない人物を実行犯に選定できるか?」
「偽名も同じだよね。私たちが人の動向を知っているからって理由で、意図して偽名を使ってるとは思えない」
「だとすれば、偽名や選定はこっちの状況を知っての事ではなくて、あっちの都合だ。犯人は、たまたま”前の世界で死んでいた人物”を選んだ。または、そもそもが”偽名を使わざるを得ない人間”なんだ」
「前者の人物は実際に何人か思いつく。例えばシレネの一件で死ぬ予定だった同行の騎士団員もいるよね。けど、今回の犯人像に合致しない。やっぱり後者だよ」
誰に何が起こるかを一番良く把握しているアイビーが言うのなら、信ぴょう性は高い。
だとすれば、何故偽名を使うのか。
「偽名ってことは犯人はバレたくないんだよな」
誰だってバレたくはないか。
「王子派閥の実働部隊にも容姿、行動パターンで該当する人物はいなかった気がする……。彼らの内誰かだって言うのなら、私なら偽名を使ってても当たりがつけられるよ」
「段々と限られてくるな。こんな行動をしそうになくて、偽名を使っている人物。上の人が直接動いているとか?」
「どうだろう? 動くかな?」
「プリムラが負けたからな。もう動かせる駒がないとわかれば、上の優秀な人間が降りてくるしかない」
「なるほど。そう聞くとあり得るね」
位の高い人物で、頭がよく回って、綺麗な少女。貴族のことはほとんどわからない。シレネに尋ねて王城の情報を集めるか。
俺にクラスを掌握する能力はないけれど、手にした情報から足取りを手繰り寄せることはできる。
あっちがあっちで有利な戦場を作るなら、こちらはこちらで有利な戦場で考えるべきだ。
「俺たちの優位点はおまえだ、アイビー。おまえの知識が窮地を脱するカギになる」
「責任重大だね」
「悪いな。だけどピースは集まってると思う。何か一つを反転させて考えれば、たどり着くと思うんだが……。例えば、灯台下暗しでスイレンは学園の中の誰かの変装だとか、そもそもの条件として実は女の子ではないとか」
アイビーは思案顔。
俺は冗談で言ったんだから、そう本気にしないでほしい。
アイビーは頷いて、口を開いた。
「顔が整っている。学園に入り込める。頭が回る。高位の人物……いないことはない、かな」
「心当たりがある人がいるのか?」
「確かにほとんどの条件に当てはまる。いや、でも、一個だけ、絶対に違う項目がある」
「何だよ」
「……リンクの言う通り、女の子って条件を外せば心当たりがある」
なんだそれ。
一番に確認する項目だろ。
「なんだよ、スイレンは女の子だったぞ。俺が変なことを言ったせいだろうけど、ありえないって」
「それ、どこまで保証できる? 胸はあった?」
「薄かったな。けど、そんなもんだろ。おまえだってあんまりないじゃないか」
「……」
「……」
こういうとこだぞ、リンク。
「いや、おまえは可愛いから……。細身で小柄で可愛いし、頭がいいし要領がいいし素直だし、大好きだぞ」
「アリガト。それで? 顔つきは美人だったんだよね。髪の色はどうとでもできるし、えっと、他にどんな人だったか、特徴を教えて」
「前に伝えただろ」
「いいから。あたりをつけて聞くのは全然違うから」
そこまで言うのなら答えない理由もない。
「えっと、人目を引くくらいの美人だった。鼻はすっと長く、目はくりくりと大きい。体つきは細身で、長い髪は丁寧に揃えられていたな。多分、あそこまで揃えられるのはそれなりの立場の人間だぞ。もしくは、そういった色仕掛けのために鍛えられた子か」
「……ふうん」
含みのある台詞を吐いて、アイビーは押し黙る。
事実をそのまま口にしただけだ。俺は美醜に客観的評価はつけるが、個人的には良し悪しがあるとも思っていない。
「頭は良さそうだった?」
「ああ。多分、計算して動いてる。あいつらがスイレンに夢中なのも、個人個人で好みの仕草をとったんだろう。そういう意味では、洞察力もあると思う」
「なるほどね」
何か思い至ったようで、アイビーはしきりに頷いていた。
ほとんど確信に至ったようだ。頼もしい。
手がかりがないからこその違和感。アイビーがいてこそだな。
なんとかなるぎりぎりのタイミングで良かった。俺は教室を追い出されていたから詳細はわからないが、俺を学園から追い出す話にもなっていたらしいし。
こればかりは相手に同情する。こちらにいるアイビー・ヘデラという聖女は本物だ。
やっぱりアイビーは隣に置いておくべきだな。一芝居打った甲斐があった。
「多分、答えは出た。疑問が残るところがあるけれど」
「さっすがアイビー」
「こういうことじゃないと貢献できないからね。任せてよ」
「で、誰なんだ、スイレンってのは」
「確認するために、少しついてきて」
アイビーにつれられてやってきたのは、学園の一室。普段使われない倉庫だった。
アイビーはその壁を念入りにチェックしていた。
「壁に何かあるのか?」
「リンクは足元を見てみて。何か動かしたような跡は残ってる?」
そう言われても、床は綺麗に掃除がなされていて、埃一つ落ちていない。それが違和感と言えば違和感なのだが。
目を皿にして見ていると、床にひっかいたような半円の傷が残っていた。注視しないとわからないくらいのかすり傷。
顔を上げる。目の前には何の変哲もない壁。しかし、壁が扉のように開けば、ちょうどこのような跡がつきそうだ。
「アイビー。ここに傷がある」
「ああ、そっちだったっけ」
アイビーは近づいて傷を確認すると、「やっぱりね」と呟いた。
「犯人はこれを使ったんだ」
「隠し扉か? どこに繋がってるんだ?」
「王城」
その言葉を聞いて、俺は固まった。
「しかもこれは、王族と少数の者にしか知らされていない秘密の道なんだ。今の四聖剣すらも知らないはず」
「じゃあ何か。犯人は王直属の何かか」
ついに来たか。
学園の中の出来事にやきもきしている大元が行動を起こしてきた。
もしも暗殺部隊とかだったら、もう少しマリーの周辺の守りを固めないといけない。マリーが殺気に敏感だとしても、心配は心配だ。
「いや、多分違う。そんな有象無象にこの道は教えられないよ。悪用されたらたまったもんじゃないでしょ」
王の臣下でもないのに、秘密の道を知っている人物。
「王子本人だよ」
再び俺は固まった。
王子ってのは、男だ。そりゃ、男の呼び名なだものな。二人いる王子は、二人とも王子。二人とも男。俺が見たスイレンってのは、美人な女の子。髪も綺麗だったし、可愛らしい顔つきをしていたし。
「王子が女装なんて、今までこんなことなかったから実際に見るまで確信は持てないけど、下の王子の性格はリンクとよく似てる。手段を選ばないし、使えるものは何でも使う」
「王子が女装して潜入して、男子生徒をたぶらかしてるのか」
破天荒なやつだ。王子だろうが。
けれど、それも手段といえば手段。まさか王子自ら女装までしてかき乱しにきているとは誰も思わない。アイビーがいなかったら候補にも挙がらない人物だ。
「ってか誰か気づけよ」
「ブーメランだよ、それ」
「俺は庶民だからな。顔知らないし」
「多分、知っている人物は避けてたんだろうね。王城のパーティーとかで顔を合わせてるだろう四聖剣であるシレネやザクロには顔を見せなかったらしいし。そもそも顔を知っていたところで、女の子って条件で王子のことは犯人候補から外すだろうし」
聞けば聞くほど用意周到だな。
危ない橋を渡っていると思うが、それほどまでに追い詰められているのか。自分の行動に絶対の自信があるのか。
自分に置き換えてみる。もしも俺が王子の立場で、可愛い顔をしていて、少しでも俺たちの戦力を削ぎたいと思った時に。
「やるな、俺なら。一番効率的だ。むしろ考え方に納得がいった」
「うん。良くも悪くもプライドなんかないよね」
「だとすれば、これは一気に戦況が傾くぞ」
この一手は最高の一手だった。俺は一人だったら王子にたどり着くことなんか不可能だったし、彼がどこからやってくるかも追い切れなかった。恋の魔法にかかった級友たちは霊装を抜いたくらいだ、ある程度の命令なら嬉々として聞くだろう。上手く誘導されて、俺たちの邪魔をされる、最悪の場合マリーを殺害する計画だってあったかもしれない。
だけど俺たちにはアイビーがいた。細い糸から犯人に気づける人物がいた。
そうなってしまえば、立場は逆転する。真相のわかったミステリーほど面白くないものはない。王子のこれからの行動は、俺はすべてを理解した上で受け止めることができる。
「おまえ、反則だよ」
「褒められた」
「ああ、褒めてんだよ」