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不味いピザのように(1)

 初めてこの国に来た時、男は任命されたばかりの新米司祭だった。


 司祭とは、神の意志を人間に伝える者。神の意志とは、人間を正しい道へと導くこと。


 必ずこの国の人たちを正しい道に導くと、司祭は誓った。



 しかし、それはこの国の状況を知らなかった時の誓いだった。


 

「……うん?」


 男は膝のあたりから気配を感じた。小さくて痩せた少女が彼のズボンを引っ張っていたのだ。


「おや、これはこれは、可愛いお嬢ちゃんだな」

「……」

「道にでも迷ってるのかい? 自分の国だというのに、だらしない。家まで送ってやろう」

「あの、これ……」

「これは……手袋だな。お嬢ちゃんが編んだのかい?」

「うん」

「えらいな。私に買ってほしいと?」

「うん」


 そこで、男は違和感を覚えた。彼の顔から慈愛の笑みが消えていった。


「……あなた、親はどこだい」

「……いない」


 やはり。

 三年前、この国の男がほぼ全員、戦争に動員された。海の向こう、遠いところで起きた戦争だった。幸い戦争は大勝利で終わり、男たちの被害も少なかったが……


 ちょうどその時期、この国周辺に正体不明の伝染病が猛威を振るいはじめた。終戦でやっと富と名誉得始めた男たちは、あえて命を懸けて故郷に戻る必要がなかった。そうやってこの国は、捨てられた。


 裕福な家庭で育った司祭は、こんな絶望の空気に慣れていなかった。


「そうか」


 男はリュックを開け、お昼に食べようとしたパンを少女に渡した。少女は餌をもらった小犬のように嬉しがった。尻尾があったなら振りまくる勢いだった。


「正しい道……な。あなたたちは、それどころじゃないんだな」


 ゾンビみたいに歩き回る人たちを見ながら、男は考えた。

 もし神がいるのなら、なぜこの国がこうなるまで放置したのだろうか。

 この国に、本当に神はいるのだろうか。


 いや、いなくても問題にはならない。

 いないのなら、自分が代わりに、神になるまでだ


「お嬢ちゃん。あなたの願いは何だい」

「願い……お父さんの宿がつぶれないでほしいな。いつかお父さんが帰ってくるかも知れないから」

「そうか。分かったぞ」


 男は思い知った。正しい道を歩むためには、まず、立っている気力が必要だということを。

 その気力を与えるのもまた、司祭の務めなのだろう。



「……ふん。また嫌な夢を見ちゃったの」


 司祭はソファーから起きて首を振った。

 杖を突いたまま窓の外を眺めると、まだ日も昇っていない真夜中だった。



★不味いピザのような



 黒い服を纏った青白い男。それがエイベンだった。


 周りから喪服みたいだと不吉にされることもあったが、とにかくエイベンはその服が気に入った。風通しがよく、歩きやすかったのだ。


「見ろ、キア。新しい国だ」

「……」


 エイベンが肩に向かって言った。そこに浮いている真っ青な羽色の小鳥。その小鳥こそがキアだった。


 キアはなかなか返事をしてくれなかったが、それも仕方のないことだ。前の国から三日間、休みも取らず歩いてきたものだ。そろそろばててしまうのも無理ではないだろう。


「今度こそあってほしいものだね。我々が探しているものが」 


 とにかくエイベンは言い続けた。どうせ独り言のつもりだったから、キアが返事をしようがしまいが変わりはなかった。



「どこからいらっしゃったんですか?」


 石垣に近づくと、門番に見える人が話をかけてきた。


「ミトランという国だ」

「なんと! それはそれは遠くから。さぞお疲れなんでしょうね」

「そうとも」


 門番は満面の笑みで答えた。何がそんなに嬉しいのか、笑いで揺れる肩が止まらないぐらいだった。


「ようこそ、我が国へ。どうぞごゆっくり休んで行ってください」

「助かる。では遠慮なくそうしよう」


 その時、キアがエイベンの頭を蹴った。初対面の人にはもっと丁寧に喋れ、そう言っているみたいだ。確かに、エイベンの喋り方は極めて無礼だった。人間の、変に礼儀を弁えようとする言い方に、まだ慣れていないのだ。


 しかし、門番の法はちっとも気にする様子がなかった。むしろ、その無礼な喋り方に好感を抱いているようにさえ見えた。


「ほら、キア。そんな余計なことを気にするでない」

「……」


 門番の案内についていくエイベンを、キアもいやいやついて飛んだ。



「しかし、かなり劣っているね。この国は」


 エイベンは城門を通り、街を見回しながら言った。今回ばかりは、キアもエイベンに同意するようだった。


 架空もしていない石で築き上げた石垣もそうだったが、街の様子はいっそう酷かった。大通りは馬車の車輪が落ちるほど泥だらけで、屋根に穴が空いていない家が見当たらなかった。人々は誰もが古い継ぎはぎの服を着ていた。


「まともな宿が見つかるか、心配だね」


 しかし、宿はすぐ見つかった。宿の建物はこの街で一番良好な状態で、屋根に穴が一つしか空いていなかった。しかも、他の宿泊客が一人もいなかった。エイベンは部屋がないという心配はいらないだろうと思い、気分がよくなった。


「部屋はあるか」

「部屋はありますけど……泊められる部屋は二つしか残ってないですね。お客さん、運がよかったんですよ!」

「そうか」

「何日お泊りになるんですか?」

「さあ。探しているものを見つけたら、すぐにでも出るつもりだが」

「なるほど! じゃ、えっと……何日になるんですか?」

「君が思うには、何日かかりそうだい?」

「うん……そうですね。お客さんは頭がよさそうですから、三日?」

「では、三日にしよう」

「ありがとうございます!」


 宿の主人もまた、酷いと言うほど親切だった。彼女は管理部を作成しながらも、チラチラエイベンの方を見ながら笑って見せた。エイベンが主人を魅了してしまったのではないかと思うくらいだった。


 何かの企みがあるとも思えない。商売人としてお金を取るつもりだったら、三日などではなく、もっと長く答えることもできたはずなのに。


 エイベンはふと恐怖を感じた。代償のない好意とは、どれほど怖いものか……。


 そう思っていると、再びキアに殴られた。余計なことは考えなくていいから、お礼をちゃんと言え、とのことだった。


「……助かる」


 エイベンはキアの行動に疑問を感じた。なぜ殴るのだろう。言葉にすればいいものを。


 しかし、今度の国は何かいい予感がした。この国の人々が持っている理由なしの親切。それはきっと、エイベンが探しているものと何らかの関係があるはずだ。



「母上」

「なんですか?」

「愛とは、何なのですか?」

「……」


 エイベンは生まれて十三年になったころから、絶え間なくこの質問をして来た。だが母上は一度もまともな回答をくれなかった。くれるとしたら、「大人になったら、お分かりになるでしょう」みたいな、よく分からない回答だった。


 大人になると分かる、とは何か。まるで大人が子供より優れた存在であるかのような言い方ではないか。エイベンが見るに、大人と子供は大して変わらない存在だった。むしろ、肌がつやつやで筋肉が丈夫な子供の方が、優れさで言えば優位だった。

 

 ある日は、一人の女性がエイベンに近づいてきた。彼女は一輪の花を差し出しながら言った。


「エイベン様、貴方を愛しています。付き合ってください!」


 エイベンは嬉しかった。

 彼女こそはきっと、愛が何なのか分かっているはずだから。


「愛するとは、どういう意味なのだ」

「……はい?」

「どういう意味なのだ」

「えぇと、あの、エイベン様と一緒にいたいし、手もつなぎたいし……」

「手はなぜつなぎたいのか?」

「愛していますから?」

「おかしいではないか。愛しているから手をつなぎたいのに、手をつなぎたい理由は愛しているからとは。どっちが先なんだい?」

「……それで、告白は受けてくれるんですか? くれないんですか?」

「告白? 今、私に告白をしたのかい?」

「ええ、そうですよ」

「なぜこれを、告白と呼ぶのだ」

「私が隠していた本心を……一点の曇りもなく申しましたからです」

「隠していたとは。君がやけに私の方を見つめるのは、前々から知っていたつもりだが」

「……もう分かったから、付き合ってくれるんですよね? そういうことにしますよ」

 エイベンはその女性と付き合ってあげることにした。しかし、それが正確に何を意味するのかは理解できなかった。彼女は不意にエイベンの住処へやって来たり、エイベンの髪の毛を撫でたり、エイベンの服を脱がせようとした。とにかく、エイベンは三ヶ月ぐらい、彼女の言いなりになってあげた。


 三ヶ月が経ち、花が咲き誇れた庭でだった。彼女がエイベンの膝を枕いたまま言った。


「もう、愛とは何か、分かったんですか?」

「いや、分からない」

「……」


 そして次の日から、彼女はエイベンにやって来なくなった。エイベンはそれ以来しばらく、彼女と会えなかった。

 

 結局、親や周りの人からは分かることができなかった。


 エイベンは旅に出るしかなかった。愛とはどういうものなのか知るために、また、その愛と言うものをどこかで見つけ出すために。



「キア、今回の国は言い予感がする。私はそう感じる。君はどうだい?」


 小さくて用心深い息が聞こえた。キアの寝息だった。

 エイベンはそんなキアが気に入っていた。キアは絶対にやって来なくなったりしないから、愛する必要もないだろう。



 エイベンは気持ちよく目覚めた。部屋のドアを柔らかくノックする音がした。カーテンの隙間から陽が射してくるのを見るに、もう遅い朝のようだった。


「パイを焼いたんです! 一皿どうぞ!」


 ドアを開けると、宿の主人が立っていた。


「うむ。ありがたい」


 エイベンはキアに殴られる前に、ちゃんと例を言っておいた。


 パイの臭いに目覚めたのか、いつの間にかキアがエイベンの頭上を飛んでいた。


「待ちなさい、キア。念のために、私が先に食べてみよう」


エイベンはパイに飛び込むキアを手で塞いだ。小鳥は人間に比べて体が弱い。少量の毒を飲んだだけですぐ死んでしまうのだ。


 宿主が優しい人なのは間違いないが、ここが見たことも聞いたこともないよその国だと言うことを忘れてはいけない。旅人には全てのものが新しいゆえに、全てのものに期待し、また全てのものに警戒もしなければいけない。


「どれ……」


 宿主が置いて行った鋭いナイフで、エイベンはパイを一かけら切り取った。パイなどを切り取るにはややもったいないぐらいの鋭さだった。ドアの前でナイフを持って立っていた宿主に殺意を感じるほどだった。


 ともかく、パイを食べる分には問題なかった。


 エイベンには、「美味しいものを食べること」こそ地上に存在する最もの幸福であり、生きていく理由であった。エイベンの親やあの女性は「愛」が食欲より幸せで大事なものだと言っていたが、エイベンはもちろん同意できなかった。


 食べることより大事なものはないだろう。


 しかし、エイベンが得ようとした至高の幸福は、噛めば噛むほど光を失って行き、やがて地底の煉獄に変わった。


「か、辛い。キア、水……水はどこだ」


 しかし、キアはエイベンの頭上をぐるぐる回っているだけだった。確かに、キアが水の在り処を知っているはずもなく、知っているとしてもそれを持って来る筋力がないはずた。


 エイベンは唾を集め辛うじて、口の中の火を消した。そして思った。


「パイ、であるはずだ。確かパイだと言っていたではないか。なのに、どうして辛いのだ」


 辛いパイと言うのは聞いたこと事がない。今まで寄ってきたどの国にも、そのようなものはなかった。


 しかも、辛くて美味しいのならともかく、これは明らかに不味かった。まるで唐辛子を黒く燃えるまで焼き、その上に塩と胡椒をかけたような不味さだった。


 そんな中で毒は入っていない。ということは、宿主に悪意はなかったということだ。間違って殺人兵器を作ることができるとは、実に恐ろしい。


「キア、やはり用心するべきだ。この国は油断はできない」

「……」


 キアはいつの間にか、パイから遠く離れたところに浮いていた。エイベンは注意深くパイの皿を取って、中身を窓の外に吹き捨てた。そして空いた皿を主人に戻してきた。


 しかし、キアはまだお腹がすいているようだった。エイベンも美味しい食事をしたかった。なので二人は、宿の外に出て適当なお店を探すことにした。


 エイベンは街に出て一番に出くわした娘に話かけた。この親切な国では、誰にどう話しかけようが答えが返ってきそうだった。


「やあ、一つ聞きたいのだが」

「はい! どうぞ!」

「この辺りで最も美味しいお店はどこだい?」

「美味しいお店、ですか? この国にあるお店は全部美味しいですよ!」

「いや、そんな訳はない。実際、この宿のパイは前例を見ない酷いものだった」

「……そうだったんですか。お口に合わなかったみたいですね」

「いかにも」

「すみません、私が代わりに謝りますから。たまに個性的な味を出すお店もあるけど……本当に、みんな最善を尽くして作ってますよ!」

「そうか。しかし、私は最善を尽くして作った美味しい料理が食べたい」

「なるほど……じゃあ、あっちにあるピザ屋さんはどうですか?」

「ピザか?」


 娘が指したところは、宿の隣にある小屋のような建物だった。この小屋もまた、屋根に幾つかの穴が空いていた。しかし、窓越しに見たお店の内部には空いている席がなかった。何人かは立ったまま、席が空くのを待っていた。


「なるほど。あれだけ客がいると、間違いないははずだ」

「はい! おすすめはバターオレンジ焼ピザです!」

「参考にする。ところで、何と言った?」

「バターオレンジ焼ピザです」


 エイベンはそのメニュー名から、辛いパイと同じぐらいの不吉さを感じた。しかし、少女の太陽のような笑顔がエイベンを向かっていて、そのような疑心を雪のように溶かしてしまった。


 ちょうどその時、誰かが近づいてきた。


「あ、ヘナ」

「こっちよ、アレン」

「遅れてごめん。母さんの仕事の手伝いで……」

「ううん。そんなに待ってないよ」


 娘と同じ年ぐらいの、若い男だった。娘はこの男と一緒に食事するためにピザ屋の前で待っていたようだった。


 それを眺めていたエイベンの目がつるんと光った。キアがエイベンを阻止しようとしたが、無駄だった。


「二人は、どういう関係なんだい?」

「はい?」

「どういう関係なんだい?」

「関係って……ただの幼馴染ですよ。小さいころから一緒の学校に通ってた。」

「ちぇっ、そうか」


 エイベンは失望を隠せようともしなかった。


 しかし、キアは気づいた。二人はお互いにある程度の恋愛感情を持っていて、その感情をお互いにはもちろん、エイベンみたいな初対面のおじさんにもバレたくないと思っていることを。


「私たちもこのお店で食べようと思うんですが、一緒にどうですか?」


ヘナと言う娘が言った。


「そうしよう」

「……」

「助かる」


 キアがさせる通り例を言いながら、エイベンは何かを忘れているような感覚を覚えた。それは、テーブルに座ってメニュ版を見てからやっと、エイベンの頭の中に蘇った。


 バターオレンジ焼ピザ。


「ヘナと言ったが」

「はい」

「これは、本当に美味しいのか?」


 ヘナとアレンは惚れたような目でメニューを見ていた。全部美味しそうで何を選べばいいのか分からない、とでも言うような顔だった。


「もちろんです。我が国の料理はみんな素晴らしいけど、その中でもここのピザはトップクラスですよ」


 アレンが幼馴染に代わって答えた。その声にはほぼ狂信にも近い確信がこもっていた。


「そうか」


 エイベンは自分の不安よりも、この男女の確信に頼ってみることにした。一般的に不安には根拠がないが、確信には根拠があるからだ。


「しかし、この国の人々は皆親切だね。旅人を嫌う国も多いのだが」


 エイベンは注文を終え、窓の外を眺めながら言った。行き通う人たちの中に笑顔じゃない人はいなかった。馬車の車輪を泥に落とした御者さえ、幸せそうな笑顔で馬をなだめていた。


「そりゃそうですよ。私たちは、他のどの国の人たちよりも幸せですから。ね?」

「うん、本当に」


 若い男女が向かい合って笑う姿も、とても幸せそうだった。エイベンはその姿にこそ、何かが隠されていると思った。この独特な国についての秘密か何かが。


「なるほど。自らが幸せになると、他の者に親切になれると」

「そういうことです」

「だが、他のどの国よりも幸せだと、なぜ確信できる? 他の国行ってみたことがあるのか?」

「いえ、それはないんですけど……」


 アレンの声が小さくなると、ヘナが代わりに答えた。


「この国には、立派な司祭様がいらっしゃるんですよ。不幸な人がいないようにと気を配ってくれる、立派な方なんです」


 すると、アレンが少し怯えた顔で言った。


「ヘナ、それ……言ってもいいんだっけ?」

「うん? 別に、秘密ではないんじゃない? そう思ってたけど」

「そうだったかな。あはは、すみません。旅人さんが来るの自体、ずいぶん久しぶりで……思い違いだったみたいです」


 アレンがでれ照れ臭そうに笑った。ヘナも一緒に笑った。


 しかし、エイベンだけは先よりもまして真面目な顔だった。


「その司祭様は、どこにいるんだい?」


 しかし、ちょうど注文したピザが出た。若い男女は食べたくてもう我慢できないという顔をしていた。エイベンは聞きたかったことを後回しにするしかなかった。

 

 ピザを一口噛むと、アレンとヘナは幸せそうに微笑んだ。エイベンもその様子をしっかり確認してから、用心深くピザを持ち上げた。キアが緊張した表情で見ていた。


 しかし、バターオレンジ焼ピザは不味かった。何だかよく分からない悍ましい味が料理全体を支配し、バターの味もオレンジの味も、そしてパンの味ももろとも飲み込んでいた。さらに、パン部分の食感は煉瓦のように硬かった。


 それこそ、辛いパイなどは軽く超えるほどの災いだった。


 エイベンが再びアレンとヘナを見ると、二人もエイベンのように吐きそうな酷い顔になっていた。一口、二口とピザを噛むのが、とても辛そうに見えた。


「……ヘナと言ったか。味はどうだい?」

「あの……美味しい、です……ねえ、アレン?」

「う、うん。やっぱりこのお店のピザは最高だぜ」


 そう言いながらも、二人は押され切ったばねのように眉を顰めていた。


「正直に言いたまえ。それは美味しいと言う者の顔には見えないんだが」

「いえ、それは……」


 エイベンが何回か重ねて追及しても、アレンとヘナは最後までピザが美味しいと言い張った。そしてそれぞれの分のピザを残さず食べ切った。


 一方、エイベンはたった一かけら以外、全部残した。残すほかなかった。


「吐き出すのなら止める気はない。安心して出したまえ」

「そんな……」


 ヘナはそう答えながらも、今にも吐きそうな顔だった。


「……そんな必要、ないですよ」

「……そうか。では、そろそろ店を出るとしよう」

「ちょっとだけ待ってくださいね」


 食事を終え会計を済ましてからも、ヘナは席には立つ気配を見せなかった。


 その代わり、彼女はハンドバックから小さいガラス瓶を取り出した。横で見ていたアレンもポケットから同じものを出した。


 二人は約束でもしたように、ガラス瓶の蓋を開け、その中に入っている桃色の液体を飲み干した。食後に飲む消化剤にしては変な色だった。


「それは、何なんだい?」


 エイベンが慌てて聞くと、ヘナが口元を拭きながら答えた。


「司祭様にもらった薬ですよ。幸せになる薬」


 液体を飲んだアレンとヘナは、どこか違った。お互いを眺め合い、軽く冗談を交わしながら笑っていた。悪夢のようなバターオレンジ焼ピザの味なんかは、もうすっかり忘れたようだった。


 いや、「忘れたよう」なのではなく、本当に忘れてしまったのだろうか。


 エイベンは低い声で聞いた。


「……どうだったかな? バターオレンジ焼ピザの味は」

「ピザ? あ、ピザを食べたんですね」

「多分、美味しかったんでしょう。ほら、横の人たちもあんなに美味しそうに食べてますから」


 アレンとヘナがほぼ同時に答えた。今度は顰める気配もなく、本気でそう言っているように見えた。


 二人は、限りなく幸せそうに見えた。


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