スライムを育ててみよう
「え、もう契約ができたのかよ!?」
「ああ。……シドはもっと魔力を抑えた方がいい。それだとまたスライムが死ぬぞ」
「う……わ、わかってるんだけど……」
「ミーファは弱すぎ。もっと強くして大丈夫、というか強くしないと契約できない」
「はぅ……わ、わかってるんだけどぉ……」
シドもミーファも魔力放出にまだ不慣れな上に、そもそもどのくらいの魔力を放出すればいいのかがわかっていない。それを見たソラが二人の手の上からスライムを取り上げた。
「俺がこいつら持ってるから、まず二人は魔力の放出量を調整する練習から始めよう。そのまま魔力を出してみてくれ」
「ええ? こ、こうでいいのか?」
「うぅーん、このくらいかなぁ……?」
「シドはもっと少なく。半分くらいでいい。もっと減らして。ミーファもまだ弱い。もっと、もっと……倍以上にしてもいいからとにかく強くして」
二人が手から放出する魔力をかなり正確に量りながらソラがどのくらいの量にすればいいのか教えていく。
「こ、こんなに少なくて大丈夫なのか……?」
「お、多すぎたらスライムが死んじゃうって先生言ってたよ……?」
「大丈夫だから、そのままの勢いを保って」
半信半疑の二人の手の上にスライムを置いた。さっきまですぐに潰れて死んでしまっていたスライムがシドの手の上できちんと形を保っていた。魔力を吸収されるばかりで浸透しなかったミーファの魔力がスライムの体内まできちんと届いた。
「おお……」「わぁ……」
「二人とも気を抜くなよ。今のまま、強くしたり弱くしたりせずにそのまま続けてくれ」
「わ、わかった」「は、はい……」
ソラの言ったとおりにした途端に上手くいったことに驚く二人。思わず魔力が乱れそうになるが、その前に勢いを維持するように忠告され、一定のペースで魔力を放出し続ける。
(この様子だとスライムと会話をする余裕はなさそうだな)
魔力の放出で手いっぱいのシドたちの様子に、ソラは魔力感知を併用するのは厳しそうだと判断した。
――ソラ自身は知らないが、魔力のパスを通じた従魔との対話は二年生や三年生で習得する技術である。一年生はまず従魔術に慣れること、そして従魔にした魔物に命令を出してきちんと守らせることができるようになることが目標だ。
従魔に命令を出すことに慣れてしっかりとコミュニケーションを取れるようになって、ようやく次の対話というステップに進む。
従魔との会話は経験を積みしっかりと練習すれば誰でも習得可能な技術だが、従魔術を習ってすぐに使えるほどに簡単でもない。
「あ、できた! 今パスが繋がった!」
「私も! 私もわかるよ! すごい! ソラくんありがとう!」
ソラに言われたとおりに魔力を放出していた二人が従魔契約に成功した。スライムの体内を自分の魔力で染め上げ、スライムの核と魔力のパスで繋がったことをはっきりと理解した。
――ソラはこの時点でスライムの意思や感情を明確に感じ取っていたが、ソラほど感知能力が高くない二人はぼんやりとした感情の波のようなものしかわからなかった。これも経験を積むことで徐々に磨かれていく能力である。
「すごいな、ソラ。俺、魔力感知とか苦手さ……。どうやったらソラみたいにできるようになれるんだ?」
「それは……」
シドが何気なく口にした問いに、ソラは思わず言葉に詰まってしまった。
ソラの魔力感知は魔力が満ちたダンジョンの内部で、魔力を宿した魔物たちと遭遇しながら何年間も生き延びてきた結果磨かれた能力だ。シドだろうとミーファだろうとこの教室の他の生徒だろうと、同じ経験をして生き残ることができたら誰だって習得することができるものである。
だが、そういう経験、下地なしで今からソラと同じくらい感知能力を磨こうとしたら、やはり年単位の時間が必要になる。上級生たちならソラと同程度の感知能力を持っている生徒も大勢いるだろうが、今すぐに習得できるコツのようなものを教えることはできない。
そして同時に、この世界では普通の平民が魔力や魔術に一生関わらなくても生きていけるような社会が構築されている。魔力を宿していない人間が大勢いて生活しているのだから当然だ。
そんな世界で魔力に日常的に親しんでいる人間と言うのは、貴族などの平民以外の階級の人間か、普通の生活を送ることもできない層の人間か、そのどちらかだ。
下級学校に通っているソラが日常的に魔力に触れ、命の危機を感じながら魔力感知の感覚を磨いてきた、と告げることは自分がスラム出身だと告白するのと同じ意味を持つ。
ようやくスラムから脱出して新生活をスタートしたのに、目の前の同級生に自分の生い立ちを語ることにソラは忌避感を感じていた。
「……慣れるまで練習すること、かな」
「あ、ああ……そうか。わかった。がんばるよ」
言いにくそうに言葉を濁すソラの様子にシドも事情を察したのか、詳しい追及はしてこなかった。シドは貧困層の出身でソラに自分と似た空気を感じていた。暮らしが厳しければ人に言いたくない過去というものも増えていくものだ。
「あ、あの……私も教えてもらっていいかな?」
シドとの間に流れた微妙な空気を打ち壊すように、他の生徒がソラに声をかけた。シドとミーファが終わった時点でも、まだまだ契約が終わっていない生徒たちが大勢いた。
「ああ、いいよ。それじゃあスライムをこっちに渡して魔力放出をやって見せて」
「う、うん。お願いします……!」
本来の教師であるスコットが何も言わないので他の生徒たちも集まってきて、ソラが順番にスライムとの契約を監督することになった。
◆
「契約が終わったようだな。では次にスライムの進化を目指してもらう」
ソラに任せて生徒を放置していたスコット教師だったが、全員の従魔契約が終わったと見て今後の話を始めた。
「従魔契約を結んだと言ってもそれですぐに従魔がテイマーの命令を聞くわけではない。反抗的な従魔もいるしテイマーの目の届かない場所で隠れて悪さをする従魔もいる。こうした従魔をしっかりと躾けて命令を聞かせるのもテイマーの仕事だ」
従魔と言っても、テイマーが連れているのは魔物に他ならない。
この魔物がテイマーの命令を聞かずに好き勝手な行動をし始めればあっという間に周囲に被害が及び、簡単に人や物が失われる。管理できない従魔を連れていたテイマーは犯罪者として法に裁かれ、損害賠償などの処罰が与えられる。
そういったことが起こらないように、テイマーはしっかりと従魔を管理しならなければならないのだ。
「スライムがあらゆる物質を消化し吸収することは先ほども説明したが、スライムに一種類の物質だけを与え続けると【進化】する。お前たちはスライムに命令を出し、その一種類の物質以外は吸収しないように監視するのだ」
スライムがテイマーの命令を守って他の物質を食べなければ進化する。テイマーの命令を破って勝手に他の物質を食べている場合は何時までたっても進化しない。
【命令に従わせる】ための課題として、成否が一目瞭然で分かりやすい課題だった。
「今回の対象物質は【水】だ。スライムに水だけを与え続けて【ウォータースライム】に進化させる。この時に重要なのが以下の点に気をつけることだ」
・進化させる予定の物質以外を与えてはならない。今回は水。
・与える物質はなるべく不純物が少ないものを与えた方がよい。泥水より綺麗な水の方が良い。蒸留水などがあればそれが最適。
・与える魔力を少なくして飢えさせることで、餌となる対象の物質をより積極的に吸収させることができる
・飢えたスライムが他の物質を間違って捕食しないようにきちんと飼育ケースに入れて管理する
・早ければ二週間、遅くても一か月程度で進化する。それ以上の時間をかけても進化しない場合は何か他の物をつまみ食いしている可能性が高い
「これらの条件がスライムの進化に関わっているが、当然ながら一番重要なのは『進化させる予定の物質以外を与えてはならない』という点だ。スライム相手にこの程度の命令も守らせられないようなら、テイマーの素質が皆無だと言っていい」
自然界のスライムは何でも食べる。お腹が空けば何でも捕食しようとする。あらゆる物質を分解して魔力として吸収するスライムにとって、それはごく当たり前の行為だ。そのスライムの本能を押し込め、制限し、飢えたスライムに水だけを飲むように命令し、それを徹底させる。
一見すると難しそうな課題に思えるが、スライムは非常に弱い魔物で、テイマー側が大量の魔力を流し込んだだけで死んでしまうくらい大きな差が存在している。テイマーと魔物の格差が大きければ大きいほど、命令の強制力は上がっていく。スライム程度に舐められて命令を破られるようでは、他の魔物を従えることなどできるはずがない。
スライムの進化すら御せないようならテイマー失格。
スコット教師の言葉に緩んでいた気を引き締め、生徒たちは緊張の面持ちで自分のスライムと向き合ったのだった。
◆
授業が終わり、寮の部屋に戻ってきたソラはスライムに先ほどの課題を伝えてみた。
――困惑。混乱。不満。
――哀願。美味。絶望。
なぜ水しか飲めないのか。なぜ他の餌を食べることが許されないのか。不満や混乱の思念がパスを通じて届く。
そしてその一方でソラの魔力をもっと食べたいと叫んでいた。スライムにとっては魔力が一番のご馳走で、水でも他の物質でもなく魔力を欲しがった。与える魔力を減らすから水をもっと飲めと言うのはスライムにとって絶望しかないらしい。
確かに、好きなものが減らされ、嫌いなものが大量に与えられ。それなのにお腹が空くから仕方なく嫌いなものを食べるしかないという状態だ。こんなことをされたら誰だって嫌になる。
(……スコット先生は与える魔力を減らしてスライムを飢えさせた方が、餌となる物質を多く吸収するようになると言っていたけど……、本当にそれが一番いい方法なのか?)
スコット教師が言っていたのはスライムを飢えさせることで無理やり餌を食べさせる方法だ。だが、ちゃんと餌を食べさせることができるなら無理に飢えさせる必要もないのでは、とソラは考えた。
例えば、一定の量の水を飲んだ後にご褒美して俺の魔力を与える、という方法ならどうだろう?
餌以外の物質は与えてはいけないと言われていたが、魔力を一切与えるなとは言われていなかった。【魔力】と【物質】は別換算なのだ。
そこまで考えて、ソラはスライムに対して魔力を与える代わりに大量の水を飲む、という方法はどうだろうか聞いてみた。飴と鞭というやつだ。ご褒美が欲しいのなら働け、働かないモノ食うべからずである。
――~~♪ ~~♪♪ ~~♪♪♪
試しにそう聞いてみたところ、スライムはぴょんぴょんと興奮してその場で飛び跳ねるほど喜んでいた。
今後は与えられる魔力の量を減らされると言われて絶望のどん底にいたのに、逆に働けば働くほど(水を飲めば飲むほど)魔力をたっぷりと貰えると知って喜びの感情が限界突破としてしまったようだ。
――~~! ~~!! ~~!!!
さっそく水を飲みたいというので自室の水桶の中に放り込んでみたら、あっという間に飲み干してしまった。
「……これは、水汲み大変そうだな……」
水桶の中を覗いてみると、さっきまでこぶし大だったスライムが水桶サイズぴったりに肥大化していた。どうやら体の中に水を取り込んだせいで巨大化しただけらしい。だが、その水も急速に消化されて吸収されていく。数分とかからずに水桶サイズから元のこぶし大のサイズに戻った。
――~~♪ ~~♪ ~~♪
スライムは空になった水桶の中でぴょんぴょんと跳ねながら魔力がほしいとねだってきたので、約束通りパスを通じて魔力を与えたところ、桶の中でプルプル震えながら喜んでいた。
「……もうちょっと試してみるか」
スライムを入れたままの水桶を手に寮に設置されている井戸へ向かう。
ソラの魔力量なら一回や二回スライムに魔力を与えたくらいじゃ苦にもならない。魔力が減ったきて与えるのが辛くなるまで、何度も何度もスライムに水を飲ませてみることにした。
◆
――翌日。
「お前、でかくなったな……」
昨日大量に水と魔力を与えたところ、こぶし大だったはずのスライムが二回りくらい大きくなっていた。餌と魔力を豊富に与えられて見てわかるほどに肥大化していた。
「……スコット先生に一応聞いてみるか」
さすがにこれはどうだろう、と思ったソラは午前の授業が始まる前にスコット教師に昨日閃いた方法でも問題がないか確認しに行くことにした。大きくなったスライムを手に持って部屋の外に出る。
――~~!! ~~!!
「もうちょっと待ってくれ。先に用事を済ませるから……」
朝から元気よく跳ねまわり、ソラに水と魔力をねだるスライムを宥めながら、従魔術学科の教師が務める職員室に向かう。
「あら、貴方は……スコット先生の生徒ですね。どうかしました?」
職員室の中に数人の教員がいたが、担任であるスコット教師はまだ姿を見せていなかった。スコット教師がやってくるまで廊下で待っていようかと思ったソラだったが、二年生の担任であるフレンダ教師がそんなソラに声をかけた。スコット教師とは違い優し気な風貌の五十歳くらいのおばあちゃん先生である。
「あ、あの……。スライムの育て方について聞きたいことがあるんですけど」
「その子のことね? 何が聞きたいのかしら?」
「えっと……スライムの餌のやり方で、魔力を少なくして飢えさせた方がいいとスコット先生が言っていたんですけど――」
経験豊富なフレンダ教師は当然、スライムの飼育方法にも詳しい。スコット教師の指導内容とソラの言いたいことを理解して、ソラの方法でも何の問題もないと太鼓判を押した。
「でも一年生なのにもう従魔と意思の疎通ができるなんてすごいわ。ソラくんは優秀なのね」
「あ、ありがとうございます……」
大人に褒められ慣れていないソラはフレンダ教師に褒められて頬を赤くした。照れ臭かったが嬉しかった。
「ソラくんのことは私からスコット先生に言っておくわね。ああ、それと魔力を豊富に与えた場合の注意点なんだけど……」
「わかりました。ありがとうございます」
あれこれと親切に教えてくれるフレンダ教師にお礼を言ってソラは職員室を後にした。
「それじゃ、朝のご飯といくか。ちゃんと水もたっぷり飲むんだぞ?」
――~~♪ ~~♪
スライムを連れて井戸に向かい、たっぷりと水と魔力を与えてやるソラ。
他の生徒たちとは真逆の育成方法で育てたスライムだったが、特に問題もなくスクスク成長していき、わずか一週間で進化の時を迎えたのだった。